第084話「童帝」★

「はいこれ、フィオナが使っていいですよ」


「いいの!? 白金貨9枚の魔導書よ!?」


 暴食のグリモワールを手渡されたフィオナが、驚きの声を上げる。だが、俺は遠慮気味な彼女の手を掴むと、それを無理やり握らせた。


「いいんですよ。私はほぼ全属性の魔法が使えますし、それを持ってても意味ないですからね。フィオナが使ってください」


「ふぁ~……。流石、特級冒険者だわ……。白金貨9枚のアイテムをポンと人に渡せるなんて。これはますます魔法の修行もしっかりやんなきゃね……」


 フィオナが感嘆の声を上げている隣では、ルルカも興奮気味にはしゃいでいた。


「フィオナちゃんいいなぁー! ルルカもそれ欲しかったー!」


「ルルカはまだ魔力が少ないから、それを扱うのは難しいんですよ。その魔導書は所有者の魔力を食う特性がありますから、危ないんです」


「え……この魔導書、そんな特性あるの? 私、魔力量には多少自信はあるけど、そんな危ないもの貰って大丈夫なの……?」


 フィオナが不安そうな顔をする。彼女の魔力量は一流魔法使い並みに多いので、暴食のグリモワールを使ったところで大きな影響はないだろうが、それでも万が一のことを想像してしまったのだろう。


「ああ、そういえばもう一つ、フィオナにあげようと思ってた物があるんですよ。これがあれば、不安は何もなくなりますよ」


 そう言って俺は、次元収納の中から百腕巨人の腕輪を取り出した。


「この腕輪は魔力自動回復の効果がある魔道具なんです。フィオナくらい魔力が多ければ、暴食のグリモワールに食べられる魔力よりも、この腕輪で回復する魔力の方が多くなると思うので、大丈夫ですよ」


 俺から百腕巨人の腕輪を受け取ったフィオナは、早速それを身に付ける。すると、彼女の体が淡く発光しだした。


「うわっ、これも凄いわね……。この腕輪とこの魔導書って、魔法使いなら誰でも、喉から手が出るほど欲しがるわ……。これ、本当に貰ってもいいの?」


 フィオナがおずおずと聞いてくるので、俺はニッコリと微笑んだ。


 この魔導書があれば、魔法のギフトを持ってないフィオナでも、一流魔法使い並みに多彩な魔法を使えるようになる。それは親友の俺としても、非常に喜ばしいことだった。


「うん、確かにちょっと吸われてる気はするけど、これくらいなら全然大丈夫そうね」


 暴食のグリモワールをパラパラとめくりながら、フィオナが呟く。やはり彼女の魔力量ならば、問題なく魔導書を使いこなせそうだ。


「フィオナちゃん、何かその本、ぶるぶる震えてるよー?」


 ルルカが不思議そうな顔で、フィオナが持っている暴食のグリモワールを指差す。


《魔導書……食ベサセテ……魔導書……》


「きゃっ! この本、喋るわよ!?」


「ヘイトマンズコレクションですからね。喋りますよ。ほら、食べさせろって煩いから食べさせてあげてください」


 突然喋り出した魔導書に驚きながらも、フィオナはアクアボールやヒールの魔導書など、先程おじさんから購入した物を、次々とグリモワールに与えていく。


《オイシイ……魔導書、オイシイ……》


 本から大きな口が現れ、魔導書をバリバリと食べ始める。すると、何も書かれていなかった本に、文字が刻まれていった。


「なるほど、こうやって本を食べさせたら、その魔法のページを増やせるんですね」


「……ちょ、ちょっと待って。……何か吸われる魔力がさっきより微妙に増えた気がするわ」


「ふむ……魔法のページが増えるほど、吸われる魔力の量も増えるのかもしれません。これは調子に乗ってガンガン食べさせてたら、自動回復の効果を超えてしまう危険性がありますね。自分の魔力の最大値と相談しながら、上手く本を与えていってください」


