第060話「夢の中で……③」

「……嫌だ。嫌だぁぁああ!!」


 我に返った俺は、絶叫を上げながら皆から逃げ出した。囮なんて冗談じゃない、そんなの死ねと言ってるようなものだ。


「ちっ、北村ぁ! お前のスキルを使え!」


「え~、男に乗り移るの嫌だなぁ……。それに僕の体をちゃんと――」


「お前の体なら大西に運ばせる! いいからさっさとやれよこのデブ!」


「ひ、ひぃっ! わ、わかったよぉ!」


 後ろから東条と北村の慌ただしい声が聞こえてくるが、俺は振り向かずに走った。


 だが、次の瞬間――突然、体の自由が利かなくなり、俺の足は勝手に踵を返すと、モンスターの密集している階段の方へ向かってしまう。


「――き、北村の"憑依"か! くそ、やめてくれ!!」


《嫌だねぇ~。そんなことしたら今度は僕が囮にされるかもしれないじゃないかぁ》


 心の中に北村の声が聞こえてくる。


 こいつのスキル"憑依"は、別の人間やモンスターの体に乗り移ることができるという能力だ。射程距離や制限時間がある上に、乗り移っている間は自分の体が完全に無防備になるというデメリットがあるものの、とても強力なスキルである。


《ほら、早く階段のモンスターを引き付けてくれよぉ。僕らの生存率を少しでも上げないとねぇ》


 俺の意思に反して、足はモンスター達の方へどんどん進んでいく。そして、とうとう階段前に到着すると、俺の体はモンスター達を挑発し始めた。


「へいへ~い、雑魚共~! かかってこいよぉ~!」


 口が勝手に動いて喋りだす。すると、目の前のモンスター達が俺を攻撃対象として認識したようで、一斉に襲い掛かってきた。


《ほらほら、今度は逃げろ~! 頑張って逃げないと死んじゃうぞぉ?》


「ひ、ひぃ~! 誰か助けてくれぇえ~!!」


 俺は半泣きになりながら、モンスターを引き連れて必死で逃げ惑う。だが、クラスの皆はそんな俺と目が合うと、サッと視線を逸らして階段の方へ向かっていった。


「グギャグギャグギャ!」


「ブヒィイ!」


「ブルァアアッ!」


 ゴブリンのこん棒が、オークの斧が、ミノタウロスの戦鎚が、俺に容赦なく振り下ろされる。俺は涙と鼻水を流しながら、必死になって逃げ惑った。体の至る所に傷ができ、激痛が走る。


 何とか、俺も何とか階段を下りて帰還の宝珠を使うんだ! こんなところで死ぬわけにはいかない!


 俺は心の中で叫んだ。だが――


「全員辿り着いたぞー! だけど舞園の宝珠が壊れちまったから、一個足りねぇ! どうすんだ西方!」


「……山田のやつがある。北村にこっちに投げさせよう」


 東条と西方の無慈悲な会話が聞こえてくる。俺が振り返ると、クラスメイト達が全員階段前に集まっていた。全員の手には光り輝く宝珠が握られている。


 ――嫌だ! 待ってくれ! 誰か助けてくれ!


 心の中で叫んでみるものの、もちろん誰にも届かない。俺の体は勝手にバッグの中から自分の宝珠を取り出すと、階段にいる西方に向かってぶん投げた。


 西方は投げられた宝珠をキャッチすると、それを舞園さんに向かって手渡す。


「ちょ、ちょっと待って西方くん! これじゃ、山田くんがここに取り残されることに――」


「……南雲さん。後でギルドに救援を出そう。今は俺達がここを切り抜けることが最優先だ」


 西方はそれだけ言うと、他のクラスメイト達と一緒に階段を下りていく。次々と消えていくクラスメイト達の背中を、俺は茫然と眺めていた。


「待って! 何か方法はないの? このままじゃ彼があまりにも――――きゃ!」


 声を上げた南雲さんに向かって、巨大なゴブリンがこん棒を振り下ろす。東条はそれを光の盾で防御しながら、彼女の手を強引に引っ張って階段を下りていく。


「早く下りねぇと危ねぇ! こいつら階段まで追いかけて来やがるぞ! モンスターが集まってくる前に帰還の宝珠を使ってずらかるぞ!」


 最後にこっちを向いた南雲さんと目が合ったが、彼女は悲しげな表情を浮かべながら、東条に引きずられるように去っていく。


《あははっ! 山田ぁ~! 君の犠牲は無駄にはしないからねぇ~! まあ、主人公の僕と違って、お前みたいなモブキャラ、皆すぐに忘れちゃうと思うけどぉ~! それじゃあ僕もそろそろ君の体から失礼するよ~!》


