第153話「魔人の角」★

「皆、準備はいいか? グリムリーヴァは戦闘能力は四天王でも最弱と聞くが、狡猾で、悪辣で、残虐だ。命の危険は十分にあるだろう。覚悟のない者はここで帰ってもらっても構わない」


 グリムリーヴァが隠れているという洞窟が視認できる位置までやってきたところで、ロダンは討伐隊の皆に向かってそう告げる。


 だが、帰る者は1人もいない。


 当然だろう。この危険な任務を成功させれば、人類の英雄と称えられるほどの功績を得られるのだ。


 それに、グリムリーヴァのアジトには莫大な財宝が眠っているという情報も広まっている。


 名誉などに興味がない者達も、それぞれの理由で覚悟などとうに決まっていた。


「よし! それではここにいる30名をもって、魔王軍四天王グリムリーヴァ討伐作戦を決行する! いくぞ!」


 ロダンが先頭に立って歩き出すと、それに続くように他のメンバー達が次々と洞窟の中へ足を踏み入れていく。



 洞窟の中は薄暗く、じめじめしていて、とても人が住んでいるような場所には思えなかった。


「暗いな、あたしが魔法で明かりを灯そう」


 マルグリット先生がパチン、と指を鳴らすと、洞窟のあちこちに火の玉が出現し、周囲を明るく照らし出した。


「おお、流石は火の賢者マルグリット殿。素晴らしい魔法の腕だ」


 ロダンがマルグリット先生を称賛する。


 彼女はそんなロダンの言葉には反応せず、そのまま歩き出そうとしたが、私の姿を確認するとこちらに歩み寄ってきた。


「なんだミリアム。お前も来てたのか」


「今頃気づいたんですか……。お久しぶりです、マルグリット先生」


「ああ、久しぶりだな。……で、お前はなんでこんな任務に参加しているんだ? お前は財宝も名誉も興味ないだろ」


 マルグリット先生は訝しげな目で私を見つめる。


「……気まぐれですよ。先生のほうこそ、どうしてここに?」


「あたしはあれだ。グリムリーヴァの叡智とやらに興味があってな。なんでも奴は人類が知らないような知識をたくさん持っているらしい。もしかすると、あたしの目的を叶える手段も見つかるかもしれない。奴が死ぬ前に、それを確認しておかなければと思ってな」


 目的? 叶えたい願いでもあるのだろうか。


 彼女は私が学生の頃から何かを研究していたようだが、それが何だったのかは聞いたことがない。


 私がそんなことを考えているうちに、マルグリット先生は私に背を向けて再び歩き出した。


「それよりロダン。本当にこんな所にグリムリーヴァはいるのか? 今更なんだが確かな情報なのかよ」


 アックスが疑問を投げかけると、ロダンは神妙な面持ちで首を縦に振った。


「間違いない。連合軍でも随一の式紙の能力者により、この洞窟の奥にグリムリーヴァの研究室があるのは確認済みだ」


 式紙とは、魔力を付与した紙の使い魔のようなものであり、対象を追跡したり、直接敵を攻撃するなど様々な用途で使われる。


 とりわけ、索敵や捜索にはうってつけであり、超一流の能力者であれば数里も離れた場所からでも、まるで自らの目で直接見ているかのように周囲の状況を把握できるらしい。


「彼女は拠点から動けない事情があるので俺達には同行できないが、彼女の式紙が直前に見た情報によると、現在奥の研究室にはグリムリーヴァと配下の魔族が数体いるだけらしい。室内には罠があるかもしれないが、それでも今が奴を倒す最大の好機であるのは間違いない」


