第133話「エルフの森」
「あら? 茶葉がもう少しで切れそうね……」
俺に食後のお茶を用意してくれていたフィオナが、棚を覗き込んで困ったような表情を浮かべる。
「フィオナがいつも淹れてくれるこのお茶って、エルフの伝統的な緑茶ですよね」
「ええ、そうよ。この茶葉はエルフの森にしか自生しない特別な茶の木から作られたものだから、あそこでしか手に入らないのよね……」
基本的に料理という文化を持たないエルフ族ではあるが、森の恵みに関する食材には、不思議とこだわりを持っている。
フィオナもこの緑茶には並々ならぬ思い入れがあるらしく、食後のティータイムには毎日欠かさず飲んでいた。
「私が魔女の箒でエルフの森まで連れて行ってあげましょうか? 全力で飛ばせば、日帰りで取りに行けると思いますけど……」
俺はエルフの森には行ったことがないので、転移で行くのは不可能だが、エルフの森はここミステール王国の真南にあるので、そこまで遠くはないのだ。
「うーん、でもお店のこともあるし、どうしようかしら……」
フィオナが腕を組んで悩んでいると、キッチンからコックコートを着た小太りの中年男性がやってきた。
「店長、行ってきても大丈夫ですよ。客足も落ち着いてきたし、俺がいれば店は回りますから」
彼の名はサイモン。この『森の妖精亭』の副料理長を務める凄腕の料理人だ。
以前はとある国で宮廷料理人をしていたらしいのだが、王侯貴族との折り合いが悪く退職。そして、旅の途中に偶然立ち寄ったこの店でフィオナの料理に感銘を受け、自ら志願してここで働くことになったらしい。
ちなみに、彼もフィオナと同じように料理の才能のギフトを授かっている。
「そう? じゃあ、頼んでもいいかしら?」
「ええ、店長はいつも働き詰めだから、たまには羽を伸ばしてくださいよ。せっかく親友のソフィアさんが来てくれたんんですから」
そう言って、サイモンはニカッと白い歯を見せて笑う。
う~む……。外見は如何にも冴えない小太りのおじさんといった感じだが、彼はなかなかにイケメンな性格をしているのだ。
「ぷにぷにぷにぷに」
「ちょ、ちょっとソフィアさん? 一体何をしておられるので?」
サイモンのぷにぷにのお腹を人差し指でつつくと、彼は困惑しながら頬を赤らめる。
ふむ……最近は俺も料理に関わることが増えてきたし、ここらで俺も料理の才能のギフトを取っておいた方がいいかもしれない。
彼はふとっちょのおじさんではあるが、料理人なだけあって清潔感もあるし、あまり嫌悪感は抱かないタイプだ。それに何より独身なので、能力をコピーさせてもらっても誰にも迷惑はかからないだろう。
「ぷにぷにぷに……さわさわ……」
「あ、ちょっと! そこはマズいですよソフィアさんっ!?」
サイモンは顔を紅潮させながらも、俺の悪戯を止めようとするが、俺は構わず彼の身体を触りまくる。
「はぁ……ソフィア、あなた何やってるのよ……」
「おっと、私としたことが、つい夢中になってしまいました」
フィオナにジト目で見つめられて、俺は慌ててサイモンのお腹から手を離す。
危ない危ない……。危うく、フィオナがいるのを忘れてコピー活動を開始してしまうところだったぜ。
この件についてはまた後日、タイミングを見計らって実行することにしよう。
俺は心の中で計画を立てながら、サイモンに店を任せて、フィオナと一緒に森の妖精亭を後にするのだった。
◇
「フィオナ、しっかり掴まっていてくださいね?」
「ええ、わかったわ」
俺はフィオナを箒の後ろに乗せると、大空へと飛び立った。目的地はもちろんエルフの森である。
「ちゃんと掴まってますか~」
「掴まってるって。感触でわかるでしょうが」
「そうですか? あまり感触が……いふぁい、いふぁいです」