 北村の馬鹿にしたような声が脳内に響いた次の瞬間、俺の体は自由になった。


 急いで辺りを見回すと、モンスター達が群れをなして俺を取り囲み、今にも襲い掛かってきそうな状況だった。


 階段は遥か彼方。ここからじゃとてもたどり着けそうにない。そもそも、辿り着けたとしても、もう帰還の宝珠もないのだ。脱出の手段なんて、何一つ残ってはいなかった。


「うああぁぁぁぁぁーーーー!!」


 俺は絶叫しながら、モンスター達から必死に逃げ回った。


 だが、逃げても逃げてもモンスター達は俺を追いかけて来る。やがて1体の大きなサイクロプスが俺の前に立ちはだかると、戦鎚を振り下ろして攻撃してきた。


 ――グシャッ!


 右腕が潰れる嫌な音と共に、俺の体は吹き飛ばされて地面を転がった。


「ぎゃぁぁーー! ひ、ひぃ! ひぃぃ~! 嫌だ、死にたくないぃ! たすけっ! 誰か助けでぇ! 頼むがら、ごろざないでぐれぇぇ~!!」


 顔面を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら、俺は恥も外聞もなく、モンスター達に命乞いをする。だが、モンスター達はそんな俺の懇願を、当然のように無視して近づいてくると、巨大な腕やこん棒を振り上げて襲い掛かってきた。


「ひ、ひぃ!? 嫌だぁああ! や、やめてくれぇ!」


 俺は悲鳴をあげながら、必死に立ち上がってモンスター達から逃げる。


 股間からは糞尿が漏れ出しており、悪臭が立ち込めていたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。潰れた右腕を庇いながらも、俺は必死になって走る。


 どこにも逃げ場なんてない。でも、ここに留まれば死ぬだけだ。


 突如ヒーローのような人物が現れて、自分を助けてくれないか。はたまた、俺の中に隠されていた超人的な力が覚醒して、モンスター達を殲滅してくれないか。そんな都合のいい妄想を必死に追い求めながら、俺は走り続けた。


 しかし、その希望が叶うことはなかった。スカイドラゴンのブレスで皮膚を焼かれ、ワーウルフに片目を抉り取られ、トロールの巨大な足で体をつぶされそうになる。


 それでも俺は絶叫を上げながら血溜まりの中を無様にもがき続けた――。


「じにだぐない。じにだぐないよぅ……」


 どれくらい走っただろうか? もう足が動かない、体力も尽きた。


 俺の体は全身傷だらけで血まみれになっており、衣服はすべて焼け焦げている。左腕は千切れ飛んでおり、右足はぐちゃぐちゃに潰れていた。もはや生きているのが不思議なくらいだ。


「父ちゃん、母ちゃん、空、……雫。死にだぐない……じにだぐないぃ……」


 家族の顔を思い浮かべながら、俺はうわ言のように呟き続ける。そして、とうとう動けなくなった俺は地面に倒れ伏すと、ゆっくりと目を閉じた。


 ……


 …………


 ………………


 ……………………


 コツコツと誰かの足音が聞こえてくる。


 いつの間にか、辺りからはモンスターの気配が消えており、その代わりに1人の人間(?)がこちらに近づいて来ていた。


 足音の主は白いローブを身に纏い、フードを被っていて顔は見えない。ただ、その人物が女性であるということだけがわかった。


 その女性は俺の前で立ち止まると、無言のままじっとこちらを見下ろしていたが、しばらくすると、ぼそりと呟いた。


「……はぁ、あれほどハメを外すなと忠告しておいたのニ」


 どこかで聞いたことのある声だった。だが、頭に霞がかかっていて、それが誰なのかが思い出せない。


「山田クン、死んでしまったんだネ。かわいそうに、人間というのは本当にどこの世界でも残酷な生物ダネ」


 この人は何を言っているんだろう? 俺はまだ死んでない。生きて帰って家族に会うんだ。……でもどうしてだろう? 身体が全く動かないんだ。


「君は死んでしまったんダ。見てごらん、体は頭部と胴体しか残っておらず、それ以外はぐちゃぐちゃダ。きっと凄く苦しんだんだろうネ。今は魂が肉体から離れようとしている状態なんダヨ」


「……?」


 わからない。頭がボーっとしていて、よく聞こえないんだ。だが、女性はそんな俺の様子など気にすることもなく言葉を続ける。


「そして、残念ながら君にこの先はないんダ。ダンジョンで死んだ人間は、その魂をダンジョンに喰われてしまうんダヨ。だから、君はもう二度と家族に会うことはできないどころか、転生することすらできない。君の魂はここで消滅してしまうのサ」


 ……え? 何を言って……?


