第137話「クリムゾンハート」

 小屋の中で待っていたアトンに事情を説明すると、彼は俯いて考え込んでしまった。


「アトン! ここは危険よ、どこか違う場所へ身を隠しましょう!」


 私はアトンの手を引こうとするが、彼はその場から動こうせず、地面を見つめたまま静かに口を開いた。


「い、い、行く場所など……ない。お、お、俺にとっては、こ、ここが世界で一番安全な場所といえるくらい、だ」


「アトン……」


 聖女セレスティアは、死の間際に世界の人々に向けて、アトンの功績を称え、彼がヘイトマンとして行った悪行の許しを請う旨の遺言状を残した。


 だが、彼はその遺言状を公開しようとはしなかった。


 スラムの少年の妹は、今では奇跡の音を奏でる吟遊詩人の少女として、人々から愛される存在となっている。


 人類連合軍では、アトンの創った剣が魔王軍との戦いに大いに貢献したと賞賛されており、今では勇者の証とすら呼ばれている。


 そんな"アトンズシリーズ"が、実は世間から忌み嫌われる猟奇殺人鬼、ヘイトマンの作品だと知ったら、果たして人々はどう思うだろうか?


 彼らは手のひらを返したように、それらの聖なるアイテムや、もしかしたらアイテムの使い手までをも貶めるかもしれない。


 だから、アトンは真実を公表しない道を選んだのだ。


 なので彼は未だ世界中から指名手配されたままであり、もうどこにも安住の地などないのだ。ここから逃げたところで、すぐに追っ手に見つかってしまうだろう。


 私は彼になんと言葉をかけていいのかわからず、黙り込んでいると、突如後ろから声をかけられた。


「やはりヘイトマンはこの森に隠れていたか……」


「あ、あなたは! 何故ここに!? 」


 私達の背後に立っていたのは、先程まで一緒に話をしていた特級冒険者のナロウだった。


 彼にはエルフの兵士達の監視がついていたはずなのに、一体どうやって抜け出したというの……?


「俺の仲間には変装が得意な奴がいるんだ。そいつに俺に変装してもらって、悪いがあんたの後を尾けさせてもらったのさ」


「くっ!」


 アトンを庇うように前に立ち、男を睨みつける。


 私もエルフの女王なだけはあって、そこらの人間では太刀打ちできないくらいの強さを持っている。


 だが、相手は特級冒険者。しかも不死身の身体を持つ【不死者ノスフェラトゥ】ときた……。戦って勝てる見込みは薄いが、それでも、アトンだけは守らなければ……。


「待ってくれ、最初に言った通りあんたと争う気はない。ヘイトマンをこちらに引き渡してくれれば、すぐにここから立ち去るさ」


「アトンは渡さないわ!」


「……アトン?」


「彼はヘイトマンだった過去を捨てて、今は罪滅ぼしをしながら善行を積んで生きています。あなたも聞いたことはあるでしょう? 聖女セレスティア様に付き添っていた聖なるアイテム師のことを。それは彼、アトンなんです」


 男は私の説明を聞いて、信じられないといった表情を浮かべた。


 そして、過去を十分反省し、罪悪感を胸に秘めながらも懸命に生きようとしているアトンの現在を聞いて、彼は真剣な眼差しで私のことを見据える。


「なるほど……。あんたの気持ちはよくわかった。彼が反省し、善行を積もうとしているのも理解した。……だが、やはりヘイトマンは捕縛しなければならない」


「なぜですかっ!」


 私が声を荒らげて叫ぶと、男は落ち着いた様子で語り始めた。


「あんたはその男が邪悪な心を浄化されたあとに出会ったからそう思うのだろう。俺も、自分や仲間がヘイトマンの被害に遭ったわけじゃないから、彼が反省して善行を積もうとしているのならそれでいいと思う」


 男は一旦言葉を区切ると、小屋の椅子に腰掛けた。


「だけど、そうは思わない人間もいるんだ」


「……それは、もしかして」


 彼の言おうとしていることがなんとなくわかってしまい、その先の言葉を言う前に口を閉じてしまう。


「ああ、ヘイトマンの被害者の家族さ。そして、あんた達にとっては運の悪いことに、被害者の中にネラトーレル王国の王族の関係者がいたんだ。国王はヘイトマンを絶対に許さない。どんな手段を使っても必ず断罪すると息巻いている」


 ナロウの話によると、ネラトーレル王国のとある大商会の一人娘が、ヘイトマンによって殺害され、アイテムにされてしまったという。


 そして、実は彼女の母親は国王の隠し子であり、つまりはその娘は国王の孫娘に当たるらしい。


 国王と大商会の主は、その娘の命を奪ったヘイトマンを絶対に許すことはできないと怒り狂い、商会主は莫大な財産の全てをなげうってまで、ヘイトマンに天文学的な懸賞金をかけた。