 魔王軍四天王は、普段は所在すら掴むのが難しい者が多く、居場所が分かっており、かつ護衛も数体しかいないという状況は、確かに好機以外の何物でもないだろう。


 しかも、グリムリーヴァは戦闘は苦手だと聞くし、仮に戦闘力の高い魔族がいたとしても、数体であるならこのメンバーで十分に対応できるはずだ。


「ぬ、ぬおおおっ!」


「だ、大丈夫ですかドノヴァンさん?」


 その時、最後尾で何やら騒ぎが起こっていた。


 どうやらドノヴァンが洞窟の床に躓いて転び、足を捻ってしまったらしく、システィナに回復魔法をかけてもらっているようだ。


「おいおい、爺さん大丈夫なのかよ。ここは介護施設じゃないんだぜ? まだ敵と戦ってもいないのにシスティナちゃんに手間かけさせんなよ」


 討伐隊の若者がドノヴァンを茶化すと、周囲のメンバーがどっと笑いだす。


「爺さん、とろとろ歩いてはぐれたりすんじゃねーぞ?」


「俺に王印をくれるならおぶってやろうか?」


 若者達に小馬鹿にするような言葉を浴びせられ、ドノヴァンは怒りと羞恥心の入り混じったような表情で彼らを睨み付けたが、結局何も言わずに歩き始めた。


 システィナの周りには彼女に好意を抱いている男達が、彼女を庇うように列をなして歩いている。


「ったく、こんな状況で女にアピールしてる場合かよ」


「仕方ないわよ……。彼女はとても魅力的だもの。命の危険がある任務だからこそ、いざという時に後悔したくないのでしょうね」


 アックスの呆れたような呟きに、私はそう返す。


 私と違って、システィナは誰もが振り返るような美女だ。そんな彼女がすぐ側にいれば、意識してしまうのも無理ない話だろう。


「そうですかね? 彼女も素敵だが、私はミリアムさんも同じくらい素敵だと思いますよ? ねえ、アックスさんもそう思いませんか?」


 いつの間にか私の隣にやってきていたラインバッハが、私とアックスを交互に見つめながらそんなことを言ってきた。


「まあ確かにミリアムはいい女だと思うが、今はそんな話をしてる場合じゃないだろう?」


「そうかもしれませんが、ミリアムさんはあまりにも卑屈すぎると思うんです。貴方は素敵な女性なのですから、もう少し自信を持った方がいいですよ」


 ラインバッハはそう言いながら、私ににっこりと微笑みかけてくる。


 彼なりに励ましてくれているようだが、あまり嬉しくはない。彼もアックスも私の仮面の下を知らないからそんな気楽なことが言えるのだ。


「ふんっ! 最近の若者は色恋沙汰に浮かれてばかりで、まるで緊張感がない。この任務がどれほど危険なものかわかっているのか?」


「ドノヴァンの爺さん……。あんたこそ体の調子が良くないなら、こんな危険な任務は俺ら若者に任せて、家でゆっくりしてりゃいいじゃねぇか。あんたを笑う奴もいるが、武に生きる者として、あんたがかつてどれだけ凄かったか理解してる奴だって大勢いるんだぜ?」


 後ろから歩いてきたドノヴァンが、愚痴をこぼしながら私達の横を通り過ぎようとしたので、アックスが宥めるかのようにそう返した。


「今や老いぼれたこの身だが、一瞬だけならこの場にいる誰よりも速く動ける。家でただ死を待つよりは、武人として最後に一花咲かせてやるわ。……儂はオクタヴィアのようにはなりたくない」


「オクタヴィアって元特級冒険者、【神速】のオクタヴィアですか? 確か、不老不死を求めて魔族を殺して血を啜ったり、その肉を生のまま食べてたっていう……。あまりの奇行に、数年前に冒険者資格を剥奪、そして投獄されたと聞きましたが……」


 ラインバッハが尋ねると、ドノヴァンは険しい表情で頷いた。


「昔は強く、美しく、そして気高い女だった……。だが、そんな彼女も老いには勝てず、最後は狂ってしまった。かつての栄光はどこへ、今はもう動くことさえできない身体になり、病院のベッドの上で寝たきりの孤独な老婆だ。きっと、あのまま惨めな最期を迎えるのだろうな……。儂は、ああはなりたくない」


