第073話「ヘカトンケイル」

「ぎゃー! ソフィアせんぱーい! 助けて下さーい!」


 俺が目の前にいるゴブリンジェネラルと、その背後で大魔法の準備をしていた、ゴブリンウィザードの首を撥ね飛ばした直後、後ろから未玖の悲鳴が聞こえてきた。


 振り向くと、そこには額に巨大な角を生やした、ウサギのようなモンスターが、未玖を追い回している姿があった。一見すると、低ランクの角兎のように見えるが、その大きさはまるで違う。


 通常なら大きい個体でもせいぜい50センチほどしかないはずの角兎が、なんと5メートルは優に超える巨体を誇っていたのだ。


「俺の鑑定によると、帝王角兎っていうモンスターみたいだ! くそ、アリスの動画で並木野ダンジョンの90階に出てきたやつじゃねーか!」


「雫! あいつの動きを止めろ!?」


「おっけー、ソフィアちゃん! くらえ! 必殺のぉー! 水弾乱舞ぅー!」


 雫が水神の涙を振るい、無数の水弾を打ち出した。すると、帝王角兎はその姿に似合わない俊敏な動きで、次々と飛来する水弾を躱していく。


 しかし、大理石でできた床が水浸しになり、大量の水がバチャバチャと跳ね上がる。それは帝王角兎の足場を徐々に奪っていき、ついには足を滑らせて転倒した。


「せぇぇぇぇい!」


 その隙を逃さず、大きく飛び上がった琴音は、神聖樹の木刀を大上段に振りかぶると、帝王角兎の眉間に向けて、思いっきり振り下ろした。


「ピギィィッ!」


 眉間に木刀を叩き込まれた帝王角兎が、ひっくり返って手足をバタつかせる。


「お前ら退いてろ! 炎の矢よ、敵を穿て――"フレイムアロー"!」


 全員が帝王角兎から距離を取ったのを確認した俺は、弓矢を射る様に両手を構え、火属性中級魔法を発動した。


 俺の手から放たれた炎の矢は、激しい閃光を放ちながら、帝王角兎に吸い込まれるようにして着弾し、その身体を炎上させる。数秒後、炎が消えた後には黒い炭の塊と化した巨大な兎が横たわっていた。


「うわぁ……。ソフィアくん、君本当に凄いね。やっぱりAランク探索者? でも世界探索者ランキングに載ってる人の中に、こんな凄い火魔法使い居たかなぁ……?」


 山本さんが驚きの表情で、俺を見つめてくる。


 色々詮索されるのは面倒なので、俺はさっきから火魔法しか使っていない。まあ俺は、火の賢者であるマルグリットに師事していただけあって、火魔法はかなり得意だし、この程度の魔物なら、他の魔法を使うまでもないから別に問題はないのだが。


「それにしても、どんどん上位種が増えてるね。早くブースターエッグを倒さなきゃマズいんじゃない、ソフィアちゃん?」


「もうすぐボス部屋に着く。サクッと倒して、狩りに行くさ。さあ、行くぞ」


 俺は雫にそう言うと、早足で歩き始めた。



 やがて、通路の先にひときわ大きな広間が見えて来る。あそこの部屋から左にある通路を行けば、ボス部屋に通じているはずだ。


「ちょっと待った! 奴がいるぞ!」


 山本さんが部屋の奥を指差す。するとそこには、確かにコミカルな見た目をした魔物――特殊個体"ブースターエッグ"の後ろ姿があった。


「どうしますソフィア先輩? ここで倒しますか?」


「いや、あいつのスピードは速すぎる。俺が追いかけても、すぐに追いつけるとは思えん。ここはボス討伐を優先すべきだ」


 俺はそう提案したが、琴音が40階の地図を取り出して、部屋の右側を指差した。


「地図によると、この大部屋には私達が今通って来た通路と、右側の道、左側のボス部屋に通じる道の3つしかないですよね? 右側の道を塞いでしまえば、あいつは袋小路である左側のボス部屋への通路しか通れず、逃げ道がなくなるんじゃないでしょうか?」


 ……なるほど、確かにそうだな。ならば、ここは琴音の言う通り、右の通路を塞いでしまうのが得策だろう。


「よし、未玖……行け!」


「ええっ!? 何で私なんですか!? ソフィア先輩が行けばいいじゃないですか!」


「お前は忍び足のスキルを持ってるだろうが。俺が部屋に入ったら、敏感なあいつはすぐに気づく。だが、クソ雑魚のお前が忍び足で部屋に入ったところで、あいつは何の反応も示さないだろう。……たぶんな」


「たぶんって何ですか!? 弱そうでも相手特殊個体ですよ!? しかも右側の通路から上位種のモンスターが出てきたらどうするんですか!? 私、普通の40階の魔物でもきついのに!」


