第054話「真面目で働き者な魔族」★

「うぎゃぁあーーーー! もうやめてくれぇええーーっ!!」


 薄暗い部屋の中に、男の悲鳴が響き渡る。


 そこは、まるで研究室のような部屋であり、様々な実験道具や書物が所狭しと並べられていた。文明の遅れたこの世界にしては、かなり先進的な設備が整っていると言えるだろう。


 天井からは、怪しげな液体が入ったフラスコや、髑髏などのオブジェクトがぶら下がっており、それがこの部屋の不気味さを一層引き立てていた。


 そして、その部屋の中央には、大きな台があり、その上に拘束された人間の男と、一体のゴブリンが横たわっている。


 彼らの前にはキツネの耳をした白衣の魔族が佇んでおり、興味深そうに事の成り行きを見守っていた。


「どうカナ? まだ女神の力は受け付けるカイ? おや、まだ大丈夫なようだネ。ならば次は臓器を交換してみようカ」


「や、やめろーっ! 殺せ! 俺を殺せぇええーー!!」


 男は人間であるはずなのに、その手足が緑色のゴブリンのそれに変わっている。どうやら、ゴブリンの体を移植されてしまったようだ。


 彼は苦痛に顔を歪めて泣き叫んでいるが、キツネ耳の魔族はお構いなしに、男の左目をゴブリンのものと交換し始めた。


「ぎああぁぁああ! 殺せぇーー! 殺してくれぇぇえ!!」


「おや、すまない。痛かったカナ? 大丈夫、女神の力が込められた回復ポーションはいっぱい用意してあるからネ。ほら、すぐに回復してあげるヨ」


 キツネ耳の魔族はそう言うと、フラスコに入った液体を、男の目へ振りかける。すると、傷はみるみるうちに治癒し、ゴブリンの目玉が男の左目へと収まった。


「おお、まだ女神の力は受け付けるようだネ。ふむ……。それにしても、やはり人間は実に興味深いナ。何故、女神の力は人間にだけ効果を発揮するのカ、調べれば調べるほど謎が深まるばかりダ」


「た、頼む……。もう殺してくれ……」


「殺すだなんテ……。そんな酷いコト、ボクに出来るわけないじゃないカ。ボクは平和主義者なんダヨ? 暴力なんて野蛮なもの、とてもとても……。ヨシ、ゴブリンの体にも慣れてきたみたいだし、次はもう少し複雑な肉片を繋げてみようカ」


 男は顔面蒼白になり、必死で暴れ回るが、手足は拘束されたままで逃げることは叶わない。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫ぶ。


 しかし、そんな男を嘲笑うかのように、キツネ耳の魔族は楽しげに笑った。そして右手にメスを握ると──


「グリムリーヴァ様。一体何をしておられるので?」


「……んん? バロガンじゃないカ。いつ帰ってきたんだイ?」


 いつの間にか、山羊頭の魔族──バロガンが部屋へと入ってきていた。


 グリムリーヴァと呼ばれた魔族は、メスを男へ突き刺す寸前で停止すると、にっこり笑って口を開く。


「ほら、八鬼衆で女神のギフトと王印を維持したまま、人間を魔族と化す実験は成功したダロ? だが、そんな彼らも、それ以外の女神の力は受け付けなかっタ。なら、女神は一体どこまでを人間だと判定しているのか、という疑問がボクの中に生まれたのサ」


「なるほど、それは興味深いですな」


「脳か、心臓か、あるいは体の何割までかが人間であれば、女神は人間を人間だと認めるのカ。それとも、それ以外の要素で判断しているのカ……。ならば、人間を徐々に魔物の体と入れ替えていけばどうなるか、と思ったんだヨ」


「それは素晴らしい発想ですな! 流石はグリムリーヴァ様!」


「だろウ? さて、それじゃあ次は生殖器をゴブリンのものと取り替えてみるとしようカ」


「おい? 良かったな人間! グリムリーヴァ様の偉大な実験に携われるなんて、お前は幸せ者だぞ!」


 バロガンは嬉しそうに笑った後、ゴブリンの四肢にされた男の頭をばしばしと叩いた。


「神よ! おおっ、神よ! この悪魔からどうか私を救いたまえ!!」


 男が叫ぶと、グリムリーヴァは不思議そうに首を傾げた。


「人間という生き物は実に愚かだネ。神に願ったら空からボクに落雷でも落ちるワケ? ここで祈る意味が全く理解出来ないヨ……。おっと、ポーションが切れてしまったようダ、ちょっと待っててくれヨ? 今棚から取ってくるカラ」


