第047話「真っ赤な瞳の少女②」★

 奇しくも、俺の1回戦の相手となったのは、先程控室で目にした小さな少女だった。


「おいおい……冗談だろ? どうすりゃいいんだよ?」


 俺の得物はバトルアックスだ。一発でも当てたら殺してしまう。


 うまいこと柄にでも当てて、気絶させるか。それともいっそのこと武器を使わないで拳で倒すか。どうやって手加減して戦うか、その時の俺はそれだけで頭がいっぱいだった。


「両者、準備はいいかね?」


「…………」


 審判が俺達に確認を取る。少女は特に構えを取るでもなく、ただ自然体で立っていた。


(ああ、もうどうにでもなれ! どこかのお偉いさんの娘か何か知らねーが、こんな舞台にガキを連れてくる方が悪いんだ!)


 俺は腹を括り、バトルアックスを構えて少女と向き合った。


「それでは、試合────開始ッ!!」


 審判がそう宣言した瞬間、俺は地面を蹴って少女との距離を一気に詰めた。少女は依然、棒立ちのままだ。


「わりぃな嬢ちゃん! 一撃で終わらせてもらう────」



 ……



 …………



 ……………………



「…………?」


 気が付くと、俺の目には一面の青空が広がっていた。雲ひとつない、澄み切った青い空。しばらくして、自分が大の字になって寝転がっており、空を見上げていることに気付いた。


 意味が分からなかった。確か俺は少女と戦い、一撃で終わらせるはずだったのに……何故地面に倒れている?


「君、大丈夫かね? 意識ははっきりしているか?」


 ふと視線を上げると、そこには審判がいた。俺の身を案じてくれているようだ。しかし、何故そんな心配をしてくるのかがわからない。


「……ああ、大丈夫だが。一体、何があったんだ?」


 俺が問うと、審判は気の毒そうな表情を浮かべた後、ゆっくりと首を横に振った。


「君は負けたんだ。あの少女にね」


「……俺が、負けた?」


 急いで周囲を見渡すと、観客達の歓声が耳に飛び込んできた。中には俺に向かって罵声を浴びせている者もいる。そして、地面に転がる自分のバトルアックスを見て絶句した。


「何かの間違いだ! 俺があんなガキに負けるはずがねえ! 審判、もう一度あの少女と試合をさせてくれ!」


 俺がそう言うと、審判は首を横に振った。


「油断してただけだ! 頼む、もう一度やらせてくれ!」


 必死に懇願していると、審判は憐れみの表情を浮かべながら、こう言った。


「君の負けだ、諦めなさい」


「ふざけるな! こんな事認められるか!」


「君! いい加減に────」


「いいよ。斧、拾ったら?」


 審判が俺を諫めようとしたその時、背後からやけに落ち着いた声が聞こえてきた。振り返ると、そこには先程の少女がいた。


 少女の声は鈴の音のように軽やかで美しく、それでいて強い意志を感じさせるものだった。まるで周囲の空気を一変させるかのような威圧感に、思わず背筋がゾクリする。


「……後悔するなよ? 今度は油断しねえ。泣いて謝っても許してやらねぇからな!」


 俺は斧を拾い上げると、少女に向かって駆けだした。そして、全力で斧を振り下ろす。手加減なしの一撃だ。もう、このままだと殺してしまうとか、そんなことを考えている余裕はなかった。


 だが、少女は目にも留まらぬ速さで俺の攻撃を回避すると、手に持っていたボロボロの剣で俺の首筋を軽くトンっと突いた。

 

 ゴミのような剣だ、ダメージなんてもちろんない。なのに──


「う、うらぁぁあああ!!」


 再び斧を振り下ろす。しかし、またもやひらりとかわされた。そして、少女は再び俺の首筋を剣で軽く突く。


「あ、あああ……」


 俺はあまりの出来事に、呆然と立ち尽くした。これがまともな剣であったなら、とっくに致命傷を負わせられていたことは明白だ。


「まだやるの?」


「う、うるせぇぇえ!!」


 それから何度攻撃しても、少女に傷一つ与えることはできなかった。ボロボロで何の殺傷力もない剣で、少女は的確に俺の急所を突き、俺はその度に地面に膝をついた。


「こ、こんな事あるはずがねぇ!!」


 今まで、俺は誰にも負けたことがなかった。子供の頃は大人に敗北することもあったが、少し成長するだけで、すぐに逆転できた。どんな名のある冒険者も、こいつには絶対に勝てないと思う相手は、ただの1人もいなかった。


