第141話「緑の教団①」
マリーベルは大陸最西方に浮かぶ島国――コンリーロ王国のシフェチア侯爵家の長女として生を受けた。
彼女の家は、代々王家に仕える宮廷魔導士の家系でもあり、マリーベルは、幼少期より一族の厳しい英才教育をその身に受けることとなる。
幸いにして彼女は、聡明な頭脳、高い運動能力、そして美しい容姿と、三拍子揃った才能を持っており、更には光魔法のギフトまで授かっていたため、一族の誰もが、彼女には輝かしい未来が約束されていると信じて疑わなかった。
だが――
「マリーベル! 一体いつになったらお前の魔力は増えるのだ! これではいくら魔法の才能があっても、宮廷魔導士になるどころか、魔法学園に入学することすらできんぞ!」
マリーベルが6歳になる頃、彼女の父親であるコンリーロ王国筆頭宮廷魔導士――ダリオ・シフェチアは、怒りを露わにして彼女を怒鳴りつけた。
「ご、ごめんなさいお父様……。わたくし、毎日がんばっているのですが……」
彼女は物心ついた頃から、来る日も来る日も魔力を増やすための過酷な訓練を続けてきた。しかし、彼女がどんなに努力を重ねようとも、一向に体内の魔力が増える兆しが見えないのだ。
生きるために必要な程度の魔力はある、あるのだが……魔法を行使するにはまるで足りない。簡単な初歩魔法を数回発動しただけで、魔力が枯渇してしまうのだ。
このままでは宮廷魔導士どころか、魔法使いとしてさえまともに活動することができない。
いや、それどころか、魔力による身体強化すら碌に行えないため、魔物蔓延るこの世界では、普通に生きていくことだって難しいだろう。
「とにかく、もっと必死に訓練に励め! 話は以上だ!」
ダリオはそれだけ言うと、乱暴に扉を閉めて部屋を出ていってしまった。残されたマリーベルは、一人呆然と立ち尽くしながら考える。
どうして魔力が増えてくれないの? わたくしはこんなにもがんばっているのに……。
それからも彼女は、来る日も来る必死に訓練に励み続けた。
しかし、一向に彼女の魔力は増える様子を見せず、その度にダリオの怒声が家中に響き渡ることとなる。
ダリオやマリーベル本人も知らぬことであるが、彼女の魔力が増えない理由は単純明快だ。マリーベルの魔核は生まれつき非常に小さく、魔力の最大容量も極めて低いのである。
この世界では、女神のギフトを持たない者と同じく、ごく稀にそういう人間が産まれることがあり、彼らは"魔力なし"と呼ばれ、忌み子として蔑まれることが多い。
故に、どれほど鍛錬を重ねようとも、マリーベルの魔力が増えることは決してないのだ。
だが、その事実をマリーベルに教える者などいるわけもなく、彼女はただがむしゃらに訓練を続けるしかなかった。
――そして彼女が10歳を迎えた頃……。
とうとう彼女の父親であるダリオが痺れを切らした。
「もういい! シフェチア家の恥さらしが! お前は遠縁のペスゲド伯爵家に嫁がせることとする! 二度と我が家の敷居を跨ぐな!」
弟と妹も生まれ、マリーベルとは違って順調に後継者として成長している2人を見て、もう彼女に用はないとばかりに、ダリオは一方的にそう宣告した。
こうして、マリーベルは10歳にして侯爵家から絶縁され、生まれ育ったコンリーロ王国を後にし、海の向こうの異国の地にあるペスゲド伯爵家へと嫁ぐこととなる。
しかし、それはこれから彼女が歩む茨の道の、ほんの始まりに過ぎなかった――。
◇
「ぐへへへ、ちっちゃいなぁ……可愛いなぁ……。ぐふふ……マリーベルちゃん、よろしくねぇ。ボクが君の旦那様になるロリスだよぉ」
「よ、よろしくお願いしますわ」
端的に言って、ペスゲド伯爵家当主――ロリス・ペスゲドは、最低最悪な男であった。
年齢はマリーベルより30も上であり、禿げあがった頭に脂ぎった顔、でっぷりと肥えた体つきに、下卑た薄笑いを浮かべる口元、どこを取っても気持ち悪いことこの上ない。
また、屋敷には彼女と同じくらいの年と思われる少女のメイドが大勢おり、彼の趣味が幼い少女を愛でることであるのは一目瞭然だった。
そして、領主としても非常に悪辣で、彼の治めるペスゲド領は酷い重税を課すことで有名であり、領民達を苦しめて搾り取った金で、自身は昼夜問わず豪遊に耽っていた。
マリーベルはすぐにでもこの屋敷から逃げ出したかったが、実家からは絶縁され、一般人以下の魔力しか持たない彼女が、過酷なこの世界で1人生きていくことなどできるはずもない。
結局、彼女はこの地獄のような日々を甘んじて受け入れるしかなかったのである。
それからというもの、毎日のように少女好きのロリスに弄ばれる日々が続いた。
マリーベルは必死に耐え続け、どうにかしてこの状況から抜け出そうと、僅かな自由時間を利用して、必死に剣術や自分を死の淵に追い込むほどの魔力増強の鍛錬に励んだ。
だが、結局それらの努力は実を結ぶことはなく、屋敷のメイドにすら敵わない自分の弱さを、ただただ痛感するだけの結果に終わる。
魔力を増やすこともできず、更には碌に外出も許されない軟禁状態でロリスに嬲られる日々が続くなか、マリーベルの心には次第に絶望が募っていく。
「一体わたくしは、何のために生きているのですか……? もう嫌ですわ……こんな人生……」
誰もいない自室で、マリーベルは1人咽び泣いた。
――だが、そんな日々も、唐突に終わりを告げることとなる。
それは、ある月のない夜のことであった。
