第016話「ノーカン」

「ひぐっ……うえぇ……」


「よしよし、よく頑張りましたね」


 涙と鼻水を流しながら、俺の胸に顔を埋めている雫の頭を優しく撫でる。


 魔核が手の中に埋まった瞬間、彼女は悲鳴を上げてのたうち回り、その後すぐに気絶してしまったのだ。


 今は回復魔法で完全に治っているので、後遺症などは無いと思うが、相当怖かったようだ。


「ふあぁぁ……やぁらかいよぉ。なんか凄く落ち着くぅ……。ママァ……」


「ママではありません。シスター・ソフィアです」


 俺の胸の中で、すっかり甘えん坊モードになってしまった雫。


 まあ、俺のおっぱいは母性の塊だからな。なんだかんだで、こいつはまだ中坊だし、おこちゃまなのだ。


 俺達は昔から兄妹仲が良い方だったが、年頃になってからは、流石に男女ということで、こうやってスキンシップをとることはなくなった。


 だが、俺が女に転生してからは、こうしてお互いにベタベタくっつくことが増えた気がする。同性になったことで、気兼ねなく接することができるようになったのかもしれない。


 実際にこうしていると、何だか妙に落ち着くし、心が安らぐのだ。こんなにくっついていても性欲なんて一切湧いてこないし、家族とは不思議な存在である。


 でも逆に空とスキンシップを取ろうとすると、皆に全力で止められるようになっちゃったんだよなぁ……。昔みたいに一緒にお風呂とか入りたいのに、雫も母ちゃんも駄目だって言うし。


 純真無垢な空が変な事を考えるはずなんてないんだし、2人にばれないように今度こっそり一緒に入ろうと思ってるけどね。ひひひひっ。


「おに――シスター・ソフィア。……あの、替えの下着とか持ってない?」


「ああ、ありますよ。ちょっと待ってくださいね」


 ふむ、やはりやってしまったか。まあ、今までの人生で、あんな激痛を味わったことなんてないだろうし、下着を汚してしまってもしょうがないだろう。


 次元収納の中から、予備のショーツを取り出して渡す。


「はい、どうぞ。小さな家の中で着替えてくるといいですよ」


「なにこれ!? 黒の透け透けランジェリーじゃん! エッチすぎるでしょ!? こんなの妹に履かせるつもりなの!?」


 しょうがねーだろ。俺は基本的にエロい下着しか持っていないんだから。


「ローブを着てるんですから、中身までは見えないでしょう? 大丈夫ですよ。ほら、早く行ってきなさい」


 雫は顔を真っ赤にしながらも、渋々といった様子で小さな家に入っていく。


 しばらく待っていると、ローブの裾を握りしめながら、恥ずかしそうな表情で戻ってきた。


「お兄ちゃんいつもこんな下着を履いているの? 妹としてちょっと心配なんだけど……」


「シスター・ソフィアです」


「シスター・ソフィアいつもこんなエッチな下着を履いているの!?」


 日常的にエロいやつを着用していた方が、男を落しやすいんだよ。今はそんなことしなくてもいいのだが、昔やべー女だった時の名残りだな。


「そんなことはどうでもいいでしょう。それよりほら、せっかく魔核を埋め込んだのですから、魔力を使ってみてください」


「そ、そうだった! よーし、今こそ魔力を使う時! ……ん~、何も起きないよぉ……」


 右手を前に突き出したまま、うんともすんとも言わず、困り顔になる雫。


 ああ、地球人は生まれた時から魔力がないから、感覚が掴めないのか。ここは1つ、優しいシスター・ソフィアが教えてあげましょうかね。


「雫さん。少し屈んでもらえますか?」


「え? なんで? いいけど……」


 不思議そうにしながら、俺と頭の高さが同じくらいまで腰を落とす。


 その瞬間、俺は素早く両手で彼女の頬を挟むように押さえつけ、唇を奪った。


「んんっ――!!」

 

 突然のことに驚いて目を見開く雫。だが、俺は構わず舌を口内に侵入させ、雫の舌に絡みつかせた。そして、そこから魔力を流し込み、ゆっくりと循環させる。


 ちょっと強引な手段だが、こうして粘膜接触をすることで、効率よく魔力を譲渡できるのだ。


 たっぷりと時間をかけて魔力を体中に行き渡らせた後、俺はゆっくりと唇を離した。


「ん……どうですか? 全身に力が満ちていくような感じがしませんか?」


 雫は放心状態のまま、ぼけーっとしている。


「こら! 雫さん、聞いていますか!」


 ぺちんと軽く頭を叩くと、ハッと我に返ったようで、目をぱちくりとさせた。そして、自分の体に起きた変化に気付いたようだ。


「お、おお! なんか、体の中から力が湧いてくる感じがする! すごい! これが魔力!?」


 興奮したように目を輝かせながら、両手をじっと見つめる雫。


 しかし、しばらくすると、何かを思い出したかのように、みるみると顔を赤らめていった。


「お、お兄ちゃん酷いよっ! 私、ファーストキスだったのにぃーー!!」


 腕をぶんぶんと振り回しながら、涙目で俺に詰め寄ってくる。


「やれやれ、何を言ってるんですか? あなたのファーストキスなんてとっくの昔に私で済ませているじゃないですか。小学校低学年の頃まで、よくチュッチュしていたじゃありませんか」

 

