第044話「八鬼衆ベイル」

 そこは、薄暗い洞窟の奥深くに広がる広大な空間だった。天井から垂れ下がった鍾乳石からは、水滴が滴り落ちており、それが洞窟内にこだまする音は何とも不気味だ。


 壁には魔力灯と思わしき魔道具の照明が等間隔に並び、部屋全体を明るく照らしている。壁はゴツゴツした岩肌だったが、地面は綺麗に均されており、まるで人工的に作り出した闘技場のようだった。


 また、部屋の隅には、いくつもの武器が無造作に置かれており、錆びついてボロボロになったものから、美しい装飾が施された剣まで、多種多様な代物が揃っている。


 そして、その最奥部には、巨大な椅子が設置されており、そこに1人の男が座っていた。


 筋骨隆々の逞しい肉体に、鋭い眼光を放つ双眸。褐色の肌と燃え盛るような赤い髪。一見すると普通の人間に見えるが、頭には禍々しい2本の角が生えており、男が人間ではないことを如実に物語っていた。


「へへ、ベイルの旦那。ここにいたんですかい」


 ゴロツキと思わしき男が、その男――魔王軍"八鬼衆"の1人であるベイルに声をかける。ベイルは面倒くさそうに顔を上げると、ゴロツキを睨みつけた。


「だ、旦那もこんなところにいるより、俺らと一緒に向こうの部屋で楽しみましょうや。女も酒も用意してありやすぜ?」


「……くだらんな。略奪や女を嬲るのは強者のやることではない。お前達が好き勝手に暴れ回るのは許可したが、俺はそんな遊びに付き合うつもりはない」


「す、すいやせん……」


 ベイルが不機嫌さを隠そうともせずに言うと、ゴロツキは萎縮して引き下がった。


「それより、俺を討伐しに来る、もっと骨のある戦士はいないのか? 数ヶ月前に戦った"鉄拳のアモン"だったか。あいつは中々に名の通った冒険者だったらしいが、結局は俺に傷の一つもつけることはできなかった。あの程度の雑魚を倒したところで、俺の心を滾らせることなどできはしない……」


 ベイルはつまらなそうに吐き捨てると、背もたれに体を預けて目を閉じた。


 彼は退屈していた。ここ最近、自分に挑戦しようとしてくる人間は殆どおらず、たまに現れる者達も、ベイルの圧倒的な力の前に為す術なく打ち倒されるだけの弱者ばかりだ。


「ベイル殿。なれば、そろそろ前線に出てはいただけぬか? 我が魔王軍とミステール王国軍の戦争は膠着状態が続いている。このままでは、我が軍はじり貧なのだ。貴殿が前線で暴れ回ってくれれば、戦況は一気にこちらに傾くというもの……」


 いつの間にかベイルの背後に立っていた、山羊頭の魔族が、恭しく頭を垂れながら進言した。


「バロガン。俺の後ろに立つなと言ったはずだ」


「……これは失礼。それで、どうなのだ? ベイル殿」


 バロガンと呼ばれた魔族は、ゆっくりと距離を置くと、再びベイルに問いかける。


「何度も言っているが、俺は強者との闘いにしか興味がない。戦争など、数で押せばどうとでもなるものだろう。俺の出る幕ではない」


 ベイルが吐き捨てるように言うと、バロガンはやれやれといった様子で首を横に振った。


「どうやら、あなたは魔王軍の幹部であるという自覚が足りていないようだ。魔王様の期待を一身に背負う存在であるという自覚と誇りを――」


「くどいぜバロガン! 俺は俺のやりたいようにやる! お前の主であるグリムリーヴァにも伝えておけ! くだらん命令をするなとな!」


「こ、後悔しますぞ……!」


 バロガンは悔しそうに唇を嚙み締めると、「半端者めが……!」と悪態をつきながら去っていった。


 ベイルはそれを見届けると、再び椅子の背もたれに体重をかけながら、目を閉じる。この退屈な日々が、一刻も早く終わるようにと願いながら――。


 ……


 …………


 ………………


「ベイル様! 侵入者です!」


 バロガンが去ってから数刻後、見張り番をしていた配下が、慌てた様子で部屋に飛び込んできた。彼は血相を変えており、只事ではない様子だ。


「ほう、やっと来たか。今度はここまで辿り着けるほど、骨のある奴らだといいんだがな」


 洞窟の道中には、元2級冒険者である門番を含め、優秀な部下達が大勢配置されている。生半可な実力ではこの最奥部に到達することなど到底不可能だ。


「そ、それが……。既に幹部クラスの兵は殆ど討たれてしまい、残っているのは私を含め数人だけなのです……」


「……なんだと? そんな大規模の襲撃があったというのか? どれくらいの数だ」


 現在、ミステール王国と魔王軍の戦況は膠着状態にあり、王国側に遊ばせておける戦力などないはずだ。他国から援軍でも来たのだろうか?


「あ、いえ、その……。実は、襲撃者はたった1人でして……」


「……1人、だと? 間違いないのか?」


 ベイルが眉を顰めながら尋ねると、部下の男は困惑した様子で頷く。


「どんな奴だ?」


「……少女です。長い黒灰色の髪に、黄金色の瞳が特徴的で、年齢は15歳前後といったところでしょうか。とても強そうには見えないのですが、其の実、信じられないくらいに強く、誰も手がつけられない状態でして……。このままでは、この最奥部まで到達するのも時間の問題かと……」


 配下の報告を聞いたベイルは思わず立ち上がる。それは、まさしく彼が待ち望んでいた存在だったからだ。


「ふ、ふふふ、ふはははは!」


「ベ、ベイル様?」


 突然笑い出したベイルを見て、部下の男は困惑していた。だが、ベイルは気にも留めずに笑い続ける。


「ははは、はは! そうか、ようやくやってきたか! おい、そいつをここまで誘導してこい! 俺が直々に相手をする!」


 ベイルは興奮した様子で、配下の男に命令を下した。


 そして、自分も立ち上がると、壁に立て掛けてある武器の中から、一際巨大な斧を手に取った。それは彼の背丈よりも大きく、常人であれば持ち上げることすら困難であろう重量がある代物だった。


 だが、ベイルはそれを軽々と担ぎ上げ、不敵な笑みを浮かべる。そして、巨大な椅子に再び腰掛けると、まるで玉座から見下ろすかのように、侵入者を迎え撃つ準備を始めた。



 しばらく待っていると、入口の方からコツコツという足音が響いてきた。いよいよ侵入者のご到着のようだ。


 ベイルは立ち上がると、ゆっくりと斧を構えた。程なくして、暗闇の向こうから現れたのは――黒灰色の髪に黄金の瞳を輝かせた、1人の少女だった。


 少女はその美しい髪を靡かせながら、悠然と歩いてくる。そして、ベイルを視界に捉えると、静かに立ち止まった。


「よお! ソフィアちゃん! 俺を退治しにここまで来たのか?」


 まるで、旧知の友人に語りかけるような口調で、ベイルが話しかける。


 ソフィアと呼ばれた少女は、ぎょっとした表情を浮かべた後、困惑した様子で呟いた――。



「アックスさん……。どうして……」

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