第045話「裏切り」

 目の前にいる男は、間違いなくアックスだった。肌は赤銅色になり、頭に角が生えてはいるが、その姿形は俺の記憶にある彼そのものだ。


「えーと、私は魔王軍八鬼衆のベイルを討伐しにここに来たのですが……。もしかしてアックスさんがベイルなんですか?」


 このような場所にいながら、ギルドの酒場で偶然再会したかのような気軽さで話しかけてくるアックスに戸惑いつつも、俺は質問を投げかける。


 すると、彼は俺の知ってるアックスと寸分違わぬ声色で、豪快に笑いながら答えた。


「ガハハハハッ! そう! 何を隠そう、この俺が八鬼衆の1人、ベイル様よ!」


「……アックスさんって魔族だったんですか?」


 うーむ……それにしては、そんな気配を感じたことは一度もなかったが……。


 そもそも、魔族がその正体を隠しながら、人間社会の中に紛れて生活することは不可能に近い。


 魔族というのは、姿形こそ人間に似ているものも多いが、その中身は全く別物なのだ。人間と魔族は考え方が根本的に異なっており、共存はあり得ないというのが世間一般の常識である。


 彼らは基本的に自己中心的であり、欲望に忠実だ。人間であれば、社会生活を送る上で必要となる倫理観や道徳心というものを持たず、非常に好戦的で傲慢な性格をしていることが多い。


 まあ、中には例外もいなくはないが、それは非常に稀なケースだ。


 そして、アックスは1級冒険者パーティのリーダーであり、頼りになる皆の兄貴分として、多くの人間に慕われていた。そんな彼が魔族だとは、俺にはどうしても思えなかった。


 俺が困惑していると、アックスは肩を竦めながら答える。


「いや、俺の両親はどちらも人間だし、俺も普通の人間だったさ」


「…………だった?」


 うん? う~ん……? なんだか、含みのある言い方だな。


 俺はこめかみに両拳を当てて、うんうんと唸りながら考える。



 …………。



 ……ああ、そういうコトか。えげつねぇな、魔族。


「なるほど。つまり、魔王軍八鬼衆とは全員が元人間なんですね? グリムリーヴァ討伐隊の精鋭達の成れの果て、それが魔王軍八鬼衆の正体ということでしょう?」


 俺がそう尋ねると、アックスはニヤリと笑った。


「ガハハハ! 驚いたな、ソフィアちゃんは強いだけじゃなくて頭も回るんだな! その通り、魔王軍八鬼衆とは全員が元は人間だった者達だ! 俺も含めてな!」


 消息を絶ったグリムリーヴァ討伐隊。そして、その後に現れた、魔王軍八鬼衆という新たな脅威。このことを踏まえれば、自ずと答えは導き出される。


 グリムリーヴァはチェスを将棋へと変えてしまったのだ。


 普通、人間が魔族側に付くことはありえないし、逆もまた然りだ。盗賊達のように、金や食料、女などの餌をぶら下げて、短期的に寝返るケースはあるが、恒久的に寝返ることはまずありえない。


 だが、グリムリーヴァはそれをやってのけた。人間を魔族に変えてしまうという方法で。


「死体を操っているのか? それとも洗脳のような力なのか? はたまた特殊な魔道具によるものか? 方法はわかりませんが……。いずれにせよ、厄介ですね」


 噂には聞いていたが、やはりグリムリーヴァは想像以上に危険な奴のようだ。ここまで非人道的なことを平気で行うとは……。


「いや……? 俺は生身の身体だし、洗脳なんてされてないぜ? 俺は、俺の意思で鬼と化したんだ」


「……なんですって?」


 アックスの言葉に俺は耳を疑った。自分の意思で鬼に変貌しただって……? 一体どういうことなんだ?