 なのに、それなのに──


 改めて目の前の少女を見る。本当に小さな女の子だ。先生に斧を習い始めたばかりの俺と、さして変わらない年齢だろう。


 ──なのに、勝てるヴィジョンが1ミリも浮かばない。


 真っ赤な瞳と目が合う。吸い込まれそうなほど美しい、ルビーのような瞳。肌は雪のように白く、背中にかかる美しい銀髪が、そよ風になびいている。


 それは、まるで英雄譚に登場する主人公のようで──


「違う! 俺が! 俺が、こんなガキに負けるはずがねえぇぇえ!!」


「き、君! いい加減にしなさい!」


 審判が俺に警告するが、俺はそれを無視し、斧を振りかぶって少女に突進する。しかし、またもやあっけなくかわされ、そのまま少女の手で斧を弾かれる。


 俺は慌てて床に這いつくばって斧を拾おうとしたが、それより先に少女が俺の首筋に剣を突きつけてきた。


「これでおしまい」


「ま、まだだ! 俺はまだ負けてねえ!」


 無様に這いつくばりながらも、俺は少女に向かって叫んだ。


「何あれ? ださ……」


「あの男、往生際が悪すぎだろ……」


 観客席からそんな声が聞こえてくる。屈辱で頭がどうにかなりそうだった。しかし、それでも俺は自分の敗北を認めることがどうしてもできなかった。


「お前! 卑怯だぞ! 本当は剣聖の娘か? それとも剣術の英才教育を受けたどこかの貴族の娘か? ボロボロに見えるその剣は何かのマジックアイテムか!? まさか見た目通りの年齢じゃないのか!? そのような外見と武器で俺を油断させる作戦か? そうだろ!? そうに違いねぇ!!」


 唾を飛ばしながら1人で喚き散らす俺を見た観客達は、白けた表情を浮かべていた。中にはクスクスと笑い声を洩らす奴もいる始末だ。しかし、その時の俺にはそんなことすら気にならなかった。ただこんな少女に負けたままで終わるのが嫌だったのだ。


「貴族? うちはパン屋だけど……」


「…………は?」


 少女の言葉に、俺は間抜けな声を上げてしまった。今こいつは何て言った? パン屋? 意味がわからない。こんな剣捌きでパン屋の娘?


「そ、その剣は何だ! どんな効果が付与されてやがる!? 名のある鍛冶師かアイテム師に作らせた業物か!? それとも古代のダンジョンから発見された伝説級の魔剣か!?」


「この剣はこの前、街の武器屋で買ったの……。おこづかいだと廃棄予定のこれしか買えなかったから……」


「…………え?」


 少女が発した予想外の言葉に、俺はしばらく開いた口が塞がらなかった。さっきからこいつが何を喋ってるかわからない。


「師は誰だ! そのような剣捌きができる剣士が、そこら辺にいるわけないだろ! 本当は生まれた時から剣聖による英才教育を施されてきたんだろ!? だからそんな凄い剣技を身につけて──」


 俺が喚き散らすと、少女はキョトンした表情を浮かべた後、すぐに首を横に振って否定してきた。



 ──剣は……この前、武器屋で買った後、初めて振ったの……。



 ぐにゃりと視界が歪む。まるで脳みそを直接揺らされているような感覚だった。


 少女は剣聖の娘ではなく、剣の英才教育を受けていたわけでもなく、伝説の武器を持っていたわけでもなかった。



 数日前に武器屋で廃棄予定のボロボロの剣を買い──

 

 人生で初めて剣を振るった──


 ただのパン屋の娘だった──。



 足元がガラガラと崩れ落ちるような錯覚に陥り、俺はその場にへたり込んだ。少女はそんな俺を不思議そうな目で見つめている。


「な、何でこの大会に……。お前は何の目的でこんな……」


 ぼろぼろと涙を零しながら、絞り出すように声を出す。


 一体どんな目的があって、こんな大会に出ようと思ったのか。神の導きか、それとも悪魔の誘いを受けてか。何か大きな力が働いていて、少女に特殊な力を与え、この舞台へ導いた。そう思わずにはいられなかった。


 しかし、俺のその問いに対して、少女はただ一言、こう言った。


 

 ──お姫様が、かわいかったから……。



 神に導かれたわけでも──


 英雄に成るためでも──


 名誉が欲しいからでも──

 

 金が欲しいからでも──


 武の極みを目指すためでもない──


 少女が剣を取り、この大会に参加した理由は、『パレードで見たお姫様が綺麗だったから、友達になりたかった』、ただそれだけだった。


「あ、ああ……」


 俺の口からは、言葉にならない声が漏れるだけだった。涙がどんどん溢れてくる。子供のように泣き喚きながら、地面に頭を打ち付ける俺を、少女はただただ黙って見つめていた。


(俺じゃなかった……。俺じゃなかったんだ!)


