第023話「トマト」

「ここが俺の家だよ」


 エルク少年に案内された先は、スラム街の一角に建てられた小さな小屋だった。


 彼が扉を開けると、中から小学校低学年くらいの女の子がひょこっと顔出す。


「おにーちゃん、おかえり!」


 少女はエルクの姿を見つけると、嬉しそうに駆け寄ってきて抱きついた。どうやら彼女が彼の妹らしい。


 エルクと同じ金髪碧眼で、顔立ちもどことなく似ている。少し癖のある髪質や、くりっとした目に、長いまつ毛、ぷっくりとした頬っぺたには、思わず触れたくなる魅力がある、将来有望な美幼女だ。


 だが、そんな可憐な容姿とは裏腹に、服装はボロ雑巾のように薄汚れており、いかにも栄養失調ぎみといった体つきをしている。


「おにーちゃん、この綺麗なおねーちゃんだれ?」


 少女は俺の方を見るなり、エルクの背後に隠れると、そう尋ねてくる。


「えーと……」


 エルクは助けを求めるように、チラチラとこちらに視線を送ってきた。そういえば自己紹介がまだだったな。


「私の名前はソフィア・ソレルといいます。特級冒険者で、今はこの街に滞在中です。よろしくお願いしますね」


 目線を合わせながら、ニッコリと微笑んで自己紹介をすると、少女はおずおずといった様子で俺の服の裾を掴んできた。


 え? 何この可愛い生き物……。庇護欲が掻き立てられるんですけど。


 俺は思わず、彼女の頭をナデナデしてしまう。


「ええええーーっ!! ねえちゃん特級冒険者だったのか!? すげええええええっ!!」


 俺の自己紹介を聞いたエルクは、大声を上げて飛び跳ねたかと思うと、興奮した様子で詰め寄ってきた。


「すげーーっ!」


 そして、それに便乗するかのように、少女もはしゃぎ始める。


「もしかして【百合剣姫】か!? いや、魔法を使ってたし【サウザンドウィッチ】か!? うおおおおーーっ!! 【サウザンドウィッチ】といえば、水神ヴァルガリスを倒した英雄じゃねーか! もっとこえー感じの魔女かと思ってたけど、こんな可愛いねえちゃんだったなんて……!」


 エルクは興奮冷めやらぬといった様子で、俺の周りをぐるんぐるん駆け回りながら、早口で捲し立てる。


 まあ、特級冒険者や王印持ちは、世の少年達からすれば、憧れの存在みたいなもんだからな。ネットやテレビのないこの世界でも、俺くらい有名なら、名前を知っている人も結構いるんだろう。


「その特級冒険者にナイフを突きつけて、金品を強奪しようとする、もっと凄い人も世の中にはいるんですよ?」


「すげーーっ! おろかものもいるもんだねーーっ!」


「お、おう……」


 無邪気な笑みを浮かべながら、兄に同意を求める少女に、エルクは急にテンションを落として、視線を逸らした。



 それから俺は、しばらく少女と戯れていたが、彼女ははしゃぎ疲れてしまったのか、俺に抱き着いたまま、すやすやと寝息を立て始めてしまう。


 俺の服を掴んで離そうとしないため、仕方なく抱っこしたまま、エルクに向き直る。豊満な双丘に顔をうずめて眠る少女を見て、エルクは羨ましそうな目をしていた。


 そんな目をしても、お前は年齢的にも性別的にも駄目だからな?