 【神速】のオクタヴィアといえば、昔は誰もが憧れる有名な冒険者だったらしいが、私達の世代では、ラインバッハの言うように狂人としての印象しかない。


 同じように、かつては武の高みに到達したドノヴァンにとって、オクタヴィアの晩年は見るに耐えないものであったようだ。



 私達がそんな話をしながら歩いていると、やがて洞窟の奥に大きな扉が見えてきた。


 先頭を歩いていたロダンが、扉の前に立つとこちらを振り向く。


 中の魔力反応を調べたところ、どうやらこの先にグリムリーヴァがいるのは間違いないようだ。


 奴らもとっくに私達が侵入していることは把握していることだろう。皆の緊張が徐々に高まっていくのがわかる。


「……皆、覚悟はいいか?」


 静かに、そして重くロダンがそう問いかけると、討伐隊の面々は一斉に頷いた。


 それを確認したロダンは、意を決したかのように勢いよく扉を開き、そのまま部屋の中へと駆け込んでいく。


 続いて、私達残りのメンバー達もなだれ込むように突入していった。


 その部屋は、洞窟の中とは思えぬほどとても綺麗に整備された空間であり、まるで研究室のようであった。


 見たことのない謎の装置や、不可思議な文字が書かれた書物がそこら中に積み重なっている。


 部屋の奥には大きなテーブルがあり、そして、そのテーブルの椅子には、3体の魔族の姿が確認できた。魔力反応を見るに、ここにいるのはあの3体だけのようだ。


「やあやあ、よく来たネ。ボクが魔王軍四天王が1人、グリムリーヴァだヨ」


 グリムリーヴァは、まるで友人を出迎えるかのように気さくに話しかけてきた。


 紫色の髪に、小柄な体躯。狐のような耳と尻尾が生えた魔族で、一見すると可愛らしい少女にしか見えないが、その紫色の瞳は狡猾で、まるで獲物を狙う捕食者のようである。


「皆、油断するなよ! 各自、戦闘態勢を取れ! 魔術に対する警戒を怠るな!」


 ロダンの叫びに、討伐隊の面々は一斉に武器を構え、戦闘態勢に入る。


 だが、グリムリーヴァはそんな私達の様子を気にも留めずに話を続けた。


「まあまあ、落ち着きたまエ。今日は君達にとっても有益な話をするために、わざわざこうして出迎えたんだヨ。バロガン、あれを用意しテ」


「はっ!」


 グリムリーヴァが執事服を着た山羊頭の魔族に声をかけると、彼は近くにあった箱から何かを取り出し、それをテーブルの上に置く。


 それは、魔力の帯びた角のような物体だった。


「これはボクの開発した、"魔人の角"と名付けた魔道具だヨ。これを頭に取り込むこトで、君達は人間を超えた力を手にすることができるんダ。具体的に言うと人間の力を残したまま、魔族の魔力と肉体を手に入れることができるわけだネ」


 討伐隊の面々からどよめきが起こる。


 30対3の場面だというのに、目の前にいる魔族の異様な雰囲気にのまれ、全員が彼女の話に耳を傾けてしまっていた。


「魔族になると、人間とは比べ物にならない程の長い寿命に膨大な魔力、そして才能があれば、その渇望を具現化することができる"魔術"に目覚めることすらあるだろうネ。それに、魔族の肉体は人間のそれよりも頑丈な上に、治癒力も高いからとても便利だヨ」


 グリムリーヴァは無邪気な笑みを浮かべながら、目の前に置かれた魔人の角を1つ手に取り、私達に見せつけるように掲げる。


 皆の反応を楽しそうに観察しながら、彼女は話を続けた。


「ちょうど残り7対の角があるからネ。早い者勝ちだヨ? 欲しい人は手を挙げテ」


 だが、誰も手を挙げる者はいなかった。


 当然だろう。あんな怪しげな物を頭に差し込むなど、常識的に考えてあり得ないことだ。


 私達が黙っていると、グリムリーヴァは一瞬残念そうな表情を浮かべるが、すぐに元の笑みに戻る。


「やれやれ、ねえキミ。この角の素晴らしさを、体験者として彼らに教えてあげてくれないかナ?」


 グリムリーヴァは、椅子に座っていた3体目の魔族に声をかける。


 すると、その魔族は椅子から立ち上がり、私達の前にゆっくりと歩いてきた。


 人間と殆ど変わらない容姿で、長い黒髪を腰まで伸ばした、鋭い目つきの若い女性だ。しかし、その頭部には禍々しい2本の角が生えている。


「わかる、わかるぞ。お主ら、何か大きな悩みを抱えておるな? お主らのその感情は、元人間だった妾には痛いほどわかる」


 【挿絵】

https://kakuyomu.jp/users/mezukusugaki/news/16818093077143349294


 女性はそう言いながら、私達の顔を覗き込んできた。


 特に、アックス、ドノヴァン、システィナ、ラインバッハ、ククリカ、マルグリット先生、そして……私の7人に対して、とても強い興味を抱いているようだった。


「グリムリーヴァを怪しむ気持ちもわかるが、この角は素晴らしいぞ。きっとお主達の――」


「皆! 魔族の甘言に耳を傾けるな! 気をしっかり持て!! 俺達は人類の為にここに立っているんだ! 魔族になど惑わされるな!!」


 彼女の言葉を遮りロダンが叫ぶと、討伐隊の面々はハッと我に返り、武器を構え直す。


 だが、私は彼女の言葉を聞き、何故か自分自身の本心を覗かれたような妙な感覚を覚えた。そして、どうやらアックス達も私と同じような感覚を抱いたらしく、動揺している。


「相手はたったの3体だ! 俺達が力を合わせれば、必ず勝てる!! 怯むな!! ここが正念場――ごひゅっ!?」


「え?」


 私の身体に、何か温かいものが飛び散ってきた。


 腕についた液体を手で拭い、目の前に持ってくると、それは真っ赤な鮮血だった。


 私だけでなく、全員が目の前の光景を見て唖然としている。


 なぜなら……ロダンの首から上が、綺麗に無くなっていたのだから。


 そして、彼の頭部を失った体が、そのまま力無く崩れ落ちていく。


 その背後には、血に濡れた槍を持つドノヴァンの姿があった。


「本当に……その角を埋め込めば、お前のようになれるのか?」


「ああ、もちろんじゃとも。若さと、力を兼ね備えた最高の肉体を手に入れられる。お主の悩みも解決するじゃろう。……のう、ドノヴァン?」


 ドノヴァンは、恍惚とした表情で目の前の角の生えた魔族を見つめながら、彼女の名前を叫んだ。



「儂にもその角をくれぇぇぇぇっ! オクタヴィアぁぁぁぁぁ!!」

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