第086話「悪意」★
「ソフィアの姉ちゃん、どうだ……?」
エルクが真剣な表情で、右手にトマトを掴んだ俺を見つめてきた。
【挿絵】
https://kakuyomu.jp/users/mezukusugaki/news/16818023211817771522
俺はゆっくりと大きく口を開けると、それを「むしゃりっ」と丸齧りする。途端に口の中に広がる、みずみずしい野菜の甘み。そして、まるで喉の渇きを癒してくれるかのような、さわやかな酸味。
「もぐもぐ……ごくんっ。……うん、これは美味しいですよ!」
「……よっしゃあ!!」
俺の感想を聞いたエルクが、ガッツポーズをしながら、大声で叫ぶ。
いや、これ本当に美味いぞ。もしかしたら地球産のトマトよりも美味いかもしれない。魔力のこもった土の影響か、エルクの農業のスキルによるものかはわからないけど、とにかく味も品質も良い。
「これは、大ヒット間違いなしですよ」
「本当か!? やったぜ! これでこの世界に美味い飯を広めるっていう、ソフィアの姉ちゃんの計画も一歩前進だな」
俺が絶賛すると、エルクは嬉しそうに顔を綻ばせた。
辺り一面に広がる、真っ赤な実をつけたトマト畑を見渡しながら、俺は満足げに頷く。当初は、ここまで上手くいくとは思っていなかったから、本当に嬉しい。
しかし、これはあくまで始まりに過ぎないのだ。
このソレル農場を世界的な超有名ブランドに育て上げるためには、まだまだやるべきことが沢山ある。だから、こんなところで立ち止まってはいられない。
「さて、また地球に戻って色々仕入れたり、情報を収集してきたりしましょうかね! まだ始まったばかりですよ、エルク」
「ああ、俺も農業がこんなに楽しいものだったとは思いもしなかったぜ。ソフィアの姉ちゃんのおかげで、世界が変わったみたいだ!」
やる気に満ちた表情で、そう叫ぶエルク。
俺は口元に付いていたトマトの汁を拭うと、そんな彼の頭を優しく撫でてやりながら、これから先の未来に思いを馳せたのだった……。
◆◆◆
「陽依、またお菓子作りの腕が上がったんじゃないか? このクッキー凄く美味しいよ」
「本当? えへへ、蒼嗣くんにそう言ってもらえると嬉しいな……」
ソフィアのクラスメイトである、来栖野陽依と三上蒼嗣は、図書館の前のベンチに座り、楽しそうにお喋りをしていた。
2人は同じ児童養護施設でずっと一緒だった幼馴染であり、お互いが初恋の相手でもあった。友達以上恋人未満の関係がずっと続いていたのだが、先日、ソフィアの計らいで陽依が蒼嗣に告白し、2人は遂に恋人同士になったのである。
蒼嗣はレベルアップ能力を持った探索者だが、非戦闘系のスキルしか持っておらず、自身のステータスもあまり高くなかった為、ダンジョンに潜るのは苦手であった。
それでも中学生にしてはそこそこ稼げているが、そのお金も殆ど施設に寄付しているので、手元に残るお金は少ない。
なので、デートはもっぱら図書館で本を読みながらお喋りする、といったものが多かったが、2人はそれで満足だった。
「これは将来は、人気のパティシエになること間違いなしだな」
蒼嗣はそう言って、幸せそうに微笑む陽依の頭を撫でる。陽依はくすぐったそうに目を細めると、蒼嗣の手に自分の手のひらを重ねた。
「蒼嗣くんだって、この前の模試、全国でも上位だったんでしょ? 将来は医者か官僚を目指してるんだよね」
「まあね、誰かの役に立てる仕事をしたいっていうのもあるけど、正直な話、お金を沢山稼ぐためっていうのが一番大きいかな。俺達、施設育ちで頼れる親戚もいないだろ? だから、将来、その……まあなんだ、伴侶となる人のためにも、さ」
陽依から顔を逸らし、少し恥ずかしそうにそう言う蒼嗣に、彼女は愛おしそうな笑みを向ける。
今は、こうしてのんびりと過ごせているが、施設もいずれは出て行かなくてはならない。蒼嗣の言う通り、頼れる親類もいないため、お金はあるに越したことはないだろう。だから、2人は努力して、勉強に励み、将来に向けて頑張っているのだ。
「そろそろ帰ろうか、陽依。遅くなったらいけないしね」
「うん、そうだね……」
陽依は、少し名残惜しそうにしながらも立ち上がると、蒼嗣の隣に並ぶ。そして、手を繋いで、仲良く歩き出した。
「ソフィアちゃんには感謝しなきゃだね。私達がこうして付き合うことができたのも、あの子が背中を押してくれたらだよ」
