第131話「救世主」
そこは洞窟の中とは思えぬほど明るく、広大で荘厳な空間だった。
床は真っ白な大理石のようなものでできており、壁には一面に美しい絵画が描かれている。天井は高く、そこから差し込む光は、まるでスポットライトのように煌々と室内を照らしていた。
そして、その空間の奥には、神々しい雰囲気を醸し出す祭壇が設えられており、そこには1人の女性が静かに佇んでいた。
腰まで伸びた真っ白い髪に、彫刻のように美しい褐色の肌。耳はエルフのように長く、顔には仮面を着けておりその容貌は窺い知ることができないが、その奥にある瞳は宝石のように紅く輝いている。
彼女の前には何人もの人間が跪いており、その者達は皆、深緑のローブを身に纏っていた。
「アイル、前へ」
「……はい」
女性の声に反応して、1人の少年がゆっくりと立ち上がった。
少年は男性にしては少し小柄で、その顔立ちは可愛らしく、中性的な印象を受ける。
「本当によろしいのですね? 私の魔術は私が死ぬまで解けることはありません。それでも、この選択をするのですね?」
アイルと呼ばれた少年は、その言葉に深く頷く。その瞳には強い決意が見て取れた。
女性はそれを見て小さく微笑むと、傍にいた部下と思われる男性に指示を出す。
「あの男をここへ」
「はっ!」
指示を受けた男性は、すぐに部屋を出て行く。そしてしばらくすると、1人の男を連れて戻ってきた。
男は寝台のような物に乗せられており、その身体には拘束具が着けられている。顔は恐怖に歪んでおり、手足はガクガクと震えていた。
「や、やめてくれっ! もう悪さはしない! だから命だけは助けてくれっ!」
「悪人であるあなたの命で、善なるものが救済されるのです。それはとても素晴らしいことではありませんか?」
女性は冷たく言い放つと、左の掌を男の身体に押し当てる。同時に、アイルの身体に右の掌を押し当て、呪文を唱え始めた。
呪文が進むにつれ、2人の身体から淡い光が漏れ始める。
次の瞬間、拘束されていた男が絶叫を上げた。
「ぎゃーーーーッ!!!」
男は全身を激しく痙攣させ、口から泡を吹きながら白目を剥く。そしてその身体は、徐々に干からびていき、やがてミイラのようになってしまった。
『彼の者の命の輝きを持って、この者に救済の光を与えたまえ――"
女性が呪文を唱え終わると、ミイラになった男の身体から金色の光が浮き上がり、アイルの身体へと吸収されていった。
その直後、アイルの身体に異変が起こる。
身長が徐々に縮んでいき、身体のバランスが崩れたかと思うと、胸が大きく膨らみ始め、お尻も丸みを帯びていく。そして、あっという間にその姿は女性のものへと変わってしまった。
「あ、あああ……」
その喉から出た声は、もはや男性のものとは思えないほど高く美しい。
そこに立っていたのは、先程までの中性的な少年だったアイルではなく、絶世の美少女だった。
「お、おおおおっ! こ、これが救世主様の奇跡!」
「凄い! 本当に少年が少女になってしまったぞ!」
「私の小さな胸も、救世主様ならきっと……」
「俺の頭頂部の毛根も救世主様ならなんとかしてくださるはずだ! うおぉぉ! 救世主様、どうか俺にもその奇跡を授けてくださいぃぃ!!」
信者と思われる人々から歓声が上がる。中には涙を流して跪く者もいた。
女性はそんな信者達を見て満足そうな笑みを浮かべると、アイルだった少女に声をかける。
「もうコンプレックスに悩まされることはないのですよ。これからは、女性として生きるのです」
アイルは自分の身体を抱きしめ、ポロポロと涙を流しながら何度も女性に頭を下げた。
「ありがとうございます救世主様! 僕、いえ、私はこの御恩を一生忘れません!」
信者達もその様子を見て、一斉に彼女に向かって祈り始める。
女性は満足そうにその様子を見つめると、静かにその場を後にした。
◇
「やれやれ……。魔族になったというのに聖人の真似事かい? お前は相変わらずだなミリアム」
「マルグリット先生、いらっしゃっていたのですか」
救世主の女性――ミリアムが洞窟の奥にある自室に戻ると、そこには黒いローブに身を包んだ真っ赤な髪の美女が立っていた。
彼女の名はアネッサ・マルグリット。
ソフィアとミリアムの魔法の師であり、現在は魔王軍の八鬼衆の1人でもある。
「私は、自分のやりたいことをやるだけです。それが魔族のあり方なのでしょう?」
「ま、それはそうなんだがな」