 また、国王も密かに溺愛していた孫を失った怒りから、世界中の探索系の能力を持った人間をかき集め、遂には彼がエルフの森に潜伏しているという情報を得たらしい。


「もしエルフがヘイトマンを匿っていることが知られれば、ネラトーレル王国が軍隊を派遣し、この森に火を放つような事態も起こりうる。人間と魔族が戦争をしている今、エルフと人間が争うようなことは絶対に避けたい。それに、この森には神聖樹も生えている。万が一、神聖樹が燃やされでもすれば、女神ルディア様の怒りを買って、この世界が滅ぶかもしれない。俺はそうなる前にヘイトマンを捕らえて、国王に引き渡さなければならない」


 男の話を聞いて、私は何の反論もできずにただ黙り込むしかなかった。


「それに、ネラトーレル王国だけでなく、世界でも人を殺してアイテムに変える男の話は恐怖と共に広まっている。やはり、彼はわかりやすい形で責任を取る必要があると俺は思う」


 彼の言うことはあまりにも正論だった。だけど……それでも、私はアトンのことを諦めたくなかった。


 だって私のお腹には――


「わ、わ、わかった。お、お、俺は投降する」


「アトンっ!?」


 それまで黙って私達の話を黙って聞いていたアトンが、私の横をすり抜けてナロウの前に歩み出た。


「も、元々は死ぬつもりだった。あ、あ、あまりにも幸せな生活が手に入って、忘れていたんだ。か、彼の言う通りだ。お、俺は過去の行いの罰を受ける必要がある」


「でもっ!」


「でぃ、ディアーナ……。こ、こんな俺に……た、たくさんの愛情を注いでくれてありがとう。き、君のおかげで、最後に、愛を知ることができた。か、感謝してもしきれない」


 アトンはそう言うと、目に涙を浮かべて微笑んだ。


「……いいのか? こんなことを言うのは酷だが、ネラトーレル王国に行けば、処刑は免れないぞ?」


「あ、ああ……か、覚悟はできている。た、ただし、二つ条件がある」


「男の命を懸けた条件だ。俺で可能なことであれば、できる限り呑もう」


 ナロウは真剣な表情を浮かべて、アトンと向き合った。


「ひ、一つは、お、俺のコレクションを、家族のもとに返してやって欲しい」


 ヘイトマンの被害者は42人にも及ぶ。それらを全て家族のもとに返すのは容易なことではない。


 特に彼は犯罪者や、俗世を離れた変わり者の人間を中心にアイテム化しているから、その関係者を探し出すのは至難の業だろう。


「難しいが、できる限りやってみよう」


「あ、ありがとう……。も、もし、10年経っても引き取り手が現れなかったアイテムは、あ、あんたの好きにしてもらって構わない」


「そうだな……。その時はオークションにでも出して、その金は孤児院にでも寄付することにしよう。……それで、もう一つの条件は?」


「あ、あんたの言う通り、お、俺は殺されるだろう。だが、お、俺の遺体はなるべく全ての部位が揃った状態でディアーナへと返して欲しい」


「……? ああ、そういうことか……。わかった、【不死者ノスフェラトゥ】の名に懸けて、約束しよう」


 彼はアトンの真意を汲み取ったのか、力強く頷いた。


「これで、条件は全てか?」


「あ、ああ。た、頼む……」


 アトンはそう言うと、ナロウに頭を下げた。


 そんなアトンの様子を見た彼は、一瞬何かを考え込んだあと、不思議そうな表情で私達を見た。


「なあ、何故さっき会ったばかりの俺をそこまで信用できる? もしかしたら俺は、あんたのコレクションを持ち逃げして、国王から謝礼だけもらって約束を守らずにトンズラするかもしれないぞ?」


