第002話「噂」★

「マスター、ワイルドボアのステーキ定食とぶどうジュースをお願いします」


 俺は冒険者ギルドに併設されている酒場のカウンター席に座っていた。スキンヘッドの厳つい顔をしたおっさんが店主をしている店で、客は殆どが冒険者達だ。


「ソフィアちゅわ~~ん。いいエールが入ってるわよぉ~~ん! たまにはジュースじゃなくてこっち飲んでみないぃ~~?」


 こんな厳つい顔をしているが、心は乙女らしいマスターが、後ろにある酒樽を指しながら俺に声をかけてくる。


「お酒はダメなんです……。すみません」


 俺の肉体は14歳で止まっているので、子供舌なんだ。前世も16歳で死んだから、ずっとお酒の良さがわからない。だから酒場で美味そうに酒をあおってる奴を見ると、ちょっと羨ましくなるんだよね。


 マスターは少し残念そうな顔をしながら、渋々といった感じで厨房へ戻ると、ぶどうジュースの入ったコップを持ってきてくれた。


 俺はそれをちびちび飲みながら、定食が運ばれて来るのを待つ。


「よう! ソフィアちゃん! 今日もかわいいな~。聞いたぜ、魔王軍四天王の1人を倒したんだって?」


「アックスさん、こんにちは」


 【挿絵】

https://kakuyomu.jp/users/mezukusugaki/news/16817330667250295343


 大柄で筋骨隆々の冒険者が話しかけてきたので、挨拶を交わす。


 彼はここ――大陸東部の大国である、ミステール王国の王都ミルテを拠点に活動している、1級冒険者パーティ"栄光の戦斧"のリーダーで、名前はアックス。本名は知らないけど、いつも巨大なバトルアックスを肩に乗せているので、皆からはそう呼ばれている。


「まあ、襲われたので。返り討ちにしただけですよ」


「魔王軍四天王を返り討ちにしただけって! ガハハハハッ! 流石は世界に7人しかいない特級冒険者だな!」


 隣に腰掛けたアックスは豪快に笑いながらバシバシと俺の小さな背中を叩いてきた。


 痛ぇ……。相変わらず馬鹿力だよこの人は。


 ちなみに、特級というのは冒険者のランクで最上位にあたる。10級から始まり、1級が通常最高位だけど、1級冒険者が何か特別な功績を残した場合、更に上へと昇格することがある。それが特級というわけだ。


 例えば災害級のモンスターを倒すとか、伝説の古代ダンジョンを攻略するだとか、後は……魔王軍の四天王を単独で討伐する、とかね。


「ほら、ソフィアちゃん。ワイルドボアのステーキよぉぉ~~ん。今日はサービスで、大盛りにしておいたわぁ~」


 マスターが料理を持ってきてくれた。地球のイノシシに似た魔物――ワイルドボアの肉を使ったステーキをメインに、野菜スープとパンがついたセットメニューだ。


「あ、どうもありがとうございます」


 早速食べ始める。まずは肉を一口……。そして次に野菜スープを……。最後にパンを咀噛して飲み込む。


 う~ん、やっぱり肉は固いし、野菜スープは味が薄いし、パンはパサパサだし、あまり美味くはないね。


 だが、これでもマスターの料理の腕は超一流なのだ。他はもっと酷いし、殆どの店はゲロマズ料理しか出てこない。


 異世界の料理が美味いって言ったやつ誰だよ?


 調味料はろくに揃ってないし、料理人の技術も器具の性能も低いし、食材の質だって悪い。だから、不味い飯を我慢しながら食べるしか無いのだ。


「はぁ……。すき野屋の牛丼が恋しいですね……」


 最近は生活も安定してきて、危険な目にあうことも殆どなくなってきたけど、ご飯を食べている時だけは元の世界に戻りたくて仕方がなくなってしまう。


 もぐもぐと食事を摂りながら物思いにふけっていると、アックスが再び話かけてきた。


「ソフィアちゃんが四天王の一角を討ったお陰で、現在、連合軍の士気は最高潮だって聞いてるぜ? これで魔王軍との戦いにも希望が見えてきたってよ! ソフィアちゃんを連合軍の軍団長として迎え入れたいって声も多いらしいぞ?」


