第079話「委員長」★

 ふとももが丸見えになるくらいの短パンに、白いTシャツというラフな格好で、俺は家を出る。


 邪魔にならないように、長い髪をポニーテールにまとめると、たったったっ、とリズムよく走り出した。スニーカーでアスファルトを軽快に蹴っていくと、心地よい風が全身に当たる。


 まだ残暑の厳しい9月だが、早朝の風は涼しくて気持ちが良い。


「あら、ソフィアちゃんおはよう」


「おはようございます!」


「おはようソフィアちゃん、今日も元気だねぇ~」


「おはようございます!」


 犬の散歩をしているおばさんや、近所のおじさんに挨拶をしながら、いつもの道を走っていく。


 異世界では早寝早起きが基本だったので、こっちに帰って来てからも、どうしても早い時間に目が覚めてしまう。なので、こうやってランニングをしながら、早朝の空気を楽しむのが、最近の日課となっていた。


 しばらく走っていると、前方に俺と同じようにランニングをしている、小学校高学年くらいの2人の少年の姿が見えた。俺はそんな彼らを軽快に抜き去ろうとしたが、それを見た少年達が対抗意識を燃やしたのか、負けじとスピードを上げてきた。


 そのまま3人で横並びに走って、近くの公園を目指す。公園に着くと、少年達はぜぇぜぇと荒い息をしながら、地面に倒れ込んだ。


「はぁ……っ! はぁ……っ! ね、姉ちゃん早すぎだろ!」


「ぜぇ……っ! ぜぇ……っ! く、くそっ……僕達これでも学校で一番速いのに……!」


 息を整えながら悔しそうに言ってくる2人を尻目に、俺は彼らから見えないように次元収納の中からペットボトルを取り出して、ごくごくと喉を潤す。


 ポニーテールを揺らしながら、汗ばんだうなじを惜しげもなく晒し、水を飲む。水滴が唇を濡らし、つぅっと顎から首筋をつたって、白いTシャツに吸い込まれていく。


「……ぷはぁっ! 今日もいい汗かいたなぁ~」


「「…………」」


 いやー、しかし、流石に走ると暑いな。朝とはいえ、まだまだ残暑が厳しい9月だしな。汗でTシャツが肌に張り付いて気持ち悪いぜ。


「ふぅ……」


 汗ばんだTシャツをパタパタさせながら、火照った体を冷ましていく。


 あちゃ~……、汗と水をちょっとこぼしたせいで、Tシャツが透けて、ブラのラインが見えちゃってんじゃん。やっぱ白はやめた方がいいか……。


「……ん? さっきからお前達、どうしたんだ?」


 チラッと少年達の方を見てみれば、彼らは顔を赤くしてこっちをガン見している。その様子を見て、俺はピンときた。


 はは~ん、成る程ね。さてはこいつら――


「喉が渇いてるのか? ほら、まだ半分くらい残ってるからやるよ」


 まったく仕方ないな、という感じで少年達にペットボトルを差し出す。まあ、ちょっと俺の唾液がついてるかもしれんが、それは勘弁してくれ。


 少年達が呆然としているので、俺は大人しそうな少年の方にペットボトルをポンと渡した。


 さて、そろそろ家に帰って学校に行く準備でもしますかね。


「……おい! 何飲もうとしてんだよ! 俺が先だろ!」


「ぼ、僕が貰ったんだよ! 僕が先に飲むんだから邪魔しないで!」


「ずりーぞおい! お前の後じゃ意味ねーだろ! よこせ!」


「嫌だ! 僕が先だ!」


 後ろから少年達のぎゃーぎゃー騒ぐ声が聞こえてくる。よほど喉が渇いていたのだろう。でもちゃんと仲良く半分こしろよな。


 俺は、そんな少年達の様子を微笑ましげに見つめながら、その場を後にした。


 


 家に帰り、汗を流すためにシャワーを浴びたあと、自室で制服に着替える。リビングに行くと、ちょうど朝ごはんが用意されていた。


「兄ちゃんおはよー」


「おっす、空。雫は?」


「姉ちゃんなら今日もギリギリまで寝てるんじゃない?」


 まったくしょうがないなあいつは……。最初は一緒に登校してたけど、雫も未玖も起きるのおせーんだよな。だから最近はあいつらより先に家を出るようになってしまった。


《本日、世界探索者ランキングの更新がありましたので、速報をお伝えいたします》


 テレビからアナウンサーの声が聞こえ、俺と空はそちらに目を向ける。すると、ニュースキャスターが手元の資料を見ながら、淡々と読み始めた。


《今回の更新では、大きな変動はなかったようですね。新たにランキングに加わった探索者もいませんし、トップ10の順位は前回と変わらずです。なお、ランキングの詳細はWEAのホームページから確認出来ますので、気になる方はそちらをご覧ください》


 画面にはランキング上位10人と、日本人Aランカーの名前が映し出されていた。アリス・アークライトを筆頭に、いつもと変わらない面子が並んでいる。



1位 ウィリアム・セイバー (エルドラド)

2位 アリス・アークライト (イギリス)

3位 ゼノン・グリフィス (エルドラド)

4位 ブリジット・エルドリッジ (アメリカ)

5位 雷雲嵐レイウンラン (中国)

6位 レオナルド・ブラッドベリ (アメリカ)

7位 クロエ・ペリエ (フランス)

8位 デニス・ノイアー (ドイツ)

9位 オバフェミ・オバサンジョ (ナイジェリア)