アネッサは表情を緩めると、ソファーにどっかりと腰を下ろして、まるで自分の部屋のようにくつろぎ始めた。
ミリアムはその向かいに座り、紅茶を淹れる。
「あんた、いつまでその仮面をつけてるんだ? 自分にも反転の魔術を使ったんだろう? せっかく美人になったんだから、外せばどうだ?」
「……これは戒めです。美しくなった自分の顔を見てしまったら、私はきっと驕った気持ちになってしまうから。だから、これでいいのです」
「はぁ……。クソ真面目すぎるだろう。まぁ、そういうところがお前らしいがな」
アネッサは呆れたように溜め息を吐き、紅茶を口に運ぶ。ミリアムはそんな師の姿を見ながら、仮面の奥でクスリと笑った。
「お前の目覚めた魔術――『
「はい、ですが代償も大きいです。この魔術を使用するには、人ひとりの命を捧げなければなりません。なので、救済できる人の数にも限りがあるのです」
ミリアムの『
しかし、その強力さ故、発動するためには膨大な魔力を必要とする。現在は、人間を1人生贄に捧げることで、辛うじて一度発動させることができている状態だった。
「もっと大勢の人間を攫ってくればいいじゃないか。なんでも、死んでも構わないような悪人だけを厳選して生贄にしてるんだって? 効率の悪いやり方だ」
「わ、私は……魔族になっても、人の心を失っていないのです。だから……」
「ふ~ん、本当にそうかな? 以前のお前なら、たとえ悪人でも人間を生贄に捧げようなどとは思わなかったはずだ。あたしと違って、お前やソフィアはそういった性根の持ち主だったよ」
「……っ!」
意地の悪い笑みを見せるアネッサ。ミリアムはそんな師の言葉に動揺し、思わず視線を逸らした。
「すまん、すまん。ちょっと意地悪が過ぎたな」
アネッサは笑いながら謝罪するが、ミリアムの動揺は収まらなかった。
自分は魔族になって変わってしまった? いや、そんなことはないはずだ。自分はまだ人の心を持っている。この救済の力は、その証拠だ。
ミリアムは自分に言い聞かせるように心の中で呟き、紅茶を一口飲むと、話題を変えようとアネッサに問いかける。
「ところでマルグリット先生、今日はどのようなご用件でこちらへ?」
「ああ、そうだ。ミリアム、お前"賢者の石"についてどこまで知ってる?」
「"賢者の石"って、あのリステル魔法学園に隠されてるって噂の? でも、あれはただの噂話でしょう?」
学生時代からそんな噂話は耳にしていたが、ミリアムは半信半疑だった。
「いや、あるよ。実際にある。ワーズワースしかその場所は知らないがな」
アネッサはそう言うと、懐から小さな石の欠片を取り出す。それは、透き通るような美しい青色をしており、とてつもない魔力が感じられた。
「こ、これはまさか……」
「ああ、これは賢者の石のほんの一欠片だ。それでも、莫大な魔力が込められているのがわかるだろう? もし、完全なる賢者の石を手に入れられれば、私達の魔術は更なる高みへと至ることができるはずだ。お前も無暗に生贄を増やさなくて済むんじゃないか?」
アネッサの言葉に、ミリアムの心臓はドクンと高鳴る。
「セレスティアのババアめ……。こんな物があるなら、何故もっと早くあたしに教えなかったんだ。それに、あたしではなくワーズワースに賢者の石の管理を任せやがって。同じ弟子なんだから、あたしにも少しは分け前があってもいいだろうが」
「……セレスティア?」
ミリアムはその名前に聞き覚えがあった。
確か、100年前に旧魔王軍と戦い、人類側を勝利に導いたといわれる勇者パーティの聖女の名前だったはず。
「とにかく、あたしは近いうちにワーズワースから賢者の石を奪い取るつもりだ。ミリアム、お前も協力しろ。そして共に、魔術の深淵へと至ろうじゃないか」
アネッサはミリアムに向かって手を差し出した。しかし、彼女はその手を握ろうとはせず、ただ俯き押し黙ってしまう。
「ま、すぐに決める必要はないさ。ゆっくり考えるといい」
そんな彼女の様子を見たアネッサは、苦笑しながら手を引っ込めると、そのまま部屋を出て行った。
1人残されたミリアムは、しばらくその場を動くことができなかった。
「……ソフィア。私は間違っていないわよね?」
誰もいない部屋で、彼女はポツリと呟く。その声は誰に届くこともなく、洞窟の中に吸い込まれていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます