第116話「光の結界」

「ちくしょう! あの女、俺様に恥をかかせやがって!」


 ――その日の夜。


 学園の男子寮の一室で、フォクスはベッドに拳を叩きつけながら怒りを露にしていた。


 無理もないだろう。プライドの高い彼が、大勢の生徒達がいる前で無様にも負けてしまったのだから。しかも、こちらから自信満々で勝負を挑んでおきながらだ。


「王子~、落ち着いてくださいよ~。あの先生強すぎでしたし、どうしようもなかったスよ~」


 取り巻きの1人である、赤髪のチャラ男――リィトがフォクスを宥めるように語りかける。彼はフォクスが幼い頃から傍に仕えている側近で、部下でもあり友人でもあるような幼馴染だ。


「だが、俺様はあんなデカい態度を取ったうえで無様に負けちまったんだぞ?」


「あの先生ちゃん、かわいくて全然強そうに見えなかったし、しょうがないっスよ。俺も正直、王子なら余裕で勝てると思っちゃったし……」


 もう1人の取り巻き、青髪のチャラ男――キィマが苦笑しながらリィトに同意する。彼はリィトの双子の弟で、こちらもフォクスの古くからの部下で友人である。


「…………」


 最後の部下である七三分けの執事風の男――デビアスは、その様子を無言のまま静かに見つめていた。


「クソが! こうなったらしょうがねぇ!!」


 フォクスは勢いよくベッドから飛び起きると、その狐のような鋭い目付きをさらに険しく歪め、ニヤリと口角を上げる。


「まさか王子……」


「……やるんっスか?」


「ああ……」


 制服のジャケットを脱ぎ捨てると同時に、シャツのボタンを全て外して前を開き、鍛え上げられたその肉体を露わにするフォクス。



 そして、ゆっくりと腕を伸ばすと――



「この金のアクセサリーとかも取って授業出たほうがいいと思うか?」


「そうっスね。ちょっと学園デビューでイキりすぎた感じはあったんで、もう少し控えめにしたほうが良いっスよ」


「そのアクセは少し成り金っぽくてどうかって、実は俺も思ってたっス」


 フォクスは自分が身につけていた金のアクセサリー類を全て外して、テーブルの上に置いた。そして、身だしなみを綺麗に整えると満足げに頷く。


「勝負に負けた以上、ちゃんと約束は守らねーとな。明日からは真面目に授業を受けるぜ!」


「流石王子! 俺、一生ついてくっス!!」


「王子が真面目に授業を受けるなら、俺らもちゃんとやらないとっスね!」


 フォクスが吹っ切れたように笑うと、リィトとキィマも嬉しそうに拳を合わせた。


「じゃあ食堂で飯でも食うか」


「「はい!」」


 そして、3人は先程までの陰鬱な空気が嘘だったかのように、仲良く肩を組んで軽い足取りで部屋を後にしたのだった。




◆◆◆




「あの馬鹿王子が! さっさと問題を起こして失脚すれば良いものを……っ!」


 フォクス達が去った後の男子寮の一室で、七三分けの男――デビアスは苛立ちを隠そうともせず、拳をテーブルに叩き付けた。


「このままではツーレヒ様の計画に支障をきたしてしまう……」


 ――ツーレヒ・サンクサイウ。


 それはフォクスの実の兄であり、サンクサイウ王国の王位継承権第1位でもある男の名前だ。このままいけば彼は次期国王の座に就くことになるのだが、それにはフォクスの存在が邪魔だった。


 フォクスはサンクサイウ王家始まって以来の神童と呼ばれており、確かに世界的に見れば最上位とは呼べないものの、サンクサイウの王族としては破格の才能を持った男である。


 そしてその性格も、胡散臭い人間の多いサンクサイウ王族の中で、態度こそ高慢で自己中心的のようにも見えるが、国民が何か具申すれば「それもそうか……」と、すぐに納得して耳を傾けるなど、意外に素直で話の通じる男であった。


 そのため国民からの人気は高く、ツーレヒよりもフォクスに王位を継がせたほうが、サンクサイウ王国はさらなる繁栄を遂げるであろう、との民衆の声が最近は大きくなってきている。