 グリムリーヴァは台の上にメスを置くと、部屋の奥にある棚の方へ歩いていった。


 手を伸ばして棚の上にあるフラスコを取ろうとするが、あと少しというところで届かない。そして、悔しそうに尻尾をゆらゆらと揺らすと、今度は台の上に飛び乗り、背伸びをしてなんとか目的のものを手に入れようと奮闘し始めた。


「ん、んんっ……。バロガン、すまないがちょっと手伝ってくれないカイ? 届かなくて……ネ」


「はい、かしこまりました。グリムリーヴァ様」


 バロガンは満面の笑みを浮かべると、棚の上からポーションの入ったフラスコを取ろうと手を伸ばす。


「ああ、ダメダメ! こんなポーションでも魔族にとっては猛毒だから、キミは触っちゃ駄目なんダ! ほら、ボクの体を持ち上げてくれヨ」


「ははっ! 承知しました」


 グリムリーヴァの小さな体を持ち上げると、もふもふとした尻尾が腕を撫で、バロガンは何とも言えないむず痒い感覚を覚える。


「やあやあ、助かったヨ。ありがとう、バロガン」


 バロガンの腕から降りると、グリムリーヴァはくるりと回って、尻尾の毛に付着した埃を払った。その愛らしい仕草に、バロガンは思わず目尻を下げる。



 ──魔王軍四天王、"狡智"のグリムリーヴァ。


 美しい紫の毛並みと、同じ色の瞳が特徴的なキツネの魔族である。人間からは、魔族の中でもとりわけ残忍で狡猾な悪魔と恐れられているが──その容貌は、人々の想像とはかけ離れたものであった。


 背丈はバロガンの半分程の、小柄な体格で、顔立ちも非常に幼い。見た目だけなら、逆に人間から非常に好感を持たれそうな、美しい少女そのものである。


 【挿絵】

https://kakuyomu.jp/users/mezukusugaki/news/16817330668263065415



「さあ、続きを始めヨウ──」


「ぐ、グリムリーヴァ様! 大変です! こ、こいつ舌を噛んで自害しました!」


 グリムリーヴァが振り返った時には、すでに男は絶命していた。山羊頭の魔族バロガンは、それを見て悔しそうに拳を握り締める。


「え、えええー!? 何で死ぬのォ!? 訳が分からないヨ。死んだらそれで終わりじゃないカァ!! あー、ポーションが無駄になってしまったヨ……」


「申し訳ありません。グリムリーヴァ様……。私が目を離したばかりに……」


 バロガンは申し訳なさそうに頭を下げた。それを見たグリムリーヴァは大きく溜め息を吐くと、仕方がないといった様子で頭を搔く。


「いいサ。まさか自害するなどとはボクも考えていなかったからネ。人間というのは何故すぐに自害するのカネ? まったく、命を何だと思ってるんだヨ」


「訳が分かりませぬな……。死んだら女神に天国という楽園に連れて行って貰えるとか、生まれ変わってやり直せるとか、そんな与太話が人間達の間では信じられているそうですが……」


 バロガンの言葉に、彼女は露骨に顔を顰めた。男とゴブリンの拘束具を外すと、そのまま床に投げ捨てる。


「まあ、実際女神の奇跡がある以上、そういった話がある可能性もゼロではないのかも知れないけれド……。体験者がいるわけでもないのに、よくもまあ、あっさりと自分の命を捨てられるものだネ。正直理解できないヨ」