 ナロウは私達の反応を窺うように、じっとこちらを見つめている。


 確かに、彼の言う通りそれは十分に考えられることだ。


 でも……。


「ここに至るまで、エルフの森の神獣様があなたの前に現れることは一度もありませんでした」


「あ、あんたは俺よりも遥かに強い。で、でも、俺を力ずくで捕縛しようとはしなかった。……あ、あんたは、いい人・・・だ」


 アトンの言葉に、ナロウは困ったように頭を掻いたあと、右手を差し出してきた。


 すると、彼は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐにその手を握り返す。


アトン・・・、特級冒険者【不死者ノスフェラトゥ】ではなく、君の友人として約束しよう。君の出した条件は必ず守る」


「あ、ありがとう……ナロウ。こ、これで思い残すことは……ない」



 アトンは最後に私と話をさせてくれとナロウに頼み、私と2人きりで小屋の中で向かい合う。


「す、すまない……。こ、これでお別れだ」


 彼は震える手で私の頬を撫でると、静かに別れの言葉を告げる。


 私は溢れ出る涙を堪えきれず、嗚咽を漏らしながら彼の胸に顔を埋めた。


「待って……。こ、子供が……。あなたとの子供がお腹にいるのよ!」


「……え?」


 アトンは驚愕に大きく目を開かせながら、私のお腹へと視線を落とす。


「お、おおぉ……。こ、こんな……こ、こんな俺に……お、俺なんかに……子供ができたのか……?」


 そして、私のお腹を優しく撫でると、大粒の涙をボロボロとこぼしながら、何度も何度も自分の頬をつねった。


 私達は2人で抱き合って、とめどなく涙を流し続けた――。




 どれだけの時間そうしていたのだろう? やがて、アトンはゆっくりと私から身体を離すと、決意を秘めた瞳で私を見つめた。


「ディアーナ……。ほ、本当に……すまない……。そ、それでも、俺は……自分のしたことの責任を取らなければならない……」


「思い直してはくれないの……?」


 彼の意志が固いことはよくわかっている。それでも私は、一縷の望みをかけて、彼の心に訴えかけた。


 だけど、彼は静かに首を横に振ると、小屋の入り口に立つナロウの元へと歩いて行く。


「お、お、思えば……後悔ばかりの人生だった……。ね、願わくば、俺達の子供には、こ、後悔のない人生を送らせて欲しい……」


「ええ、きっとそうさせるわ……」


 アトンは私の言葉に、静かに微笑むと、ナロウと共に森の外へと向かって歩き始める。


 私は彼の後ろ姿を泣きながら見送ることしかできなかった……。



 ――それから数日後。



 大悪党"ヘイトマン"がネラトーレル王国にて処刑され、その首が晒し者にされたというニュースが世界中を駆け巡った。





「アトンとの約束だ、確かに彼の遺体はあんたのもとに届けたぜ……」


「ナロウ……ありがとうございます」


 アトンの遺体は、所々損傷はしていたものの、全ての部位が揃った状態で私のもとへと届けられた。


 私は彼の首が入った箱を抱きしめて、静かに涙を流す。


 すると、その瞬間――


 突如、アトンの亡骸から眩い光が放たれたかと思うと、その身体は徐々に形を変えて、やがて小さな石ころへと姿を変えた。


 これは……まさか……。


「アイテム化の能力。死した自分の肉体を、最後にアイテムと化して、ディアーナの手元に残したんだ……。"アトンズシリーズ"最後の12個目。それは……彼自身だったというわけか……」


「アトン……」


 私は彼の遺した、まるで彼の瞳のように紅く光る小石を優しく胸に抱くと、その場で声を大にして泣き崩れた――。





◆◆◆





 ディアーナ様の語った過去は、あまりにも悲しく……そして、驚きの連続だった。


 まさかミリアムの父親があのヘイトマンであり、しかも聖なるアイテム師アトンと同一人物だったなんて……。


「あの人は、ミリアムには"後悔のない人生を送らせて欲しい"と私に頼んだわ。けれど、それはもう叶わないでしょう。きっと、あの子は深い後悔の果てにその生涯を終えるわ。だって、あの子は魔族なんて向いていないもの……」


「…………」


 俺もディアーナ様の意見に同感だった。


 アックスもそうだったが、"魔人の角"が折れたとき、ミリアムは彼よりももっと深い後悔の感情を抱くことになるだろう。


「ソフィアちゃん。これをあなたに託すわ。もしミリアムに会えたら渡してあげて欲しいの」


 ディアーナ様は俺の手に、小さな赤い宝石のようなものを乗せた。


「これは……?」


「彼の形見よ。アトンズシリーズ最後の1つ、【クリムゾンハート】……。持ち主の願いを叶えるアイテムよ」


 願いを叶えるアイテムだって!?


 俺とフィオナは驚愕に目を見開いて、ディアーナ様を見る。


「そ、そんな凄いアイテムがあるなら、何故ミリアム姉さんにもっと早く渡してあげなかったんですか!?」


 フィオナがディアーナ様に詰め寄ると、彼女は悲しそうに首を横に振った。


「願いを叶えるにはいくつか条件があるの。それは――」


 ディアーナ様は、願いを叶えるために必要な3つの条件を俺に教えてくれた。



 1つ、その持ち主の心からの願いであること。


 2つ、純粋なる善の心を持って願いを口にすること。


 そして、3つ目は――"死にゆく者の最後の願い"であること。



「それは……あまりにも悲しすぎる条件ですね……」


 俺が思わずそう呟くと、ディアーナ様は静かに頷いた。


 死にゆく者の最期の願いを叶える、か……。それはまさにアイテム師アトンが、聖女セレスティアと交わした約束と似ている。


「もうあの子がここに帰ってくることは、決してないでしょう。だから……ソフィアちゃん、私に代わってあの子を救ってあげて」


 救う・・……とは、きっとそういう意味なのだろう。


「はい、きっと……」


「ありがとう……。そして、こんな役割を押し付けてごめんなさい。フィオナちゃんも、ソフィアちゃんのことお願いね」


 俺達が力強く頷くと、ディアーナ様はどこか安心したよう微笑んだ。


 それからゆっくりと踵を返して歩き出す。

 

 俺とフィオナはしばらくその後ろ姿を見つめていたが、やがて彼女の姿が完全に見えなくなると、転移でエルフの森をあとにしたのだった――。

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