04. 2年4組のエイリアン

 校舎裏や屋上に呼び出されることなんて慣れているという表情をしている栗林さんを、それでも二人きりのところへ連れ出したくて、文化祭の一週間前には組み立てられて、リハーサルが行われているであろうステージの予約先に来てもらった。


「栗林さん、なんの前置きもなく言うね。ぼくとっ――」


 栗林さんの冷ややかな目がそこにある。本当は、この冷めた表情のほうが、栗林さんの本性なのではないかと思うくらいに、ぼくの心身を縛ろうとしてくる。


「ぼくとっ、漫才をしてくださいっ!」


 突き付けられていた氷柱つららのような視線が、ぐにゃりと曲がったのを感じた。用意していた言葉が、彼女の舌の上でひしゃげたらしい。口ごもって、呆然とこちらを見ている。


「この書類に署名をして、判をしてください。お願いします。時間がないんです。明日までなんです。お願いします!」

「えっと、どういう?」


 ぼくは、この〈告白〉にいたるまでの経緯を、なるべく美談にしようと努めながら話した。その上で、「ごめんなさい」と断られた。


四条しじょうくんと、漫才をする意味が分からないし、わたし、漫才なんてしたことがないし、見たこともないし」


 そりゃそうだ。ぼくが栗林さんの立場だったら、からかわれていると感じるだろうし、当然、自分にはできないからと逡巡せずに断るだろう。

 しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。


「ぼくだって、初めてだよ。だけど、かっこいいんだ、漫才は。クラスの隅で息をひそめているが、唯一できる、反抗なんだ」


 そう言い切って、放送部から土下座する勢いで拝借してきたマイクスタンドを起き上がらせた。マイクはない。ぼくの「しゃべくり」は、栗林さんにしか届かないだろう。廊下や教室の窓から興味津々にこちらを見ているやつらには、思いのたけを詩にしたオリジナルソングを歌っていると思われるかもしれない。


 大きく深呼吸をした。二度、三度と繰り返した。それでも、喉はからからで、心臓はどくどくと波打っていて、顔はバーナーで炙られているかのように熱かった。

 栗林さんから見て右手に立ったぼくは、マイクスタンドに身を乗り出すようにして、しゃべりだした。


「わたし、日本中のおもしろい話を集めた同人誌を作って、一儲けしようと思ってるんだけど、ここから一歩も動きたくないから、あなたが集めてきなさい。以上」


 ひと様のネタを、一言一句たがわずパクっているのだから、あまりに罪なことだ。


 でも、眼の前にいる、漫才を知らない彼女に、漫才のおもしろさを知ってもらうには、ぼく自体があまりにも滑稽で馬鹿で、ぼく自身をわらってもらうのが一番なのだ。下手でいい、なにがなんでもわらってもらう。それだけを考えろ。


 一人二役で、マハの書いたネタをなぞっていく。

 同じネタをするにしたって、技術がなければ、ただ文字を読んでいるだけのようなものだ。当然、眼の前にいるはずの栗林さんが、どんな表情でこちらを見ているのか、そもそもいるのかどうかなんて、気にしている余裕はない。いまは、ネタをやりきることだけに集中するしかない。


     *     *     *


「この続きは、ファイナルステージでさせてもらいましょう。どうも、ありがとうございました」


 ファイナルステージのためにマハが用意していたネタの内容は、ぼくたちには分からない。きっと、ぼくの知らないネタで、それでもあの日のために、ライブで磨き上げてきたネタだったのだろう。


 バカげた妄想だけれど、もし文化祭の日にステージに立つことができるのだとしたら、「ヴィ・バ・ラ」の幻のネタを、ぼくが「書きたい」と思った。それくらいになっていた。

 

 けていく舞台袖なんてなく、地面とにらめっこしているぼくの頭の上に、くすくすと笑い声が降ってくる。それは、強烈な重力のある笑いではなかったから、ぼくと大差ない距離から飛んできた笑い声に違いない。


 おずおずと顔をあげた。その笑い声の主は、やっぱり栗林さんだった。


「その書類をかして。判子をして明日もってくるから」

「えっ、いいの?」

「コンビ名をここに書かないといけないと思うんだけど、どうしようか?」


 肺を炸裂させても走り続けたあとみたいな、とてつもない痛みを伴う疲労と頭の混乱。もしかして、幻覚でも見ているんじゃないか? そんな中でも、はっきりと主張しなければならないと思った。


「《2年4組のエイリアン》……なんて、どう?」


 これは、大紀が命名して良彦がしぶしぶ承知したコンビ名だった。大紀はエイリアン属性のカードを使うのが好きで、その我を押し通したまま、このコンビ名に落ち着いたらしい。


「教室の隅にいるから? 四条くんが」

「えっ?」

「エイリアンって、そういう意味じゃないの? 自分は周りとは違う存在だっていう……」


 そうか――ぼくたちには、その理解の方が正しく思える。だって、ぼくたちの唯一の共通点が、この学校に転校してきたものどうし、ということなのだから。

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