「人間は我々と違って頭がおかしいですからな……。叡智の結晶たるグリムリーヴァ様とはいえど、奴らのイカれた行動原理を理解するのは難しいでしょう。はははははは!」


 バロガンはそう言って豪快に笑うと、男の死体を台から蹴り落とした。緑色の手足をだらり、とぶら下げた無残な遺体が、ドサリと音を立てて床に転がる。


「キミ、それを片付けておいてくれナイ?」


「グギャ、グギャ!」


 男と入れ替わりに、人間の手足を移植されたゴブリンが、グリムリーヴァの命令を受けて元気良く返事を返した。


「おお、カッコいい姿になったではないか! おい、良かったなお前! グリムリーヴァ様の実験材料になれるなんて、お前は実に幸運な奴だぞ!!」


「グッギャ、グギャ!」


 実験体ゴブリンはそう言って無邪気に笑うと、いそいそと死体を運び始める。それを横目に見ながら、グリムリーヴァは欠伸をして眠そうに目を細めた。


「ところでバロガン、ボクに何か用があったんじゃないのカナ?」


「おお、そうでした! 八鬼衆が人間の国を2つほど落としたのですが、そのご報告をと思いまして」


「もうそんな所まで行ってるんダ? いやー、八鬼衆は働き者で助かるネ! 最近はボクばかりが激務に追われていたかラ、本当にありがたいヨ……」


 この隈を見てくれと言わんばかり、グリムリーヴァは目の下を指先でなぞって、耳と尻尾をへにょりと力なく下げる。


「いやはや、グリムリーヴァ様は魔王軍一の働き者ですからな」


「他の魔族が働かなすぎるんだヨ! イヴァルドは直情的な性格だったけど、それなりに仕事はしてくれていたのに死んじゃったシ……。ギドガドスは魔王城から出てこない引きこもりだシ、メリエールに至っては、働かないどころか、魔族の癖に人間と仲良くしてやがるシ……。四天王で真面目に働いてるのボクだけじゃないカ!」


「ま、まあ……。ギドガドス様は一応魔王城のガーディアンですし、メリエール様は、その……サキュバスという種族ですから、人間から精を搾り取るのは本能、と言いますか……」


 バロガンが口ごもりながらそう言うと、グリムリーヴァは眉間に皺を寄せた。


「ボクが人間の間でなんて呼ばれてるか知ってるカイ? "史上最悪の悪辣魔族"とか"残虐非道の悪魔"とからしいヨ? 全く酷い話ダ! ボクほど真面目で働き者な魔族もいないっていうのにサ!」


「ま、まあ……。真面目に人類打倒を考えて一所懸命に働く魔族は、向こうからすれば最悪な存在ですからな……。我々から見る人間の勇者みたいなものでしょう」


「そもそも魔族は不真面目な奴が多すぎるんダ! 長い寿命に、高い魔力、それに人間よりも優れた身体能力。これだけのアドバンテージがあるんだから、普通に考えたら人間がボクらに勝てるはずないっていうのニ! なのにどいつもこいつも自分勝手な奴ばかリ! 敵だけど少しは人類を見習って欲しいヨ!」


「ま、まあ……。それが魔族という種族ですからな……」


 グリムリーヴァの愚痴に、バロガンは苦笑いを浮かべて相槌を打つ。


「……欲望のままに好き勝手暴れる普通の魔族よりも、人間に最も近い思考をしているボクが"悪魔"と恐れられるのは、皮肉な話ダネ。ボクがやってることなんて、いかにも人間が思いつきそうなことばかりなのにサ」


「まったくですな。あのような卑劣な手段、我々ではとてもとても──い、いえ……何でもないです」


 ジロリ、と上司にジト目で睨まれたバロガンは、慌てて口を噤む。


「もし、仮にボクら魔族が淘汰されたら、きっと彼らは同族同士で争い、殺し合うだろうネ。それも、種が全滅するまで永遠にサ」


「ハハハハハハッ! 流石にそのような事はあり得ないないでしょう! 如何に頭のおかしい人間と言えど、同族同士で永遠に殺し合いを続けるほど愚かではありますまい。頭のいいグリムリーヴァ様でも、たまにはそんなくだらない妄想をするのですなぁ。わっはっはっは!」


「…………」


 バロガンは腹をバンバン叩きながら大声で笑っているが、彼女はそれに反応することなく、何かを考え込むように俯いていた。


「……何故、魔王様は魔王城から動かなイ? 何故女神のギフトは人間だけにしか与えられなイ? 何故ボクら魔族は、これだけの強さを持ちながら人間に勝てなイ? 何故? 何故? 何故? これではまるでボク達は……。……知りたい、ボクは全てを知りたいだけなんダ。その為ならボクは……」


