第154話「裏切りか死か」
血まみれのドノヴァンが、黒髪の魔族に怪しげな角を手渡される様子を、私達はただ呆然を見つめることしかできなかった。
彼は今あの女魔族を、"オクタヴィア"と呼んだ?
オクタヴィアとは先程の話に出てきた、【神速】のオクタヴィア? 彼女は確か病院のベッドで寝たきりの老婆だったはず……。
だが、目の前の魔族はどう見ても、若く美しい女性にしか見えない。
混乱している私達を余所に、ドノヴァンは我を失ったように受け取った角を自らの頭に埋め込んだ。
次の瞬間──
「ぬ、ぬぐおぉぉぉーーッ!?」
ドノヴァンが苦しそうな呻き声を上げながら、胸を押さえて地面に膝をつく。
しかし、苦しみの声とは裏腹に、彼の皺だらけだった肌ははどんどん張りを取り戻し、灰色の髪は艶やかな茶色へと変わっていく。
筋肉もどんどん盛り上がり、あっという間に若々しい青年の姿へと変貌してしまった。
やがて、彼はゆっくりと立ち上がると、自らの両手を見つめ歓喜の声を上げた。
「う、うおぉぉぉ!! 凄い、凄いぞ!! これが若さ! 魔族の力! まるで全盛期の頃のような感覚だ!! いや、それ以上かもしれん!!」
頬を紅潮させ、興奮気味に槍を振り回すドノヴァン。
それだけで部屋中に激しい突風が巻き起こり、積み重なっている本がバサバサと音を立てて崩れ落ちていった。
「どうだイ? 魔人の角は気に入ってくれたカナ?」
「もちろんだ! 素晴らしい! 素晴らしいぞ! ワハハハハハハハ!!」
ドノヴァンは高笑いを上げながら、自らの額に埋め込まれた角を愛おしそうに撫で回している。
「残りは6対だヨ。ほら、早い者勝ちダ」
グリムリーヴァはそう言いながら、テーブルの上に置かれた残りの魔人の角を手で指し示す。
私を含めた討伐隊の面々が硬直して動けないでいると、後方にいたマルグリット先生がゆっくりと前に進み出てきた。
「お前、本当にあのオクタヴィアなのか? 元特級冒険者、【神速】のオクタヴィア本人か?」
「そうじゃ。妾は間違いなくそのオクタヴィアじゃよ」
マルグリット先生の質問に、黒髪の魔族が妖艶な笑みを浮かべながら答える。
すると、先生は顎に手を置き考え込むような仕草を見せたあと、矢継ぎ早に質問を投げかけた。
「魔族になったことで何か精神に変化は?」
「ふむ、少し感情が抑えられなくなったかもしれんの。そして、自らの欲望に忠実になるというか、衝動に身を任せたくなることが増えたのぅ。じゃが、妾は年を食ってからは頭がおかしくなっておったからの。それに比べるとむしろ今のほうがまともかもしれんな。お主のようなタイプだとあまり精神に変化は起こらんのではないか?」
「グリムリーヴァの命令には絶対服従か?」
「いや、そういった機能はついておらん。従っても構わんし、抗っても良い。殺そうと思えばグリムリーヴァを殺すことも可能じゃろ。まあ、妾にメリットはないからやらんがな」
「おいおイ、やめてくれヨ。ボクはか弱い魔族なんダ。キミに狙われたらひとたまりもないヨ。殺すなんてそんな怖いこと言わないでヨ」
まるで世間話をするような軽い感じで話す2人に、グリムリーヴァがおどけた様子で抗議の声を上げる。
「渇望を具現化させるという、"魔術"には目覚めたか?」
「うむ。妾も長らく生きてきたが、"魔術"の力は素晴らしいの。じゃが、これは魔族の中でも目覚める者とそうでない者がおるようなので、角を埋め込んだから確実に目覚めるとは限らんがの」
「お前が自覚できるデメリットはあるか?」
