第142話「緑の教団②」

 ――だが、それから半年後。



「おい、マリーベル! 今月分のシノギが全然足りてねえぞ! 一体どうなってやがる!」


 娼館の事務室で怒鳴り声をあげるのは、クギャクファミリーの幹部である、スコルピオという男であった。


「も、申し訳ございませんわ……。ですが、最近の交際費の上昇はあまりにも度が過ぎていますと――」


「借金も払えねーやつが文句垂れてんじゃねえぞ! テメーみてーな無能は、借金を返すのが最優先だろうが!」


 そう言って、スコルピオはマリーベルの顔を思いきり殴り飛ばした。


 魔力の殆どないマリーベルは、当然その衝撃に耐えられず、壁まで吹き飛ばされると、口と鼻から血を流して床に倒れ込む。


「はっ! 相変わらず紙切れみてーな身体だな。魔力なしの無能が、一丁前に口答えするんじゃねえ! 金がなかったら前みたいにテメーの身体を売って稼げばいいんだよ!」


 スコルピオはそれだけ吐き捨てると、事務室から立ち去ってしまった。


 前オーナーのジェシカは、マリーベルや他の従業員には巧妙に隠していたが、娼館を担保にクギャクファミリーから多額の借金をしていたのだ。


 彼女はそれを全てマリーベルに押し付けて、どこかに姿を隠してしまった。


 残ったのは多額の借金と、日に日に増え続けるクギャクファミリーへの上納金。


 更には、ここから歩いてすぐの距離に、最近新たな高級娼館が建ったことで、客の奪い合いが発生し、経営状況は日に日に悪化の一途を辿っていた。


 このままでは、近い将来この娼館は潰れてしまうだろう。そうなったときに待ち受けているのは、借金のカタにより奴隷に堕とされる未来だけだ。


 そして、それはもう目前に迫っていた。


「もう、限界ですわ……」


 信頼していた人にも裏切られ、何をやっても上手くいかない人生。これ以上生きていく気力も湧かない……。


 マリーベルはふらふらした足取りで、娼館を出る。


 すると、先程立ち去ったスコルピオが、路地裏の方に歩いていくのが見えたので、慌てて近くの物陰に身を潜めた。


 そのまま男の様子を窺っていると、彼は路地裏で誰かと話しているようであった。


 彼女は気になって隠れて聞き耳を立ててみる。


「上手くいったわね。これであの子は奴隷落ち確定よ。いい気味だわ」


「こえぇ女だなぁ~。若い女に自分の借金を背負わせて、娼館ごと奴隷に堕とすなんてよぉ」


 スコルピオと話しているのは、なんと元オーナーのジェシカであった。


「魔力なしの癖に、あたしより若くて綺麗で教養もあるとか、最初から気に入らなかったのよ。ちょっと優しくしてやったら、完全にあたしのこと信用しちゃって。今まで余程酷い人間としか接してこなかったのね」


「おいおい、おめぇがその酷い人間の筆頭だろうがっ!」


 マリーベルを馬鹿にしながら2人はゲラゲラと笑い合う。


「それよりも本当に私に新しい店を任せてもらえるのよね?」


「ああ、マリーベルがボスの奴隷になった暁には、報酬としてお前も俺達の店で雇ってやる。お前は悪知恵が働くし、娼婦共の取りまとめもお手の物だからな」


 下卑た笑みを浮かべながら、スコルピオはジェシカと握手を交わした。


 マリーベルは先程までの絶望が、一瞬にして怒りへと変わっていくのを感じ、ぐっと拳を握りしめながら2人の前へと飛び出した。


「わたしくを騙していたのですね! 絶対に許しませんわ!」


 怒りに震えるマリーベルを見て、2人は一瞬驚愕の表情を浮かべたが、すぐにジェシカは笑みを取り戻す。


「許せないってどうするのかしら? 魔力もない、何の後ろ盾もない、精々その顔と身体で男を誑かすことしかできない女が、このあたしに何ができるという――の!」


 ――バチンッ!