 正直言って、農業の才能はちょっと欲しいけど、今のところ、ガキにがっついてまで手に入れたいと思うほどのギフトではない。


「こいつは俺の妹でルルカっていうんだ。俺の4つ年下で、まだ8歳だ。見ての通り体が弱くてさ、だから俺が何とかしなきゃって思っちまって……」


 ルルカの寝顔を眺めながら、エルクはぽつりと話し始めた。


 ふむ、となるとエルクは12歳か。空と同じで学校があれば小学6年生ってところかな? この歳で幼い妹を抱えて、生きるのはきっと大変だっただろう。


「お母さんが病気で亡くなられたのは聞きましたが、お父さんは魔王軍との戦いから帰ってこないんですか?」


「ああ、もう半年近く音信不通だ。だから、親父はもう十中八九死んじまったと考えてる。頼れる親戚もいねーし、俺は一応冒険者ギルドに登録してるけど、戦闘系のギフトじゃ無いから、依頼も碌にこなせねーし……。まだ10級のままで、金も全然稼げなくて……」


 最近のギルドの依頼は、戦闘系のギフト持ちでないと、達成困難なものが増えてきているらしい。それは、魔王軍の侵攻が激化しているせいで、戦闘系のギフト持ちが、軒並み前線に駆り出されており、そういった人手が足りていないのが原因のようだ。


 戦闘能力が不要の依頼は、低級冒険者が殺到するせいで、競争率が高まっているし、依頼主から足元を見られ、報酬が不当に安いこともザラにあるらしい。


「なるほど、それで犯罪まがいのことをしてでも金を稼ごうとしたわけですか」


 ルルカを起こさないように小声で問いかけると、エルクはばつが悪そうに頷いた。


「それで? 何とか計画だっけ? ソフィアのねえちゃん、もしかして俺に仕事紹介してくれんのか? 俺にできることなら何でもするけど、ただ、俺みたいなガキにできる仕事なんて、たかが知れてるぜ?」


 何でもする? 本当に何でもするのかな? ならばまずは――――いやいや、落ち着け、俺。これからは自重して普通に生きると決めただろう?


 ブンブンと頭を振る俺を、エルクは不思議そうな目で見てくる。


「……どうかしたのか?」


「こほん! いえ、何でもありません。それで、何とか計画ではなく、"異世界ウマメシ計画"ですよ。――エルク、あなたにはその才能を生かして、野菜を作ってもらいます!」