「うーむ……。妾には正直メリットしか感じられぬが、人との繋がりが深い、より人間らしい者ほど、この角に対する拒絶反応は強いじゃろうな。いくら優れた身体を手に入れるといっても、結局は人間をやめて彼らと敵対することになるのじゃから」
マルグリット先生は真剣な表情のまま、オクタヴィアの話に聞き入っている。
「先生……? さっきから一体何を……」
私の質問に彼女は答えず、今度はグリムリーヴァのほうに視線を移した。
「グリムリーヴァ、お前一体何を企んでいる? あたし達にこんな物を渡して、お前に何の得がある?」
「企むなんて人聞きの悪い事を言わないでヨ。単純な好奇心だヨ。人間が魔族になったらどうなるか、ボクはただそれが知りたかっただけなんダ」
「要するに実験台というわけか?」
「悪い言い方をしたらそうなるネ。だけど、そこのオクタヴィアなんて、寝たきりのお婆ちゃんだったんだヨ? この角を埋め込まれても、何もデメリットなんてなかったでショ?」
「ああ、妾にとっては幸運なことでしかなかった。グリムリーヴァには心から感謝しているくらいじゃ。そして、こやつの言っていることは本心じゃ。知的好奇心、それがこやつの全てじゃよ。魔族とはそういう生き物だと、お主が一番良く知っているのではないか?」
「……」
先生はオクタヴィアの言葉を聞き、眉間にシワを寄せたまま沈黙した。
「魔族になったら人間社会からは排斥されるだろうから、八鬼衆という魔王軍の幹部の地位を用意しようとも考えているんダ。どうだイ? 悪い話じゃないだロ?」
「……あたし達に人類と戦えと言うのか?」
「いや、そこまでは求めてないヨ? キミ達の自由にやればいいサ。ただし、幹部という立場上、魔の軍勢は率いてもらわないといけないけド。まあ、肩書だけで指揮は別の魔族に任せても構わないヨ。背後に強者がいるというだけで、味方の士気は上がるし、相手の士気は下がるからネ」
先生は考えるように目を閉じる。
そして、数秒ほど経ったあと、意を決したように口を開いた。
「よし、あたしにもその角をくれ」
「先生! 正気ですか!?」
思わず口を挟む私に、先生は振り返りもせずに答えた。
「このままでは、あたしの目的は叶えられない。だが、魔族になり魔術に目覚めれば話は変わってくる。それに、グリムリーヴァの知識は役に立つ。そういう意味でも、この角に賭けてみる価値はあると踏んだ」
私には先生の言っていることが理解できなかった。そして、納得もできなかった。
だが、私が混乱している間に、彼女はグリムリーヴァから角を受け取ってしまう。
そして、何の躊躇もなくその場で自分の頭に角を埋め込むと、ドノヴァンと同じように体がどんどんと若返っていった。
「これは……凄いな。あたしの若い頃というのは、これほど活力に溢れていたのか」
先生は感慨深げに呟いたあと、何事もなかったかのように部屋の椅子に座って体に異常がないかを確かめ始めた。
「……キミ、人格に全く変化が見られないネ。オクタヴィアやドノヴァンは極度の興奮状態に陥ったのニ……。元が魔族に近い性格だと、角に適応しやすいのかナ? 非常に興味深イ……」
グリムリーヴァは先生のことを、まるで新種の生き物でも発見したかのように興味深げに観察している。
その時だった──
場の雰囲気の飲まれ、ことの成り行きを黙って見ていた討伐隊の中から、1人前に進み出る人物がいた。
「ちょっとちょっとぉ~! おじーちゃんもおばーちゃんも、なに敵に寝返っちゃってるわけぇ~? 人類を裏切って魔族の味方しちゃうとか、人としてはずかしくないのぉ~?」
