第148話「上から来るぞ」
慌てて周囲を見渡すと、校舎の中へ走っていくアリエッタの後ろ姿が目に入る。
え? ちょっと待って? もしかして私を見捨てて逃げちゃったの? そ、そんなぁ……。
私が呆然と立ち尽くしている間に、ダーク学園長は地面に蹲るマリーベルさんの目の前まで歩み寄ると、その頭を右手で鷲掴みにした。
「あ、が、が……」
彼女は苦しげな呻き声を上げるが、そんなことはお構いなしとばかりに学園長は彼女の身体を空中に持ち上げる。
「生徒マリーベル! あれほど忠告したのに、魔族の下らん甘言なぞに惑わされおって! おかげで儂はこんな姿にされてしまったではないか! くははははっ!」
「も、申し訳、ありま、せん……わ」
「愚かな生徒には罰をくだす必要があるのぉ。さぁて、どうしてくれようか……」
学園長は楽しそうに口元をにちゃりと歪めると、マリーベルさんを掴んだ手に力を込める。
メキメキという嫌な音が鳴り響き、彼女の顔が苦痛に歪む。
「くくく、いい顔じゃのう! もっと、もっとその苦痛に歪んだ顔を――」
「――"水刃"!」
私は咄嗟に水魔法で無数の水の刃を生成すると、それらをダーク学園長に向かって放った。
しかし、それらは学園長に到達する前に、ネムリーヌの放った霧によって全て吸収されて消えてしまう。
「その程度の水魔法なら、ネムリーヌの霧の餌になるだけなのよぉ~」
彼女はケラケラと笑いながら、私の放った魔法を吸収した霧を自らの元へと引き戻す。
……駄目だ。私が勝てるような相手じゃない。
「ぬぅん……? お主はソフィア・ソレルが連れてきた留学生か?」
だが、学園長は私に興味を覚えたのか、マリーベルさんを掴んでいた手を放すと、こっちに向かってきた。
私は恐怖で一歩後ずさるが、それ以上は足が動かない。
「くくく、お前の首を刎ねて、その頭をソフィアに突き付けてやるわい! 奴が絶望に歪む姿を想像すると心が躍るわ!」
学園長の体から真っ黒なオーラが滲みだし、それは鎌のような形状に変化する。
「ひっ!?」
あまりの魔力の圧に、私は反撃することも先読みの魔眼を使うことすらもできず、その場に尻餅をついた。
学園長は私を見下ろしながら、さも愉快そうに笑うと、その鎌を振りかぶる。
――しかしその時だった。
「"アースウォール"!」
突如目の前に巨大な土の壁が出現し、学園長と私を分断する。
「おーい、シズク! 大丈夫かーー!?」
声のする方を向くと、フォクスがキィマとリィトを引き連れて、こちらに向かって駆けてくるのが見えた。
「フォクスくん!」
彼が土魔法で助けてくれたんだ!
私は恐怖で震える足に鞭打って立ち上がると、彼らに向かって走り出す。
「ぐぬぬ……。小賢しい真似をしよる! 貴様らまとめて、あの世へ送って――ぬぐおッ!?」
しかし、学園長が再度攻撃しようとした瞬間、彼の背中に巨大な火球が命中し、轟音と共に爆発した。
火球の飛んできた方向を見ると、そこにはメリッサが杖を構えて立っている。
「メリッサちゃん!」
私が名前を呼ぶと、彼女は小さく笑みを浮かべてから、再び杖に魔力を込めて学園長とネムリーヌに炎の塊を放った。
学園長はその攻撃を片手で振り払い、ネムリーヌは霧で炎を掻き消してしまう。
だが、そうしているうちに、今度は校舎や屋内訓練場の方からも何人もの生徒達がこちらへ向かって走ってくるのが見えた。
「アリエッタが俺達を起こしてくれたんだぜ! 何かやべぇことになってるみてぇだな!」
キィマが息を切らしながら叫ぶ。
フォクスが私を守るように前に立つと、リィトは倒れているマリーベルさんの介抱を始めた。
他の生徒達も各々の武器を構えてダーク学園長とネムリーヌを睨みつけている。
「雫さん、大丈夫でしたか!?」
少し遅れてアリエッタもこちらに駆け寄ってくると、私に抱きついてきた。
「アリエッタ! 私を置いて逃げたかと思っちゃったよ……」
私が少し拗ねたように言うと、彼女は申し訳なさそうに眉を八の字にして頭を下げた。
「申し訳ありません。状況が変わったので、皆さんを起こして全員で戦った方が勝率が高いと判断しました」
判断が……判断が早い!
