4章「終幕」
「ねえ聞いて。昨日の夜さ、またお化けが出たの。」
燦燦と日光が降り注ぐ秋晴れの中、天音が言った。天音とその彼氏は今、京都の西の観光名所、嵐山に来ている。もちろん、俺も同じだ。
「私、何かに取り憑かれてるみたい。」
俯きながら呟く。その通りだ。俺が取り憑いている。
「大丈夫。辛いことは考えずに、今日は楽しもうよ!」
天音の彼氏が言った。そういえばまだこいつの名前を知らなかったな。まあ特に興味は無いが。二人は渡月橋で写真を撮っている。不快だ、とても。俺のことなんかとっくに忘れて、幸せそうにしている天音たちに、激しい嫉妬心が湧き上がる。あの時通り魔なんかに襲われていなかったら今頃は…、いや、例え死んでいなかったとしても俺は天音に騙されていたんだ。溢れてくるのはただ、行き場の無い悔しさ。何で俺は不幸なのに、こいつらは幸せそうにしてるんだよ…。一瞬、自分と、あの通り魔の姿が重なった幻覚を抱いた。
俺がこの世にとどまっていられるのも、今日で最後だ。だったら、思う存分暴れてやるよ。魑魅魍魎にでもなってやるよ。天音、お前を呪い殺してやるよ…。
そう覚悟を決めた瞬間、俺は天音の身体から姿を現していた。全身から恐ろしい程に力が湧いて来る。次第に、自分の身体が大きくなっていくのが分かった。周りにいた人々が、慌てふためき悲鳴を上げながら逃げていく。天音は腰を抜かしてその場に座り込んでいた。
「ば、化け物だぁ…。」
天音の彼氏が叫んだ。俺の身体は、身長三メートルを超える鬼の様な姿へと変身していた。もう、太陽の光の眩しさなんて気にならない。
「やめて、助けて…。」
天音が声を振り絞る。
「お前が悪いんだ。俺を騙していたお前が…。」
俺は怒りのまま、傍を通った車を蹴った。車は後ろに吹き飛んで他の車両とぶつかり合い、炎上した。
「天音に手を出すな!」
天音の彼氏が両手を大きく広げ、天音を庇いながら言った。
「お前は関係無いんだよ。」
俺は近くに乗り捨てられていた自転車を投げ飛ばす。ガシャンと音がして、天音の彼氏に自転車が激突し、天音の彼氏はその場に倒れた。俺は再び天音を睨みつける。
「ねえ、教えて。私、何をしたって言うの?教えて…。」
「自覚すら無いんだな。俺を騙し続けていたくせに!」
俺は天音の身体を掴み、橋の柵に押し付けた。
「死んでくれ。俺が愛した分だけ不幸になれ!」
俺は天音を川に突き落とした。
「天音ぇーーーーー!」
天音の彼氏の声と、天音の悲鳴が共鳴し、渡月橋を包んだ。川岸の木に止まっていた烏が、声に驚いて一斉に羽ばたいていった。
○ ○ ○
「ねえ、もしかして大智なの…?」
天音の声が微かに聞こえる。気のせいに違いない…。
「分かるよ、大智なんでしょ?」
まさか…。俺は浮き上がると、ゆっくりと橋の下へと降りて行った。
橋の下では、傷だらけになった天音が水の中を漂っていた。それを見た瞬間、俺の中は後悔に埋め尽くされた。俺は、あの通り魔と同じことをしてしまっていたんだ…。
「私だけ死ななかったから、怒ってるの?」
天音は微かな声で言った。俺は慌てて小さく見える天音を抱きかかえた。
「違う、違うんだ。」
俺は必死に首を横に振る。罪悪感に襲われながら、必死で。
「幽霊になってから、この前お前が言ってるのを聞いたんだ。俺には適当に付き合ってただけ、本当は俺のこと好きじゃなかったって。それで俺、天音をこんな目に遭わせて…。どんな事があっても、命を奪うなんて許されないことだ。でも、俺はそれを忘れて…。本当にごめん。」
俺の醜い目から、涙が零れ落ちた。
「ああ、あれ聞いてたんだ…。」
天音は視線を少し落とし、そしてまた俺を見た。
「あの言葉はね、」
一呼吸置いて、天音は話を続けた。
「私、大智を失ってからずっと辛かった。だから、無理矢理ああいう風に自分に言い聞かせないとやってられなかった。だからあれは本心じゃないの。大智のこと、ずっと好きだったんだよ。勘違いさせてごめんね…。」
天音は謝った。目に涙を浮かべながら。謝るなよ、天音に謝られたら俺は何もできなくなる。勘違いしていたのは俺の方だったんだ…。
「俺は、俺は、なんてことをしてしまったんだ…。お前の命まで…。」
胸が痛い。苦しい。自分の罪と向き合うのは本当に辛い。でも俺は、同じぐらい辛い思いをさせていたんだ。自分を愛してくれた人に。俺は何度も謝った。許されないのは分かっていた。
「いいんだよ、間違っちゃったのは仕方ないことだし。それに、私ならまだ死なないから大丈夫。でも嬉しいなぁ。また大智と話せて。」
天音はゆっくりと、優しい笑顔で俺に語り掛けた。天音の気持ちを感じる。何でこんなに優しいんだよ。気が付くと俺の姿は元に戻っていた。向こうから足を引きずりって、天音の彼氏が川の中を歩いて来る。俺は彼に謝った。
「さっきは傷つけてごめん。天音を、よろしくな。」
天音の彼氏は、俺を見てゆっくりと頷いた。こんな俺を許してくれるなんて、寛大でいい奴だ。こいつなら天音を幸せにしてくれると確信した。もう、俺の時代は終わったんだ。潔く消えよう。
俺は忘れていた。幸せは、すぐそこにあったんだ。復讐心のせいで、家族からの愛情も忘れかけ、天音からの愛情も失いかけていた。でも、最期にはそれを思い出すことが出来た。それだけで俺は満足だった。
太陽の光が体に刺さって痛い。そろそろこの世界からも幕引きの頃だ。俺は最後に天音を見る。これが最期の最期だ。身体が消滅していくのを感じながら、絶え絶えになりながらも、なんとか俺は言葉を紡ぐ。俺が本当に天音に伝えたかった気持ち、感謝を。いつの間にか俺は、天音に抱きかかえられていた。ぼやけた視界の真ん中に、天使の様に美しい天音が見える。
勘違いから復讐心に飲まれ、愛していた人を殺そうとした俺はきっと、地獄へ行くだろう。けど、こんなに短い人生の間でお前と出会えて幸せだったよ。ありがとう。
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