こんな緊迫した状況で、場の空気を読まずにふざけた口調で話し出したのは、メガーキス王国の王女ククリカだ。
「ほらほらぁ~、ざこおにーさん達もさぁ、びびってないで、さっさとこいつらやっつけちゃおうよ~」
「え? あ、ああ……そうだな!」
「そ、そうだ! 呆けている場合じゃねぇ!」
「俺達はまだ27人もいるんだ! ジジイとババアが2人裏切ったところで、どうってこたぁねぇ!」
「ついにこの俺の"鉄壁"の防御を披露するときがきたか……」
ククリカが場違いな明るい声で号令をかけると、放心していた討伐隊のメンバーがようやく我に返り、武器を構え直す。
しかし、その直後──
『──"
オクタヴィアの囁くような声が部屋の中に響き渡ると、彼女の身体が一瞬にして討伐隊の面々の間をすり抜けた。
「あ……?」
「なん……だ……?」
「え……?」
「いくぜ! 鉄壁の────んあ?」
彼らは何が起きたのかも分からずにその場で立ち止まり、困惑した表情を浮かべている。
だが次の瞬間、ククリカの後ろで剣を振り下ろそうとしていた隊員達の首が、パシュッと音を立てて宙に舞った。
「はへ……?」
突如として周りの男どもの首が刎ねられ、呆けた声を上げたククリカの顔が返り血で真っ赤に染まっていく。
しばらく唖然としていたククリカだったが、オクタヴィアと目が合うやいなや、凄い速さで彼女の足元に縋り付いてその靴をペロペロと舐め始めた。
「お、オクタヴィアさまぁ~。ククリカぁ、あなたのことを前々から尊敬してたんですぅ~。どうか、ククリカも魔王軍の末席に加えて下さぁ~い♥」
「おい、ふざけんなこのガキ! こんな状況でなに言って──」
アックスがククリカを怒鳴りつけるが、彼女は素早い動きでテーブルの上に置いてあった魔人の角を自分の頭に埋め込んでしまう。
「アックス! 逃げるわよ! もう私達では勝てない!!」
「あ、ああ! 畜生!! 全員撤退だ!」
私がとっさに叫び声を上げると、アックスが我に返ったように、他の皆にも撤退の指示を出す。
そして、全員が慌ただしく洞窟の出口へと走り出した。
──が、しかし。
逃げようとした私達の目の前に、まるで瞬間移動したかのようにオクタヴィアが現れた。後ろを振り向くと、興奮気味に槍を振り回すドノヴァンの姿も見える。
「悪いが、逃がすわけには行かぬな。角を受け取らぬ者は、ここで死んでもらう」
オクタヴィアがそう言うと、角を生やしたククリカが洞窟の出口を塞ぐように立ちはだかった。
「ククリカだけがぁ、人類を裏切ったとか世間様に思われたら、たまったもんじゃないしぃ。皆も一緒に裏切るか、ここで死ぬか選んでくれるぅ?」
この……クソガキ! 聞いてはいたが性格が悪すぎる!
私は怒りに任せてククリカに攻撃を仕掛けようとしたが、そんな私よりも先に動いた人物がいた。
「黄金の──」
「──させんよ、"
ラインバッハが何らかの能力を発動させようと剣を構えた瞬間、オクタヴィアが一瞬にして彼の懐に潜り込み、その腹に掌底を突き込んだ。
すると、ラインバッハの黄金の鎧は、まるで紙切れのようにバラバラに砕け散り、彼は口から血を吐きながら洞窟の壁まで吹き飛ばされてしまう。
「くっ! 火よ、水よ、土よ、風よ、我が前に立ち塞がりし敵を打ち滅ぼす力となれ!」
私が放った4色の魔弾がオクタヴィアに向かって飛んでいくが、彼女は目に負えないほどの速度で、その全てを難なく回避してしまった。
これが【神速】と謳われた元特級冒険者の力! 今の私ではとてもじゃないが敵う相手ではない!
