第094話「決着の時」

 駅前に到着した俺は、周囲をぐるりと見渡した。


 ちなみに、もうすでに慈愛の聖衣は脱いで私服に着替えている。多田野さんにまで認識阻害の効果が及んでしまうといけないからな。


 多田野さんの姿は――見えないな。まだ来てないみたいだ。とりあえず広場にあるベンチで座って待っていようかな……。


「おいっ! 何で俺を無視してベンチに座ろうとしてるんだ!」


 突如発せられた声に驚いてそちらに顔を向けると、俺のすぐ隣から不機嫌そうな顔をした多田野さんが顔を覗かせていた。


「あ……多田野さんいたんですね。すみません、通行人かと思ってました」


 相変わらず、あまりにも特徴のない顔をしてるから全然気が付かなかったよ。


「お前なぁ……。まあいい、さっさと北村を捕まえるぞ」


「奴は今どの辺りにいるんでしょうか?」


「ここからは約2kmほどの位置だ。住宅街の方に向かってるな。もう殆ど力を使い果たしてるっぽいから、移動速度は遅いみたいだが」


 おそらく消滅寸前まで、完全憑依のターゲットを品定めしているんだろう。完全憑依は1回しか使えないので、奴にも失敗は許されない。


「多田野さん、乗ってください」


「……その箒に乗るのか? 落ちないだろうな……?」


 正直二人乗りはまだしたことがないので、ちょっと不安ではあるが、そんなことを言ってられる状況じゃないしな……。


 俺は多田野さんにしっかり捕まっていて欲しいことを告げ、魔女の箒に跨って空へと飛び上がった。彼は初めての空中飛行に少し怖がっているようだったが、しっかりと索敵を使って北村を捜索してくれている。


 しばらく空を飛んでいると、突如、多田野さんが声を張り上げた。


「マズい! いきなりあいつの魔力反応が安定した。くそっ、どうやら誰かに完全憑依しちまったみたいだ!」


「……そうですか」


 出来れば完全憑依を使われる前に仕留めたかったが、こうなっては仕方がない。俺はそのままスピードを上げ、北村の元へと急いだ。


「いたぞ! 北村だ! あの家から反応がある!」


 目的地の近くまで行くと、多田野さんが地上を指さして叫んだ。彼の視線の先にはどこにでも有りそうな普通の一軒家が建っているのが見える。


 そして、その家に俺は見覚えがあった。


「……本当にここですか?」


 信じられない思いで多田野さんに尋ねる。


 何故なら、その家の表札には、"山田家"と書かれていたからだ――――。





 家の扉を開けて中に入る。そこは何の変哲もない、いつもの俺の実家のように思われた。


「間違いなく、この中に奴はいる。残念だが、家族の誰かに憑依してる可能性が高いだろう」


 いつもなら身近な人物には、毎日ホーリープロテクションをかけていたが、タイミングが悪かった。


 異世界から帰ってきて、すぐに委員長の入院している病院に向かい、そのまま北村の追跡に入ったので、母ちゃんと雫以外にはホーリープロテクションをかける余裕がなかったのである。