 うえー……。勘弁してよ。あまり面倒なことに関わりたくないんだけどなぁ。


 俺が露骨に嫌な顔をすると、アックスはまたガハハッと笑った。


「魔王軍に立ち向かう連合軍の軍団長っていえば、人類の英雄だぜ? 勇者みたいなもんさ。富も名声も思うがままだ。それなのになんでそんなに嫌そうな顔すんだよ?」


「富も名声も興味ないですよ。私は正義の味方でもないですし、誰かを助けるために戦うなんてガラじゃないんです。それに小心者ですから、命の危険がある戦いに参加するのは怖いんですよ」


 イヴァルドの奴は能力の相性が良かったから、あっさり倒せたけど、そうでない奴もいるかもしれない。向こうから襲ってきたら別だけど、自ら進んで魔王軍と戦おうとは思わない。


 俺の言葉を聞いたアックスはひどく呆れたような顔をした。


「魔王軍四天王をあっさり倒しておいてか? かーっ! やっぱ特級冒険者ってのは変わり者ばっかりなんだな」


「私は特級の中じゃ一番まともだと思いますけど……」


 実際に俺以外の特級冒険者はやべー奴しかいない。あいつらは全員、狂人の類いだ。


 珍しいアイテムとみれば、どんな手段を講じてでも手に入れようとする、【アイテムコレクター】マキナ。


 絶世の美女だが、世の中の男は全て死すべき存在であり、女は女同士愛し合うべきだと本気で主張している、【百合剣姫】リリィ。


 大国の第一王子でありながら、自家発電に異様なこだわりがあり、決して女性と交わるべからずを信条とし、世界各国のエロ本を収集している、【童帝】ヨハン。


 他にも色々とヤバい奴がいる。


 うん、まともなのは俺だけだな。あの変態共と比べられるのは非常に不本意である。


「やっぱり高みに至る奴はどこか違うんだろうな。俺も昔は特級冒険者や、斧使いの頂点である"斧王"を夢見たことはあったが、諦めちまった……。今の俺には、このミルテの街を守るので精一杯だ」


「アックスさんは1級冒険者でパーティのリーダーなんだから十分凄いと思いますけど……。私には人をまとめるような器は無いので、尊敬します」


 俺が素直な気持ちを口に出すと、アックスは照れ臭そうに頭を掻いた。


「そうそう、ついでもう一つ言っておくことがあったんだ。コンリーロ王国の王室が、ソフィアちゃんに是非ともお礼をしたいとギルドに使者を送ってきたらしいぜ?」


「コンリーロ王国? 確か大陸最西方の海を越えたところにある島国ですよね? どうしてそんな遠くの国が私なんかにお礼を?」


 一度も行ったことのない国の名前が出て、俺は首を傾げた。


「ああ、何でもそこのお姫様は絶世の美少女だとかでな。他国にまでその噂が広がるほどの美貌の持ち主だったんだが……。ある日突然、老婆のような姿に変貌してしまったらしい」


