第127話「勇者セト」
──男は強かった。
彼は当時の人類連合軍で最強と謳われていた男であり、幾多の上級魔族を屠ってきた"勇者"とも呼ばれる存在だった。
男の繰り出す攻撃は、どれもが必殺の一撃といえるほどに強力であり、その太刀筋は風を斬り裂くように速く、稲妻のように鋭く、炎のように猛々しい。
そして──
「魔を滅せよ──"エーデルリッカー"!」
男の右手には神々しい光を放つ剣が握られており、その剣から放たれる斬撃は、大地を砕き、その衝撃だけで木々を薙ぎ倒し、遥か彼方に浮かぶ雲をも斬り裂くほどの威力があった。
だが、メリエールはそんな男の攻撃のことごとくを躱し、まるで踊るように優雅な動作で彼を翻弄する。
普段のほわほわしたお姉さんからは想像もつかないほど洗練されたその動きに、俺は思わず見惚れてしまった。
彼女は古今東西のあらゆる武器を使いこなすことができた。剣、大剣、槍、斧、短剣、棒、弓、鞭……。
しかし、その中においても別格だったのが──
「南天流、秘拳――――"地龍天昇"」
「ぐはッ!?」
その美しく、しなやかな肢体から繰り出される体術だった。
メリエールはその細い足からは想像できないほど力強く大地を蹴り、一呼吸で男の間合いへと踏み込むと、目にも止まらぬ速度で男の顎に拳を突き上げる。
男の身体は天高く打ち上げられ、やがて重力に引っ張られて轟音と共に地面へと叩きつけられた。
「す、すごい……! お姉さんすごいっ!!」
あまりのカッコよさに、俺は思わずその場でぴょんぴょんと飛び跳ねながら喝采の声を上げる。
「え~と、ソフィアちゃん? お姉さん実は魔族だったんだけど? 今、人間の勇者さんをやっつけちゃったんだけど?」
「……あ」
そうだった。お姉さんは人類の敵である魔族だったのだ。もしかしたら俺のことも騙して食べるつもりだったのかもしれない。
「お姉さんは私を食べますか?」
「食べません! ソフィアちゃんがかわいすぎて、別の意味でパクってしちゃいたくなるときはあるけど♥」
「ひゃいん!」
俺の耳をパクっと加えて、お姉さんが息を吹きかけてくる。その刺激に、思わず変な声が漏れてしまった。
そのままギュッと抱きしめて頬擦りしてくるお姉さん。
やっぱりお姉さんはお姉さんだ。魔族だろうと人間だろうと関係ない。
そうこうしているうちに、男はむくりと立ち上がる。その口からは大量の血が流れていたものの、致命傷には至っていないようだった。
しかし、男は小刻みに震えながら手に持っていた剣を地面に落とした。
想像以上にダメージがあったのか、それともお姉さんとの実力差を実感して心が折れてしまったのか、どこか諦めたような表情をしている。
「これが、魔王軍四天王最強と名高い【友愛のメリエール】の実力か……。ここまで力の差があるとはな……。殺すなら殺せ。俺の負けだ。これ以上、醜態を晒すつもりはない」
そう言ってその場に跪き、首を垂れる勇者。
だが、それに対してお姉さんは近くに落ちている薪を拾ったかと思うと、それを勇者に手渡した。
「お腹空いてない? 一緒にご飯食べましょ♥」
ニッコリと微笑みながらそう告げるお姉さんに、男は完全に毒気を抜かれたような顔をしていた。
「私は汗かいたから水浴びしてくる! ソフィアちゃんお食事の準備よろしくねー」
俺が返事をする前に、お姉さんは軽い足取りで近くの小川に向かって行ってしまった。
その場には俺と勇者の男だけが取り残される。
気まずい空気の中、俺はとりあえずご飯の準備に取り掛かることにした。
「あの剣、どうなってるんですか? 勝手に動いているように見えるんですが……」
食事の準備をしながら、俺は男に向かって話しかける。
先ほどの戦いが終わった直後、男が手にしていた剣に、突如にょきにょきと手足が生え、まるで生き物のように動き出したのだ。
