第160話「さらば魔法学園」

 ――遡ること、ソフィアとミリアムの決戦直後。



 リステル魔法学園の研究棟の一番奥。人気のない廊下の突き当たりにある部屋に、1人の美女が足を踏み入れた。


「近くに魔力反応はないな……。今が最初で最後の好機だろう」


 真っ赤な髪を靡かせ、緑の瞳で部屋の中を見回してそう呟くのは、魔王軍八鬼衆の1人にして元火の賢者でもあるアネッサ・マルグリットだ。


 彼女は部屋の奥に隠されるように設置された、地下へと続く階段を見つけると、躊躇うことなくそれを下りていく。


「ミリアムは賢者の石を入手できたかな? ……いや、きっとソフィアが勝つだろうな。ミリアムは天才だが、ソフィアは魂の強度が違う……とでも言うべきか、あいつには他の人間とは違う何かがある」


 アネッサは自分が受け持った数え切れない生徒の中で、ソフィア・ソレルを最も高く評価していた。


 傍から見たら、いびっているとしか思われない程の厳しい指導を彼女だけにしてきたのも、ソフィアの才能に期待していたからこそである。


 当然そんなことはソフィア本人に伝えてはいないし、今後も伝えるつもりはないが。


「だが、このまま魔族として生きるより、ここで果てたほうが、ミリアムにとっては一番良い結末なのかもしれないな……」


 ゆっくりと階段を下りながら、アネッサは考える。


 グリムリーヴァ討伐戦の際、ミリアムは参加した理由を「ただの気まぐれ」だと話していた。その言葉に嘘はなく、かつての教え子からは何の覚悟も、そして生きる気力すらも感じられなかった。


 昔からエルフではあるが長生きできそうにない性格だとは感じていたが、数年経って再会した彼女はより酷い状態になっていた。


 高い確率で死の危険さえある魔王軍四天王の討伐戦。そんな場にあのような状態で参加している弟子を見たとき、アネッサは「こいつはきっと遠くない未来に命を落とすだろう」と、直感的に理解してしまった。


 まともな大人であれば、叱ったり諭したり、あるいは別の道を示してやることもできただろう。しかし、彼女はそういったことをできるタイプではない。


 口を開けば憎まれ口しかでてこないし、魔法を教えることはできても、人の道を説くことなんてできやしない。


 誰からも嫌われる偏屈な天才魔法使い。それがアネッサ・マルグリットという女だ。


 だから、せめて死に場所を変えてやろう。そう思った。


「こんな世の中だ、殆どの人間は何を成し遂げることもなく、死に場所も選べずこの世を去る。少しの間でもやりたいことをやれて、友人に看取られながら死ねるなら、それはきっと幸せなことだろう。少なくとも、あんな洞窟で死ぬよりは……な」


 1人、孤独にこの世を去る。それはきっと、何よりも寂しい結末だ。そして、そんな人生を歩む者は少なくない。


「……ソフィアはそれを理解している節がある。まるで、そのような経験をしたことがあるかのように。……そんなあいつだからこそ、きっとミリアムを救うことができるだろう。あたしとは正反対のあいつならな」


 皮肉なことに、アネッサは人間であったころから最も魔族らしい性格をしていたがゆえに、魔人の角との適応率が異常に高く、人間性を殆ど失っていなかった。


 他の八鬼衆が欲望を制御できずに暴れ回るなか、彼女だけは唯一変わることなく、偏屈で頑固で傲慢な人間のまま、自分の目的のためだけに行動をしている。


「ここに……あいつがいるはずだ」


 階段を下りた先には、重厚な鋼鉄製の扉があった。


 アネッサはその扉をゆっくりと開くと、中へと足を踏み入れる。


 いくつもの棺桶や簡易的なベッドが置かれ、薬品と死臭が入り交じった部屋を彼女は進む。


 やがて、先程よりも更に厳重そうな、大量の魔法陣の描かれた扉の前に立つと、右手をかざして炎の魔法を放った。


 ――ドゴォンッ!