 普通の人間は魔族に変貌したいなどと考えないはずだ。ましてや、アックスやグリムリーヴァ討伐隊は、1級冒険者や王国の近衛騎士などによって構成された精鋭達だ。所謂人類の勝ち組である彼らが、自ら進んで魔族に成り果てるメリットが思い当たらない。


「それはおかしいでしょう? アックスさんは1級冒険者で、皆に慕われる人格者だったはずです。お金も地位も名声もあった。女性にだってモテていたでしょう? そんな人が、わざわざ魔族になろうだなんて考えるとは思えません」


 俺は率直な疑問をぶつけてみることにした。アックスは俺の言葉に一瞬キョトンとした表情を浮かべると、何がおかしかったのか豪快に笑い始めた。


 そして、ひとしきり笑うと、彼は静かに口を開いた。


「ソフィアちゃん、いつか俺が言った言葉を覚えているか? 俺はな……特級冒険者や、斧使いの頂点である"斧王"になることを夢見ていたんだ……」


「ええ、それは聞きましたが……」


「女の子であるソフィアちゃんにはわからねぇよなぁ……。男ってのは、頂点に憧れるもんなんだよ。勇者、英雄、王、天下無双の剣豪……。なんでもいい、とにかく"最強"の称号を手にしてぇと夢想するものなんだ」


「……いえ、わかります」


 俺の中の男の子の魂が、アックスの言葉に共感を覚える。


 前世で俺は、クラスカーストのトップに立つような人間ではなかった。平凡なりに楽しく過ごしていたが、それでも、心の奥底では"特別"に憧れを抱いていた。


「そうか? ガハハハ! ソフィアちゃんは男の気持ちが理解できるいい女だな! まあ、とにかくだ。俺は最強になりたかった! 英雄譚の主人公のような、特別な存在になりたかったんだ!! だが、俺は諦めちまった……」


 アックスはそこで一呼吸置くと、額の角をコツコツと指で叩きながら、再び話し始める。


「俺達グリムリーヴァ討伐隊は、皆そうだった。確かに、全員が人類の中では突出した実力者揃いだったが、それでも皆、何かが足りないと思っていた。1級冒険者にはなれても、特級冒険者には届かない……。力はあるが、余命がそう長くない……。容姿が醜い……。誰にも理解されない性的嗜好がある……。皆、何かしらの不満を抱えていた」


「……そこをグリムリーヴァに付け込まれたというわけですか?」


 俺が尋ねると、アックスは小さく頷く。


「奴は言ったよ。魔族になれば、力が手に入る。若さも、その気になれば容姿も思いのままだとな。性的嗜好だって魔族なら自由だ、理性やモラルなんてものに囚われず、己の心のままに生きることができる……ってな」


 それは、悪魔の誘惑だった。人類を超越した力と、若く、美しい肉体。そして、理性の枷を取り払い、本能のままに生きることができる存在へと変わる……。


「だが、当然、皆それには反発した。俺達は人間だ、魔族になんかにはならないとな」


「まあ、そうなるでしょうね。グリムリーヴァが言ってることが本当のことかも分からないのに、安易に乗る方がどうかしてます」

 

 グリムリーヴァは悪辣な魔族で有名だし、討伐隊は奴を討つために結成された英傑達だ。そんな彼らを簡単に唆せるとは思えない。


「だが、その時だった。討伐隊のリーダーだったロダンの首が突然飛んだのさ。最初は何が起きたのか分からなかったよ……。皆、呆然としてたが、次第に状況が理解できてきた。ロダンを殺したのは……ドノヴァンだった」


「"槍王"ドノヴァン。槍の王印を持つ伝説の槍使いですね。そんな彼がグリムリーヴァ側に寝返ったのですか?」


「あのジジイは怯えていたんだ。かつては世界最強の槍使いと呼ばれながらも、日に日に衰えていく肉体に。最近は王印戦から逃げ回るだけの日々だったらしいぜ。だから、グリムリーヴァの甘言に乗っちまったのさ」


 槍王ドノヴァンはかなりの老齢だ。最近はめっきり表舞台に姿を現さなくなったと聞くが、肉体の衰えが原因だったようだ。


 最強と呼ばれた男が、年老いた己に絶望し、魔族側に寝返った……。なんともやるせない話だな……。


「グリムリーヴァに怪しげな角を埋め込まれたドノヴァンは、みるみるうちにその肉体が若返っていった。すぐに20歳くらいに見える姿になり、魔力も爆発的に上昇したようだった。……俺も、他の連中も思わず息を飲んだよ。そして、それを見たマルグリットの婆さんが、自分にもその角を埋め込んでくれと言い出したんだ」