 英雄譚の主人公。皆から尊敬され、称えられ、後世に名を遺すような神に選ばれた存在。それは、俺ではなかったのだ。


 俺は、自分が選ばれた存在だと思い込んでいただけの、ただの凡人だったのだ。その事実に気付いた瞬間、今まで俺を支えていた何もかもが崩れ去ったような気がした。


 心の底から理解してしまった。今が最も実力差がない時だと。これからこの少女と俺の間には、どんどんと差が開いていく。そしてその差は、俺がどれだけの努力をしても永遠に埋まらないだろうことを。



 ──選ばれた存在……英雄は目の前の少女だったのだ。



 そして、そんな英雄譚の序章で、主人公に踏み潰される脇役が俺だったのだと!


 地面に這いつくばったまま、いつまでも泣き続ける俺に、少女は興味を失くしたように背を向けた。その背中に俺は必死に手を伸ばしながら、嗚咽交じりの声で叫ぶ。


「お、お前……! な、名前は……!!」


 少女は一瞬だけ足を止めると、俺の方を振り返り、感情の読めない表情で、ぼそりと呟いた。



「────リリィ」



 【挿絵】

https://kakuyomu.jp/users/mezukusugaki/news/16817330667911924649


 真っ赤な瞳の少女は、それだけ言うと、くるりと踵を返して歩きだした。





◆◆◆





 全てを語り終えたアックスは、自嘲気味な笑みを浮かべた。


「それから俺は、全てを諦め分相応な生き方を選んだ。1級冒険者パーティのリーダーとして、英雄を目指す事なんてせず、むしろ脇役に徹して、仲間と共に慎ましやかに平和に暮らしていく。そんな生き方を選んだ。それが俺の役割なんだと、ずっと自分に言い聞かせてきた」


「…………」


 俺はアックスの話に、黙って耳を傾けていた。


 英雄を目指した男の末路。自らを選ばれた存在だと信じていた男が、本物に出会い、全てを諦め、脇役として生きていく道を選んだ。それがどんなものだったのか、俺には想像することもできない。


「彼女は、特別ですから……」


 俺も初めてあいつを見た時は、その強さと美しさに圧倒された。


 ああ、もしこの世界が物語の中だとしたら、主人公やヒロインと形容するのに、これほど相応しい存在は他にいないだろう……と。


 それほどまでに、リリィという少女の存在は鮮烈だったのだ。


 まあ、美少女を前にすると著しく知能が低下して、ポンコツになるという致命的な欠点があったりするのだが……。


「その特別に! 俺はなりたかったんだよっ!!」


 洞窟の中にアックスの慟哭が響き渡る。その声は、洞窟の壁に反響して何度も俺の鼓膜を揺らした。


「だから、グリムリーヴァの甘言に乗って魔族に魂を売ったんですか?」


「そうだ! 脇役よりはいい! あのまま! 誰にも知られることもなく薄暗い洞窟の中で死ぬ運命よりかはな!」


 アックスは再びバトルアックスを構えた。その瞳には憎悪と嫉妬の炎が燃え上がっているように感じられる。


「名も無き脇役で終わるよりは、悪としてその名を後世に残してやろうじゃないか! 俺は、あの女の──お前達の脇役なんかで終わってたまるかよ!!」


 2メートルを超えるであろう巨大なバトルアックスを、まるで小枝のように軽々と振り回し、壁に叩きつける。洞窟の岩が弾け飛び、土埃と共に岩石が周囲に飛散した。その衝撃によって天井からパラパラと砂や石が落ちてきて、俺の頬に当たる。


「とてつもない膂力、それが魔族となったあなたの力ですか……」


「もう俺は天井を見上げるだけの負け犬じゃない! この力で、特級冒険者も、四天王も、いずれは魔王ですら打ち倒して、この世界の頂点に君臨してやる!」


 そう言うと、アックスはバトルアックスを肩に担ぎ、腰を低く落とした。溢れんばかりの魔力の波動に、周囲の空気がビリビリと振動する。


「さあ、おしゃべりは終わりだ! そろそろ決着をつけようぜ!!」


 もう、話し合いで解決するという選択肢はなさそうだ。やるしかない、か──。



「俺は魔王軍八鬼衆が1人、"斧戦鬼ベイル"! 特級冒険者【サウザンドウィッチ】ソフィア・ソレル! 俺の物語の脇役として、ここで散れェェッ!!」



 洞窟内にベイルの咆哮が木霊する。それを合図に、俺とベイルは同時に地面を蹴った。

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