02. 演劇、公園、プロテスト
転校生は主人公の机の隣に座るのがフィクションの常なわけだけれど、後ろから数えて三列目の真ん中にあるぼくの両隣はすでに埋まっている。しかも右は大紀である。ひっくり返った蝉のようにおとなしく授業を受けていたかと思うと、休み時間になると、ぼくに飛びつかんばかりの勢いでからんでくる。
ぼくは、決して主人公ではない。
ホームルームのあと、大紀はぼくに顔を近づけてきて、ひそひそとした声で、「
と、最後列のふたりを見ることなく言った。
「好きな子に振り向いてもらうためには、じっくり外堀を埋めるより、天守閣目がけて最短距離でアプローチをするのがコツなんだって。ほら、もう話しかけてる」
恋愛ハウトゥー本かなにかを読んでいるのかと思いきや、すべてアプリゲームのキャラクターの受け売りなのだという。適当に
とぎれとぎれに聞こえてくる会話に耳を澄ませる。どうやら、演劇の話をしているらしい。
* * *
放課後、カードショップに行こうとする良彦と大紀を引き留めて、校舎裏に連れて行くと、なにを勘違いしたのか、
「遠くから見守ってくれるひとがいないと告白できないだなんて、優理はうぶだなー」
と、肩を組んで来たので、
「漫才の練習をするんだよ」
と、使われなくなった焼却炉の前の少し高くなっているスペースに上がらせて、まだ未完成のネタを披露させた。
ぼくひとりを前にしてさえうまくいかないのに、当日、ネタをやりきることができるのだろうか。長白河は、観客をすべて体育館にかっさらうって言っていたけど、そんなことできるはずがない。屋外ステージには、アニソンのカバーやナルシシズム全開のオリジナル曲を聴きに生徒たちが集まるに決まっている。
ひと様の努力を馬鹿にするなっていうんだ。長白河は、ぼくたちの視線を一気に釘付けにするほどの強烈な重力を持っているわけではないんだ。
* * *
演劇部が、栗林さんを今度の文化祭の演劇のヒロインにしようとしているという噂が流れてきた。急に新入りをヒロインに抜擢するなんて、県大会で上位の成績を残すストイックな演劇部なのに有り得ない。
しかし聞いてみると、栗林さんは中学校のときに演劇部に所属しており、中学三年生の最後の大会では、全国にまでいったとのことで、なるほど、それほどの実力があるのなら熱心に勧誘するのもうなずける。
とうの栗林さんはというと、熱心な勧誘をきっぱりと断っているとのことだ。しかし、それでも誘い文句は尽きない。なぜそこまでしつこいのだろうという疑問に対して、「別の目的」で栗林さんを口説いているのだと、良彦は深淵なる考察と題した、ぼくにでも感じ取れるようなありきたりな論を説明しだした。
「でも、気の毒だよね……」
フランスの哲学者の格言を引用して、愛とはなにかみたいなものを語りはじめたところで、半分くらい話をきいていなかったぼくは、そう独白した。
「ほんと、いい迷惑だよな」
と、大紀は同調してくれた。
良彦は饒舌だった口から「青春だな」という嘆息を、九月の青空へとはじきだした。
* * *
彼女に影が落ちたとしても、彼女のハーモニーは青空の下で流れている。
という比喩を押しのけて、有無を言わさぬ「かわいい」という直球の表現が、心臓の鼓動を祭囃子のように高鳴らせる。公園の低いフェンスの向こうに栗林さんはいて、ぼくたちに対して「こんなに暑いのに日向でなにをしているの?」という疑問を、無言で表情だけで伝えている。
学校指定の鞄をカゴの中にいれている。この上り坂ではペダルが重いから、自転車を押しているのだと察した。市街地に住んでいるのか、ぼくの家とは反対側だな――と思っていると、「うちのクラスの人ですよね?」と、彼女が声をかけてきた。鮮やかな孔雀の羽が開いたときにする風が吹いた。
「図書館に行くには、この先の十字路を左に曲がるんですよね?」
「そうですっ」とすぐに言えたのは、ぼくだけだった。ふたりは自分たちの影ばかりを見ている。
「ありがとう」と言い残して、栗林さんは行ってしまった。ニコっと笑ったのを、ぼくだけは見逃さなかった。
「お前たち、今日は夜まで特訓するぞ」
