第159話「泣かないで……」★
聖剣エーデルリッカーの剣先が、ミリアムの額に埋め込まれた角に突き立てられる。
彼女は悲鳴も上げず、ただ静かにそれを受け入れた。
パキッという音ともに、いともたやすく角は砕け、同時にミリアムの体からは禍々しい魔力が消えていく。
角を失ったミリアムは……まるで糸の切れた人形のように力なくその場に崩れ落ちた。
「ああ、ソフィア……ありがとう。とても……安らかな気分だわ……」
「ミリアム、ごめんなさい……私は……」
一縷の望みをかけて回復魔法を行使するも、やはり無駄だった。
アックスのときと同じだ。一度魔族になってしまった人間は、もう二度と元には戻れないし、回復魔法も意味を成さない。
「大丈夫、最初に言ったことは……本当よ。後悔はしていない。討伐隊の皆は、家族にも友人にも会えずに薄暗い洞窟の中で死んでいった。本当は私も同じ運命を辿るはずだったのに……少なくとも私は……あなたに会えた」
ミリアムは小さく微笑むと、俺の頰にそっと触れた。
その指先は氷のように冷たく、彼女の命の灯火が今にも消えてなくなってしまいそうであることを悟る。
「やり方は、間違っていたけれど……多くの人も救済できた」
「マリーベルさんとか、ですか?」
「ええ、マリーベルには悪いことをしてしまったわ。あの子はずっと辛い人生を送ってきたの。なのに最後は、私も彼女を裏切るような真似をしてしまった……。ねえ、ソフィア……あの子を罪に問わないであげて、全て私が命令したことなの」
「完全には難しいかもしれませんが、校舎が壊れただけで生徒に犠牲者も出なかったことですし、私がなんとかしてみます」
ミリアムはそれを聞いて、ほっと安堵の吐息を漏らした。
そうしている間にも、彼女の体はぽろぽろと崩れ始めている。
「ミリアム、これを……」
「……これは?」
俺は次元収納の中から紅く光る宝石のようなものを取り出して、ミリアムの手の中に握らせた。
「"クリムゾンハート"。あなたのお父さんの形見です」
その宝石を見たミリアムの目が大きく見開かれる。
彼女は震える手でそれを握りしめると、大事そうに胸に抱き寄せた。
「それは、死にゆく者の最後の願いを叶える奇跡の石です。ミリアム……あなたの願いは、なんですか?」
「私の……願い」
クリムゾンハートと同じ真っ赤な瞳で、じっと父の形見を見つめていたミリアムだったが、やがて小さく口を開く。
「救済……。私が救済した人達にかけた魔術を、私が死んでも解けないようにしてほしい。彼らは皆、辛い人生を送っていたから……」
「……あなたは、最後の最後まで他人のことばかりですね」
その願いに応えるように、彼女の手元でクリムゾンハートが光り輝く。
紅い宝石からきらきらとした粒子が溢れ出し、迷宮の外へ続く扉の方へと飛んでいった。きっと彼女が救済した人達のところへ向かったのだろう。
これでミリアムがマリーベル達にかけた魔術は、彼女が死んでも解除されることはなくなった。
学園長は……救済した人ではないのでたぶん元に戻るだろう。
クリムゾンハートは役目を果たしたように、その紅い輝きをゆっくりと失っていく。
「ああ、これでもう思い残すことはないわ……」
「本当に、本当にないんですか?」
「ええ、本当よ。……だからソフィア――」
ミリアムはそこまで言って言葉を切ると、俺の頬に手を当てて優しく目元を撫でた。
――泣かないで……。
ぽろぽろと、いつの間にか俺の目から涙が溢れ出していた。
倒れ伏す彼女の顔に、雫がぽたりぽたりと落ちていく。
俺よりもミリアムのほうが辛いはずなのに。それなのに……どうしても涙が止まらない。
「大切な友達がいなくなろうとしているときに泣かないで、いっだいいづ泣げばいいんでずか……」
「……そう、まだ私のことを大切な友達だと思ってくれているのね」
「あだりまえですよ!」
嗚咽混じりに答える俺の頭を抱き寄せて、優しく髪を梳き、そのままあやすようにぽんぽんと背中を叩いてくれる。
彼女は学園生時代も、俺の精神が不安定になったときによくこうして慰めてくれた。
「まったく……もう大人になったというのに、泣き虫なところは昔から変わらないわね」
ミリアムはそう言って目を細めると、俺の涙を指先で拭い取った。
「さっき、思い残すことはないと言ったけれど……本当は二つだけ心残りがあるの」
「心残りですか……?」
俺はその言葉に驚いて顔を上げる。
ミリアムの下半身はもう形を保っておらず、腰から下が砂のようにさらさらと崩れ落ちていっていた。
「一つは、母に"生まれてこないほうが良かった"と言ってしまったこと。本当はそんなこと……思ってなかったのに……。あれが最後の会話になるなんて……思わなかった。できれば、直接会って謝りたかった……」
「ミリアム……」
「そしてもう一つは……ソフィア、あなたを置いて先に逝ってしまうことよ」
「え……?」
予想外の言葉に、俺は言葉を詰まらせる。
ミリアムは真剣な眼差しで俺を見つめていた。その瞳からは、俺に対する深い愛情と悲しみが伝わってくる。
