03. ヴィ・バ・ラ
放課後に教室の隅でカードゲームをしているふたりが入院したというのに、クラスの雰囲気はしっかりと秋の真っただ中にあって、教科書の内容はいままで通り消費されていくし、十一月の遠足の予定もすんなりと決まっていった。
ひとり取り残されたぼくは、三日に一度、偶然にも同じ病室になったふたりを見舞いにいき、交通事故で傷ついたその身体に眼を背けずに、いつも通りの調子を装いながら話しかけた。同じ空間にいる大紀と良彦がカードゲームをしていないというのは、違和感しかなくて、お互い、ほとんど話すことも尽きてしまったのだと言っていた。
「折角練習したのになあ……雨降りになればいいのに」
おもしろいかどうかはさておき、ふたりは所定の時間前後に漫才を終わらせるところまで仕上げてきていた。ぼくの眼の前ということもあるのだろうけれど、声も大きく聞き取りやすいものになっていた。
大紀と良彦の鬱屈とした感情が、青春を謳歌しているやつらに噴出するところを見たかった。漫才を武器にしたプロテスト。二人にとって最大の青春であると同時にこの上ないアンチ青春を体現するためには、漫才しかなかったのだ。
もう少しで二人の企ては実を結びそうになっていた。なのに、ごっそりと
「俺たちは、教室の隅を限りある青春の日々の居場所として、
だとしたら、ぼくにできることは、二人の意志を引き継ぐこと以外にありえない。
* * *
「ぼくが、大紀と良彦にかわって舞台に立つよ」
その日、病室が並ぶ廊下の窓際の椅子に腰をかけたふたりの前で、そう宣言した。
「優理ひとりで漫才ができるわけないだろ」
「セルフでダブルボケ・ダブルツッコミをするのか」
呆れたような二人の言葉のうちに、「頼んだぞ」「やってやれ、優理」というメッセージがこめられているのを、見逃すわけがない。
「ネタは、最初から考えるから」
「なんでだよ!――と言いたいところだが、優理にしてみれば高度なネタだからな、俺たちのネタは」
そりゃ、カードゲームの専門用語がオンパレードなのだから、「引退」済みのぼくにできるはずがない。
「優理、折角だからさ……」
そんな良彦とぼくのやりとりを聞いていた大紀が、おもむろに口を開いた。ぼくたちの視線は、少しだけ痩せてしまった大紀へと集まっていく。
「折角だから?」
先を促すぼくの問いに、大紀は答えた。
「栗林さんを相方にしてみたらどうだ? 元演劇部だからセリフを覚えるのも難しくはないだろうし、幸いにも演劇部の連中からのオファーを断っているとのことだし、絶好の相手じゃないか?」
そんなことできるのか?――大紀ではなく、ぼく自身へと問うてみる。
「それに、気持ちがいいじゃん。断られてもさ。青春してこいよ、優理」
「俺たちの分もさ」
大紀は軽傷で済んだ右手でぼくの腹を小突いて、良彦はケガを免れた右足でぼくのすねを蹴った。まったくと言っていいほど、痛くない。だからこそ、二人が抱え込んだ痛みが、あまりにも重いことが伝わってくる。
磨き抜かれた窓から西陽が差し込んで、無数の命が歩いてきた廊下を照らしだした。大紀と良彦の目じりに光るものがあった。お前たち、なんで泣いてんだよ。
「泣きだすなよ、優理。まだ、なにも始まってないぞ」
「フラれてしまったときは、俺たちが慰めてやるから」
病院の中庭の草木は茜色に照り輝き、そこに縫うように引かれた道には、もう誰の姿も見えない。
* * *
お笑いの大会は第一回からサブスクで観ることができるし、動画サイトにはお笑い芸人の公式チャンネルがあるし、そもそも、テレビを観ないわけではないから、漫才を学ぶ場所はたくさんある。映画を観るために契約していたサブスクで、漫才の大会を約二十年分再生してみたが、やっぱり最近の漫才の方が参考になりそうに思えた。
というのは、ある一時期を境に、決まった漫才の型の中にどれくらいのネタ数を込めることができるのかではなく、漫才の型そのものの独創性が評価される大会に変わったように思えたからだ。つまり、ぼくが舞台の上で表現することができるかもしれない漫才の形が、そのヒントが、この中にあるような気がしたのだ。
その漫才師は、九年前の大会のトップバッターだった。ふたりの漫才の出来が、この後に続く漫才師たちの点数の基準となる。センターマイクを前にして立ち、その第一声が、いまだ温まりきっていない会場に風穴を開けた。
「ヴィ・バ・ラ」という女性漫才師が選んだネタは、芥川龍之介の『竜』をモチーフにしているのだと、お笑いフリークのブログに書いてあった。
観客から右手にいるツッコミのマハが、「わたし、日本中のおもしろい話を集めた同人誌を作って、一儲けしようと思ってるんだけど、ここから一歩も動きたくないから、あなたが集めてきなさい。以上」と、息継ぎを感じさせない速さで言い切る。すると相方のユアが、
「はい、次はわたしがとっておきのお話を用意しているので、ご覧にいれましょう。わたしの地元に伝わる話なのですが、……」と、ユアが別の人格となりオチのフリを入れる。
マハはそれに応じて、「この続きは、ファイナルステージでさせてもらいましょう。どうも、ありがとうございました」と、興奮さめやらぬという口調でもって漫才を締める。
圧巻だった。会場の空気は一気に温まった。
しかしそれは、次の漫才師への「アシスト」にもなってしまう。最高の状態で気持ちよく漫才ができるわけだ。
彼女たちの漫才は、彼女たちが思っているより低い点数を弾き出し(納得のいかない表情をしていた)、五組目の点数の発表とともに、ファイナルに進むための駒を盤外へと落とされてしまった。
この年の大会で一番輝いていたのは、スポットライトを浴びて積年の苦労が報われたことに涙を流すチャンピオンに違いなかった。しかしその陰で、来年もまたここへ来ることを誓っていたであろう「ヴィ・バ・ラ」の漫才が、一番ぼくの胸を打った。
電子の海を浮遊しても、ふたりのネタは、三本しか観ることができなかった。一本はあの決勝のネタ。残り二本は、敗者復活ステージでベストテンにも入らなかったネタだ。
すでに解散してしまった「ヴィ・バ・ラ」の新ネタを観ることは、もうできない。ぼくは、この三本のネタを何度も観かえした。一言一句ノートに写して、声色を変えて音読した。一週間が経つころには、暗唱できるようになっていた。しかしぼくは、一からネタ作りをすることができていなかった。大紀と良彦が一から作り上げた漫才ネタを馬鹿にしていた、自分を恥じた。
* * *
文化祭まで残り一カ月を切った。ぼくのところに、文化祭実行委員会から、当日披露する演目の概要を記入する用紙の提出期限をオーバーしているという
明日の昼までに提出しなければ、香盤表から外すとのことだった。
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