第158話「ミリアム」
ミリアムとは、『神の贈り物』という意味らしい。
その名前の由来を聞くたびに、私は母に恨み言を吐きたい気持ちにかられた。
だって、そうでしょう?
エルフなのにこんな醜い顔で生まれてくるなんて、呪いとしか思えない。これが贈り物だと言うのなら、神様ってやつは相当なサディストだ。
幼い頃から、私は他のエルフとどこか違うと感じていた。
エルフは穏やかな種族であるし、母は女王でもあるので、迫害されるというようなことはなかったが、他のエルフ達から距離を置かれていたことは子供ながらに感じていた。
その違いが何なのか明確に理解したのは、ある日人間の商人の家族がエルフの里にやって来たときだ。
エルフは基本的に人間と交流を持たないが、彼らを忌み嫌っているわけではなく、稀にこうして接触し、物々交換をすることがある。
そんな商人一家の幼い娘が、私の顔を見るなりこう呟いたのだ。
「パパー、この子エルフなのに全然かわいくないねー」
そのときの衝撃を、私は今でも昨日のことのように思い出せる。
少女にとっては、ただ素直な感想を述べただけだったのだろうが、私にとっては天地がひっくり返るほどの出来事だった。
エルフは美しい生き物なのだ。そして、私は人間の基準でも、かわいいとは程遠い容姿をしていることを、このとき初めて知ったのである。
その日以降、私は自分の顔に仮面を付けるようになった。
母はひどく悲しそうだったが、私にはもう素顔を晒す勇気は持てそうになかった。
私は自分が嫌いだ。
エルフなのに、ちっとも美しくない自分の顔が。そして、それに劣等感を感じて他人の目ばかりを気にしている、卑屈で醜い性格が。
「はあぁぁっ!」
黒灰色の髪を靡かせて、小柄な少女が剣を振る。
彼女の右手に握られた光輝く剣は、巨大な土の腕をいとも容易く両断し、本体である私へも迫りくる。
……ソフィア。私のたった一人の親友。
何故、こんなことになってしまったのだろうか? 私はただ、人に愛されたかっただけなのに。私はただ、私のような人を救いたかっただけなのに。
私は、どこで間違ってしまったのだろうか?
大きく跳躍し天井を蹴りつけたソフィアは、私の胸元にある賢者の石に向かって光の剣を突き立ててくる。
私は慌てて土の腕を再生して、なんとかその剣撃を防いだ。
……本気だった。今あの娘は、本気で賢者の石を破壊しようとしてきた!
「ソフィア! 正気なの!? やめなさい、この石がどれだけ貴重なものかわかっているの!?」
私は声を張り上げて、ソフィアを威嚇するように叫び続ける。
だが、彼女は眉一つ動かさずに私の攻撃を受け流し、賢者の石を執拗に狙ってきた。
「救済しなければならない! 私は救済しなければならない! 私は人々を救わなければならないの! 私がっ!」
何故わかってくれないの! 私のように醜い存在を救ってくれる人は誰もいなかった! ならば、私が私のような人達を救わなきゃいけないんだ!!
ソフィアにはそれがわからないの!? わからないわよね! だって、あなたは美しいもの! その端麗な容姿も、澄んだ心も……何もかもが美しくて、私とは大違いだもの!
「あなたには、私の気持ちはわからない! あなたもきっと私の素顔を見たら、醜いと言うんだわ! ねぇ、そうなんでしょうソフィア!」
どうせあなたも、私を見捨ててどこかへ行ってしまうんだわ! 私を見た目で判断して、結局誰も私の側にはいてくれないのよ! 愛してくれるはずなんてない! 今までも、ずっとそうだったんだから!!
私は賢者の石に魔力を流して、土の腕を更に巨大化させる。そして、ソフィアを包み込もうとした。
だが、彼女は巨体の隙間を縫うように潜り抜けると、巨大な腕の上に着地して、私をジッと見つめてきた。
その金色の目は、まるで泣きそうな子供のようで……私は思わず攻撃の手を緩めてしまう。
その瞬間をソフィアは見逃さなかった。彼女は私に向かって勢いよく駆けてくると、右手に持った光り輝く剣を天に掲げる。
「や、やめてぇぇぇぇぇぇっ!!」
ソフィアの剣が私の胸元にある賢者の石を捉え、そして──
──パリンッ!
甲高い音を立てて、真っ二つに割れてしまった。
「あ、あああ……」
賢者の石が……。人々の救済のために、そして彼らから愛してもらうために、必要不可欠だった救済の力が……。
巨大な土の鎧はどろりと溶けるように崩れ、私の身体もまた力を失って迷宮の床へと墜落する。
地面に倒れ伏した私は、まるで魂が抜け落ちたかのように、呆然と虚空を見つめることしかできなかった。
賢者の石はからんからん、と乾いた音を立ててソフィアの足元まで転がると、やがてその光を失ってただの石ころへと変わってしまう。
彼女は二つに割れたそれを優しく拾い上げると、私に向き直って静かに口を開いた。
「知っていましたよ……。ミリアムの素顔、私は知っていました」
「……え?」
突然のソフィアの告白に、私の頭は真っ白になった。
私の醜い素顔を……彼女は、知っていた? 一体いつから?