「えっ? 今日は俺たちのユリネ神が音楽番組に出るから、六時までには帰りたいんだけど。な、大紀?」
「いや……ここは、優理への友情の見せどころだぞ、良彦。優理はな、栗林さんが図書館から帰るときにまた話したいから、そのときまで公園にいたいんだよ」
「なるほど……これが奥手男子の片想いの、哀しき習性というやつか」
「そうだ! 俺たちのような非モテは、こんな回りくどいアプローチしかできない。そのうち長白河の彼女になってもおかしくないが……そこをだ、なんとかして優理とくっつけてみたいと思わないか?」
ネタの練習をさせようにも、恋とはなにかということを、儒学の知見(らしい)から分析しだしたので、ぼくは黙ってそれを聞きながら、なんで急に、ふたりが気を利かせはじめたのかを考えた。
というか、ぼくが栗林さんにひとめぼれをしているのが、なんでわかったのだろう。こいつら、対戦終わりに相手がデッキから入れ替えるカードの予測くらいしかできないと思っていた。
ごめん、うそ。本当は、こういうこともできる優しくて器用なやつらなのだ。もちろん、長白河への復讐心みたいなものも、そこに働いているのだろうけれど。
「なんかむしゃくしゃしてきた」
なんでだよ。話を聞いてなかった。
「俺たちしかいないから、大声で言ってやろう。長白河のバーカ! 俺たちを見下しやがって、お前なんて……お前なんてあれだ、ええと、あれをあれしてしまえ!」
「そうだ! そうだ!」
悪口を声にだすのに慣れていないのだろうな。ぼくも折角だから言ってやろうか。
「ぼくが知らないうちに、君たちになにかしてしまったのかな?」
それは間違いなく、優男の仮面をかぶったときの
振り返るともちろん彼がいたし、その横には――やっぱり栗林さんがいた。
「ごめんね、ぼくは無意識に人を傷つけてしまうことがあるから、きっと、不愉快なことを言ってしまったんだろうね。だとしたら謝るよ。もしそれでも許してもらえないなら、どうしようか……でも、ぼくには謝ることしかできない。ごめんね。ほんとうに、ごめん」
人の良さをアピールするのがうますぎだろ。
こちらを悪者に仕立て上げながら自分を良く見せるそのテクニックに対して、なにもやり返せずぼくの方を凝視している大紀と良彦には申し訳ないが、こういうときにどう取り繕えばいいのか、ぼくにだって分からない。
「ふたりは、どこへ行ってたの?」
と、話題をそらすのが精いっぱいだった。
「栗林さんと、図書館で会ってね。家の方向が一緒だから、こうしてふたりで帰っているんだよ」
へえ、同じ方角なのか。羨ましさというより、たぶんこれも長白河の策略かなにかなのだろうと思うと、気味の悪さを感じてしまう。栗林さんは黙ったままだった。向こうのベンチの方へと視線を投げていた。
「それじゃ、また明日学校で」と、にこりと笑って見せた長白河だったが、ぼくたちからギリ見える距離のところで、あの意地の悪い顔をこちらに向けてきた。
「安心しろ、優理。イヤイヤ一緒に帰ってるだけだから」
「大紀の言う通りだ。長白河は、いままでに経験がないくらい、手ごたえを感じていないんだよ」
「あの手この手を使って、散々アプローチしているのに、満を持してフラれるかもしれないと思うとメシウマだな。優理が失恋してもかまわないから、長白河にぎゃふんと言わせたい」
かまわないのかよとツッコミたくなったけれど、ぼくより昔から長白河に目を付けられていて、不愉快なことをされ続けてきたのだから、それを尊重しようと思う気持ちもあった。
教室の隅でカードゲームをしているふたりが、文化祭の日、屋外ステージの舞台に上がり、漫才を披露する。そのこと自体が、大紀と良彦がいままで被ってきた屈辱への反抗なのだ。「お笑い芸人はモテモテなんだって、姉ちゃんが言ってた」と、漫才をする理由をさらりと説明していた大紀だったが、その根底にあるのは、プロテストだ。
ぼくの恋を応援しようだなんて、そんなことをしなくていいから。お前たちは、漫才をしているその姿で、お前たちに屈辱を与えてきたやつらに目に物を見せてやればいい。最後まで付き合ってやるから。
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