 ジェシカがマリーベルの頬を叩くと、彼女はそれだけでまるで人形のように吹き飛び、ゴミ捨て場へと突っ込んだ。


 ゴミまみれになったマリーベルの頭を踏みつけながら、ジェシカは勝ち誇ったように笑う。


「きっと、相当努力したのでしょうね? 魔力なしが五体満足でここまでまともに生きてこられたのは褒めてあげるわ。でも、所詮は魔力なしの無能。あんたみたいな出来損ないは、結局は身体でも売って男を喜ばせることしかできないのよ。これからも一生そうやって生きていくのね!」



 幼い頃から努力して、努力して、努力し続けて――


 理不尽に耐えて、耐えて、耐え続けて――


 そうやって、やっと手に入れた一欠けらの自由すら、自分には許されないのか。



「う、うう……わたくしは……わたくしは……」


「魔力なしなのが悪い、善良ですぐに騙されるのが悪い、我慢してりゃその内いいことがあると思ってんのが悪い。いいか? 全部お前がわりぃんだよ。世の中、俺達みたいに、馬鹿を搾取して生きてくのが正しい人間の在り方なんだよ」


 スコルピオは、ジェシカの靴底で頭をぐりぐりと踏みにじられ、ゴミまみれで地面に這いつくばるマリーベルを嘲笑う。


 もう……もう、いい。


 これ以上生きていても意味がない……。


 すべてを諦めたマリーベルは、おもむろに懐からナイフを取り出し、自分の喉へと突き立てようとする。


 が――その瞬間、突如、頭上に巨大な火球が出現すると、それはスコルピオに向かって降り注いだ。


「あっ? ぎゃあぁぁぁぁぁっ!」


 絶叫を上げながら地面を転がり回って火を消そうとするスコルピオだが、炎の勢いは衰えるどころか更に激しさを増し、彼の全身は瞬く間に黒焦げになり、やがて動かなくなった。


「彼女が悪い? さっきから聞いていましたが、どう考えても悪いのはあなた達でしょう。悪人の自分勝手な理屈を、弱者に押し付けないでください」


 透き通った綺麗な女性の声が、ゴミ捨て場に響き渡る。


 いつの間にかマリーベルの目の前に立っていたのは、真っ白な髪と褐色の肌をした女性であった。顔は仮面で覆われていて見えないが、耳が長いので、おそらくエルフなのであろう。