 なーにがファーストキスだよ。ファーストどころか、セカンドもサードもフォースも全部俺だろ。


「そ、そんな遠い昔のことはノーカンでしょ!? 中学生になってからのファーストキスは別物なの!!」


 中学生になってからのファーストキスってなんだよ……。


「はぁ……。今のは人工呼吸みたいなものですし、それに家族で、しかも同性なんだからこれもノーカンですよ」


「ノーカン? ノーカンかなぁ……? 舌が絡みついてた気がするんだけど……」


「舌が絡みついててもノーカンですよ。そんなことより、せっかく魔力が使えるようになったんですから、早速水神の涙を試してみましょう」


「う、うん……。よーし、やってやるぞー!」


 魔核の埋め込まれた右手に水神の涙を持ち、意識を集中する雫。


「体に流れている魔力を、右手から放出するイメージで、水神の涙に流し込んでみてください」


「えーと、こうかな? えいっ!」


 雫が水神の涙に魔力を流し込むと、剣の柄から水がちょろちょろと流れ出てきた。


 おー、ちゃんとできたな。


「やった! できた! 見て見てお兄ちゃん、水が出たよー」


「ええ、見てますよ。それとお兄ちゃんじゃなくてシスター・ソフィアです」


「そ、そうだった。でもシスター・ソフィアみたいに剣にしたり、かっこいい斬撃を飛ばしたりとかはどうやってやるの?」


「最初から何でもできるわけではありません。まずはそうやって水を出すところから練習していきましょう。魔力の扱いに慣れてきたら、次は水の勢いを強くしていきます。武器として使えるようになるのはそれからです」


 自由自在に魔法を発動させるには、魔力の流れをコントロールする必要がある。当然、長い年月をかけて訓練を積まなければ、強力な魔法は使えない。


「そうなんだ……。でも、何だかワクワクしてきた! いやー、魔法を使えるって気持ちいーねー!!」


 初めて使う魔法が楽しくて仕方がないといった様子で、雫は上機嫌で水神の涙を振り回しながら水を出し続けている。


 おいおい、ダンジョンが水浸しになるだろうが。他の探索者に迷惑がかかるから止めなさい。


「はぁ、しょうがないですね。雫さん、手をこちらへ出して下さい」


 俺は雫の手を握ると、手のひらに魔力を流し込みながら、魔力操作のイメージを教えていった。


「こんな感じで、水を固定するイメージで魔力で水を包んでください。……そう。そうです、上手ですよ」


「お、お、おおおーーっ! なんか剣っぽい形になった!!」


 ほう……。こいつ中々センスあるな。


 俺の補助があったとはいえ、水神の涙を変形させることに成功した雫。流石は俺の妹だけあって、飲み込みが早い。


 雫は魔力で生み出した水の刃を、ぶんぶん振り回すと、近くの石像に向かって斬りかかった。


 ――スパッ。


 水の刃は、まるで豆腐を切るかのように、抵抗なく石の胴体を切断してしまう。


「うおーっ! すごい切れ味! お兄ちゃ……じゃなかった、シスター・ソフィアありがとう!! これなら魔物だって簡単に倒せそうだねっ」


 嬉しそうにぴょんぴょん跳ねる雫。ツインテールがぴょこぴょこ揺れていて可愛い。


「ふふふ、どういたしまして。でも、その分危険ですから扱いには気を付けてないといけませんよ? さっきみたいに振り回すのは言語道断です」


「は、はい、ごめんなさぃ……」


 まあ、無理もないか。


 今まで魔力を扱えなかった人間が、急に魔力を扱えるようになったんだ。テンションが上がってしまうのも分かる。


 俺も初めて魔法を使えた時は、嬉しくてはしゃぎまくったものだ。それで色々やらかしてしまったのだけど、それはまた別の話である。


「ふむ、そうですね。せっかくだから10階まで登って、ボスモンスターでも狩ってみますか? 魔力を使う練習にもちょうど良さそうですし」


「わ、私ボスモンスター倒したことないんだけど……。でも、シスター・ソフィアも一緒だし、やってみようかな」


 ボスモンスターとは、ダンジョン内の特定の階層――この立川ダンジョンでは、10階毎に現れる強敵で、普通のモンスターとは比べ物にならないほど強い。


 特徴としては、ボス部屋と呼ばれる広い空間に待ち構えていること。倒すと通常の魔物と違い、持ってる武器や防具を含めて、その体が消えてしまうこと。そして、ドロップアイテムを落とすことがあげられる。


 逆に言うと、ボスモンスター以外の魔物は、いくら倒しても魔石と素材と、錆びた剣やこん棒のような、ガラクタアイテム以外は何も残さない。……いや、実はもう1つ例外で、非常にレアなアイテムを落とす魔物もいるのだが、今は置いておくとしよう。

 

 とにかく、ボスモンスターのドロップアイテムは、魔石とは比べ物にならないくらい貴重な品なので、ダンジョンに挑む探索者にとっては、是非とも倒したい相手なのだ。


「それでは今日の目標は、立川ダンジョン10階層のボス――"ストーンゴーレム"を倒すことにしましょう!」


 このモンスターは、スピードはそこまで速くないが、力が強く、とても硬いので、攻略するにはかなりの実力が求められる。


 だが、水神の涙であれば、そんなストーンゴーレムの防御力も容易に突破できるはずだ。


 それにいざとなったら俺もサポートすればいいしな。


「うんっ、頑張ろうね! お兄ちゃん……じゃない、シスター・ソフィア!!」


 こうして俺達は、ボス狩りへと出発したのだった。

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