 俺の忠告に、フィオナは神妙な面持ちでコクリと頷いた。


《モグモグ……ペロペロ……ペロリン》


「この魔導書……本を食べるついでに、私の手も舐めてる気がするんだけど……。これって必要な行為なのよね……?」


《ペロペロリン……エルフノ魔力……オイシイ……》


 魔導書を貪るグリモワールの口から、長い舌のようなものが伸びてきて、フィオナの手を舐め回している。


「いえ、別に舐めなくても魔力は吸収できるはずですし、それはただのそいつの趣味じゃないですか?」


「変態かっ!?」


 生前の記憶が残っているのかは定かではないが、どうやらこの本の元になった人間は、ペロリストだったらしい。


「そんなことより、舌が脇に向かって『みょ~ん』って伸びていってますよ? 早く何とかした方がよいのでは?」


「――ふんっ!」


《ホギョッ!?》


 フィオナの脇を舐めようとしたグリモワールの舌を、彼女は腕を振るって強引に弾き飛ばす。すると、魔導書は変な声を上げて、地面の上にコロリと転がった。


「……これ、返却してもいい?」


「ちゃんと躾けたら、きっと役に立ちますよ?」


 魔導書を嫌そうな目で見ているフィオナに、俺はそれを拾って笑顔で返す。


 ヘイトマンズコレクションの中には、使用するだけで本当に危険な代物も存在するのだ。魂殺刃鎌や、この暴食のグリモワールのように、ただ変態なだけならばまだ可愛いものだろう。


 彼女は諦めたように溜め息を吐くと、グリモワールをアイテムバッグの中にしまい込んだ――。




「古本市はこれくらいにして、そろそろ次へ行きましょうか」


「そうねー、次はどこを回る?」


「ルルカ、食べ物のお店行きたい!」


「食べ物ですか……。何か珍しい食材が見つかるかもしれないし、行ってみましょうか」


 こうして俺達は、次なる目的地へと歩を進めようとしたのだが……。


 古本市の入り口付近まで戻ってくると、隅の方に何やら大量の男性が集まっているスペースがあり、何事かと思い、近くまで寄ってみる。


「す、すげーぞこれ……。こんな本が存在するなんて!」


「これを売ってくれ! いくらだ!?」


「ちょっと待てよ! それは俺が先に目をつけたんだ!」


 大勢の男共が、血走った目で店頭に並べられている本を巡って大乱闘を繰り広げていた。まるで宝の山を見つけたかのような大騒ぎだ。


 俺は気になってその中の一冊を手に取ってみる――。


「……うわぁ」


 思わずドン引きしてしまった。それは、全裸の女性が表紙に描かれた、所謂エロ本だった。この世界の技術では、到底作ることのできないであろう鮮明な印刷技術で、美しい少女達の裸体が惜しげもなく晒されている。


「ソフィアちゃん、これって何~? 女の人が裸で写ってるー」


「る、ルルカ! 見ちゃ駄目よ!」


 ルルカが興味を持ってしまい、フィオナが慌ててそれを取り上げる。


「お、おい……。女の子がいるぞ」


「こ、ここは女性は来ちゃダメな場所なんだよ! 早く出てってくれ!」


「お、俺はただ学術的な興味で見ていただけでだな、べ、別に購入しようとかは思ってないぞ!」


 エロ本を取り合っていた男共が、俺達の存在に気付いて、慌てた様子で言い訳したり、威嚇してきたりする。中には、そそくさと逃げ出していく者もいて、ちょっとした騒動になってしまった。


「……何事だい? この騒ぎは?」


 するとそこへ、人混みをかき分けて一人の男性が姿を見せた。


 年の頃は20代前半といったところか。背が高く、緑髪で眼鏡を掛けた細身の青年だ。手には大きな本を抱えており、まるで学者のように知的な雰囲気がある。


 【挿絵】

https://kakuyomu.jp/users/mezukusugaki/news/16818023211716589575


「ふむ、女性が紛れ込んできたのか。君達、この本は男性限定の品なのだよ。申し訳ないが、すぐにここから――」


「ヨハンじゃないですか! 久しぶりですね!」


 見知った顔だったので、俺はその男に駆け寄って声をかけた。すると、彼は驚いたように目を見開く。


「……お、おお! 同志ソフィアではないか!? こんなところで会えるとは奇遇だな!」


 俺に気が付いたヨハンは破顔し、眼鏡をくいっと持ち上げると、嬉しそうに手を差し出してきた。俺もそれに応え、彼と握手をする。


「誰? ソフィアの知り合い?」


「ええ、私と同じ、特級冒険者のヨハンです。以前、ちょっと一緒に活動をしていたことがありましてね」


 俺が紹介すると、ヨハンはフィオナ達に向き直って挨拶をした。


「初めまして、お嬢さん方。僕はベスケード帝国第一王子のヨハン・ベスケードと申します。以後、お見知りおきを」


 優雅に一礼するヨハンを見て、フィオナとルルカがポカンとした顔をしている。いきなり現れた王子を名乗る人物が、自分達に向かって丁寧に自己紹介をしたのだから無理もないだろう。


