第150話「再会」
「やはり学園の結界が消えてますね……。急がなければ!」
魔女の箒で空を飛びながらリステル魔法学園の方向を見据えると、いつもは学園を囲むように展開されている結界が消失しているのが確認できた。
マルグリット先生の言っていたように、どうやら本当にマリーベルによって結界は破られてしまったようだ。
既にミリアムや他の魔族が学園に侵入していることだろう。生徒達の安否が心配である。
「ニオが召喚されていないということは、そこまで危機的状況ではない……と思いますが」
どれだけ万全を期したところで、このような突発的な事態というのはどうしても起きてしまう。
そんなときの保険として、俺は雫に安全装置のような仕掛けを施してあった。
その一つは"身代わりゴーレム"だ。
あれから毎日のように立川ダンジョンに潜り、ストーンゴーレムを討伐していた俺達は、レアアイテムの"身代わりゴーレム"を二つほど入手していた。
これらは雫と空に一つずつ持たせているので、あいつらが致命的なダメージを受けても一回だけなら助かる算段である。
そしてもう一つは、雫のお尻には俺達が魔法学園に留学する前に、ニオの肉球スタンプをこっそりと押しておいたのだ。
雫の"身代わりゴーレム"が砕けた瞬間、ニオの"キャットエクスチェンジ"が自動で発動し、あいつは山田家に転送される仕組みになっている。
同時にニオがこっちの世界に来てしまうので、山田家の防衛力は一時的に下がってしまうが……そこは、まあ仕方ないだろう。
「これを教えたら、雫は気を抜きそうなので知らせていませんが、どうやら大きなダメージも負わずに頑張ってるみたいですね」
実際はニオが召喚されたほうが、状況としてはかえって楽になるのだが、奥の手なので発動しないに越したことはない。
「お、見えてきましたね」
全力で箒を飛ばしてきた甲斐もあり、学園まではもうすぐだ。
俺は学園の上空で急停止し、旋回しながら中の様子を窺うと、そこには想像を絶する光景が広がっていた。
「……なんなんですか、これは」
学園は所々に破壊の爪痕を残しながらも、未だに建物としての形を留めていた。
魔族やモンスターの気配は一切感じられず、生徒達は既に戦いが終わったかのように思い思いの場所でくつろいでいる。
そして、野外訓練場のど真ん中には巨大な氷山のような物体があり、その中には学園長と思われる人物が閉じ込められていた。
意味不明な状況に困惑していると、氷山の近くに雫とアリエッタの姿を確認できたので、俺はそちらに向かって降下していく。
「あれを見て、ソフィア先生よ!」
「皆、ソフィア先生が戻ってきたぞ!」
「よっしゃー! これで勝ったも同然だ!」
俺の姿を見つけた生徒達が、歓喜の声を上げて出迎えてくれた。
「おい見ろよ。ソフィア先生、なんか可愛い服着てるぜ」
「へへ……今風が吹いたらパンツが見えそうだな……。誰かこっそり風魔法でも使ってみろよ」
おいやめろ! この服は下着が着用出来ない仕様なんだよ! 緋袴の下にはパンツどころじゃ済まないレベルのモノが隠されているんだぞ!