「あなたは、"不老"のギフトを甘く考えているわ。今は大丈夫……でも、いずれあなたは、そのギフトの本当の恐ろしさを知ることになる」
「そ、それは……」
ずっと俺が考えないようにしていたことだった。
「50年、100年と歳を重ねていくうちに、あなたは多くのものを失っていくわ。大切な仲間や友人達、そして……家族。優しいあなたは、きっとひどく苦しむことになる。私なら……ずっとあなたの傍にいてあげられたのに……」
ミリアムはハイエルフの血を引いている。きっと悠久に近い時を生きることができたはずだろう。
「さっきフィオナの名前が出たけれど、あの子と友達になったの?」
「ええ、今ではあなたと同じ親友ですよ」
俺の言葉にミリアムは、少し安堵するように目尻を下げた。
「フィオナと仲良くね。あの子はきっと、あなたと長い、長い時を一緒に歩んでくれるから……」
「……はい」
俺はミリアムの手をぎゅっと握りしめると、精一杯の笑顔を浮かべてみせた。
もうすでに彼女の体は、頭とクリムゾンハートの握られた右手しか残っていなかった。
ふと、クリムゾンハートを見やれば、まだ僅かに紅い光を放っていることに気がつく。
「ミリアム! まだ、願いを叶える力が残っています! 何かないんですか! あなた自身の願いは!」
「私自身の……願い?」
ボロボロと崩れ落ちていくミリアムの手を握り、必死に訴える。
すると、彼女は最後の力を振り絞るように小さな声を発した。
「もし、
ミリアムの紅い瞳が、真っ直ぐに俺を見つめる。
――また、ソフィアと友達に……。
クリムゾンハートが光り輝くと同時に、ミリアムの体が光の粒子となって霧散し、彼女の存在が完全に消滅する。
俺はその場に膝から崩れ落ちると、光を失ったクリムゾンハートを握り締めて慟哭した。
***
「そう、あの子がそんなことを……」
数日後、ミリアムの形見である彼女の仮面を持って、俺はエルフの森のディアーナ様のもとを訪れていた。
ディアーナ様は、ミリアムの最期を聞くと静かに目を伏せる。
そしてゆっくりと顔を上げると、俺の方を見て優しく微笑んだ。
「そんな顔をしないで……。辛い役目を任せてごめんなさいね」
ディアーナ様の言葉に、俺は首を横に振る。
彼女はミリアムの仮面を、泉の側に作られたアトンの墓に供えると、俺に向かって手を差し出した。
その手にクリムゾンハートを載せる。彼女はそれを握りしめると、目を閉じて祈りを捧げた。
力を失ったクリムゾンハートだが、また長い年月が経てば復活するらしい。
「あの子のお墓は作らないことにするわ。だって、私に直接謝りにくるって、そう言ったのでしょう?」
「はい、確かに最後にミリアムはそう言いました」
そして、願いを叶えるクリムゾンハートは光り輝いた。きっと……願いは叶ったはずだ。
「でも……いつかはわかりませんよ?」
次がいつになるのかはわからない。もしかしたら、何百年も先の話かもしれない。
「待つわ、いつまでも待つわよ。だって、それが母親の役目でしょう?」
ディアーナ様は当然といわんばかりにそう答える。
「でも、エルフじゃない別の種族として帰ってくるかも……」
「それでも構わないわ」
「ディアーナ様と血のつながりがなくても?」
「あの子が帰ってくるのならば、些細な問題よ」
「もしかしたら、男の子になって戻ってくるかもしれないですよ?」
「ふふ、男の子もいいかもしれないわね。私、男の子も欲しかったのよ」
「ここではない別の世界、異世界人として生まれてくるかもしれません。ミリアムの面影なんて、影も形もなくなっているかもしれないんですよ! それでも、本当に受け入れられるんですかっ!?」
急に声を荒らげた俺に、ディアーナ様は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに優しい笑顔を浮かべてこう言った。
「私は……たとえあの子がどんなモンスターのような姿をしていても受け入れるわ。だって、私の大切な娘なのだから」
「あ……」
その瞬間、俺の目からぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。
【挿絵】
https://kakuyomu.jp/users/mezukusugaki/news/16818093077883365811
いつの間にかディアーナ様が俺のことを抱きしめている。彼女の暖かな胸の中で、俺は大声で泣いた。
「あらあら、泣かないで……。もう、ほんとあの子に聞いていた通り泣き虫なんだから」
「ごめんなさい……ごめんなさい……大丈夫ですから……」
口ではそういいながらも、涙は止まらない。
「受け入れて……あげてください。たぶん……いえ、絶対……喜びますから」
俺はディアーナ様に抱きしめられながら、いつまでも……いつまでも泣き続けた――。
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