たぶんミリアムとマリーベルさんが言い合いを始めた辺りで、もうこの状況を想定して校舎の方に走っていたんだ。
「皆さんには簡単な状況の説明をしてあります。私以外に眠りを解除できる神聖魔法使いも何人か起こしたので、彼らに学園中の生徒達を起こしてもらっています。どうも大人の方が眠りが深いらしく、先生達を起こすのにはまだ少し時間がかかるようですが……」
「いや、十分だよ。ありがとうアリエッタ」
これならお兄ちゃんが戻ってくるまで、なんとか持ちこたえられそうだ。
「おらぁ! 皆いくぜっ! 学園に攻め込んできた魔族と、ついでに洗脳状態の学園長をぶっ飛ばすぞ!」
フォクスが威勢良く叫ぶと、他の生徒達もそれに呼応する。
――そして、魔法学園学生対魔族の戦いの火蓋が切られた。
数で勝る魔法学園側だが、学園長が本来の力を発揮すれば、あっという間に劣勢に陥ってしまうだろう。
だが、どうも学園長は闇の力を上手く使いこなせていないように見える。
攻撃手段として光魔法の代わりに闇魔法を使うものの、その威力はそこまで高くなく、生徒達でも十分対処できるレベルだ。
「神聖なる光よ、この者の傷を癒したまえ――"エクストラヒール"」
生徒達が戦っている隙に、アリエッタはマリーベルさんに駆け寄ると、その身体に回復魔法をかけた。
すると、彼女の傷だらけの身体がみるみるうちに元通りになっていく。
「マリーベルさん。早速で悪いのですが、学園長の今の状態を教えていただけませんか?」
「……」
アリエッタが質問するが、マリーベルさんは放心状態のまま動かない。
「雫さん、この人に水をぶっかけてもらえませんか?」
「へっ? う、うん」
私は指示に従って、水魔法で大量の水をマリーベルさんの頭上に出現させると、そのまま重力に任せて勢いよくぶっかける。
彼女は全身ずぶ濡れになって呆然とした表情で私達を見た。
「マリーベルさん。あなたがどのような経緯であのミリアムという魔族に従っているのかはわかりません。きっと、私達には想像もできないような理由があるのでしょう。ですが、今最も重要なことは、学園の生徒達に被害を出さないことです。あなた次第で、もっと状況が悪化することもあり得るのですよ? 後悔や反省は後でやってください」
アリエッタが少し怒ったような口調で言うと、マリーベルさんはハッと我に返ったかのように目を見開いた。
「そう……ですわね。今、わたくしが成すべきことは、これ以上被害を広げないこと……ですわ」
「ええ、その通りです。では、まずはこの状況について知っていることを全て話していただけますか?」
マリーベルさんはこくりと頷くと、要点だけを掻い摘んで話し出した。
「ミリアム様の目的は賢者の石ですわ。生徒達の被害を最小限に抑えるため、少数精鋭での襲撃で、ネムリーヌ以外の魔族は引き連れていません。ソフィア先生は、八鬼衆の1人が足止めをしていますわ。そして、学園長はミリアム様の魔術によって、"善性"を反転させられてしまいましたの」
「反転って、それであんな悪の権化みたいな姿になっちゃったんだ……」
「それに引きずられる形で、ギフトも光から闇に変わってしまったんだと思いますわ。皮肉なことに、そのおかげで学園長は上手く力をコントロールできていないようですけれど」
ふむ、敵の援軍はなさそうと見ていいのかな。
お兄ちゃんは案の定足止めを食らってしまってるようだけど、あのお兄ちゃんが負けるはずがないし、そのうち戻ってくるだろう。
つまりはネムリーヌと学園長さえ何とかできれば、勝機はあるということだ。
「ミリアムの魔術の詳細を教えてください。どうすれば解除できますか?」
「……ミリアム様の魔術は、あらゆる属性を恒久的に反転させる、というものです。本来は一度の発動に生贄として人ひとりの命を必要としますが、先程は賢者の石の欠片を媒介にすることで、生贄なしでも発動することができたようです」
「ええと、恒久的ってもしかして……」
「はい、ミリアム様の命が尽きるまで、学園長は元には戻りませんわ……」
私とアリエッタは揃って頭を抱えた。
つまり、結局はあのダーク学園長を倒すか、地下迷宮に向かったミリアムを追いかけて倒すかの二択しかないということだ。
どちらにしても、難易度はかなり高い。
「矮小なる学生風情が……この学園の長たるこの儂を倒そうなどと、身の程を知るがいいわっ!」
「「「うわぁぁぁっ!」」」
ダーク学園長が叫ぶと、彼の身体から放たれた黒い波動が、周囲にいた生徒達を次々と吹き飛ばしていく。
「くくく、ようやく身体が馴染んできおったわ。どれ、闇の力……愚かな生徒諸君に存分に味わわせてやるとするかのう!」