 俺が胸を張って宣言すると、エルクはキョトンとした表情を浮かべて首を傾げた。





 翌日、俺はエルク達を連れて、ミルテの森の拠点までやってきた。スラムの家は引き払ったので、今日からここで生活してもらうことになる。


「え? こんなでけー家に住んでいいのか!?」


「いいのか~?」


 エルク、ルルカ兄妹は、驚きと歓喜が入り混じったような表情で、俺の家を見上げている。


 元々1人で住むには広すぎる家だったからな。おかげで留守の間、盗賊のアジトとして悪用されてしまったが……。家の中も荒れ果ててるし、まずは掃除と修繕から始めないと。


「ええ、今日からエルクとルルカの2人にはここで暮らしてもらいます。ただ、散らかってるので、まずはお掃除から始めましょうか」


「「おおー!」」


 2人揃って元気よく返事をすると、俺に続いて家の中に入っていった。



 掃除を始めて数時間後、ようやく盗賊達が住んでいた痕跡を消し去ることができた。俺は一息つくと、リビングのソファーに身を預ける。


 エルクは庭でルルカと一緒に遊んでいるようだし、今のうちに今後の方針について考えておくか……。


 まずは家の周辺を畑に改造だな。ここら一帯は肥沃な土地が広がっているので、野菜を育てるにはもってこいの環境だ。


 森を勝手に開墾していいのか、と思うかもしれないが、このミルテの森周辺は、数年前に、とある事件を解決した報酬として、国王から俺が貰い受けた土地なのだ。


 本当は爵位も授けると言われたのだが、面倒ごとが増えそうなのでそれは謹んで辞退した。


「畑を作ったら、2人には農業のイロハを学ばせて、ゆくゆくは畑の管理を任せられるようにしたいところですね」


 エルクは農業の才能を持っているので、きっと素晴らしい野菜を栽培してくれるに違いない。


 ルルカの方は、どんなギフトを持っているかにもよるけど、まだ幼いので、もう少し成長して、体も元気になってから色々と手伝ってもらうとしよう。


「おーい、ソフィアのねえちゃーん! 俺、腹減っちまったよ……」


「ソフィアちゃんお腹すいたー」


 いつの間にか、庭で遊んでいた2人が俺のそばまでやってきていた。どうやら遊び疲れて小腹がすいたらしい。


「しょうがないですねー。お姉ちゃんが美味しいものをご馳走してあげましょう」


「「やったー! ありがとう!」」


 早速台所に向かうと、次元収納の中から、日本で買ってきた調理器具や調味料、食材などを取り出していく。


 くくくく、久しぶりに腕が鳴るぜ。これだけあれば、料理系のギフトを持っていない俺でも、それなりに美味い飯を作れるはずだ。


 俺は腕まくりをすると、調理に取りかかった。




「うお! なんだこれ! 見たことない料理だぞ!?」


「なんか赤い~。いい匂いがする~」


 テーブルの上に並べた料理を見て、2人は目を丸くしながら驚きの声を上げる。


 ふっ、俺の料理を食ったら、もう二度と異世界のマズ飯じゃ満足できない体になってしまうぜ?


「さあ、召し上がれ。ソフィア渾身作、"トマトソースパスタ"と"トマトとシャキシャキレタスのサラダ"です!」


 トマトソースとガーリックの香ばしい匂いが、部屋中に広がる。


 アルデンテに茹で上げたパスタの上には、薄くスライスされた玉ねぎと、一口サイズにカットされたベーコンが乗っている。そして、それらに絡むように、トマトを煮詰めて作った特製ソースがたっぷりとかかっていた。


 サラダはシンプルだが、新鮮なトマトとシャキシャキのレタス、そしてクルトンを散りばめており、彩りも鮮やかで食欲をそそる一品だ。


 ドレッシングもオリーブオイルに塩、胡椒、酢などを混ぜ合わせただけのシンプルなものだが、それが素材の旨味を引き立てる絶妙な味わいに仕上がっている。


 2人はゴクリと唾を飲み込むと、ほぼ同時にパスタを口に運んだ。


「う、うめえ! こんなうめえ料理初めて食ったぞ!」


「んんー! んん、んんーっ!」


 エルクが感動に打ち震えながら、フォークを忙しなく動かしている。ルルカは目を見開きながら、一心不乱に料理を食べていた。


 ふふふ、どうやら俺の料理に満足してくれたようだな。異世界にトマトを持ち込んだ甲斐があったというものだ。


「この赤い、野菜か果物かよく分からねーやつ! 一体なんなんだこれ!? めちゃくちゃ美味いぞ!」


 この異世界アストラルディアには、何とトマトが存在しないのだ。


 ならば、俺がトマトを作り、この世界に広めるしかないだろう!


 トマトは様々な料理に使える万能野菜だ。ケチャップの原料でもあるし、ピザやパスタのソース、煮込み料理などにも重宝できる。それに彩りも美しい。トマトの真っ赤な色合いは食欲をそそるからな。


 え? 異世界に地球の野菜を勝手に持ち込んでいいのかって?


 いいんだよ!


 日本に出回っている野菜だって、元を辿れば約95%は海外から持ち込まれた種だと判明している。だから、異世界にトマトを持っていくくらい、なんの問題もないはずだ。


 ……多分。


 仮になにか問題があっても俺の知ったことではない! 美味いご飯が食べられるなら、それだけが正義なのだ。


 まあ、それでも俺は結構気を使ってる方だと思うけどな。日本から持ってきた道具や食材は、全て"ゴッドブレス"で浄化してるんだぜ。検疫も碌にしないような奴よりは、よっぽどマシだろ?


「これはトマトっていう野菜なんです。トマトは色々な料理に使える、魔法の野菜なんですよ」


「「トマト……」」


「これから2人には、このトマトを栽培してもらうことにします。そして、このトマトを使った絶品料理をいっぱい作って、この世界に食の革命を起こすのです!」


 拳を握り締めながら、高らかに宣言すると、2人は口いっぱいに料理を頬張りながら、コクコクと何度も力強く頷いた。

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