この袴は何故か大胆なスリットまで入っているから、あまり人の多いところでは使いたくないんだが、今これを脱いでしまえばヴァルガリスが消えてしまうので仕方ない。
俺は慌ててスカートの裾を押さえつけながら、雫達のもとに着地した。
「ソフィアちゃん! もう、戻ってくるのが遅いよ!」
雫は俺の胸元にギュッと抱き着いてくると、上目遣いで抗議してくる。
「……もしかしてノーブラ?」
「ついでにノーパンです。それより状況を教えてください」
雫を引き剝がしながら尋ねると、アリエッタがすぐに事態の説明を始めてくれた。
「学園を襲撃してきた魔族は3名。"四大元素魔法"のギフトと"反転"の魔術を使う仮面のエルフ、八鬼衆ミリアムと、眠りの魔術を使うネムリーヌ。そして心を読む魔術を使うバロガンという山羊頭の大男で、彼らの目的は賢者の石です。ネムリーヌはルナリアさんによって倒されましたが、バロガンには賢者の石の情報を持って逃げられてしまいました。残るは賢者の石が隠されている学園の地下迷宮に向かったミリアムのみです」
ちらりとアリエッタが視線を向けた先を見ると、そこにはルナリアが気絶するかのよう眠りについていた。
「ふむ……続きを」
俺が続きを促すと、アリエッタはわかりやすく、そして簡潔に状況を纏めてくれた。
学園の結界を解いたのはやはりマリーベルであり、彼女は緑の教団の信徒であったようだ。そして、緑の教団の教祖はミリアムだったようで、彼女の魔術を発動するためには人ひとりの命が必要らしい。
つまり、失踪事件の犯人は緑の教団であり、教団のアジトにあったあのミイラ達はミリアムの魔術の生贄だったというわけだ。
「学園長はミリアムの反転魔術によって心を悪に染められてしまいました。ですが、会合に向かったルナリアさんが急遽引き返してくれたので、彼女の力で学園長を氷の中に封印することができたのです」
なるほど、それで学園長が氷の中に封印されているというカオスな状態になっていたのか。
どうやらルナリアが戻ってきたことはマルグリット先生にとっても誤算だったようだ。もし彼女がいなかったら、事態はもっと魔族側の思い通りに進んでいたかもしれない。
学園は野外訓練場を筆頭にあちこちが破壊されたが、生徒や教師に死者は出ていないという。
その話を聞いて俺は安堵するが、すぐに気を引き締める。
「学園治安維持部隊や先生方が、ミリアムを追って地下迷宮に潜ってしまいました。私はソフィア先生が帰ってくるまで待つべきだと進言したのですが……」
「……それは、急いで追いかけたほうがよさそうですね」
俺の知ってるミリアムなら相手を殺すことはしないと思うが、魔族になってしまった彼女が何をするかは予想がつかない。
「ソフィア先生……」
「……マリーベルさん」
いつの間にかマリーベルが俺のすぐ近くまでやってきていた。彼女の表情は非常に暗く、悲壮感に満ちている。
「あの方は、本当に弱き人々の救済だけを望んでいるのですわ。わたくしは彼女に、心から救われたんですの……。わたくしはこんなことになった今でも……ミリアム様のことを信じたいのです」
きっとマリーベルの言う通りなのだろう。ミリアムがそういう人物だっていうことは、俺が一番よく知っている。
でも……だからこそ、俺はそんな彼女を止めなければいけなかった。
「ミリアムを、追います……」
「ソフィア先生、ミリアム様を……殺すのですか?」
「……」
マリーベルの質問には答えないまま、俺は踵を返して歩き出す。
「私もついていきたいけど、足手まといになっちゃうから、あとはソフィアちゃんに託すね」
「ええ、任せてください。念の為マリーベルさんを監視しておいてください」
「うん! 気をつけてね!」
雫との短いやり取りを済ませると、俺はミリアムを追うべく、迷宮がある方向に向かって全速力で駆け出した。
◇
中央庭園の噴水広場の近くに開いていた地下への階段を駆け下りていくと、やがて迷宮の入り口が見えてきた。
俺は警戒しながらゆっくりと地下迷宮の中へと足を踏み入れる。
「あちこちにゴーレムの残骸が転がっていますね……」
アリエッタから聞いた話によると、迷宮にはマキナの作った侵入者撃退用のゴーレムが無数に配置されているらしい。
しかし、その残骸を見る限りでは、ゴーレムではミリアムを足止めすることすらできなかったようだ。
地下迷宮はその名にふさわしく、複雑に分岐した通路が縦横無尽に広がっていたが、俺は魔力反応を辿りながら最短距離で最深部を目指す。
しばらく通路を進んでいくと、やがて大きな扉が行く手を阻むように立ち塞がった。そして、その先にはいくつもの魔力反応が確認できる。
どうやらミリアムはこの先にいるみたいだ。
俺は扉を押し開けて、警戒しながら中へと入る。
「う、うわぁぁーー!」
「きゃああーーっ!!」
