05. 市場有利、生徒指導室、ネタ作り
ひとの心を動かす優れた台本というものは、文章としても読めてしまうし、だれが演じてもまとまってしまう。マハの書いたネタもそのうちの一つで、「ヴィ・バ・ラ」の三本のネタを書き起こしたノートを、真顔で読むなんてできやしない。はじめて人前で漫才――というより一人芝居?――をしたにもかかわらず、栗林さんの氷結した心を
ぼくたちにしか分からない字義を宿した「2年4組のエイリアン」というコンビ名が、文化祭に関連するプリントに刻まれ、それが掲示板に貼られるなどして、学校のあちこちに現われてからというもの、ぼくたちは好奇のまなざしを受けることになり、ぼく自身は、悪意にまみれた言葉を、ごみ箱に鼻紙をいれるみたいな気軽さでぶつけられていた。
『写真を見たけど、提出届のところにイヤリングがなかったぞ』
『バカ、あれは婚姻届にするもんなんだよ』
『それくらい知ってるわ。ボケだよ、ボケ』
ふつうは結婚指輪じゃないのか――というツッコミを飲み込んで、電話越しに聞こえる大紀と良彦の会話を拾う。
『でもさ、婚姻届って三文字じゃん。足りなくね?』
『五輪のマークの後ろは三つだけど、前は二つだろ。そういうことだよ』
「どういうことだよ!」
ぼくと栗林さんが文化祭で漫才を披露することになったと、ふたりに伝えたとき、大紀は三度目の手術を三日後に控えていたところだった。良彦は少しずつケガが治ってきていたが、大紀には厄介な
そんなことを考えている自分の顔が嫌いで、暗くなりつつある秋の暮れをカーテンの向こうへと追い払い、お笑いのDVDやノート類で埋め尽くされた机に携帯を置いた。
栗林さんが転校をしてきたあの日から、まだ一カ月くらいしか経っていない。
まさか、こんなことになるなんて思いもしなかった。栗林さんと付き合えたらどれだけ幸せだろうかなどという、高校生男子のテンプレ的妄想は後景に退いて、興奮と戸惑いが胸中で混ぜこぜになったまま宙づりにされた気分だった。
提出した書類の控えと、演者にだけ渡される文化祭関連の資料には、ぼくと栗林さんの名前がほとんど同じ数だけ書かれている。
タイプミスで「市場有利」となっている部分の数だけ、ぼくの方が少ない。一文字も合ってないんだけど、なんで気づかないんだよ。
* * *
二人で当日の準備や漫才の練習をする場所について、担任の
机が6個、二列に並んで、黒板の方へと向かっている。椅子は中庭に面する窓のカーテンの後ろに、六段に積まれて隠れていた。この小さな長方形の教室は、廊下側に窓はなく、内から鍵をかけることができないようになっている。中庭に植えられた松の影になっているせいで、妙にうす暗く、今日のような曇りの日だと、蛍光灯から放たれる黄身色の光が気持ち悪いくらいに明るく見える。黒板を使おうにも、
周りからの視線を気にすることなく使える場所を求めていたぼくたちの希望する条件が、ほとんど当てはまっていた。ただし、隣が職員室ということもあり、漫才の練習はしてはならないとのことで、栗林さんと相談して、ネタが完成したら、図書館に向かう坂の途中にあるあの公園で練習をすることに決めた。
五時半までの使用が許可された。三十分に一度、無花果先生が様子を見に来るという条件も付けられていた。漫才について疎いぼくたちは、模範教師となるプロの漫才師の映像を見たかった。それぞれの家で観ればいいと言い返されはしたが、観ながら意見交換をしたいことを伝え、DVDプレイヤーをぼくが持参することと、DVDの中身を先生が確認することを条件に、一時的な許可を出してもらった。
* * *
そうした取り決めをした次の日、通販サイトで購入した、「ヴィ・バ・ラ」が唯一決勝に進出した、漫才コンテストのDVDとプレイヤーを持って登校した。