 ぶつぶつと独り言を呟くグリムリーヴァを、しばらく呆然と眺めていたバロガンだったが、やがて真面目そうな表情に戻すと、彼女に向き直る。


「時にグリムリーヴァ様、人間の国を2つ落としたと言いましたが、実は悪い報告も1つありまして……」


「悪い報告? それは何だイ?」


 思考の海から我に返ったグリムリーヴァが、興味深そうに聞き返すと、バロガンは神妙な面持ちになって言葉を続ける。


「八鬼衆の1人……ベイルが討たれました」


「……それは確かな情報カイ?」


「間違いないかと。配下のゴブリンが目撃したようですからな」


「驚いたナ……。彼は傑作ダヨ? 人間だった頃から恵まれた肉体を持っていたのが、魔族に転生してから更に強化されタ。そして相手の特殊能力を封じるギフトに、世界最強の斧使いである王印までも保持していたんダ。彼が負けるなんて、ちょっと信じられないネ……」


 グリムリーヴァは深刻そうな表情を浮かべると、顎に手を当てて考え込む。


「……ベイルはミステール王国を攻めてたよネ? やったのはミステール騎士団? それとも人類連合軍?」


 すると、バロガンは首を横に振った。


 そして、近くに置いておいた水差しからコップに水を注いで一気に飲み干す。グリムリーヴァにも水を注いだコップを渡すと、彼女は尻尾を振りながらそれを受け取った。


「ベイルをやったのは……【サウザンドウィッチ】と呼ばれている冒険者です」


「……またそいつカ。そいつ、オルガテやイヴァルドを殺した奴だろウ? 一体、何者なんだイ?」


「見た目は美しい少女ですが、特級冒険者という人類でも数少ない称号を持つ実力者です。能力は不明ですが、女神ギフトを複数持っているのではないかという噂もあります」


「女神のギフトを複数? 人間は女神のギフトを1つしか持てない筈じゃナイ? 例外は聞いたことがないヨ?」


「ですが、それが事実なのです。最低でも複数の属性魔法を使えるのは確定しています」


 バロガンの話を聞いたグリムリーヴァは、耳をぴくぴくと動かすと、難しい表情を浮かべながら部屋の中をぐるぐると回り始めた。


「そもそもイヴァルドの奴が人間と1対1の戦いで負けたことが信じられなかったんだよネ。人間はあいつの黒煙を一撃でも喰らったらほぼ終わりだシ、例え特級冒険者だっケ? そいつらでも、あいつから一度も攻撃を喰らわずに倒すのは無理だと思うんだけド……。そいつ人間じゃないのカ? エルフか、魔族の血が混じっているのかナ? それとも神の使徒かナ?」


「わかりかねますが、いずれにしても我々の脅威であることに変わりません。特級冒険者【サウザンドウィッチ】ソフィア・ソレル。この名前と顔を覚えておいて損はないと思います」


 バロガンの言葉に、彼女は動きを止めると、椅子の上にぴょんと飛び乗って、足を組んで座る。


「うん、覚えておくヨ。ただ面白そうな人間でもあるし、何とか殺さずにとらえたいナァ……。それでたっぷり実験に付き合ってもらうんダ!」


「ははははは! それは良いですな! そいつもグリムリーヴァ様の実験体にされて、さぞかし喜ぶことでしょう!」


「複数のギフトを持つ人間カ……。ボクが世界の謎を解明する足掛かりになってくれるかもしれなイ。ああ、今から楽しみダ!」


 2人の魔族は邪悪な笑みを浮かべながら、ゲラゲラと笑い声をあげる。


 魔王軍四天王グリムリーヴァが、特級冒険者ソフィアを捕獲するために、どんな手段を取るのか──それはまだ、誰も知らない。





──────────────────────────────────────

Q.八鬼衆ベイルに比べて四天王イヴァルド弱すぎない?


A.めちゃくちゃ強いです。

1話冒頭では、ややコメディ風に描かれていますが、100%の状態のソフィアが周囲を警戒している状況で、気づかれずに接近し、更には黒煙を一度浴びせています。普通の人間ならここで終了です。

霧化で殆どの物理攻撃は通用せず、黒煙は範囲攻撃も可能で大軍相手も殲滅できます。

ソフィアとは能力の相性が悪すぎたので、あっさりやられてしまいましたが、グリムリーヴァの言ったように、普通は特級冒険者でも単独で倒すのは至難です。

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