剣は、お姉さんと勇者の戦いによってめちゃくちゃになってしまった大地や木々を、せっせと修復している。
剣がそのコミカルな手を破壊された木々や地面に向けると、その部分だけがまるで時間が巻き戻るかのように修復されていき、あっという間に元の姿を取り戻していった。
「この"聖剣エーデルリッカー"には、自分が与えたダメージを全てなかったことにできるという能力がある」
「ふえー、それは便利ですね」
自然を破壊したり、例えば敵以外の誰かを巻き込んでしまっても、この剣の力で元通りになるということか。つまり、周りに気を遣わずに本気を出すことができるわけだ。
「んー、それってもしかして"アトンズシリーズ"の1つですか?」
「おお、君よく知ってるね。そう、聖女セレスティア様が、晩年に救済の旅で世界中を回っていた際、彼女に付き従っていたという謎のアイテム師が創り上げたとされるアイテム群の1つ。それがこの"聖剣エーデルリッカー"だよ」
――アイテム師"アトン"。
42個の呪われたアイテムを創り出した、悪名高いヘイトマンとは真逆の、12個の聖なるアイテムを創り出した伝説のアイテム師だ。
聖女セレスティアの死後、彼を召し抱えようと多くの国や人間から申し出があったそうだが、彼はそれに答えることすらなく、忽然と姿を消したとされている。
容姿や本名などその全てが謎に包まれた人物であり、アトンという名前も、呼び名がなければ不便だという理由で、彼が消息を絶った後に誰かが勝手に名付けたものが広まっただけなのだという。
彼の創り出した聖なるアイテム群は、呪われたアイテムである"ヘイトマンズコレクションと"対をなす存在であり、"アトンズシリーズ"とも呼ばれている。
「おっと、そろそろご飯ができたようですね」
話をしているうちに、焼き魚と、山菜のスープが出来上がった。
俺はお椀にスープをよそうと、男に向かって差し出す。彼はそれを受け取ると、ゆっくりと口に運んだ。
「ところで……君は、何故メリエールと一緒に行動をしているんだ?」
焚火を囲んで食事を取りながら、勇者が問いかけてくる。
「何故って、お姉さんは優しいですし。それにお姉さんが魔族だって知ったのも、たった今ですし……」
「いや、どう見てもあいつは人間じゃないだろう……。あんな人間がいてたまるか」
言われてみれば確かにそうかもしれない……。あんな美人でエッチで全身ピンクなお姉さんなんて、この世であのお姉さんくらいだろう。
よく見れば耳も尖っているし、色々とおかしいなとは感じていたのだが、それでも俺にとっては優しくて面倒見の良いお姉さんだったので、魔族だという認識は全くなかった。
「でも、お兄さんが攻撃してこなければ、お姉さんは戦ったりはしませんでしたよ? 魔族だからって悪い人ばかりじゃないんじゃないですか?」
「……君は、子供だからまだ何も分かっていないんだ。魔族がどんな奴らなのか」
吐き捨てるように言い放つ勇者に、俺は少しだけ苛立ちを覚えた。
「お姉さんは多くの人に愛を注いでいます! 現に私もお姉さんに愛を貰っているんです!」
「魔族は欲望に忠実だ。自分では抑えきれないほどにな……。そして、メリエールは"愛"という感情に狂っている」
「それっていけないことなんですか? 人々に迷惑をかけてるようには見えませんけど……」
お姉さんは慈愛の心をもって人類に奉仕している。人類の敵というよりは、むしろ逆の存在に思える。
「今はいい。だが、魔族はいずれ人類の敵になる。……俺には奴の"愛"が、やがて人類を滅ぼす気がしてならないんだ」
「……納得できません」
「そのうち分かるさ。魔族と人類は、相容れない存在だ」
勇者はそれだけ告げると、それ以上は何も語ろうとはしなかった。
無言の時間が流れる中、俺達は黙々と食事を続ける。