 ギリリ、と歯を食いしばる。腸が煮えくり返るとはこのことか。体中から抑えられないほどの魔力が溢れ出て、周囲の空気を歪め始めた。


「――っっ! ソフィア、少し落ち着け。冷静にならないと、奴の思うツボだぞ」


「……すみません。ありがとうございました」


 多田野さんに窘められて、俺は深呼吸をして心を落ち着ける。そうだ、ここで激情に駆られてはダメだ。冷静にならなければ……。


 その時だった、リビングの方から雫の悲鳴が聞こえたのは。


 俺達は咄嗟に顔を見合わせると、リビングに駆け込む。するとそこには――



「ぐへへへ! パパと一緒にお風呂入ろうよ~」


「ぎゃーー! お父さんが狂ったぁーー! めちゃくちゃ気持ち悪いんだけどっ!」


「お父さんやめてよーーっ!」


 そこには、上半身裸で下はトランクス一枚といった姿で、雫を追い回している父ちゃんの姿があった。足元には空が縋り付いて泣いている。


 父ちゃんはいつもの温和な顔つきとはかけ離れたマヌケな表情で雫に抱き着こうとするが、その全てを避けられていた。


「いい加減にしなさいよ! このクソ親父!」


「うげぇーーーーっ!」


 雫に股間を蹴り上げられた父ちゃんは、ゴロゴロと床をのたうちまわりながら悶絶する。


「「…………」」


 想像していたのとは大分違うカオスな光景に、俺と多田野さんは言葉を失って立ち尽くす。


 しばらくすると、父ちゃんは何事もなかったかのようにむくりと起き上がり、再び雫にセクハラを開始しようと手をワキワキと動かし始めた。


「ちくしょう! ショタに乗り移ってハーレム人生を過ごそうと思ったのに! おっさんがいきなり飛び出してきやがって! くそぉぉぉぉ! だが、最近はおっさんも美少女ハーレムを築く時代! 僕は諦めないぞ!」


 いつものマ〇オさんボイスのまま、変態同然のセリフを絶叫する父ちゃん。


 消滅寸前で焦っていたのだろう。……どうやら空に乗り移ろうと思ったが、父ちゃんが空の前に飛び出してきて、間違って乗り移ってしまったらしい。


「…………」


 俺は無言のまま父ちゃんに近づいていくと、彼はやっとこちらに気がついたのか、顔を歪ませて醜悪な笑みを浮かべた。


「おやぁ? 誰かと思ったら、無駄におっぱいがでかいだけのブスじゃないかぁ~。僕に何か用でもあるのかなぁ?」


「……お前、絶対にやっちゃいけないことをしたな。もう簡単に楽にさせてやらねぇぞ」


 怒りを押し殺した低い声でそう告げると、父ちゃん――いや、北村はゲラゲラと大声て笑いだした。


「げひゃひゃひゃ! 楽にさせないって、どうするつもりだ? 僕は山田家のパパだぞ? 高雄! 父親にそんな口をきいていいと思ってるのかっ!!」


「――っっ! なんで……!?」


 何故こいつが、俺が高雄の転生した姿だと知っている?


 俺が驚愕の表情を浮かべたことに満足したのか、北村はニタァと陰湿に口角を吊り上げた。


「"完全憑依"を使うと、そいつの記憶すらも読めるようになるんだよ! まだ表面的な記憶しか読めてないけどねぇ……。あははは! まさかあの山田が、異世界に転生してこんな姿になってたなんてねぇ」


「…………」


 俺はギロリと、父ちゃんに憑依した北村を睨みつける。だが、奴はニヤニヤと笑みを浮かべ、余裕の態度を見せていた。


「なに? 殴ってみる? 父親の体を殴るの? まあ? もうこれは僕の体だけどねぇぇーー! 今はこいつの魂は奥で眠ってるだけだけど、数日のうちに消えちゃうと思うよぉ~!」


 そう言って、北村は心底面白そうにケタケタと笑う。


 ここまで怒りの感情を覚えたのは、前世を含めて初めてかもしれない。もう、こいつにはほんのひとかけらの情けをもかけるつもりはない。


「お兄ちゃん? どうなってるの? 何でお父さんおかしくなっちゃったの!? この間『私の前にお風呂入らないでよ!』って怒鳴っちゃったから? もしかして私のせい!?」


「ぼ、僕のせいかも。お父さんの取っておいたプリンを勝手に食べちゃったの……ばれちゃったのかな?」


 あのさぁ……今重要な場面だから、君達は少し静かにしててくれませんかね?