フィオナにほっぺたを引っ張られて、俺は涙目になる。魔女の箒は繊細なコントロールが必要なので、空中でのいたずらは勘弁してもらいたい。
「次にくだらないこと言ったら突き落とすわよ?」
「運転してるのは私なんですが……」
俺を突き落としたら、フィオナも落ちるだろうに……。
まあ、俺達は落下しても宙に浮くくらいは朝飯前なので、どうにでもなるのだが……。
「エルフの森の場所はわかる?」
「見ればわかりますよ。あんな目立つ目印があるんですから」
「それもそうね」
ミステール王国からでも、南に巨大樹がそびえ立っているのが見えるので、エルフの森のある場所は一目でわかる。
ちなみにあの大樹は神聖樹と呼ばれている特別な木で、この世界の全ての生命の源とも謳われているとか。
風を切り裂くようにして、フィオナを乗せた俺はどんどん速度を上げていく。
そして数時間後――俺達はエルフの森の上空に到達した。
「今更なんですが、人間の私がエルフの森に入って大丈夫なんですか?」
箒を降下させて森の入り口に降り立つと、俺はフィオナに尋ねた。
エルフは排他的な種族であると聞くし、俺が森に足を踏み込んだ瞬間、「薄汚い人間め! 我らが聖域から立ち去れ!」とか言われて、矢の雨でも降らされたりしないだろうか?
「どこからでてきたのよ、そのエルフのイメージは……。あまりにも怪しい人間が来たら流石に警戒はするけど、ディアーナ様の親族である私と一緒なんだから問題ないわよ」
「へ~、そうなんですね……。え――?」
今、聞き捨てならない単語が聞こえたような……。
ディアーナってエルフの女王様じゃなかったか? ということは、フィオナは王族の血縁者ということになる。
「あら? 言ってなかったかしら? 私の父がディアーナ様の母親違いの弟だから、ディアーナ様は一応私の伯母様にあたるわね」
「ええー!? それってフィオナって、めっちゃ高貴な生まれってことじゃないですか! ははーーっ! フィオナ様! いつも生意気な口を利いてしまい、申し訳ございません! どうか平にご容赦を……」
俺がジャンピング土下座をかましながらその場でひれ伏すと、フィオナは腹を抱えてゲラゲラと笑った。
「普段ミステール王国の王族であるエヴァンやアリエッタ相手にため口で話してるんだから、今更私に平伏する必要なんてないでしょうが。もっと気楽な態度で接しなさいよ」
「それもそうですね。おい、フォイナ! 余は箒の運転で疲れた。肩を揉むがよい」
「急に態度でかくなりすぎでしょ!?」
フィオナは笑いながら俺の背中をバシッと叩いた。
「まったく、あんたがいると退屈しないわね。とにかく茶葉を採取しにいくわよ?」
「は~い」
俺達は2人でくだらないやり取りをしながら、エルフの集落へ向かって歩きはじめる。
「あれ? ということは、もしかしてフィオナってミリアムとも血縁ですか?」
先ほどの話の中で、フィオナの父がディアーナ女王の弟であることがわかったが、ミリアムは確か女王の娘だったはずだ。
魔法学園に通っていた頃に、本人からそう聞いたことがある。そういえばそのときも、さっきのフィオナと似たようなやり取りをした気がするな。懐かしいぜ……。
「え? ソフィア、ミリアム姉さんを知ってるの?」
「ええ、私の魔法学園時代のルームメイトですよ」
「はえ~……世間は狭いわね……。ソフィアの言う通り、ミリアム姉さんは私の従姉よ。ただ、姉さんは王族の地位を捨てて旅に出ちゃったから、もう4年くらい会っていないんだけどね」
「そ、そうなんですか」
どうやらフィオナはミリアムが魔王軍の八鬼衆になったことを、まだ知らないようだ……。
どうしよう……。いずれはバレることだから、今のうちに真実を話した方がよいのだろうか?