 未玖が涙目で抗議してくる。まったく、こいつめ。普段生意気なくせに、本当にビビりでヘタレだな。


「おに……ソフィアちゃん、未玖にだけ厳しすぎでしょ。……琴音、一緒に行ってあげて。未玖の忍び足は、接触してる仲間にも効果あるからさ」


「ええ、わかりました。行きましょう、未玖」


「ちぇ、ソフィア先輩の鬼! ドエス! 何かと私に意地悪ばかりするし……」


 ぶつぶつ文句を言いながらも、琴音と手を繋いで部屋に入り、壁伝いにこっそりと右の通路へと向かう未玖。ブースターエッグは、相変わらず部屋の奥でジッとしたままだ。


 しばらくして、2人は無事右側の通路を塞ぐことに成功したようだ。これであいつは、ボス部屋へと続く左側の道しか通れなくなったわけだ。


「よし、山本さんと雫はこの入口の通路を死守してくれ。俺があいつを左の通路の奥に追い込むから」


「ああ、任せてくれ」


「いってらー!」


 山本さんと雫に見送られながら、俺はブースターエッグに向かって駆け出した。


 やはりと言うべきか、ブースターエッグは俺の姿を視界に捉えると、凄まじい速度で右側の通路へと向かって逃げ始めた。だが、そこは未玖と琴音が死守している通路だ。ブースターエッグは、それを視認すると、今度は俺達が入って来た入口の方へ走り出す。


 しかし、入口の前には、既に山本さんと雫がいる。ブースターエッグが逃げても、完全に封鎖済みだ。案の定、奴は諦めて左側の通路へと逃げていく。


「よし! 上手くいったぞ! あっちはもうボス部屋しかない袋小路だ! 皆追うぞ!」

 

 俺達はブースターエッグの後を追って走り出す。


 やがて、俺達の視界の先には、大きな扉が見えてきた。あれが40階層のボス部屋へと続く扉だ。


 ブースターエッグは、俺達の姿を確認するや否や、扉の前であたふたし始めたが、もう逃げ場はない。俺は、全員に合図を送って、ブースターエッグを囲むように四方から近づいていく。


 だが――


 奴は突然、そのコミカルな手を広げて、ボス部屋の扉の取っ手を掴むと、なんと扉を開いて中に飛び込んでしまった――。


「はぁ!? モンスターってボス部屋の中にも入れるの!? ねえ! ソフィア先輩!」


「い、いや……そんな話は聞いたこともないぞ!」


「……特殊個体だからじゃないでしょうか? 特殊個体は階層間を移動する個体もいるそうです。ボス部屋の中に入れる個体がいてもおかしくはないでしょう」


「ふむ……。でもどうせボス部屋は袋小路なんだし、中に入られても特に問題はないんじゃないかい?」


 山本さんが、苦笑いを浮かべながらそう言った――まさにその時であった。



『ルオオオオオオォオオォォォン!!』



 突然、扉の向こう側から只ならぬ気配が充満し、同時に耳を劈く咆哮が聞こえてきた。


「ね……ねえ、ソフィアちゃん? あの卵って、まさかボスまで強化できたりとか……しないよね?」


「「「…………」」」


 雫の問いかけに対し、俺達は全員が黙り込む。ボス部屋の中から感じる気配は、明らかに尋常じゃないものだった。


「40階のボスはサイクロプスだ。……琴音、サイクロプスの上位種って存在したっけ?」


「聞いたことありません……。少なくとも、モンスター大全には載ってなかったと思います」


 琴音の言葉を受けて、場の空気が一気に重くなる。


 サイクロプスは、5メートルを超える体躯を持つ、一つ目の巨人の魔物であり、その戦闘力は並のCランク探索者を遙かに凌駕する。その上位種ともなれば、下手したらAランク並みの強さになっているかもしれない。


「はぁ……。とにかく、中に入ってみるしかねぇな」


 俺は覚悟を決めると、ボス部屋の扉をゆっくりと押し開けた。


 ――ギィイイィ……


 重苦しい音を立てて、扉が開かれていく。そして、部屋の中に足を踏み入れた俺達の目の前には――信じられない光景が広がっていた。


 広々とした部屋に佇む巨大な黒い影……。そいつはボスと呼ぶにはあまりにも巨大過ぎた。部屋を埋め尽くすほどの巨体と、高い天井にも届く背丈。その体からは数え切れないほどの手が生えており、その目は血の様に赤く爛々と輝いている。


「モンスター名――"ヘカトンケイル"! 能力詳細は……全く分からない! レベルが違い過ぎて俺の鑑定じゃ解析できなかった!」


 山本さんが悲鳴じみた声を上げて、後ずさる。


 どうやら、こいつがサイクロプスがブースターエッグによって強化された姿らしい。……一気にパワーアップしすぎだろうが、バカ野郎。


「全員部屋の外に出てろ」


「ソフィアくん! まさかあいつと戦うつもりかい!? いくら君でも、あんな化け物と戦うなんて無茶だ! 早急に30階まで降りて、ギルドにこのことを伝え、しかるべき戦力を連れて来るべきだと思う!」


 山本さんは必死に訴えかけてくるが、雫達3人は俺の指示通り、部屋から出て行こうとしている。


「大丈夫だよ山本さん、行こう? ソフィアちゃんは、最強無敵なんだから!」


 にっこり微笑む雫の言葉に、山本さんは困惑しながらも、素直に従ってくれた。


 全員が部屋の外に移動したことを確認すると、俺はヘカトンケイルに向き直る。


「……久々だな、この感じ。こいつ、アストラルディアの原初の魔物にも劣らないレベルじゃないか? ま、丁度良い。そろそろ魔核が完全に元通りになる頃合いだったからな。お前で回復具合を確かめてやるぜ!」


 俺は不敵な笑みを浮かべると、全身に魔力を巡らせて、身体強化を施す。


 それと同時に、ヘカトンケイルは、凄まじい雄叫びを上げながら、俺に向かって巨大かつ、無数の手を振り下ろしてきた。

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