第038話「ヒーロー」
天井に待機していた水弾は、形を変え、無数の水の刃となって真下に落下していく。それはさながら、天空から降り注ぐ刃物の集中豪雨。
服は水を吸って重くなり、視界は最悪、水弾のせいで地面はぬかるんでいる。いくら天道が身体能力に優れていたとしても、この状態ではこれだけの数の水刃を避けきることは出来ない!!
「ぬああぁぁ!!」
ドドドドッと轟音が鳴り響き、大量の水刃が天道に襲いかかる。辺りに雨のような水飛沫が舞い、視界は一時的にゼロとなった。
そして、数秒後――静寂が訪れる。
「はあっ、はあっ……。どうだ! このクソ野郎!」
これで倒せたとは思っていないが、相当なダメージは与えたはず。私は攻撃が止んだのを見届けると、肩で息をしながら部屋の入口へと視線を向けた。
よし、このまま全力であそこまで走れば――
「――なかなか面白いことをしてくれるじゃねーか。だが、残念だったな。レベルの差を甘く見過ぎだぜ」
「な……!?」
後ろから聞こえた声に、思わず体が強張った。ゆっくりと振り返り……そして絶望する。そこには服は破け、全身に細かい傷を負っているものの、殆どダメージのない天道が不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「やはり魔法使いは厄介だな。まさかこんな低レベルのガキに傷をつけられるとは……。まぁ、それもこれで終わりだ。次で確実に仕留めてやる」
天道の全身から凄まじい殺気が溢れ出す。その圧力は凄まじく、私は思わず後ずさってしまった。
駄目だ、琴音の全身全霊の攻撃でも倒せなかった奴だ。この程度の攻撃じゃ、足止めにもならない。なら……もう、水神の涙から伸びる刃で、直接斬りつけるしか方法はない。
水刃は水神の涙本体から離れた段階で、その攻撃力を大きく落とす。石像さえ豆腐のように切断できる、本体による直接攻撃なら、いかにレベル77の天道と言えど致命傷は避けられないはず。
だけど、私のスピードでどうやってあいつに接近する……?
「さあ、いくぜ! てめーの勘がどれだけ鋭くても、これには対応できねーだろ!」
そう言うと天道は両手を大きく広げて――――
来るッ! 部屋全体に行き渡るような、カマイタチの嵐! これはいくら予知を使っても絶対に避けられない!
「くたばれや! クソガキィィ!!」
いや、これは最大の好機だ! これだけのカマイタチを飛ばした直後なら、確実に僅かな硬直が発生する。そこを狙う!
私は水神の涙を両手に構えると、天道に向かって全力で駆け出した。その直後、未来視と同じように、部屋全体に行き渡るような無数のカマイタチが、奴から放たれる。
「ははッ! バカが! 自ら死にに来るとはなぁ!」
勇気を持って突き進め! 私ならやれる!
水神の涙を大きく振りかぶると、無数のカマイタチが迫る中を一直線に突き進む。
そして――風の刃は私の顔に、首に、胸に、腰に、手に、足に、全身に容赦なく食い込んでいき――
――そのまますり抜けた。
「な、何ィッ!?」
天道が目を見開いて驚愕する。
私のローブのポケットからは、ポロリと小さな人形が地面に落ちて、バラバラに砕け散った。
――身代わりゴーレム。
あの時、お兄ちゃんが私にくれた、持ち主を一度だけ守ってくれる人形。
ありがとう。お兄ちゃん。この人形がなかったら、きっと私は死んでいた。
私の目の前には、全力でカマイタチを飛ばしたせいで、無防備な身体を晒している天道の姿がある。その表情に焦りと動揺が浮かび、先ほどまでの余裕は微塵も感じられない。
今しかない!
私は右手に持つ水神の涙を大きく振りかぶると――天道に向かって、一気に振り下ろした。
「はあああぁぁぁッ!!」
――ザシュッ!!
肉を切り裂く嫌な感触が、私の両手に伝わる。
「ぎゃあああぁぁーーーー!!」
天道は絶叫を響かせながら、顔面から勢いよく血を噴き出した。そして、ガクガクと身体を痙攣させる。
「や、やった……」
私はゆっくりと後ずさって天道から距離を取ると、その場に座り込み、大きく息を吐いた。
やった……。勝ったんだ。これで後は脱出するだけ――
「てめー……やってくれやがったな……」
突然響く、怒りに満ちた声に私は驚いて顔を上げた。そこには、顔面を斜め一直線に切り裂かれ、大量の血を噴き出しながらも、禍々しい殺意を放ち続けている天道の姿があった。
「よくも……俺の美しい顔に傷をつけやがったな……。許さねえ……絶対に許さねえ……! 殺す! ぶっ殺してやる!!」
「――ひっ!」
天道は顔面に大量の血を滴らせ、血走った目で私を見下ろすと、ゆらりとこちらに歩み寄ってきた。
あ、浅かった! 私の攻撃より一瞬早く硬直が解け、咄嗟に後ろに下がって、致命傷を避けたんだ! あとほんの少しでも深く斬りつけてたら、倒せないにしても、しばらくの間は確実に動けなくすることが出来たのに……!
