第052話「脇役の誇り」

 洞窟内に鳴り響いていた戦闘音が止む。辺りは静まり返り、聞こえてくるのは鍾乳石から水が滴り落ちる音だけだ。


 俺はゆっくりと、アックスさん……ベイルの元に近づく。彼の瞳には先程までとは違い、理性の光が宿っているように見えた。


「あー……、ソフィアちゃん。世話かけちまったなぁ……」


「アックスさん! 正気に戻ったんですか!? やっぱりその角が原因で正気を失っていたんですね?」


 おそらくアックスは魔人の角に操られていただけで、心から魔王軍に魂を売ったわけではなかったのだろう。


 だが、彼は力なく笑いながら、頭を搔いた。


「いや、さっきまで俺が言ってたことは、俺の心の底にあった本音だ。ただ、人間はそういった感情には蓋をして生きようとするもんだろ? でも、魔族はそれら全てを曝け出す。くそ……恥ずかしい限りだぜ。ソフィアちゃんには全部知られちまったなぁ」


 アックスは自分の胸に手を当てると、自嘲気味に笑う。そして、彼の体はボロボロと崩れ始めた。


「アックスさん! 待ってください、今回復魔法を──」


 俺が慌てて回復魔法をかけようすると、彼は俺の腕を掴んで止めた。そして、優しい声で語りかけてくる。


「神聖魔法は効かねぇよ、魔族だからな。半魔族は女神のギフトや王印の加護は失わないが、流石に他の女神の奇跡は受け付けねぇ。……もう、俺は手遅れなのさ」


「アックスさん……」

 

 その時、アックスの上半身に刻まれた斧を象った"刻印"が光を放ち始めた。


 ──キィィン……


 次の瞬間、"刻印"はゆっくりと消えていき、同時に俺の左手の甲に同じ刻印が浮かび上がる。


「……あ、斧の王印」


「ああ、最後にソフィアちゃんの斧の一撃で俺が負けたから、斧の王印戦とみなされたんだろうなぁ。……はは! これでソフィアちゃんは"拳王"と"斧王"の両方の称号持ちになったわけだ。とんでもねー小娘だな」


 アックスはガハハと豪快に笑うと、俺の肩をポンと叩いた。


「あー……、いやー……、そのですね……」


 俺が言葉を濁していると、アックスはまさかと目を見開き、信じられないといった表情で俺を見た。


「おいおいおいおいおい、もしかしてだが────」


「あー、はい……。実は王印、もう一個持ってます……」


「「……………………」」


 俺とアックスは見つめ合ったまま、お互いに黙り込む。やがて、痺れを切らしたアックスが爆笑した。


「ガハハハハハハハハハ!! マジかよ! もう勘弁してくれ! 王印3つって化け物かよ!」


「化け物は酷いですよ! いつの間にか増えてたんだからしょうがないじゃないですか!」


 王印が欲しくて王印戦を挑んだわけじゃない。


 王印持ちの誰かが王印戦以外で命を落とし、俺に継承されたのか、はたまた別の理由かは定かではないが、ある日突然、俺の右肩に拳とは違う刻印が現れたのだ。


「ハハハハ……、いや、マジですげーわ。ソフィアちゃん。こりゃ勝てねーわけよ。もしかして魔王より強いんじゃねーか?」


 アックスはどこかスッキリした様子で、清々しい笑顔を浮かべる。そうしている間にも、彼の体はどんどん崩れていく。


「……流石にそれは言い過ぎですよ」


 ガーライル老に勝利した今、俺は人類の中では最強クラスの位置にいるとは自負しているが、他の特級冒険者に確実に勝てるか? と問われれば、自信を持ってYESと答えることはできない。


 特にリリィには、今の俺では十中八九勝てないだろう。俺は剣聖ライガ・フウランにも一度も勝ったことが無いのだから。


 それに、ガーライル老にしたって、自分の体力が衰えているのを自覚したうえで、師匠として俺との技比べに付き合ってくれた。最終的に体力勝負で俺に軍配が上がったというだけで、武術の腕前ではまだまだ遠く及ばない。


 こうして考えると、俺はまだまだ最強にはほど遠いな、と実感させられる。


 そして、魔王に関しては、かつて特級冒険者3人に、王印持ちが4人、賢者が3人というパーティで挑んで、殆どダメージも与えられずに撤退を余儀なくされたという逸話もあるし、正直どれだけの強さか想像もつかない。


 何故か魔王城から全く出てこないようだが、もしこいつが前線に現れたら、人類はあっという間に滅びてしまうのではないだろうか。


「……そうかぁ、これほど強いソフィアちゃんでも魔王は倒せねぇか」


 ボロボロと崩れ続けるアックスの体。


 俺は彼の最後を看取るため、ゆっくりと隣に腰を下ろす。そして、太ももの上に彼の頭を乗せると、優しく撫でる。


「ああ、俺は何でこんな事をしちまったんだろうな? 他の奴らと同じように、角を埋め込まれる前に自害しておけば良かったのによ。あいつらは立派だったぜ。最後までグリムリーヴァに抗って、そして散っていった。俺は心が弱かったんだ。まだ、死にたくねぇって、そう思っちまった」