 てか、空はまだいいとしても雫はちょっと酷いだろ。お風呂くらい好きなタイミングで入らせてやれよ。


 だが、雫は「だって何かヘンなのが浮いてたんだもん……」と言い訳をする。


 ヘンなのくらい退けて入れよ……。世のお父さん達が可哀想になってくるだろうが。うん、俺だけはちゃんと父ちゃんに優しくしてやろう……。


 ……いや、今はそんなことはどうでも良い。それよりも、このクソ野郎をどう処理するかだ。


「悪霊が取り付いただけだ。すぐに俺が何とかするから、少し離れてろ。多田野さんも手を出さないでください」


「……ああ」


 多田野さんが頷いて下がると、雫と空は不安そうな表情を浮かべながらも、俺の指示に従ってくれた。


「あー! ふざけやがってよぉーー! 一時的にでもちょっと可愛い娘だと思って、ヒロイン候補にあげちゃった僕の身にもなれよぉ! 僕はなぁ……漫画やアニメで人外と男が女体化するのが一番許せないんだよぉぉ!!」


「……もう喋るな。父ちゃんの口から汚い魂の吐息が漏れるのは聞くに堪えない」


 俺はそう言うと、次元収納の中から一振りの刀を取り出した。


 錆びて、切れ味も悪そうなボロボロの刀――だが、その刀身からは禍々しい魔力が漂っている。


「30秒だ」


「……はぁ?」


「30秒待ってやる。それまでに父ちゃんの体から出て行ったなら、その魂を地獄の業火で焼き尽くして消滅させるだけで勘弁してやる。……だが、もし出て行かないのなら、お前はこの世に生まれて来たことを後悔することになる」


 刀を強く握りしめ、上段に構える。それだけで、薄気味の悪い魔力の奔流が家の中に渦巻いた。


「ぶふふーーっ! 残念ながらもう無理なんだよなぁ! "完全憑依"を使っちゃうと、二度とその体からは抜け出せないのだぁ~。憑依の能力も消滅しちゃって使えないから、もう体から抜け出すとか無理~。出来るならこんなおっさんの体なんて即行で抜け出してるっつーの!」


「26、25、24、23……」


 北村がベラベラと喋り続けている間も、俺は構わずカウントを続ける。そして、刀に力を込めて、一歩一歩ゆっくりと奴に近づいて行った。


「嘘だと思ってるぅ~? ビビらせて、刀を寸止めして体から抜け出させようとしてるんだろぉ~? 古典的な手だなぁ、無駄だってのにさぁ~! 僕を殺したら父親も一緒に死ぬよぉぉ~!」


「15、14、13、12……」


「お兄ちゃん! 本気なの!? お父さんの体なんだよ! やめて!」


 雫が俺を止めようと駆け寄ろうとするのを、多田野さんが手で制した。俺はそれに軽く頷くと、視線を北村に向ける。


「お、おい! マジでやるつもりか? 本当にもう憑依は使えないんだって! 体から抜け出すことはもう出来ないんだよぉ! これは嘘じゃない、本当だぞ!」


「5、4、3、2……」


 俺の本気度合いを見て取ったのか、北村はさっきまでの余裕な態度から一変して、後退りを始める。だが、すぐに壁に背がついてしまった。


 もう奴に逃げ場はない。


「――――ゼロッッ!!」


 最後のカウントと同時に、俺は無表情のまま刀を一気に振り下ろす。


 それは、北村の憑依した父ちゃんの首元に吸い込まれるかのように迫っていき――その首筋に食い込んだ。


「うわぁぁぁぁーーーーっ!」


「きゃぁぁーーーーっ!」


「お、お父さんーーっ!」


 北村と雫達の悲鳴を聞きながら、俺は刀身をそのままスライドさせていく。すると、錆つき刃こぼれしたはずの刀がするりと奴の体に入り込んで行き――


 ――ずるり・・・、と小太りの男の霊体を引きずり出した。



『――――魂剝刀たまはぎとう



 魔王軍四天王補佐――変態オーク、オルガテの持っていた、相手の魂を剥ぎ取る魔剣。


 これはイヴァルドの宵闇とは違い、具現化されたものではなく本物の魔剣だったので、オルガテが死んでも消滅しなかったのである。


 ただ、発動にはオルガテの特殊な魔力が必要であり、奴の被害者を元に戻すために、刀に残された魔力の大半を使ってしまったので、使用回数はたったの2回しか残っていなかった。