陽依がそう言って微笑むと、蒼嗣は優しい表情で頷く。
「そうだね。俺も、彼女には感謝してるよ。まあ、ちょっと変わり者だとは思うけど……」
「そういえば、蒼嗣くん、ソフィアちゃんと、どこかぎくしゃくしてる感じだったけど、何かあったの?」
「い、いや! 何でもないよ! 彼女とは全く、これっぽっちもおかしなことは起こってないよ!」
慌てふためく蒼嗣に、陽依はからかうような口調で尋ねる。
「ふーん、ソフィアちゃん可愛いしスタイルいいもんねー。やっぱり、男の子って胸が大きい子の方が好きなんでしょー?」
「だから、そんなことないって! 俺は陽依の方が……。ってもう勘弁してくれよ……」
蒼嗣は照れて顔を赤くすると、逃げるように早足で歩き出す。陽依はその後ろ姿を見ながらクスクスと笑った。
それから、2人はしばらく他愛もない話をしながら、帰り道を歩いていく。
すると、大通りの横断歩道に差し掛かった時、重そうな買い物袋を持ってるおばあさんが、ふらついて歩いてるのが目に入った。
「ねえ、蒼嗣くん。あのおばあちゃん、ちょっと危なくないかな……」
「そうだね、荷物を持ってあげようか」
困っている人を放っておけない性分の2人は、横断歩道を渡る前に、そのおばあさんに声をかけようと近づいていく。
だが、その瞬間――
――ドンッ!
小太りの男が、スマホを見ながら歩いており、そのおばあさんにぶつかってしまった。そのままおばあさんは転倒し、荷物の中身があたりに散らばってしまう。
「おいぃ! 気をつけろよババァ! まったく、ちゃんと前見て歩けよ! これだからババアはよぉ!」
小太りの男は悪態をつくと、倒れたおばあさんに見向きもせず、そのまま立ち去ろうとする。
「ちょっとあなた! 前を見てなかったのはあなたの方でしょう? せめて荷物を拾うくらいしたらどうなんですか?」
蒼嗣は、小太りの男の肩を掴んで引き止める。だが、男は鬱陶しそうに蒼嗣の手を払いのけると、睨みつけてきた。
「はぁ? 何? お前その制服、中坊でしょ? 僕、高校生なんだけど? 偉そうに説教垂れるなよ。目上の人を敬えって学校で習わなかったのかよぉ?」
「中学生とか高校生とかそういう問題じゃないでしょう? 常識的な問題です。スマホを見て歩いてたのはあなたじゃないですか」
毅然とした態度で小太りの男に言い返す蒼嗣。陽依は、おばあさんの荷物を拾ってあげながらも、ハラハラしながらそれを見守っていた。
「ああ、ありがとうねぇ……。もういいよ、あたしがのろのろ歩いてたのが悪いんだからねぇ……」
おばあさんは、そんな蒼嗣達をなだめるように、ゆっくりと立ち上がりながらそう言った。
だが、小太りの男は苛立ちを隠そうともせず、蒼嗣に向かって怒鳴り散らす。
「何で僕が悪いみたいに言われてるんだよっ!? ムカつくなぁ……。てか、そっちの子、もしかしてお前の彼女? 彼女の前だからってカッコつけてんの? リア充はこれだからさぁ……」
小太りの男は、陽依の体を上から下まで舐め回すようにじっくりと眺めると、「フヒヒッ」と気持ちの悪い笑い声をあげる。
その仕草が生理的に受け付けなかったのか、陽依は表情を強張らせると、蒼嗣の背中に隠れるように移動する。それを見た男は、不快感を露わにして舌打ちをした。
「ぶふぅ……。中坊の癖にいい気になりやがって……。相手の凄さも分からずに、冒険者ギルドで善良な主人公に理不尽に喧嘩とか売っちゃうモブかよ。身の程もわきまえず、このSSSランクの僕に絡むなんて、馬鹿なやつだなぁ!」
「冒険者ギルド? モブ? あんた何を言って……」
蒼嗣は、男が何を言っているのかよく分からなかったが、どこか不穏な空気を感じ取ったのか、緊張した様子で身構える。
「フヒヒヒ……まあいいや。次のターゲットはお前らにけってーい! 主人公に逆らう馬鹿なモブは、人生終了の刑にしてやるから楽しみに待ってろよぉ! フヘヘ……グヒヒッ!」
気持ち悪い笑みを浮かべ、訳の分からない事を言い残すと、小太りの男はその場を立ち去っていった。
蒼嗣と陽依は、呆然とその背中を見送っていたが、しばらくしてハッと我に返り、おばあさんの散らばった荷物を拾い集めると、一緒に横断歩道を渡りだした……。
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