「何なんだこいつ!? 強すぎる! ぐああぁぁっ!」
部屋の中に一歩足を踏み入れた瞬間、俺の目の前にどさどさと数人の人影が落下してきた。
どうやら先に向かった学園の教師や治安維持部隊の生徒達がミリアムに挑んだみたいだが、全て返り討ちに遭ってしまったようだ。
見たところ、手加減されているようで皆まだ生きているようだが、彼らでは彼女を止めることは叶わないだろう。
「皆さん、部屋の外まで退避してください。ここは私が引き受けます」
俺の姿を確認した彼らは、特に反論することもなく素直に指示に従い、部屋の外へと走っていった。
神聖魔法のヒールレインを展開して、動けないほどの怪我を負った者は速やかに癒やすと、俺は部屋の中を改めて見回す。
かなり広い空間で、学校の体育館以上の広さがあるだろうか。地下にしては天井も高く、壁が発光しているため、部屋の中は明るい。
「う……ソフィア先生、賢者の石はあそこです」
部屋の真ん中に倒れていたメリッサが俺の回復魔法で起き上がると、震える指で部屋の奥を指し示した。
すると、そこには賢者の石と思われる美しい輝きを放つ青い宝石が台座の上に鎮座しており、その前には真っ白な髪をしたエルフの女性の後ろ姿が見えた。
「わかりました、後は私にお任せください」
メリッサに部屋の外へ向かうように伝えると、俺は賢者の石の前に立っていた女性に声をかける。
「ミリアム……」
俺の呼びかけに、彼女はゆっくりとこちらを振り返った。
「ソフィア、やはり来てしまったのね……」
約8年ぶりの再会。
褐色の肌に真っ白な髪。長い耳に、顔を覆う仮面。そして優し気な声。どれを取っても、俺の知っている彼女と変わっていないように思える。
だが、その身に纏う気配は、以前と比べて明らかに異質なものになっていた。
「本当に魔族になってしまったんですね……」
「ええ、そうよ」
ミリアムは台座の上にある賢者の石に手を触れながら、静かに答える。
賢者の石は、台座と一体化しているかのように固定されており、容易には取り外せそうになかった。
「ここから学園、いえ……魔法王国中に魔力を送っているのね……。無限とまではいかないでしょうけど、これほど膨大な魔力を生み出すことができるなら、私の魔術を発動させる装置としては十分だわ」
賢者の石が放つ青い光を見つめながら、ミリアムはどこか満足げに呟く。
俺はそんな彼女にゆっくり近づくと、過去を懐かしむように語りかけた。
「学園、変わってないですよね。私もちょっと前に久々にここに戻ってきたんですけど、見ましたか? 中央庭園の噴水広場」
「ええ、あの頃のままね。懐かしいわ……よくあなたとあそこで魔法の訓練をしていたわね」
「私は一度も、魔法であなたに勝てたことがありませんでしたけどねー」
冗談めかした俺の言葉に、ミリアムは仮面の奥の瞳をわずかに細めた。
学生時代は、こうしてミリアムと他愛のない話をするのが大好きだった。
故郷の村には同世代の子が他にいなかったから、彼女は俺がこの世界に転生して初めてできた同い年友達であり、親友とも呼べる存在だった。
当時は肉体的にも精神的にも弱かった俺を、ミリアムはいつも傍で励まし、支えてくれた。
「ねえ、どうして魔族になんてなってしまったんですか?」
距離にして約3メートル。
ミリアムと正面から向かい合った俺は、そこで足を止めて彼女に問いかける。
「どうして、かしらね。もしあの時、あなたと一緒に旅に出ていれば……あるいは違う未来が。いえ、きっと私はいつか、こうなっていたでしょうね。だって私は――」
彼女は自身の仮面に手をかけながら、どこか儚げな声色で、静かに語り始めた。
◆◆◆
ソフィア、あなたは知らないでしょう? 私の仮面の下に隠された素顔を。
はっきり言ってしまえば、それはとても醜いのよ。それは、今すぐにでも剝ぎ取ってしまいたいほどに……。
あなたも私の素顔を知っていれば、きっとあのように仲のいい学園生活は送れなかったと思う。だって、美しいあなたと比べたら笑ってしまいそうなぐらい、私の顔は酷い有様だったから……。
だから、私は子供の頃から、ずっと仮面で顔を隠し続けてきたわ。
そうすれば、エルフであり、魔法の才能にも恵まれている私を、周りの人達は勝手に可憐で美しい存在だと思い込んでくれるから。
そうして周囲から称賛されるたびに、私は心が満たされる感覚を味わうことができた。
でも、それは同時に、私をより孤独にさせる魔法でもあった。
友人と呼べる存在もおらず、本当の私を知る者は誰もいない。
常に人々の理想のエルフであり続けるために、私は仮面を被り続けるしかなかったわ……。
そんな時よ、あなたが私の前に現れたのは――。
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