高笑いしながら学園長は両手を大きく広げると、その身体から膨大な闇の魔力が噴き出す。
「いけません! 防御魔法を使える者は全力で展開してください!」
アリエッタが咄嗟に指示を出すと、生徒達は学園長を中心にして円を描くように立ち並び、それぞれ得意属性の防御魔法を展開していく。
だが――
「その程度の防御、この儂の闇の力の前には無に等しい! すべて押しつぶれるがいいわ――"グラビティプレス"!!」
学園長の両手から放たれた闇の重力波によって、生徒達の防御魔法があっさりと破壊されていく。
「ぎゃあぁぁ!」
「ぐあぁぁっ!」
「いやあぁぁっ!!」
闇の重力波に飲み込まれた生徒達は、次々と地面に叩きつけられ、苦しそうな呻き声を上げてのたうち回った。
アリエッタをはじめ、まだ何人かの生徒が防御魔法を展開しているので死は免れているようだが、それもいつまで持つかわからない。
ダーク学園長は畳みかけるように、第二波の魔法を放とうと魔力を練り始める。
「待つのよダーク学園長。せっかくだしネムリーヌの悪夢でこいつらをもっと苦しめてやるのよ。気絶した人間に直接霧を浴びせれば、すぐにでも廃人にできるのよ?」
ネムリーヌはそう言いながら、その場でくるりと回転すると、その身に纏っていた霧を倒れている生徒達に浴びせはじめた。
彼女の霧に包まれた生徒達は、びくりと身体を震わせると、口から泡を吹きはじめる。
「それはおもしろいのう。では、儂も協力してやろうかの」
ダーク学園長がニヤリと笑うと、倒れている生徒達の身体に闇の波動が放たれ、彼らはさらに苦しみだした。
「リィト! キィマ! しっかりしろ!」
ふと視線を横に向けると、リィトとキィマが白目を向いて地面に倒れており、フォクスが必死の形相でその身体を揺らしている。
まずい、今にも発狂しそうな状態だ! 早くなんとかしないと……!
私は先読みの魔眼を発動して、何かこの状況を打開できる手段がないかを必死に探る。
――すると、私の視界にある映像が浮かび上がった。
「ねえ、気をつけたほうがいいんじゃない? 上から来るよ?」
もう決まった未来の光景。
思わずにやけそうになるのを堪えて、未来視にしたがって右手で頭上を指差すと、ダーク学園長とネムリーヌはゲラゲラと笑い出した。
「先程のミリアムの真似かの? ぐははは、そのような虚言で儂を惑わすことはできんぞ」
「必死すぎるのよ~! そんなのに引っかかるわけない――」
『――"アイシクルピラー"』
瞬間、どこからか美しい声が響き、ひんやりとした風が私の頬を優しく撫でたかと思うと、空から巨大な氷柱が落下してくる。
「――ぷぎょ!」
ネムリーヌは間抜けな悲鳴を上げながら、そのまま氷柱に押し潰されて真っ赤な肉塊へと姿を変えた。
ダーク学園長は咄嗟に防御魔法を展開したようだが、氷柱の勢いに押され、その身体が大きく後方へ吹き飛ばされる。
上空を見上げると、そこには羽の生えた白馬に乗った、スノーホワイトの髪色をした美少女の姿があった。
『ヒヒ~ン!』
「まったく……。突然引き返すから何事かと思ったら、何だか大変なことになってるじゃないの」
その美少女は呆れたように溜め息を吐くと、私の傍に着地して白馬から降りる。
「ユニペガ! ルナリアちゃん! 戻って来てくれたんだね!」
私が歓喜の声を上げると、ユニペガは嬉しそうに私に顔を擦りよせ、ルナリアちゃんは優しく微笑んでくれた。
周囲を見渡せば、ネムリーヌが死んだ影響か、学園中の生徒達が次々と意識を取り戻している。
アリエッタが彼らの治療に奔走するなか、ルナリアちゃんはダーク学園長に視線を移した。
「とりあえず魔族は倒したけど、あの学園長もやっちゃっていいわけ?」
「学園長はミリアムって魔族に反転の魔術をかけられちゃったんだよ。やっちゃうのは駄目だと思う……」
私が説明すると、ルナリアちゃんは面倒臭そうに頭を搔いた。
「ふぅぅ~……生徒ルナリア、会合はどうした! 賢者最年少の身でありながら、サボりとは、いい度胸だな!」
「……随分と趣味の悪い姿になったものね。それにサボりじゃなくて遅刻よ、遅刻。すぐにあなたを倒して合流すればいいだけの話でしょう?」
ルナリアちゃんが挑発するように言うと、ダーク学園長は眉をひそめて不機嫌そうな表情を浮かべた。
「小娘の分際で、この儂を愚弄するか。いいだろう、今この場で十賢者の席を一つ空けてやろう!」
「それは残念だわ……。本日をもって光の賢者がいなくなってしまうなんて……」
「減らず口をッ!」
ダーク学園長は怒りの声を上げると、全身から闇の魔力を解き放った――。
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