放課後、職員室に鍵を取りに行ったとき、無花果先生から音量に気を付けるようにとの注意を受けた。職員室の横にあるということもあり、廊下から騒々しい音が聞こえてこないので、設定する音量は、自然と微小なもので済んだ。
第十二回大会のトップバッター。「ヴィ・バ・ラ」の漫才を見終えた栗林さんは、「四条くんの下手くそな一人二役でもおもしろくなるくらいだから……びっくりした。漫才ってこんなにおもしろいんだ。大声で笑えないのが、ほんとうに残念」と、独り言のように言った。ぼくも同じ気持ちだった。いまでも、手を叩いて笑いたくなる、彼女たちの漫才。しかし「生徒指導室」にいるぼくたちにとっては、一種の毒薬のような危険な漫才。
審査員による採点と講評は飛ばして、八組の漫才だけを黙って――黙るように努力しながら見終えると、栗林さんは、正三角形に配置した机の真ん中の空白に眼を落としながら、なにかを考えはじめた。ぼくはそれを、持て余したように黙ってみていた。
「どうしようか」
どこまでも続きそうな沈黙に耐え切れなくなって、ぼくから口を開いた。
その問いかけに促された、というより、考え事がまとまったらしい栗林さんは、
「まずは、わたしが思っていることを言わせてもらうね」と前置きをして、こんなことを話してくれた。
「漫才中、観客の人たちからのレスポンスがあると思うのだけれど、例えば、拍手であったり、笑い声だったり……そのときに、リズムが崩れて覚えてきたことが飛んでしまうんじゃないかっていう心配があって――」
「栗林さんにも、そういう心配があるんだね」と口をはさむと、「わたしはともかく、あなたが心配なのよ」と言わんばかりの表情を向けられた。
「そして、ネタの話。ヴィ・バ・ラもそうだけど、いま観た漫才のすべてが、ミニコントに入っていたでしょ? 例えば二組目の漫才師だど、片方が昔ながらのカフェのマスターをしてみたいと前置きをして、マスターと客のやりとりがはじまっていく。昔ながらのカフェを舞台にして、ボケとツッコミが繰り返されていく。わたしたちも、その方向でネタを作った方がいいんじゃないかって思うの」
なんで?――と
「わたしは演劇をしてきたから、ミニコントの方が得意かもしれないし、しゃべくりとなると、四条くんの方が大変でしょ。声が小さくて、客席からの声にかき消えてしまうかもしれない。だから、わたしの負荷が大きくても、四条くんは、短くてキレのあるツッコミに専念できるような形にしたい。こう言うと、バカにした物言いに聞こえるかもしれないけど、演劇をしていた身から言わせてもらえば、この短時間で大勢の前で物怖じなく大量のセリフを言うことなんて、四条くんには難しいと思うから」
「えっと、ぼくがツッコミということは、四条さんがボケを担当するってことで、合ってる?」
栗林さんがほかに言っていることは、いまいちピンときていないというのが本音だった。
「合ってる。とりあえずそう仮に決めておいて、とにかくネタを作っていきましょう。どうしようかしら。まずはミニコントの設定から考えましょうか。明日までに五、六個アイデアを持ってきて意見しあいましょう。それでいい?」
ぼくは、栗林さんより良い案なんて思いつかなかったし、反対する理由もなかった。
しかしぼくはまだ、なぜ栗林さんがここまで乗り気になってくれたのかが分からなかった。だから、ドッキリなのではないかといまだに思ってしまうことがある。
なぜ、ぼくと漫才をしてくれるのか。なぜ、ぼくの相方になってくれたのか。
栗林さんは、「おもしろそうだったから」という理由を、あらゆる角度から照らしてみせるばかりで、そのふわっとした答えは、その理由とその姿勢とをくっつける強力な接着剤のようなものには到底思えなかった。
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