 あー……そういうことね。なんとなく事情が分かってきたぞ。


「どんな薬を使っても治らなかったその症状が、ちょっと前に突然完治したんだとさ」


「私がイヴァルドを倒したからですね……」


 あの呪いの剣は、俺がイヴァルドをぶっ殺した瞬間に、煙となって消滅した。おそらくあの剣は奴の能力によって具現化されたものだったのだろう。


 そして、それが消えた途端、奴によって老化させられていた人達も元の姿に戻ったというわけだ。


「うーん、お姫様かぁ……。王子様なら会いに行っても良かったんですが……」


 王族ともなれば何かレアなギフトを持っているかもしれない。もしかしたらも……。だが、残念ながら俺の能力は女には効かないのだ。


「なんだぁ……? ソフィアちゃんも、王子様に憧れる乙女みたいなところがあるのかぁ?」


「そんなんじゃないですよ……」


 この世界で女に転生して、すでに前世で男として過ごした時間より長く生きているのだが、それでもまだどこか女になった自分の感覚に慣れない時があったりする。


 やっぱり根っこの部分というか、俺の魂は男の時のままなんだと思う。


 だから、恋愛対象は前世と変わらず女なんだけど、どうしても性欲の対象は、体に引っ張られる形で男になってしまうことが多い。


 この辺は本当に厄介な問題だよなぁ……。


「うぇーーい! アックスさん、飲んでますかぁ!? ソフィアちゅわん! おっぱい触らせてっ!!」


 突然、酒臭い息をした男が俺達の間に割り込んできた。こいつはアックスのパーティの新人冒険者で、名前は確か……。


 忘れたからチャラ男でいいや。


 チャラ男は俺の――体格の割には大きな胸を鷲掴みにして揉んでくる。鬱陶しいので、俺は彼の顔面を裏拳で吹っ飛ばした。


「ぶぎゃっ!!」


 奇声を上げて、ぐしゃっとテーブルに突っ伏すチャラ男。他の客達がゲラゲラ笑う。


「い、ててて……。何でだよ~。ソフィアちゃんってば、頼めば簡単にヤらせてくれるんじゃないのかよぉ~?」


「…………は?」


「お、おいっ! 馬鹿野郎!! お前、なんてこと言うんだ!」


 氷のように冷たい目で睨む俺に、アックスが慌ててフォローに入る。


 だが、チャラ男は酒に酔っているようで、ヘラヘラと笑いながら話を続けた。


「だってよ~。この前、禿げたデブのオッサンがソフィアちゃんとヤったって自慢してるのを聞いちまったんだよ~。あんなオッサンでもOKならよぉ~、オレにもチャンスがあっても良いじゃんか~」


「…………」


 酒場にいた全員がシーンと静まり返る。


 驚愕の表情で俺の顔を見ている者が殆どだ。中には俺の体を舐めまわすように見つめて、ゴクリと喉を鳴らす者もいる。


「単なる噂でしょう? 本気にしないでもらえますか? 不愉快です」


 怒りを堪えながら、なるべく冷静に淡々と告げると、チャラ男は不満そうに唇を尖らせた。


「なんだ、ただの嘘かよ。期待させやがって……」


「びっくりさせんなよ、俺達のソフィアちゃんに限ってそんなことあるはずねぇだろうが」


「で、でもよぉ、もしソフィアちゃんとそういう関係になれたら……。ぐへへ、最高だろうなぁ……」


 ギャラリーの冒険者達はそれぞれ好き勝手なことを言い合いながら、次第に元の喧騒へと戻っていった。


「ソフィアちゃん、すまねぇな! こいつ酷く酔ってるみたいで、失礼なこと言っちまった」


「いえ……大丈夫ですよ」


 …………。


 まあ。


 実際はただの噂って訳でもないんだけどね……。


 ……おい、今「え? ソフィアちゃんってもしかしてバージンじゃないの? ならもう帰ります」って思ったお前っ!


 頼むからそんな酷いこと言わないでくれよぉ……。これには海よりも深い理由があるんだ……。


 ちょっと俺の話を聞いていってくれよぉ……。




 ――この世界は命の価値が低い。


 いたる所にモンスターが生息していて、ちょっと運が悪いだけで、人は呆気なく死んでしまう。魔族や魔王軍なんていう人類の敵もいるし、人間同士の戦争だって頻繁に起こっている。


 盗賊、強姦魔、殺人鬼……。そんな輩もそこら中をウロチョロしてるんだ。


 ちょっとした病気に感染しただけでも、金がなかったら治療も受けられず悪化して死ぬこともある。


 俺は、そんな世界で、何の力もない少女として生まれてしまった。


 この世界で1人につき1つ与えられる、特別な力――女神のギフトが俺にはなかったんだ。


 前世で死んだ後、神様的な存在にも会ってないし、当然チート能力も貰っていない。俺が持っていたのは、前世から引き継いだ記憶と、美しい容姿だけだった。


 元々頭が良いわけでも、行動力があるわけでもなかった俺は、前世の知識で無双するなんてこともできず、この異世界で毎日怯えながら生きてきた。


 俺にできる唯一のことは、この顔と体を使って、男に媚びて守ってもらう。


 それしかなかったんだ――――。

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