07. 悪のラスボスの必殺技

 席替えで隣になった子が運命の相手となるみたいな、ボーイミーツガール的な物語の主人公になることなどできないと思っていたのに、最後列の窓際の席かつ隣が栗林さんという最高の立地を獲得することができた。


 それだけではない。長白河ながしらかわを、ぼくたちの対角線上に追いやれたのもよかった。そしてぼくたちの前の席には、病室で闘っているふたりの空になった机があり、そのおかげで離れ孤島に二人きりでいるような感じになれた。だけど、大紀と良彦がいてくれたら、どれくらい楽しかっただろうと思ってしまう。


 目の前の席が空いているということは、教壇の先生から授業を受けている様子が手に取るように見えるということでもあって、肩がこるような気持ちがした。栗林さんの方をちらりと見ることさえ、自制させられる。


 黒板に書かれていく数式。校庭から聞こえてくるソフトボールの球が弾ける音。カーテンがふわりと舞っては、ぼくの左肩をかすめる。


 そのとき、ノートの上に丸まった紙が落ちてきた。横から放り投げられたらしい。開いてみると、こんなことが書いてあった。


《悪のラスボスの必殺技みたいな数学用語とは?》


 大喜利だ。

 関西が誇るレジェンド漫才師が考案した、お笑いのシステム。多くの芸人が憧れ、彼に認められなければ、芸人として失格に等しいと言われることもある。


『いやー、おもろいなあ』


 この一言が、一組の漫才師をどん底から救う。自分たちのお笑いは間違っていないのだと確信できる。彼にそう言わせることは、漫才師の目標のひとつでもあるのだ。


 ぼくは《悪のラスボスの必殺技みたいな数学用語とは?》の下に、こう書き込んだ。


〈ピタゴラスの定理〉


 数学教師が後ろを向いているすきに、解答を書いた紙を投げ返した。

 するとほどなくして、先ほどとは違う大きさの丸まった紙が投げ入れられた。


〈うーん 5点〉


 栗林さんを横目で見ると、左手でむにゅっと頬をおさえて、このからくる笑いをこらえている様子だった。磨き抜かれた爪がきらきらと光っている。澄み渡った大きな黒眼をじっと見つめ続ければ、マヌケな顔をしたぼくがそこにいるに違いない。


 栗林さんは教壇の方を一度気にしてから、右手を胸の前にだして、親指と人差し指を動かして紙を裏返すように、ぼくに促した。


《円周率は……サン・イチヨン!》


 ぼくより、おもしろい答えがそこに書いてあった。固有名詞をひとつ書くより、三点リーダやエクスクラメーションマークを使うことで、必殺技っぽさが出ていた。きっと、読み上げ方によってはもっとおもしろくなるだろう。


 ノートの端をやぶり、ぼくはこんなことを書いて、栗林さんの机にぽんと投げた。


〈こんな数学の宿題はイヤだ。どんなの?〉


 黒板には、神経質なまでに整った方程式が書かれている。

 カキーンっとボールを見事にミートした音が聞こえて、校庭は一瞬ざわめきたった。ぼくの机の上に、また丸めた紙が落ちてきた。開封すると、大喜利の答えが書いてある――と思いきや、


《問4の答え 33分の7》


 と書いてあり、なんのことかと思っていると、

「次の問題は、四条が問4、川野が問5。左と右にそれぞれ書くように」

 という指示のもとに黒板の前まで来させられ、自分にあてられた問題を解くことになった。


 自分の番が来ていたことに、ぜんぜん気づいていなかった。だから、問題の解き方が分からない。でも、答えだけは知っているという、ヘンな状態になっているわけだけど、答えだけ書いたとしたら、どんななじり方をされるかわからない。

 でも、なにも書かないわけにはいかない。しかし書けることといえば、33分の7という答えだけで、途中式はほっぽりだすしかなかった。

 しれっと、席へと戻った。


「四条、なんで答えが33分の7になるんだ?」

「えっと、違いますか?」

「いや、答えはあってるんだが、どうやってこの答えを導きだしたのかといているんだ」


 校庭から、三三七拍子が聞こえてきたからです!――とか言ってみようか。起立したまま目をあちこちに泳がせていると、栗林さんのノートの左隅に、


 循環小数 0.21212121……⇒

 x=0.21212121……と置いて、

 それを100倍した100x=21.212121……から、

 x=0.212121……を引くと99x=21、

 だから33分の7が答え


 ――と、ぼくに見えるように書かれていたが、もちろん覚えられるわけがないし、理解もできない。

 無事に三三七拍子の案が採用されて、こっぴどく叱られた。

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