「何とか失脚……いや、欲を言えば亡き者にしてしまうのが望ましいが……」


 デビアスはフォクスの付き人だが、その実態は兄のツーレヒによって送り込まれた監視役兼刺客といった立ち位置だった。


 魔法学園でのフォクスの動向を観察し、隙を見せれば彼を王位継承争いから脱落させるために、あらゆる手段を使うようにとの密命を受けていたのだが……。


 学園デビューの際、他の生徒達に舐められないように、金のアクセサリーを全身に身に着け、横暴な態度を取るように進言したのもデビアスだった。


 もちろん、それはフォクスをより素行の悪い問題児に仕立て上げ、王位継承争いから脱落させるためだ。


「それをあの能天気野郎が! ここはあの女教師に卑劣な手段で復讐する流れだろうが!!」


 サンクサイウ王国ではそれが普通の光景なのだが、フォクスの負けたんだから真面目に授業を受けます宣言には、デビアスも流石に頭を抱えてしまった。


「……ひとつ、こちらから仕掛けるか?」


 フォクスがあの女教師にコテンパンにやられたという噂は、既に学園中に広まっているだろう。ここであの女に何かあった場合、真っ先に疑われるのはフォクスだ。


 日頃の態度の悪さが災いし、確実にそのまま犯人と断定されるはずである。


「仮に平民の教師が死んだところで、国際問題にまでは発展するまい。リステル魔法王国の怒りを買って、フォクスの身柄の引き渡しを要求されれば、それはそれでむしろ好都合……」


 デビアスはニヤリと口の端を上げ、フォクスを陥れる計画を練り始める。


「まともに戦っては、返り討ちにあうのがオチか……。だが、手段を選ばないのがサンクサイウのやり方よ」


 闘技場での戦いを見るに、不意を突いてもあの女教師には勝てないであろうことは明白だ。ならば、まともに戦う必要はない。


 それこそ、薬や罠などの小細工を使ってでもあの女を再起不能にする。それがデビアスが出した結論だった。


「ふむ……。レインボーポイズンフロッグの毒を食事に混ぜるか……」


 レインボーポイズンフロッグとは、小型でカラフルな見た目が特徴的な毒ガエルである。


 その小さくて可愛らしい外見と裏腹に、身体に含まれる毒性はえげつない。軽く触れるだけでも手が焼け爛れてしまうし、毒液を一滴でも口に入れようものなら、神聖魔法使いが駆け付ける前に命を落とす羽目になるだろう。


 デビアスはバッグの中から取り出した、毒入りの小瓶を見つめてほくそ笑む。


 そして、それを懐に仕舞い込むと、ソフィアに対する強烈な殺意を胸に、ゆっくりと部屋の外へ歩き出したのだが――。



《いかんなぁ……。それはいかんよ、キミ》



 突如、どこからともなく聞こえてきた声に、デビアスはビクリと肩を震わせて足を止めた。


 そして、声がした方向――窓のほうを振り返るが、そこには誰もいない。だが、声の主は間違いなくそこにいるようであった。


《ちょっとした諍い程度ならいいだろう。喧嘩や決闘も許そう。学生だからな、そういったことの1つや2つあるだろう》


「だ、誰だ!? 何者だ!!」


 デビアスが叫ぶと同時に、窓の外に突如光が差し、それは徐々に人の形へと変わっていった。


 やがてその光が全て収束すると、そこには光り輝く半透明の老人が宙にフワフワと浮いており、デビアスのことをジッと見つめていた。


《だが、殺意はいかんな。お主の中の強烈な悪意と殺意、このワシが見逃すわけがなかろう……》


「え……エルヴィス……。ワーズワース……」


《如何にも。ワシは光の賢者エルヴィス・ワーズワースじゃ。ワシの光の結界は、強い悪意や殺意に反応するようになっておる。つまり、お主の殺意はワシに筒抜けだったというわけじゃ》


 賢者はフワフワと部屋の中へ侵入すると、デビアスの目の前にゆっくりと降りてくる。


「くっ、クソがぁ!!」


 デビアスはやけくそになったように懐に仕舞い込んでいた毒瓶を取り出し、光の賢者ワーズワースに向かって投げつけた。


 だが、毒瓶はワーズワースの半透明の身体をすり抜け、部屋の壁に当たって砕け散る。ジュワ……という音と共に、壁が溶けるように焼け焦げた。


《残念じゃがこの体は光の粒子で構成されておる幻影でな、物理的な干渉は不可能なんじゃ。まあ、お主程度を捕らえるのにはこれで十分じゃろうがな》


 ワーズワースはそう言うと、手から眩い光を放った。すると、光の粒子が紐のようになってデビアスの全身を縛り付け、彼の身動きを封じる。


「ぐあああっ!! がっ……!?」


 デビアスはしばらくの間、必死に抵抗していたが、やがて口から泡を吹いて失神してしまった。


《おっと……。やり過ぎたかの?》


 ワーズワースが指を鳴らすと、光の紐は一瞬にして消え去り、デビアスの体は床へと崩れ落ちた。


《まったく、学生達には健全で楽しい学園生活を謳歌して欲しいというのに、いつだってこのような輩が湧いてくる。困ったものじゃ……》


 賢者はやれやれと首を振り、深い溜め息を吐くと、デビアスを光の檻で拘束した。


 そして、結界の中でのみ使用できる光の通信魔法を発動させ、治安維持部隊に連絡を取ると、その姿は徐々に透明になり、その場から消え失せたのだった。

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