10位 犬亦いぬまた羽子はねこ (日本)

24位 草薙くさなぎ八馬斗やまと (日本)

77位 嬉野うれしの莉音りおん (日本)

90位 西方にしかた瑛佑えいすけ (日本)



「兄ちゃんランキングに入らなかったね」


「マイケル国王ちゃんと仕事してくれたんだなー。立川ダンジョンの攻略者も、エルドラド人の少女としかメディアは公表してなかったし、マジで助かるわ」


 俺が立川ダンジョンを攻略してしばらくは、ネットでも騒がれたり、俺の正体を暴こうとする連中が出てきたりしたんだが、世界はダンジョンの話題に溢れてるし、皆すぐに次の出来事に興味が移っていった。


 ただ、俺が支部長や受付嬢とやり取りしてた所を、見ていた人がいたらしく、なんかおっぱいの大きい美少女が攻略したって噂だけは広まってたけど。


「それじゃあ、僕そろそろ学校行くね」


「ああ、俺ももう出るから、途中まで一緒に行こうぜ」


「うんっ!」


 空と仲良く手を繫ぎながら、一緒に家を出る。といっても、小学校と中学校は結構離れてるから、すぐに分かれることになるんだけどね。



 通学路の途中で空と別れた俺は、そのまま学校まで歩いて行く。途中で、何人かの生徒と挨拶を交わしながら、校門をくぐった。


 下駄箱で上履きに履き替えて、教室に向かって歩いて行く。この時間はまだ、あまり登校してくる生徒は少ないので、廊下は静かだ。今日ももしかしたら一番乗りかもしれないな。


 そんなことを考えながら、教室のドアを開けると――


「おはようソフィアちゃん!」


 中に入るなり、小柄で可愛らしい女子が、興奮した様子で駆け寄ってきた。クラス委員を務める、来栖野くるすの陽依ひよりだ。


 彼女は毛先に少しウェーブのかかった、栗色の柔らかそうな髪に、くりくりとした大きな瞳が印象的な美少女である。


 【挿絵】

https://kakuyomu.jp/users/mezukusugaki/news/16817330669558800035


 クラス委員と言っても、彼女は特別勉強が出来たり、リーダーシップがあったりするわけではなく、その明るく人懐っこい性格と、誰にでも分け隔てなく接する人柄から、男女問わず多くの人に慕われており、クラス全体を取り纏めるのに向いているという判断で任命されたのだ。


 もちろん、俺も彼女を信頼しており、良い友人関係を築いていた。


「委員長おはー」


 俺は机に鞄を置きながら挨拶を返す。すると、彼女は嬉しそうにはにかんで、ぎゅっと抱き着いてきた。


「ソフィアちゃんのおかげで、告白上手くいったよ~!」


「おお、上手くいったんだ! おめでとう!」


「ソフィアちゃんが絶対に成功するって言ってくれたおかげで、勇気が出たんだ! 本当にありがとう!」


「あ、ああ……。どういたしまして」


 純粋な彼女の言葉と、屈託のない笑顔に罪悪感を覚えるが、それをおくびにも出さず笑顔で答える。


 ……と、いうのもだ。実は、彼女から恋愛相談を受けた時、絶対成功するとまで断言できたのは、ちょっとした理由があったからだ。


 俺はこの学校に転入してから、貴重なスキルを持っている男子を見つけては、あわよくばそのスキルをコピーさせてもらおうと、粉をかけていた。


 そして、今回の委員長の告白相手である男子生徒――三上みかみ蒼嗣そうしは、その貴重なスキルである"千里眼"の持ち主だったのだ。


 これは絶対にコピーせねばならんぞ、と意気込み、俺は三上くんと2人っきりになった時に、中学生男子なら一発で落ちるようなあざとい仕草で、半ば強引に誘惑したのだ。


 ……が、なんということだろうか!?


 彼は血涙を流しながらも、この俺の誘惑を跳ね除けたのである。


 中3男子と言えば、脳が頭についてるのか、股間についてるのかも怪しいお年頃だ。ちょっと可愛い女子に性的に言い寄られれば、普通は断れるはずがない。


 だというのに、俺レベルの女子が、完全にOKサインを出していたというのに、彼は耐えてみせたのだ。


 これはもう異常であると言わざるを得ない。何が彼をそこまでさせたのか……。俺はその興味を抑えられずに、思わず彼に理由を尋ねたのだった。


「蒼嗣くんも、私のことが昔から好きだったんだって!? ソフィアちゃん、よく分かったね!?」


「……い、いやあ、委員長と三上くんを見てたら、そんな感じかなーって思ってさ! はは……ははっ!」


「ソフィアちゃん、すごーい!」


 俺に全幅の信頼を寄せている委員長は、疑う素振りすら見せずに俺を賞賛した。罪悪感で心が押し潰されそうだ……。


 委員長と三上くんは、同じ児童養護施設で育った、兄妹のような幼馴染の関係にある。2人は苦労しながらも、お互いに支え合うことでそれを乗り越え、固い絆を結んでいたのだ。


 そんな2人の関係を、自らの欲望の為だけに壊しかけてしまうとは……。


 ああ……っ! 俺って奴は! 俺って奴は!


「お礼にクッキーあげる! はい、あーん!」


「う、うう……委員長。こんな俺のためにありがとう……。もぐもぐ」


 将来はパティシエになりたいという委員長の手作りクッキーは、優しい甘さでとても美味しく、そして俺の心には苦すぎる味だった――。

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