2章「復讐」

 俺が幽霊として復活してから三日が経った。何の手がかりも無く時間だけが過ぎていく。いっそのこと、俺を殺した通り魔のことは諦めて、天音に会いに行くか。そう思いながら、夜の闇の中、三条大橋の南西側にある河川敷への入り口を通り過ぎた時だ。突如、見覚えのある顔とすれ違ってはっとした。忘れもしない、こいつが俺を殺した通り魔だ。俺は慌てて振り返ると、駆け出した。男は鴨川の河川敷へと降り、暗い橋の下にゆっくりと姿を消した。見失ってたまるかよ。絶対に復讐してやる。俺は男が入って行った暗い橋の下へと潜り込んだ。


 橋脚の傍で、さっきの男がボロボロにすり切れた毛布の上に座り込んでいる。ホームレスなのか…?俺は恐る恐る怒鳴った。


「お、お前、人を殺したことあるだろ?」


 男がこっちを向いた。長く伸びたボサボサの前髪の隙間から、二つの澱んだ目が覗いている。


「なんだ、お前?」


 睨むようにゆっくりと男が言った。


「俺の顔を、覚えていないか?」


 俺は怒りを堪えながら言った。


「さあな、知らねえよ。」


 俺の中で、何かがプツンと切れた。俺を殺したくせに、俺のことを忘れているだと…。俺を何だと思っているんだ。


「俺は、この前お前に殺された男だ。」


 迫力を出すために、俺は身体を白く光らせた。ゆっくりと浮き上がり、男の首を掴んだ。


「ゆ、幽霊…⁉」


 慌てふためいた男は、足を滑らせて川に転げ落ちた。バシャンと水しぶきが上がる。


「俺のことは思い出せたか?」


 俺は男を問い詰める。


「何で俺を殺した?」


 俺はゆっくりと男に近づいて行く。男はバシャバシャと水をかき分けながら逃げていく。だが、水の抵抗を受けない俺から逃げることはほぼ不可能だ。


「し、幸せそうな奴なら誰でも良かったんだよ。お前らみたいにいい服着て、旨いもん食って、楽しそうに遊んで、幸せなんだろ?俺は何にも楽しくない。家も無い。服も無い。おまけにいつも空腹だ。イライラするんだよ!」


 暗い川の中で男が叫ぶ。


「お前のせいで、俺は死んだんだよ。お前さえいなければ、お前さえいなければ俺は幸せだったんだ!」


 俺は怒鳴った。すると、男はニヤリと笑う。


「それなら本望だ。お前、不幸になったんだろ?俺と一緒だよなあ、そうだ、一緒だ。アッハッハッハ…。」


 暗い夜空を見上げ、男は不気味に笑った。俺はもう、怒りを抑えられなかった。体の底から感情が湧き溢れてくる。俺は男の首を掴んだ。


「お前と一緒にするなァ!」


 しばらく首を掴んでいると、男はガクンと頭を垂れた。俺は、俺を殺した通り魔の死体をその場に捨て、フラフラと川から上がった。これで復讐は終わった。あとは天音に会いに行くだけだ。水面に映った俺の額に、角が生えたように見えたのは気のせいだろう。


  ○ ○ ○


 次の日の夕方、目を覚ました俺は天音に会いに行くことにした。あいつ、俺が死んで悲しんでいるだろうな。そう思う度に、無いはずの心臓が鼓動を高めるような気がした。張り切って探そうとした瞬間、気が付いてしまった。俺、天音の家を知らない。


 昼なら学校へ行けば会えるだろう。だが、今はもう日も暮れている。天音がいる場所が分からない。仕方がない。どこかで暇でも潰しておくか。折角だから、この幽霊の身体を活かして、今まで出来なかったことをしよう。どうせ死んだ身だ。最後に楽しみまくろう。


 その夜、俺は滅茶苦茶なことをして回った。金閣寺の中で寝転がったり、清水の舞台から飛び降りてみたり、京都タワーの上に登ってみたり。どれも一度やってみたいと思っていたが、確定で捕まるか死ぬので諦めていたことばかりだ。


 俺を幽霊として復活させてくれた八咫烏には感謝した。幽霊として復活していなければ、俺は無念のまま死んでいただけだった。だが、あの通り魔に復讐も出来た。最初は命を奪うつもりは無かったが、流石に怒りを堪えきれなかった。結果として、俺は通り魔と同じことをしてしまっている…?いや、そんなことは無い。これは復讐だ。先に俺を殺した向こうが悪いのは当たり前のことだ。京都タワーの上で夜の風に当たりながら、俺は自分が犯した事を正当化した。次第に雲が、夜空に浮かんだ月を隠していく。


  ○ ○ ○


 次の日は、幸運なことに曇りだった。これなら昼でも活動しやすい。俺は意気込んだ。今日こそ天音に会いに行くぞ。俺が幽霊となってからもう五日が経過していた。


 昼下がり、授業が終わった後だった。俺は姿を消して、校門前で天音を待っていた。生徒が次々と下校していく。時折、見知った顔の奴が歩いて行く。皆元気そうで良かった。俺も、殺されてさえいなければ、ここにいることが出来たのに…。


 天音を見つけた。校門から歩いて来る。だが、一人じゃない。誰か、男と一緒に歩いている。不審に思った俺は、様子を覗うことにした。


 背後から会話を盗み聞きしていると、この男は天音の新しい彼氏だということが分かった。付き合い始めてまだ数日だという。どうやら部活の先輩らしい。俺が知らないのも無理は無かった。だが、随分と切り替えが早いな。彼氏が死んだら普通、もうちょっと悲しむものなんじゃないのか…?


「それにしても、大丈夫だったの?大智君って人、亡くなったんやろ?」


 天音の新しい彼氏が話を振った。俺の話か?集中して聞く。


「ああ、大智ね…。」


 天音の声が曇った。


「あの人は、適当に話合わせてただけ。一応付き合ってたけど、本当は好きじゃなかったんだ。」


 え?


 天音の言葉を信じられなかった。俺を、騙していたのか?俺は二人の背後にいるから、天音の表情は見えない。でも何となく予想はついた。きっと笑っているに違いない。俺を、嘲るような、悪魔の様な顔で。


 突然、今まで俺が天音に抱いていた愛情が、全て反転して憎悪に変わった。重く空に覆いかぶさっている雲から、ポツポツと雨が落ちて来た。憎しみを超えて殺意が芽生えてくる。一度命を失なった俺に、失うものはもう何も無かった。一度人を殺めた俺に、躊躇いというブレーキは効かなかった。


 こうなったら、思う存分苦しめてやる。苦痛を与えて、殺してやる。悪霊となってお前を呪ってやるよ。俺は、二人が曲がり角で別れた後も天音の後を追い続けた。復讐をするために。天からは、大粒の雨が零れるように降り注いでいる。

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