「おーい! ソフィアちゃんも勇者くんも一緒に水浴びしようよー!」
そこに、お姉さんが突然割り込んできた。彼女はいつの間にかすっぽんぽんになっており、その美しい裸体を惜しげもなく晒していた。
「ぶふっーー!?」
勇者は食べてたスープを盛大に吹き出すと、耳まで真っ赤になってそのままバタンと倒れた。どうやらあまりの刺激に失神してしまったらしい。
まあ、確かにこれは人間じゃないよなぁ。こんな性の女神みたいなプロポーションをしてる人が人類なわけがない。
俺は気絶した勇者をその場に寝かせて毛布をかけると、お姉さんと一緒に水浴びへと向かうのだった。
◇
それから男は何度もお姉さんの前に現れては、勝負を挑んだ。
その度にお姉さんは男を返り討ちにして、一緒に食事を取って別れる、ということを繰り返していた。
男の名前は"セト"というらしい。
かつて両親や村の人々を魔族によって殺され、幼い妹と共に人類連合軍に入ったこと。そこで才能を開花させ、幾多の魔族を屠り、若くして勇者と呼ばれるようになったこと。
セトはそれらの過去を俺達に語り聞かせてくれた。
「人類連合軍の士気は、今や目に見えて下がっている」
数ヶ月前に行われた魔王城への侵攻作戦。
北方諸国と冒険者ギルド、人類連合軍という3つの組織が手を取り合い、過去最大の戦力で挑んだ大規模作戦だったが、結果は惨憺たるものだった。
前線に出てきた魔王軍四天王の1人、【宵闇のイヴァルド】の襲撃により、人類側は壊滅的なダメージを受けた。
さらには、侵攻作戦への報復だったのか。もう1人の四天王、【狡智のグリムリーヴァ】によるものと思わしき、コレラの大流行により、民間人にも多くの死者を出してしまったのである。
「……それで、何もしてないお姉さんを狙ったんですか?」
俺がジト目気味にセトを睨むと、彼はバツの悪そうな顔になった。
「魔王軍四天王の居場所は、人類連合軍でも把握しきれていない。だが、偶然メリエールらしき女を見たという噂を聞いてな……。他の3名に比べて悪名は轟いていないが、彼女も四天王の1人であることには違いない」
セトの言い分もわかる。魔族は人類の敵だ。その幹部である四天王の首を一つでも取れば、連合軍の士気は大きく上がるに違いない。
だが、それにしたって……。
俺はチラリとお姉さんに視線を向ける。
すると彼女は、相変わらずほわほわとした笑顔を浮かべながら、俺の頭に手を乗せて優しく撫でてきたのだった。
その日の夜、俺達は森で野宿をしていたのだが、ふと夜中に目が覚めてしまった俺は、お姉さんとセトがどこかに向かっていることに気が付いた。
こんな真夜中にまで決闘の続きでもする気なのかな、と軽い気持ちで彼らの後をつけていく。
しばらく歩くと、2人は木陰で立ち止まり、そっとお互いの体に触れた。
「あ……」
もう、なんとなくこの後の展開を察してしまった俺は、すぐに踵を返して足早にその場を立ち去った。
「まあ、そうなる気はしてましたが……」
驚きはなかった。むしろ、必然とも言える流れだったと言える。
どんなクズ男でさえ、お姉さんの愛の前に敗れてしまうのだ。あの真面目な勇者が、こんなに長い間お姉さんと一緒にいて、情が移らないわけがない。
俺は女だからそういう気持ちにはならないけど、もし少年だったらとっくの昔にお姉さんの愛にどっぷり浸かって抜け出せなくなっていたと断言できる。
「なーにが、『そのうち分かるさ。魔族と人類は、相容れない存在だ』ですか……。もうガッツリ相思相愛になってるじゃないですか」
俺はクスクスと笑いながら、毛布にくるまって眠りについた。
――それから数週間後のことだった、"勇者セト"が戦場で命を落としたのは。
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