 激しい音を立てて、扉が吹き飛ぶ。


「学園を覆う光の結界は、この場所を隠蔽する役割も兼ねている。賢者の石とワーズワーズの光の結界による二重の封印……。そして、そのどちらも今は解除されている。今がこの部屋を暴く唯一の機会だ」


 部屋の中に入ったアネッサの眼前に広がる光景。


 そこには大中小様々な大きさの12基の棺桶が並んでおり、その一つ一つに特殊な封印の魔法が施されていた。


 だが、賢者の石も光の結界もない今の状態であれば、彼女なら十分解除することが可能だ。


「壮観だな。……これだけの伝説級生物の遺体を、よくぞ集めたものだ」


 時計回りに並ぶ棺桶の一つが空いている。


「あの大きさは……旧魔王軍四天王、"魔人剣のミルフィリア"か。ネブラークに召喚されている最中だな」


 が、それは彼女の目的には無関係だ。


 その隣にある、成人男性がちょうど1人入るくらいの大きさをした棺桶に近づくと、そっとその表面を撫でる。


 そして、ゆっくりと棺桶の蓋を開いた。


 中から現れたのは、まるで眠っているかのように目を瞑った金髪の男性だった。


 年は20代半ばから後半にかけたくらいだろうか。凛々しい顔立ちに、鍛え上げられた肉体が特徴的の美丈夫である。


 アネッサはその男の頰に手を当てると、寂しそうに笑う。


「久しぶりだな……ベームシュタイン。60年振りくらいか? お前が死んでからというもの、本当に毎日が退屈だったよ」


 男は何の反応も示さない。当然だろう、ここに居るのは"抜け殻"だけなのだから。


「賢者の石は……最初からミリアムにくれてやるつもりだった。あたしは……ただもう一度、お前に会いたかっただけなんだよ」


 男のことを抱きしめると、アネッサは一筋の涙を流しながら絞り出すような声で呟く。


「お前が今、世間でなんて言われているか知っているか? ……"悪逆王"だとよ。好き勝手言ってくれるよな、まったく。お前ほど人々のために戦った男などいやしないのに……。本当に……人間とは愚かな生き物だ」


 アネッサは棺桶の蓋を閉じると、それを背中に背負って部屋の外へと歩き出した。


「肉体は……手に入った。魂は、どこかにいるのだけはわかっている。おそらく記憶を失って、新しい生命として生まれ変わっているのだろう。だが、肉体に戻れば全てを思い出すはずだ。……あたしは必ず、お前を見つけ出すぞ。ベームシュタイン」


 誰にともなくそう呟くと、真っ赤な髪を持つ美女は部屋から去っていく。


 部屋の中には11基の棺桶と、その中に眠る伝説級の生物達の抜け殻だけが残された――。




◆◆◆




「これだけの事態を引き起こしたのは彼女にも原因はある。無罪というわけにはいかんのぉ」


「そこをなんとかお願いしますよ……。学園が壊れただけで、人的被害はでなかったんですし。それにほら! 賢者の石を取り戻したのは私でもありますし、私に免じて少しは大目に見てくれませんか?」


 ――リステル魔法学園の学園長室。


 俺はマリーベルの処遇について学園長に掛け合っていた。


 彼女がミリアムの命令で学園の結界を解いてしまったことが今回の事件の発端なので、勿論完全無罪放免というわけにはいかないだろうが、それでもミリアムとの約束もあるし、多少は手加減してもらえると嬉しい。


 マリーベルは部屋の隅で、気まずそうに俯きながら立っている。


 学園長は困ったように頭を搔くと、深く溜め息を吐いた。


「マリーベルくんは、光の賢者である儂の監視下に置く。儂の許可なく学園から出ることを禁止し、その他にもいくつか制限を設ける。もしそれを破った場合は……然るべき措置を取る」


 ひとまずは学園長の監視下に置くことで、その処罰は保留にしてもらえるようだ。俺はホッと胸を撫で下ろす。


「本当に……それだけでいいんですの? わたくしはあれだけの事件を引き起こしたのに……」


「君の人生を思うと、やむを得ない部分もあったのかもしれない。無論、だからといって許されることではないがの? じゃが、儂は常々こう思っとる。罪を犯した者にも、更生の機会を与えるべきじゃと。……特に君のように、本来は儂ら大人が正しい道へ導いてやらねばならなかった子供にはの」


 犯罪者は切り捨て上等の異世界で、彼のような考え方をする人間は珍しい。


 だが、前世が地球出身の俺としては、学園長の人権意識の高さには非常に好感が持てた。


「幸運にも被害は最小限で済んだことじゃしな。それに、儂の結界を解けるような光魔法使いの将来を、ここで潰すのはあまりにも勿体無いじゃろ?」


 学園長の言葉を聞いて、マリーベルは涙を流す。俺はそんな彼女に近づいてハンカチを手渡した。


「じゃが、君には罰として、いずれ儂の役割を引き継いで学園の結界の維持をしてもらうつもりじゃ。ずっと学園内におらなきゃならんし、結構しんどい仕事じゃぞ? もちろん、嫌とは言わせんがの」


「……はい。わたくし、罪滅ぼしの為にも……必ず学園を守れる立派な光魔法使いになります」


「ワハハハハッ! 久々に鍛えがいのある弟子ができたわい! びしびしと指導するから、覚悟しとくようにな」


 学園長が豪快に笑いながら、マリーベルの頭を撫でる。


 今回の事件で一番被害を受けたのは彼なのに……本当にできた人だ。


 これまでの人生で人運というやつに恵まれなかったマリーベルだが、学園長ならきっと彼女を良い方向に導いてくれるだろう。


 俺はマリーベルの肩をポンと叩くと、学園長に頭を下げて部屋を出た。



 ――あの騒動から1週間が過ぎた。


 学園は未だ傷跡を残しながらも、どうにか元の生活を取り戻しつつある。


 そして、俺と雫の留学期間である2ヶ月も、残すところあと数日となっていた。


「おや? あれはネブラーク先生でしょうか、なんだか元気がなさそうですね」


 中央庭園のベンチに、項垂れるように座っているぼさぼさの髪の男性を見つけたので、俺はそちらへ足を向けた。


「ネブラーク先生。元気がなさそうですけど、何かあったんですか?」


「ああ、ソフィア・ソレルか。聞いてくれよ、僕の"死霊騎士団レジェンダリー・トゥエルブ"の一体、"悪逆王ベームシュタイン"が何者かに盗まれてしまったんだよ……」


「えっ!?」


 あれって盗めるものなんだ。


 てっきり、ネブラーク先生が闇魔法で作り出した空間の中にでも保管してるものかと思ってたけど、どこか別の場所に遺体はあって、魔法は召喚するだけなのかな。


「もしかして研究連の地下室ですか?」


「……鋭いな。これはごく一部の人間しか知らないから秘密だぞ」


 まあ、明らかに怪しくて何かあるとは思ってたけどさ、あそこ。まさか学園内に元魔王軍四天王やらなんやらの死体が大量に保管されていたとは……。


「何者か、と言ったけれど、おそらくマルグリットさんの仕業だろうね。知っているかい? 彼女はかの"悪逆王"と幼馴染だったそうだよ」


「そうなんですか!?」


 初耳だ。というか、マルグリット先生の目的って賢者の石じゃなかったのか?


 あの婆さんは本当に何を考えているのかわからないな。


「ベームシュタインって、人類を裏切って魔族側に寝返った王様ですよね?」


「そう、カリスマ性に溢れた一騎当千の武人で、ただの村人から一代で国を興し、そして一代で滅ぼした男だ」


 学園の授業でも習ったな。


 ベームシュタインは、人間と魔族の共存を目指した国を作ったそうだ。しかし、その志は結局叶うことはなく、そして、最後は何を思ったか人類に反旗を翻し、勇者に殺された。


 彼が魔族側に寝返った理由は、結局誰にもわからない。


 だが、ベームシュタインの裏切りと同時期に新たな魔王が出現したこともあり、彼が何らかの形で魔王誕生に関与していたのではと今では言われており、こうはなってはならないという、最低の反面教師として歴史の教科書に載っている人物だ。


「はぁ~……。どこかに新たに"死霊騎士団レジェンダリー・トゥエルブ"に加わってくれるアンデッドはいないものか……」


 ネブラーク先生は溜め息を吐きながらチラリと俺を横目で見ると、名案でも思い付いたかのように、にっこりと笑った。


 なんか嫌な予感がするな……。


「ソフィア・ソレル、君……近々死ぬ予定は――」


「ありませんよっ!!」


 相変わらず失礼だなこの人!?


 俺はぷんすかと怒りながら、その場を後にした。




 ――数日後。


 学園の野外訓練場にて、雫とアリエッタが抱き合ってわんわん泣いていた。


「私、寂しいです。今日で雫さんとお別れなんて……」


「私もだよ~、アリエッタ~」


 時が経つのは早いもので、あっという間に俺と雫が日本へ帰る日が来てしまった。


 すっかり仲良しになった2人は、お互い涙を流しながら別れを惜しんでいる。


「また、いつでも会えますよ」


 俺が2人の肩にポンと手を置くと、彼女達は泣きながらも頷いてくれた。


 そんな俺達のところに、校舎の方から続々と生徒達が集まってくる。皆、お別れをするために集まってくれたようだ。


「シズク、行ってしまうのね……」


 スノーホワイトの髪を靡かせて、ルナリアが寂しげな表情で雫の手を握る。


「うん、アリエッタのことよろしくね。ルナリアちゃん」


「ええ、私に任せて。必ずこの子を立派な淑女に育ててみせるわ」


「いつもルナリアさんを起こしてるのは私なんですが……」


 ルナリアは雫の代わりにアリエッタのルームメイトになるらしい。


 彼女はこれまでは1人部屋だったが、1人だと寝てばかりいるのを心配した学園長のはからいである。


「ソフィア先生、世話になったな。あんたのおかげで、俺様はより良い男に近づけた気がするぜ」


「フォクスくん、これからもしっかりと精進してくださいね。そして、あまり調子に乗り過ぎないこと。いいですね?」


「わ、わかってるって!」


 フォクスが照れくさそうに顔を背けると、取り巻きのリィトとキィマが肩を組んでゲラゲラと笑い出す。


 この3人は相変わらずだな。まあ、いつも通りの光景で安心できるけど。


 メリッサやユーティアリアなど、俺の実践魔法の授業を受講していた生徒達、そして学食のおじさんまでが見送りに来てくれている。


 校舎の窓からは学園長にマリーベル、それにネブラーク先生や他の教師陣が顔を出していた。


「雫、そろそろ行きますよ。一度ソレルの街に寄ってから日本へ帰る予定ですから」


「うん、わかった。それじゃあ、みんな! またね!」


 俺は皆に向かって深くお辞儀をすると、魔女の箒に跨る。


 そして、雫もユニペガに跨って、俺達は空へと舞い上がった。


「皆さん、また会いましょう!」


「みんなぁ~! バイバ~イ!!」


 俺達が地上に向かって手を振ると、皆は手を振り返してくれる。


 徐々に高度を上げて、地上の景色が豆粒のように小さくなると、俺は箒を、雫はユニペガを加速させて、ソレルの街の方へと飛んで行く。


 こうして、俺達の魔法学園での生活は終わりを告げたのだった――。

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