「あのですね? フィオナ、落ち着いて聞いてほしいんですけど――ひぇ!?」
俺が意を決して話を切り出そうとした瞬間、俺達の前方から巨大な生物が姿を現した。
体長が5メートルほどもあるその鹿のような生物は、全身が金色に輝いていて、頭部には鋭く尖った黄金のツノが2本生えていた。
その瞳は全てを見透かすような深い青色で、何故か俺達……いや、俺のことをジッと見つめている。
「ひぇぇ……。なんですかあの金色の巨大な鹿は……。魔力だか何だかよくわからないオーラを纏ってて怖いんですが……」
俺はフィオナの背中に隠れるようにして彼女の服の裾を摑むと、ビクビクしながら鹿のような生物の様子を窺う。
普通のモンスターなら、俺の方が圧倒的に強いのでビビる必要はないのだが、アレは何か違う気がするのだ。
「怖がらないでも大丈夫よ。あれはエルフの森に棲む神獣様よ。何もしなければ、人を襲うことはないわ」
「……何もしなければ?」
「昔、エルフを奴隷にしようと森に乗り込んで来た人間が、一瞬でミンチにされたって話は……聞いたことあるわね」
「ヒェッ!」
森の神獣は、俺をジッと見つめたまま俺達の横を通り過ぎていく。
通り過ぎる時も、何故か顔を真横に向けてずっと俺のことを凝視してきたものだから、生きた心地がしなかった。
気を取り直して森の中を歩くこと数分。俺達はようやくエルフの集落へと到着した。
エルフの集落は、森の巨大な木々をくり抜いて作られたログハウスや、木の上に建てたツリーハウスなど、多種多様な木造の建築物が立ち並んでおり、その幻想的な風景はまさに妖精の住処と呼ぶに相応しいものだった。
エルフ達は人間である俺の姿を見ても特に驚いたりはせず、物珍しそうに遠巻きに眺めているだけだ。
「さ、茶葉を採取しに行くわよ。奥にある神聖樹の近くに良い茶葉を作る樹があるの。こっちよ」
フィオナはすれ違うエルフ達に軽く挨拶をしながら、どんどん集落の奥へと進んでいく。
「なんか皆さん淡泊じゃないですか? フィオナ、久々に帰ってきたんですよね?」
俺が不思議そうに尋ねると、フィオナはきょとんした顔で小首を傾げた。
「え? たった1年ぶりだし、こんなもんじゃない?」
エルフの時間感覚よ……。
1年程度は成人エルフにとって、朝からちょっと遊びに出かけて夜に帰ってきたくらいの感覚なのかもしれない……。
そんなことを考えながらフィオナの後をついて行くと、集落の奥に一際大きな樹が見えてきた。
「これが神聖樹……」
あまりの神々しさに、俺は思わず感嘆の溜め息を漏らす。
遠くからでもかなりの存在感があったが、近くで見るとその迫力は別格だった。その大きさもさることながら、不思議な生命力に満ち溢れており、まるでこの世界の全てを包み込んでいるかのようだ。
「そっちじゃなくて、茶葉を採取する樹はこっちよ」
俺が神聖樹に見惚れていると、フィオナはスタスタと歩いてその隣にある小さな樹に近づいていく。そして、慣れた手つきで葉を摘み取っては、袋の中へ次々と放り込んでいった。
フィオナに倣って俺もその作業を手伝っていると、神聖樹の幹の中程から、金色の巨大な蛇がジッとこちらを見つめていることに気づいた。
その蛇は、シュルシュルと舌を出し入れしながら、奇妙な動きを繰り返している。
え……なにあれ……めっちゃ怖いんだけど……。
「ね、ねえ……フィオナ、あの蛇は?」
「さあ? たぶん神獣様の眷属かなにかじゃないかしら? 昔から神聖樹に住み着いてるのよね。特に悪さをするわけじゃないし、放っておいても大丈夫よ」
フィオナは振り返りもせずに、黙々と茶葉を摘み取っていく。
なにここ、ジ〇リ映画に出てくる森かよ……。俺はこの場所にはとても住めそうにないわ……。
金色の蛇から放たれる異質なオーラに辟易しながら、俺はフィオナと茶葉を採取し続けるのだった。
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