 それ故、いざという時の切り札として温存していのだが、それがここで役に立った。


《な、なんだぁぁ? 何で僕、霊体になってるんだぁぁ!?》


 北村は状況が理解できず混乱しているが、俺は構わずに奴の魂を掴むと、そのまま拘束する。


「生き汚いお前が、あの状況でも父ちゃんの体から抜け出す素振りすら見せなかったところをみるに、どうやら本当にもう憑依は使えないようだな」


 じたばたと暴れる北村の魂だが、もはや何の能力も持たないただの霊体だ。後はただ自然消滅するか、俺の手で消滅させられるかの二択しかない。


《ひ、ひぃーー! や、やめろぉぉ! はなせぇー! い、嫌だぁぁぁ! 死にたくないぃぃ!》


 魂の状態で逃げられる訳もないのに、往生際の悪い奴だ。さあ、こいつをどうしてくれようか……?


「……う、う~ん」


「お父さん! 気が付いたの!?」


 北村の霊体の処遇を考えていると、父ちゃんがうめき声を上げた。どうやら意識を取り戻したようだ。雫が介抱してくれてるようなので、俺は北村から視線を逸らさず、黙って成り行きを見守る。


 と、その時だった――。


《……はぁ、もういいや。殺すなら殺せばぁ~? というか、やるならさっさとやれよ》


「――は?」


 先程までの怯えた様子から一変して、北村が急に投げやりな態度を取り始めた。その豹変っぷりに、俺は眉を顰める。


《よくよく考えたらさぁ、やっぱ地球は僕に相応しい舞台じゃないよ。いくらダンジョンがあるって言ってもさ、女は馬鹿共ばっかりだし、男は僕の凄さが理解できないウジ虫ばかりだし……。もうこんな場所、未練なんて微塵もないんだよね》


 こいつは一体何を言ってるんだろうか? 状況を理解していないのか?


《だってさ、モブの山田ですら異世界に転生できたんだろう? なら、異世界があることは確定として、主人公の僕なら、チート能力マシマシで転生できることも決まってるようなものじゃないか! だったらこんな場所からはさっさとおさらばして、美少女奴隷達が待ってる異世界に行った方が幸せってもんだよね!》


 ……この男は。こいつは本気でそうなる・・・・と信じてるんだ。


 ――怪物。


 狂気的ともいえる妄想の化け物。


 その妄想は、こいつに反省だとか、恐怖だとか、そういった感情を抱くことを許さない。


 例え、今まさに魂が消滅するのを待つだけだというこの状況ですら、自分がこのまま消えてなくなることなんてない、と微塵も疑っていないのだ。


 おそらく……いや、まず間違いなくこの男は転生なんてできないだろう。だが、こいつをこのまま消滅させたところで、まるで勝ち逃げされたような気分になる。


 この怪物を、心から反省させ、後悔させ、絶望の底へと叩き落とすにはどうしたらいい……?


「…………」


 頭をフル回転させて、手段を考える。記憶の隅々までを探り、何かヒントがないかと模索する。


《さぁ、殺せよ! 僕は異世界でハーレムを築くんだぁぁ!!》


 ……異世界ハーレム? ハーレム、ハーレム……。


「――そうかっ!」


 北村の発言から、俺の脳裏にある考えが浮かび上がった。


「く、くくくく……。いいでしょう! この大天使ソフィエルが、あなたの願いを完全完璧に叶えてあげようじゃありませんか!」


 俺は北村に向き合うと、ニッコリと慈愛の笑み浮かべながら、優しく語りかけるのだった。

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