いつものようにロリスの変態趣味に付き合わされたマリーベルは、酷く疲れた体でベッドに入るとすぐに意識を失った。しかし、その日は珍しく尿意を催して真夜中に目が覚めてしまう。
眠たい目を擦ると、マリーベルはゆっくりとベッドから降りて、部屋の外へと出た。
「あ、熱っ! なんですのこれは!?」
廊下へ出た瞬間、酷い熱気に襲われる。
耳を澄ますと、パチパチと何かが爆ぜるような音と、焦げ臭い匂いも漂ってきた。
「も、もしかして……屋敷が燃えている……!?」
それは領民達の反乱だった。
ペスゲド伯爵家に搾取され続け、苦しみ続けた領民達の怒りが遂に爆発したのだ。
運よく屋敷全体に火が回る前に目が覚めた彼女は、急いでその場から逃げ出すことができたが、屋敷は燃え盛り、中にいたロリスとメイド達の命運は明らかだった。
形だけとはいえ、自分はペスゲド伯爵家の嫁だ。ここにいては領民達の怒りの矛先が自分へと向きかねない。
そう思ったマリーベルは、燃える屋敷を背に、命からがら領地の外まで逃げ出したのだった――。
◇
それから2年後、マリーベルはベスケード帝国の片田舎にある街に流れ着き、そこでひっそりと暮らしていた。
この世界で、魔力の殆どない幼い少女が1人で生き抜くことは困難を極めたが、幸いにしてマリーベルは、聡明な頭脳とシフェチア侯爵家で培った教養、そして高い行動力とコミュニケーション能力を有していた。
だが、それでも一般人以下の魔力しか持たず、何の後ろ盾もない少女ができる仕事など、そう多くはない。
そんな中、彼女が選択した道は――
「いやー、マリーベルちゃん、今日も最高だったよ」
「ありがとうございますわ。お客様もとてもご満足頂けたようで何よりですわ」
それは、娼婦として働くことであった。
もちろん、やりたくてやっているわけではない。むしろ、侯爵家に生まれた彼女にとって、それは耐えがたいほど屈辱的な選択であったが、生きる為にはそうする他なかったのだ。
そうしなければ、女神のギフトや魔力を持たない子供など、この世界では魔物の餌になるか、奴隷として売り飛ばされるくらいしか道はない。
身体ならすでに散々ペスゲド伯爵に弄ばれ、汚れきっている。今更、娼婦の真似事など造作もない。
マリーベルは自分をそう納得させ、今日も名も知らぬ男達の欲望をその身に受け止めるのであった。
――そうして数年が経ち、マリーベルは16歳となった。
その美しい容姿や持ち前の高いコミュニケーション能力、そして培った娼婦としての技術から、彼女はこの街では一番の高級娼館の看板娼婦として人気を博していた。
「なあ、マリーベル。そろそろ俺の女にならねぇか? 好きな物も買ってやるし、今より贅沢な暮らしだってさせてやれるぞ」
ある日のこと、この街の裏社会を牛耳るクギャクファミリーのボス、グレゴリオ・クギャクが、ベッドに横たわるマリーベルにそう問いかけた。
彼はマリーベルの上客の1人で、彼女を自分の女にしたいと、毎晩のように彼女のもとへ通っては口説き続けている。
「申し訳ありませんわ、グレゴリオ様。わたくし、そう言ったお話はすべてお断りさせて頂いていますの」
マリーベルは、いつも通り営業スマイルで男にそう返答する。
おそらくこの男の女になれば、今よりもっと贅沢な暮らしができるだろう。だが、それは客に抱かれるか、グレゴリオの情婦になるかの違いでしかなく、そしてこの男からは何か危険な臭いを感じる。
過去に何度も危ない目にもあったマリーベルは、そういった直感には人一倍敏感であった。
「まあいい。そのうち気が変わるさ。娼婦なんて、いつまでもできる仕事じゃねぇんだ」
グレゴリオは余裕そうな笑みを浮かべると、ベッドから立ち上がり、部屋の出口へと向かった。
それは彼女自身もずっと思っていることであった。いつまでも娼婦として生きていくわけにはいかない。何とかして今の暮らしから脱却しなければ、と。
――そんなことを考えていたマリーベルに、ある日、思わぬ転機が訪れる。
「ねえ、マリーベル。あんた、あたしの店を引き継いでみないかい?」
娼館のオーナーであるジェシカという女性が、突然そんな提案をしてきたのだ。
「わたくしが、このお店をですか?」
「ああ、あんたは教養もあるし、娼婦より経営者の方が向いてると思ってね。本当はあんたも、こんな仕事からさっさと足を洗いたいんじゃないのかい?」
彼女も昔はこの店のナンバーワン娼婦として名を馳せていたが、前のオーナーから同じような提案をされ、経営側に回るようになったらしい。
そうなれば、当然もう体を売る必要がなくなるし、経営者としてそれなりに安定した生活を送ることもできる。
「ほ、本当によろしいのですか?」
「もちろんさ。あたしは今度いい人と結婚して帝都の方に移ることになったから、誰か後継者を探さなきゃと思っていたんだ。マリーベル、あんたなら適任だ」
マリーベルにとって、それはまさに渡りに船であった。
あまりにも自分にとって都合が良すぎる話ではあるが、この街にやってきて以来、ジェシカには本当にお世話になったし、恩も感じている。そんな彼女を疑うことはあまりにも失礼というものだ。
だから、彼女はジェシカからの申し出を二つ返事で快諾し、晴れて高級娼館の支配人となったのであった――。
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