「す、すい――」
「おらぁ! 死にやがれぇ!!」
私が水刃を出す前に、天道の拳が私の腹部に迫る。この距離とスピードでは、いくら未来視が出来るといっても――
――ドゴォ!!
「うげええぇッ!!」
私はお腹を襲った激痛に、胃液を吐き出しながら地面をのたうち回った。天道はそんな私を見て、ニヤリと口角を上げると、再び拳を振りかぶる。
「てめぇは簡単には殺さねぇ。このままじっくりと痛めつけてから、最後は両手両足を切断して、ゴブリン共の餌にしてやるぜ!」
「や、やめ――げぶっ!!」
天道は何度も、何度も私のお腹に拳を振り下ろし、その度に私は激痛に悶絶した。死なないように、意識を保てる程度の絶妙な力加減で、殴られ続ける。
「はははッ! どうだ? 苦しいだろぉ?」
「やべで……やべでえぇ……」
「嫌だね! こんな楽しいこと、やめるわけねぇだろ!?」
私は涙と鼻水を垂らし、顔をぐちゃぐちゃにしながら懇願した。だが天道は手を緩めることなく、笑いながら私を殴り続ける。
死ぬ……このままじゃ、殺される……! やだ……まだ死にたくない……死にたくないよぉ……!
助けて……誰か、助けて……!
「へへ、そろそろその手足を切断してやるぜ。俺に絶望の顔を見せてみろよ!」
「助けて――」
天道は大きく拳を振りかぶり、そのまま勢いよく振り下ろす。風の刃で、私の手足を切断するために。
「助けて! お兄ちゃぁぁーーーーーーんッ!!」
私は腹の底から振り絞るような大声で、叫んだ。だが、無情にもその刃は私に迫り――
「…………?」
その瞬間、ふわりと、私を包み込むような優しい風が吹いた気がした。
腕に感じる、サラサラとした毛の感触。
柔らかく、温かい体温。
そして、私の頭を優しく撫でる、小さな手のひら。
誰かが――私を守ってくれた……?
私はゆっくりと顔を上げて、自分を抱き留めるその相手を見上げた。
美しい黄金の瞳。風に靡く艶やかな黒灰色の髪。私よりも小さいのに、とても大きく感じられるその体。そして、私を安心させるような優しい笑みを浮かべて、私を見下ろす――
「お、おにいぢゃん……!!」
「雫……よく頑張ったな」
いつだって、子供の頃からずっとそうだった。私がピンチの時は、必ず助けてくれる、私のヒーロー。
「おにいぢゃん……うわああぁぁーーーーん!」
私は涙でぐちゃぐちゃの顔のまま、ぎゅっとお兄ちゃんにしがみついた。そんな私をお兄ちゃんは優しく抱きしめてくれる。
「お、お前……。いつの間に現れやがった!? チッ、まあいい。たかがガキが1人増えたところで――」
「黙れ」
お兄ちゃんは私を抱きしめたまま、凍えるような冷たい声音で、天道の言葉を遮った。それだけで、ビリビリと空気を震わせるような威圧感が部屋全体を覆う。
その圧倒的な迫力に、天道は気圧されたように一歩後ずさり、言葉を詰まらせた。
「お兄ちゃん、どうしてここに……?」
「家に帰ったら、空にお前がダンジョンへ行ったって聞いてな。空が、何か嫌な予感がするって言い出したから、急いで転移で飛んできたんだよ。あいつの勘は良く当たるからな……。お前の魔核は俺と同じものだから、魔力の波動を追えば、すぐに居場所が分かった」
お兄ちゃんは天道の方に視線を向けることなく、私を抱きしめたまま淡々と説明する。そして、私の体の傷を一瞥すると、怒りに表情を歪めた。
「ひでぇことしやがる……。ちょっと待ってろ。神聖なる光よ、この者の傷を癒せ――"エクストラヒール"!」
「……あ」
お兄ちゃんが呪文を唱えた瞬間、私の体が優しい光に包まれる。そして一瞬にして、天道によってつけられた傷が全て綺麗に消え去った。
「な、何なんだ……お前は……? 今のは一体……」
その言葉を無視して、お兄ちゃんは私をゆっくりと地面に下ろすと、天道の前に悠然と立ち塞がった。
「……俺の妹に、随分な真似をしてくれたみたいじゃねーか! お前、覚悟は出来てるんだろうな!?」
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