「す、スコルピオ! あ、あんた何なのよ! こんなことしてクギャクファミリーが黙っているとでも――」


 ジェシカが喚き散らすが、エルフの女性は気にした様子もなく、目にも止まらぬ速さで彼女の顔面を左手で鷲掴みにし、そのまま地面に叩きつけた。


 そして、そのままマリーベルに向かって問いかける。


「あなた、救済を望みますか?」


 突然の問いかけに戸惑うマリーベルであったが、すぐに答える。


「お、お願いしますわ……。わたくし、もう、こんな人生は嫌ですわ……」


 マリーベルが涙ながらに訴えると、彼女は仮面の奥で優しく微笑んだ気がした。


「彼の者の命の輝きを持って、この者に救済の光を与えたまえ――」


 エルフの女性は左手でジェシカの顔を掴んだまま、右手をマリーベルに押し当てると、何か呪文を唱え始める。


 そして――



『――"反転の奇跡リバース・リリーフ"』



 次の瞬間、ジェシカが絶叫を轟かせながらミイラのように干からびると、その身体から金色の光が浮き上がり、マリーベルの身体へと吸い込まれていく。


 すると、マリーベルは自分の身体に溢れんばかりの魔力が漲っていくのを感じた。


「え? こ、これは! 一体どういうことですの!?」


 動揺するマリーベルに、エルフの女性は優しく語りかける。


「魔力を殆ど生み出せないあなたの身体を"反転"させました。これからあなたは、一般人とは比較にならない程の魔力を有することになります」


 彼女の言う通り、今までどれほど努力をしても一向に増えなかった魔力が、まるで泉のようにとめどなく溢れ出してくる。


 これまでの人生で、感じたこともないほどの幸福感がマリーベルの全身を駆け巡っていく。


「お、おおお……! あ、あ、ありがとう! ありがとうございますわ!」


 涙が止まらなかった。


 その涙は、彼女が今まで何百と流してきた絶望の涙ではなく、生まれて初めて流す嬉し涙であった。


 この人には感謝をしてもしたりないくらいだ。この先も絶望しかないと思っていた人生に、一筋の光が差し込んだのだ。


「お、お名前を! 貴方様のお名前を、どうかわたくしに教えてくださいまし!」


「私の名はミリアム。善なる人々を救済するための"緑の教団"を率いる者です」


 そして彼女は、マリーベルに背中を向けると、そのまま歩き出す。


「うっかり怒りで貴重な生贄を1人殺してしまった……。感情が制御できないのも困りものですね……」


「お、お待ちください! わたくしを、貴方様のもとで働かせてください! これから一生をかけて、貴方様にご恩をお返ししたく存じますわ!」


 マリーベルは必死になって、ミリアムに懇願する。


 ミリアムは一瞬だけ立ち止まると、顔だけをマリーベルに向けて告げた。


「おそらく、私の歩む道は茨の道になるでしょう。それでもついてくるというのですか?」


 マリーベルは涙を拭って力強く頷くと、ミリアムの後を追って走り出す。



 こうして、マリーベルは"緑の教団"へと加入することになった。


 元々魔力を殆ど生み出せない体であった以外は、光魔法のギフトなど様々な才能に恵まれていた彼女だ。すぐに"緑の教団"の中でも一際優秀な存在となり、やがてはミリアムの片腕として教団を支える存在となるのであった。





◆◆◆





 学園内をゆっくりと歩き回りながら、マリーベルは考える。


「ソフィア先生のおっしゃることもわかります。賢者の石がこの場所にあるなら、そのままにしておくのが正しいことだと」


 ワーズワーズ学園長が学園内に張っている光の結界。それは六芒星の形をしており、学園を包み込むように展開されている。


 結界の内側には、魔族やモンスター、邪悪な心を持った人間・・・・・・・・・・は立ち入ることすらできない。


「ですが、この学園の生徒達は恵まれすぎているとわたくしは思います。彼らはきっと、賢者の石がなくても、いえ……この魔法学園が存在しなくても幸せな人生を歩めることでしょう」


 恵まれた人間が、恵まれた環境で過ごす。


 これまで絶望と隣り合わせの人生を歩んできたマリーベルからすれば、それはとても贅沢なことのように思えた。


 六芒星の一つがある野外訓練場の隅までやってくると、彼女は足を止める。


「今のわたくしであれば、内側からであれば学園長の結界に介入することができますわ。結界がなくなれば、あの方も学園内に自由に出入りできるようになる」


 マリーベルは、結界の起点となっている石碑に手をかざすと、魔力を流し込む。


「ソフィア先生ならきっと、わたくしの行いは間違ったことだと言うのでしょうね。ですが、わたくしは賢者の石は、あの方――ミリアム様が持つべきだと、そう考えます」


 そこには一遍の悪意もなく、ただ純粋で真っ直ぐな思いだけが彼女を突き動かしていた。


「わたくしを絶望の淵から救ってくださったのは……ソフィア先生、あなたではありませんわ。ミリアム様はこれから多くの人間を救うでしょう。わたくしはミリアム様と共に、かつてのわたくしのような……多くの弱き民を救いたいのです」


 そして、マリーベルは結界に干渉する。


 邪悪な心に反応する光の結界は、最後までマリーベルから悪意を検知することはなかった――。

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