……いや、そんなはずはない。だって彼女は学生時代、ずっと私と一緒にいてくれたじゃないか。私の素顔を見て、知っていたならあんなふうに仲良くなんてできるはずがない。
「最初から……ずっとです。だって、ミリアム疲れていた日は、仮面をつけるの忘れて寝ちゃうこと、何度かありましたから」
彼女は二つに割れた賢者の石を左手に握りしめながら、眉尻を下げて困ったように微笑んだ。
……なにそれ? だってそんなはずは……! 私の頭がぐるぐる回る。
「……な、なんで、知っててっ! なんで私を見捨てなかったのよ!? こんな醜い顔した女が近くにいたら気持ち悪いでしょう!?」
思わず声を荒らげて、私はソフィアを睨みつけた。
彼女はそんな私の態度にも動じず、ただ寂しそうな表情を浮かべながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「ミリアムは、ミリアムですから。たとえあなたがどんな顔であっても、私の親友であることに変わりはありません」
「な、にを……」
「それに、ミリアムは気にしすぎだと思います。確かにエルフらしくはないかもしれませんが、少なくとも私は、あなたのことを醜いだなんて思ったことはありません」
「嘘よ……そんな、そんなの……」
信じられなかった。だって、今まで私の仮面の下を見てしまった人達は、誰もが嫌悪の視線を送ってきていたのだから。
「あなたは周りをもっとよく見るべきだったんです。ディアーナ様も、フィオナも、そして私も……あなたを心から大切に想っていました。それに……きっと、あなたのお父さんだって……」
ソフィアが左手を開くと、右手に握られた光り輝く剣からにょきにょきと手が生えて、左手の上に乗せられた賢者の石を器用に掴んだ。
そして、せっせと割れた石同士をくっつけると、まるで最初から割れていなかったかのように綺麗に再生してしまったのだ。
光を失っていた賢者の石は、再び眩いばかりの輝きを放ち始める。
それを見せつけられた私は、言葉を失ってソフィアの顔を見上げた。
「これは"聖剣エーデルリッカー"。かつて私の友人が所有していた剣で──あなたのお父さん、アトンの創った聖なる武器です」
「私の……父が創った聖剣……」
「この賢者の石だって、あなたのお父さんが創ったものです。彼は、世間では悪名高い殺人鬼とされていますが、それでも最後は、愛に目覚めた立派な英雄だった」
父が晩年に聖なるアイテム師として活動していたことは母から聞いていたが、その詳細はよく知らなかった。
私は父を嫌いながら、彼の創った賢者の石に執着していたなんて……。
「アトンはあなたがディアーナ様のお腹に宿ったとき、心の底から喜んだそうです。彼は死の間際、自らの身体をアイテムに変換して、ディアーナ様へと託しました。それはきっと、これから生まれてくるであろうあなたを守るためだったのでしょうね」
……父。父は、私のことを愛してくれていたの?
母も、フィオナも、そしてソフィアも……こんな私を愛してくれていた?
それに、今思えばワーズワース学園長やマルグリット先生など、私の素顔を知っている何人かの大人達も、特に何か言うでもなく、普通に接してくれていたような気がする。
あのときだって、アックスも、ラインバッハも、システィナも、私の素顔を見て驚きはしたものの、蔑むようなことはしなかったじゃないか。
すべては……私の被害妄想だった?
私が自分で勝手に、人の視線に怯えて、壁を作って、遠ざけていただけだったのだろうか?
「そう、だったの……私は、愛されていた……。友情も……愛情も……大切なものは……ずっと私のすぐそばにあったのね……」
ああ、私はなんて愚かだったんだろう……。こんな簡単なことに今更気づくなんて……。
でも、もう何もかもが手遅れだ。
だって、ソフィアの左手の上に置かれた、元通りになった賢者の石を見た途端、再びどうしようもないほど救済への欲求が湧き上がってきてしまったのだから。
今すぐにでも彼女を排除して、賢者の石を奪い返さなければ……そう思ってしまっている。
ソフィアもそれに気づいているのか、悲しげな眼差しで私に近づいてくる。
剣を持つ右手が震えている。この期に及んで、まだ私を攻撃するのを躊躇っているようだった。
……なんて優しい子なのだろう。
だから、敗北した私は、彼女が攻撃しやすいよう、この言葉を口にしなくてはならない。
どこまでも慈悲深く、慈愛に満ちた私の親友へ……。
「……ソフィア、
私がそう言った瞬間、彼女は心底泣きそうな表情を浮かべて……そして、剣を振りかざした。
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