 意味がわからない。そもそもこの人はさっきから何を言っているんだ?


「倒しても倒しても湧いてくるモンスター。ダンジョンボスにレアアイテム。無から有は生まれなイ。それらを生み出しているエネルギーは一体どこから来ているのカ、考えたことはないのカナ? ……それは、人間の魂サ。人間の魂というのはとても大きなエネルギーを秘めているんダ」


 女性の言っていることが何一つ理解できない。でも、何故か俺の心に深い恐怖を植え付けた。


「ダンジョンで死んだ人間はもちろんだけド、レベルアップ能力を持った人間は、どこで死んでもその魂はダンジョンに喰われ、エネルギー源にされてしまウ。それがこの世界の女神ガイアの作ったダンジョンシステムなんダ。彼らは自分を選ばれた人間だと思い込んでいるようだけど、実際は生贄なんダヨ。レベルアップ能力で魂を成長させて、そのエネルギーをダンジョンに喰わせるためのネ」


 女性はそこで言葉を区切ると、呆然としている俺の顔をじっと見つめた。相変わらず俺は何も話せないし、体も動かない。


 やがて、ふわりと身体が浮かぶような不思議な感覚に襲われた。


「どうやら魂が体から離れ始めたようダネ。ほら、お迎えが来ているヨ」


 ゆっくりと、視線を辺りに向ける。すると、ダンジョンの床から、無数の白い手が俺に向かって伸びてきているのが見えた。俺は恐怖で悲鳴を上げようとしたが、やはり声は出ない。


 ――嫌だ! 嫌だ! 消滅したくない! 魂を喰われるなんて嫌だ!


 必死になって抵抗しようとしたが、体は動いてくれない。そのまま無数の白い手は俺の体に絡みつき、ゆっくりと床へと引きずり込もうする。


 恐怖と絶望で頭がおかしくなりそうになりながらも、俺は助けを求めて女性に向かって必死に手を伸ばした。


「……キミは、ボクの授業を最も真面目に聞いてくれていた生徒だからネ。……特別に、ボクがその魂を救い出してあげるヨ。なに、気まぐれサ。たまには善行と呼ばれる行為をしてみるのもいいと思っただけサ」


 女性が俺の伸ばした手に触れる。すると、床から伸びてきている無数の白い手が、音を立てて砕け散った。だが、再び床から次々と白い手が伸びてきて、俺の体を絡めとろうとしてくる。


「時間がないから、すぐに始めるヨ。"異界送りの儀"でキミをボクの故郷――"アストラルディア"へと送り込ム。昔、ボクがこちらの世界に来た時に使った方法でネ。もうこれには殆どエネルギーが残っていないケド、魂だけなら運べるはずサ。この世界の外に出れば、ガイアの呪縛からも解放されて、君は普通の人間として転生できるはずダヨ」


 しゃらん、と女性の手に持った錫杖が音を立てる。温かな光が溢れ出して、俺の体を包み込んだ。


「女神の転生部屋を通らないかラ、辛い記憶は消去されないシ、ギフトも貰うことができなくなるケド、それは勘弁して欲しイ。それに……"異界送りの儀"を使うと時間軸が捻じ曲がってしまうから、もしかしたら戦乱の時代に生まれて、辛い人生を歩むことになるかもしれなイ。それでも、ここで消滅してしまうよりはマシだろウ?」


 女性はそれだけ言うと、錫杖を俺の胸に向かって突き出した。そして、静かに目を閉じると祈りを捧げ始める。


「……そうダ。せっかくだし、この世界のダンジョンのスキルを持っていけるようにしてあげるヨ。今のボクならそれくらいの介入は可能だからネ」


 俺の体――いや、魂に手を突っ込んで、何かを探すように動かしている女性。俺は何も理解することができないまま、ただされるがままになっていた。


「――このスキルは……! いや、もしそうなら、それが運命だト?」


 やがて何かを見つけたのか、女性は驚いたような表情を浮かべると、少し考え込むそぶりを見せる。だがすぐに小さく頷くと、再び俺に視線を向けた。


「いや、なんでもないサ。……さて、そろそろ時間のようだネ。それじゃあ、お別れダ。山田クン、キミの未来に幸多からんことヲ――」


 女性が錫杖を高く掲げると、俺の周りに光が集まっていく。やがて視界が真っ白になり、俺の意識はゆっくりと遠ざかっていった――――。

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