「アックス! あなたの能力なら、あの女を止められるんじゃないの!?」
「駄目だ! あいつ、俺に対して戦闘態勢を取っていない! 俺の能力を知っていやがるのかも──ぐぅ!?」
私とアックスが話している最中に、彼の腕にドノヴァンの槍が突き刺さった。
咄嗟に防御して致命傷は避けたようだが、彼は傷口から大量の血を流してその場に倒れ込んでしまう。
「儂を馬鹿にする若造どもは、皆殺しだぁぁぁーー! ワハハハハ!!」
「ぐわぁぁーーっ!!」
「や、やめ……ぎゃぁぁーーっ!!」
右腕に王印を光らせたドノヴァンが狂気の笑い声を上げながら、逃げ惑う討伐隊の面々を惨殺していく。
そしてものの数十秒の間に、30人もいた討伐隊は、いつの間にか私を含め8人にまで減ってしまっていた。
目の前の惨状に、システィナは両手を合わせて神に祈りを捧げている。
「おお、神よ……! なぜこのような惨い仕打ちを私にお与えになるのですか……! こんなことなら美少年の○×△をぱくぱくしたり、美少女の■※☆をぺろぺろしたりする妄想を実行にうつしておくのでした!」
「システィナ! イカれたことを叫んでないで立って! アックスを治して逃げるのよっ!!」
私はシスティナの手を取って立たせようとするが、彼女は目をぐるぐる回しながら両手を祈りのポーズに組んで、天を仰いだまま動こうとしない。
「さて、どうするのカナ? もう君達に勝ち目はないヨ。逃げることもできなイ。死ぬか、人類を裏切って魔族の一員になるか、どちらかしか道はないヨ?」
グリムリーヴァは嘲笑を浮かべながら、角を持って私達の目の前まで歩み寄ってくる。
「……貴様らにくれてやる命はない。そして、魔族になるのも、お前の実験体になるのもどちらも願い下げだ。……すまん、父さん、母さん、そして連合軍の仲間達よ、先に逝く……!」
確か連合軍でロダンの補佐をしていた男だったか。彼は剣を握り締めると自らの首を切り裂き、地面に崩れ落ちた。
彼に続くように、残りの討伐隊の者達も次々と自害していく。
そして、残ったのは私、システィナ、それにアックスとラインバッハの4人だけとなってしまった。
「おやおヤ……。本当に人間は理解不能だネ。どうして自害するのカナ? 死んだら終わりなんだヨ? 命は尊いものなんダ。もっと大切にしないとダメじゃないカ」
グリムリーヴァは心底理解できないといった様子で首を傾げる。
「……ところでキミ達は自害しないのカナ?」
私達4人はお互いに顔を見合わせると、力なくその場へ崩れ落ちた。
全員が、討伐隊の中では上位の実力者。だが、勇敢にも自害した者達と違い、私達は誰もが死にたくないと無様に震えている。
死にたくない……。でも、魔族になるのも嫌だ……。
「ミリアム、角を受け入れろ。こんな場所で死ぬよりはマシだろう」
マルグリット先生が私に向かって諭すように語りかけてくる。
彼女はドノヴァン達と違って興奮状態にないのか、私達を攻撃してくるようなことはなかったが、助けようともしてくれないようだ。
「……裏切者は黙っててください」
「死ねば、ソフィアとは二度と会えないぞ。生きてさえいれば──」
「黙っててって、言ったでしょ!!」
私は頭を抱えて地面に蹲る。
ソフィア、私の親友……。もう会えないのかな……。
お母さん……酷い事を言ってごめんなさい……。あれが最後の会話になるなんて思ってもいなかった……。
「はぁ……もういいヨ。残りの角はまた別の人間を探すことにするかラ。オクタヴィア、もう始末しちゃっていいヨ」
「ちっ、おいミリアム! こっちを見ろ!」
「え──きゃ!?」
私が顔を上げた瞬間、マルグリット先生が放ったと思われる火球が私の仮面に直撃し──
──カランカラン……
仮面が外れ、地面に落ちる音が洞窟内に響き渡った。
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