「マルグリット? それってアネッサ・マルグリットですか? リステル魔法王国の火の賢者の?」


「ああ、そういやソフィアちゃんってあの婆さんの弟子なんだって?」


「……えぇ、まあ。本人から聞いたんですか?」


「まあな。気に食わない小娘だって散々愚痴ってたぜ?」


「…………」


 リステル魔法王国とは、大陸の中央に位置する小国だ。人口はおよそ10万人ほどで、国土もそれほど広くはない小規模な国であるが、多くの魔法使いと研究者を抱えた、大陸でも随一と言われる魔導先進国でもある。


 この世界で唯一の魔法学園があるのもこの国だ。学園では、魔法に関する様々な学問や実技を学ぶことができるため、世界中から魔法使いを目指す若者が集まる。


 そして、リステル魔法王国の賢者というのは、その属性の魔法を極めた、頂点に君臨する魔法使いにだけ与えられる特別な称号であり、その称号を持つ者は世界で10人しか存在しない。


 俺はこの魔法学園に在籍していた時に、マルグリットから魔法を学んでいた。だが、あのババアは俺だけにやたら厳しく、散々いびられた記憶しかない。


「私、あの人に嫌われてるんですよ」


「いや、才能はすげーって褒めてたぜ? 真面目で努力家だし、筋もいいって。ソフィアちゃんなら、いずれ賢者にもなれるんじゃないかってな」


「……え? 私いびられた記憶しかないんですが?」


「若くて可愛くておっぱいが大きいから、気に食わないってよ」


 そう言ってアックスはゲラゲラと笑った。


 俺がマルグリットに嫌われている理由ってそれかよ……。確かにあいつは貧乳の婆さんだったけどさ……。それでも若い頃は美人だったらしいが。


 てかアックスだけじゃなく、槍王ドノヴァンに加えてマルグリットのババアまで鬼になってんのかよ……。八鬼衆ってどんだけヤバい奴らが集結してんだ? 道理で一気に魔王軍の攻勢が強まったわけだ。


「俺達の中で最強だったドノヴァンとマルグリットが裏切った時点で、もう勝ち目がないことは皆理解していた。それでも、懸命に戦ったが、グリムリーヴァに加えて、若返り、更に魔族としての力も手に入れたドノヴァンとマルグリットには敵わなかった。俺達は敗北し、裏切りか死かの選択を迫られた。そして……」


「アックスさんは人類を裏切ることを決断した、と」


「ああ、そうだ。最後まで裏切りを拒んだ、俺達8人以外の勇敢な者達は、魔族化させられる前に皆その場で自害したよ。魔族に変われば、理性もモラルもなくなってしまう。そうなれば、かつての仲間達を殺す可能性があるからな」


「……解せないですね。あなたは、特級冒険者や人類の英雄を目指していたんでしょう? 魔族になって、力をつけたところで、その夢は叶えられないのではないですか?」


 俺がそう尋ねると、アックスは自嘲気味に笑った。


「特級冒険者や人類の英雄……ね。俺もなれるものならなってみたかったさ。だがな、それは無理だってことに気付いちまったんだよ。どうせ俺程度の力じゃ、どんなに努力しても特級冒険者にも英雄にもなれねえ。それならいっそのこと、魔族になって欲望のままに生きた方がまだマシだって、そう思っちまったんだよ」


「……前も言っていましたが、どうして諦めてしまったのですか? あなたは若くして1級冒険者まで上り詰めた実力者だ。努力次第で、いずれは特級冒険者になれる可能性だってあったのでは?」


 アックスはまだ30かそこらの年齢で、まだまだ成長の余地はあったはずだ。


 この世界の人間は、肉体のピークが過ぎ去ってしまったとしても、魔力やギフトを鍛えることによって、歳を重ねても、その実力を更に伸ばしていくことが可能だ。


 現に、老齢に差しかかる頃にようやく全盛期を迎えて、特級冒険者まで上り詰めた者も存在している。


 だが、アックスは静かに首を横に振った。その表情はどこか悲しげで、それでいて悔しげでもあった。


 そして彼は静かに語り始める。


「俺もそう思ってたさ、自分は特別な存在で、いつかは歴史に名を残すような人間になれる。そう信じて疑わなかった。……あの日、あいつに出会うまでは────」

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