 彼は後悔の涙で瞳を潤ませながら、懺悔するように語り続ける。涙は俺の太ももを濡らし、地面へと滴り落ちる。


「……八鬼衆のベイルは、余計な殺生はしなかったと聞きました。前線にも出ず、自分を討伐しに来た者だけを相手取っていたと。魔族となって理性を失っても、貴方の本質は変わっていなかったんですよね。立派ですよ、貴方は」


「そんなの、何の慰めにもならねぇよ……。俺のせいで多くの人間が死んだのは事実だ。知り合いも大勢いるミステール王国も危機に晒された。冒険者ギルドや"栄光の戦斧"の皆は俺のことをどう思うだろうな? このことを知ったら、きっと最低な男として軽蔑するだろうな」


 俺は彼の頭を撫で続けながら、優しく微笑む。そして安心させるように言葉を紡いだ。


「あなたはグリムリーヴァに操られていただけ、仕方がなかったんです。冒険者アックスは人類の為に勇敢に戦って散っていった。ギルドにはそう伝えておきますから、安心してください」


「……ああ、くそ! やっぱお前めちゃくちゃいい女だな! 口説いておけば良かったぜ!」


「口説けば良かったじゃないですか? 結構一緒にいたのに、私のことそういう目で見なかったんですか?」


 俺がからかうように問いかけると、アックスは口をへの字にして目を逸らした。そしてボソッと呟くように言う。


「いや、だってよ……。ソフィアちゃんって俺の半分くらいの年齢だろ? 流石にその歳の娘にがっつくのは大人として、1級冒険者パーティのリーダーとしてカッコ悪りぃと思ってよ……」


 彼は照れくさそうに頰を搔いた。どうやらアックスは本気で言っているようだった。俺はそんな彼の様子が面白くて、つい吹き出してしまう。


「ふふふふ、私これでも24歳ですよ? あなたとそこまで歳は変わりませんから」


「はぁ!? 嘘っ!? マジでか!? 十分大人じゃねーか! ……あー、めちゃくちゃ後悔してきた」


「チャンス、あったかもですね?」


「マジかよ……。未練がやべぇことになっちまったじゃんかよ……。ああ、本気で口説いときゃ良かったぜ……」


 アックスは悲壮感漂う声を出す。


 実際にチャンスはあったと思う。彼の"力だけが全ての世界マッスルキングダム"は非常に有用だし、今からでも欲しいくらいの能力だ。もし口説かれていたら、ほいほいと宿までついて行ってた可能性が高い。


 すでに彼の体は、上半身以外はボロボロに崩れ切っていた。下半身は完全に砂となって消えており、残された時間は少ないだろう。


「ソフィアちゃん、その斧を貰ってくれないか?」


 地面に置かれている、アックスの角を折った小斧。それを彼は指差した。


「俺が師匠から貰った武器でな。特殊な能力は付与されてねぇが、切れ味はいいし、女神の力が込められてて頑丈だ。それに自動修復機能もついている。小型だから、女の子のソフィアちゃんでも扱いやすいだろう。迷惑かもしれねぇが、俺の形見として受け取ってほしい」


「……謹んでお受け取りします」


 俺はアックスから小斧を受け取り、胸の前で抱きしめるように持つ。すると、彼は安心したように優しく微笑んだ。


「ああ、これは悪くねぇ死に方だな。美少女の膝の上で看取ってもらえるなんてよ」


「そうですよ、光栄に思ってください」


 俺は冗談めかして言うが、アックスは真面目な顔のまま、まるで遺言のように言葉を紡いだ。


「ソフィアちゃんは、これからきっと、あの女に匹敵するくらいの、大きな物語を作っていくんだろうな。俺はその脇役として登場できたことを誇りに思うぜ」


「私は……そんな凄い人物じゃないですよ」


 謙遜するようにそう答えた。だが、アックスは首を横に振ると、俺の目を真っ直ぐ見る。


「いや、君は間違いなく、これからも大きなうねりの中心になっていくだろうよ。望むにしろ望まないにしろ、な。だけど、ソフィア・ソレル……君は俺のようにはなるなよ。これからどんな困難が待ち受けようとも、君は君らしく、自分の信じる道を進んでくれ────」


 そこまで言って、アックスは力尽きるように息絶えた。


 彼の体は灰になり、サラサラと風に飛ばされて消えていく。彼がいた痕跡は、角の破片だけとなった。



「……さようなら、アックスさん」



 俺はゆっくりと立ち上がる。そして、彼の遺した小斧を強く握りしめると、洞窟の外を目指し、歩き出した。

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