「すごーい! 特級冒険者で王子様なんて、ソフィアちゃん、すごい人と知り合いなんだねー」


 ルルカが興奮した様子で目を輝かせている。だが、俺はそんな彼女に対して、静かに首を横に振った。


「こいつは全然凄くなんてないですよ。第一王子の癖に、その義務を放棄して、くだらないことばかりやっている、ダメ王子ですからね」


「くだらないとは酷いじゃないか同志よ。僕は世界の恵まれない男性達の為に、日夜頑張っているというのに……」


 この男はベスケード帝国という大国の第一王子でありながら、エロ本の蒐集と制作に心血を注ぐ、筋金入りの変態なのである。こんな知的な見た目のイケメンなのに、どうしようもない残念王子なのだ。


「その同志っていうのやめてもらいますか? 私まで変態だと勘違いされそうです」


「いやいや、君のエロ知識とエロ本に関する発想は一級品だよ。この僕ですら考えつかなかったような、奇抜な発想には感服させられることしきりだよ」


 前に一度、こいつの趣味に付き合って一緒にエロ本を制作したことがあったのだが、そこで地球のエロ本に関する知識を披露してやったところ、大いに気に入られてしまい、それ以降、顔を合わせる度に同志扱いしてくるようになった。


 こんな美少女に対して、まったくもって迷惑極まりない話である。


「……ああ、そういえば前に言ってた例のものが手に入りましたよ。ほら、これです」


 俺は次元収納の中から、地球から持ってきたエロ漫画雑誌を取り出してヨハンに手渡した。


「……お、おおっ!! これは! おお!!」


 するとヨハンは、まるで新世界の神から、人を殺すノートを授かった検事のように、地面に膝をついて感動に打ち震え始めた。


 この世界では映像を記録できる類の魔道具は、激レアだが存在しているのに対して、流石に漫画本などは存在しない。なので、エロ漫画は彼にとっては、それこそ神から授けられたに等しいアイテムなのである。


 ヨハンはそれを、人目があるのも気にせず、食い入るように読み始めた。そして、その場で読み終えると、涙を流しながら感謝の言葉を述べてきた。


「す、素晴らしいよ同志ソフィア! これがあれば、この世界の男性達の魂を救うことができるだろう! ……くっ、ダメだ涙がとまらない……!」


「それは良かったですね、ではお代を頂きましょうか。えーと、そうですね……10万ルディでいいですよ?」


「たったそれだけでいいのかい? もちろんすぐに払わせてもらうとも!」


 冗談のつもりでふっかけたのだが、ヨハンは懐から白金貨の入った小袋を取り出し、何の躊躇もなく俺に手渡してきた。


 う、うーむ……。地球で買ってきたエロ漫画雑誌が、ヘイトマンズコレクションを凌駕する値段で売れるとは、複雑極まりない気分だな……。


「どんどんと妄想力が高まっていくよ。本物の女体は一体どんな感触なんだろうか……。その想像を形に変えることが僕の使命だ……!」


「そんなに女体が知りたいのなら、娼館にでも行けばいいじゃないですか……」


 俺は呆れて呟いたが、彼は何を言ってるんだとばかりに、激高しだした。


「本物を知ってしまったら、妄想力が下がってしまうだろうがぁぁぁーーーーっ!! 童貞だからこそ、妄想に身を委ねて己の欲望を具現化させることができるんだ! 僕はそんな同志達に夢と希望を与える為に、女性とは決して交わらないと誓っているんだぁぁぁぁーーーーっ!」


「「「おおおーーーーっ!! 流石は俺達の【童帝】! 漢の中の漢!!」」」


 ヨハンの叫びに呼応して、周囲の男共が感動に打ち震えたように大声を発した。拍手喝采が沸き起こり、まるで英雄を称えるかのように、【童帝】コールが鳴り響く。


「行きましょう、こんな所にいたらルルカに悪影響だわ」


「そうですね。ほら、ルルカ。行きますよ」


「う、うん……」


 俺とフィオナはルルカの手を引いて、その場を後にすることにした。


 去り際に振り返ると、ヨハンが周囲の男共に胴上げされており、辺りには【童帝】コールが延々と響き渡っていた。

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