09. beautiful、鉈と斧、学園祭
決して満員ではない電車で、しかも座席がいくつか空いているときに、栗林さんと二人並んで座ってもよいのだろうか。
しかし、対角にある向こうの座席の方へ行こうとすると、
「わたしの隣が空いているけど」
と制されてしまい、思い切って腰を下ろして、身体が触れないようにリュックを抱えて縮こまった。
栗林さんはバッグのなかから水色のブックカバーに包まれた本を取り出し、後ろの窓から差してくる陽を頼りに読みはじめた。
一方のぼくは、大紀の手術が無事に終わったという連絡にホッとしたのも束の間、どうやら四回目の手術をしなければいけないとの報せに
大紀とは直接の連絡を取ることができず、症状が
《栗林さんとデートをするなんて、
〈たぶん、知らないと思う。今日の明け方、急に行こうって連絡がきたから……あと、デートじゃないけど〉
《いいや。ふたりでお出かけをするなんて、立派なデートだよ。まあ、栗林さんも危機管理みたいなものをしてるんだろうな》
〈危機管理?〉
《優理が、長白河とかからからまれないようにしてるんだよ。だから優理も、デートのことはしゃべらない方がいい》
〈うん、そのつもり〉
《バレたら、なにをしてくるか分からないからな》
最近の長白河といえば、ぼくたちに会っても挨拶くらいしかしない。今回の件については、あきらめてくれたのだろうか。自分たちの演劇の練習もあることだし、ちょっかいをかける暇はないのだろう。
しかし、なんとなく嫌な感じがしているのも事実だ。良彦に言われた通り、今日のことは絶対に誰にも喋らないでおくことに決めた。
* * *
明け方4時。
目覚まし時計が鳴ったのかと思い、スマホの画面を確認すると、「栗林さん」と表示されており、ぼくの頭は一気に覚醒した。
『もしもし、四条くん? いまいいかしら?』
「こんなに早くにどうしたの?…………芽依さん」
ブツっ。鉈を振り下ろすような勢いで通話が切られた。
こちらから電話をかけ直したが、一度では通じなかった。
『ごめんなさい。睡眠時設定にしているから、二回かけないと繋がらないの』
「ああ、なるほど。ぼくはそんな設定にしていないから気づかなかった」
『してもしなくても一緒じゃないの?』
「自分でも思ってることだからやめてよ」
『ちなみに、わたしはさっき設定したのだけれど』
「もう電話を取る気がなかったんですね!」
『こっちが電話を取るまでかけ続けようだなんて、やっぱりそういう人なのね』
「やっぱりって、どういうこと? えっと、ぼくって厄介なストーカーみたいに思われてた?」
『stalk-erというよりstalk-est?』
「ストーカーの最上級かよ!」
『驚いた……比較級と最上級を知っているのね』
「栗林さんの、ぼくへの評価低すぎません?」
『じゃあ問題。語尾に-erをつけずに、more+原型で表記する形容詞を十個答えて』
「ええと、beautiful……」
『急に褒められると、恥ずかしいわね』
「都合よくぼくの言葉を受け取らないでくれます?」
『えっ、じゃあわたしは、beautifulではないの?』
「そりゃ……もちろんbeautifulだけど……」
今度は斧を振り下ろすような感じの勢いで電話を切られた。
こんな会話というか漫才というか、ボケとツッコミ(ほんとうにボケなのか分からないけど)を繰り返していると、「兄さん、うるさい」という妹の声が隣の部屋から貫通してきた。
さっさと本題を知りたいと思い、小声で「なんの用?」と
『今日、漫才を観にいきましょう。月曜日からの予行練習を前に、映像じゃなくて、眼の前でプロの漫才を観るべきだと思ったから。その誘いの電話』
という意外な答えが返ってきた。
「えっと、チケットとかは? 漫才を観れる劇場とかって、ここから遠くない?」
『それは問題ない。姉さんの大学の学園祭に、「ダイナマイト柑橘類」が来るの。だれでも入れるわけじゃないのだけれど、姉さんが二人ぶんの入場券を昨晩くれたから』
「えっと、どこの大学なの?」
『四条くんでは、到底受からないところよ』
「うーん……選択肢がありすぎるなあ」
『すんなり受け入れないでよ。初めて罪悪感を覚えたわ……』
「初めてなんだ……」
『下ネタはやめてくださる?』
「まだ夢のなかにいらっしゃる?」
ということで、栗林さんのお姉さんの大学にお邪魔することになったわけだ。
しかし、ぼくは思いしらされた。最初から最後までうまくいくことなんて、ありはしないのだと。
この日をきっかけにして、「2年4組のエイリアン」は解散の危機に立たされることになったのだから。
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