夏祭り

シヲンヌ

夏祭り

てんてろりん、


てんてろりん、てんてろりん。


ぴぃひょろと笛の音が耳を過ぎる。

釣られて上向けば、わたしの全てをすっぽり照らす赤提灯。それと漆黒の空が、脳髄にまで刻まれる。

熱で茹だる宵待で、1人わたしは佇んでいた。



こんなはずでは無かったのだ。

本来なら今、わたしは友人たちと一緒に雑踏で揉まれている。そのはずだったのに。

重い夏風邪でダウンした1人を皮切りに、やれ夜まで補習だの曾祖父の法事だの田舎へ帰省に巻き込まれたたの。気がついたら予定がぽしゃんと滅していた。


だかしかし得てして。

夏祭りの広報というものは、何週も前からあるものでして。伴い予定も同じ時期にたてられるものでありまして。ぽっかりと空いたわたしの夜は、盛夏の熱風が吹くばかりであった。


だから、わたしは現地へ赴いた。

足の踏み場のない、祭囃子と雑談の止まない場所へ。炎昼を陽気に再沸騰させる短夜へ。わたしは独り、夏祭りの喧騒の中に飛び込んだのだ。


別に拗ねてなぞいない。




買ったばかりの塩焼きそばを片手に、わたしは祭りの本通りから逸れる。

屋台の裏手。幅が大人二人分ほどあろう街路樹へ背を倒す。そうしてようやく肩の力が抜けた。


つまるところ、わたしは舐めていた。夏祭りの人混みというものを。

当初、独り参加はわたしくらいだろうと、事前予想をしていた。無論的中した。しかしこの事前予想、裏返せば催事場が過密になるということも意味する。


本日来たのは近所にある大きな川の花火大会。

整備された広い土手は、春には満開の桜並木を披露し秋にはすすき野として赤蜻蛉とんぼが踊る。土手の立て看板曰く、夏は蛍も飛んでいたそうだが。今となっては夢の跡でしかない。


その某河川は今夜に限り、付近が大通りを除いて歩行者天国に規制されている。

よって神社や広場開催の夏祭りより、人口密度が小さくなりやすい。


だがしかし。現に事態は甘くなかった。




ぱきり。手本のような姿で割れた箸先を、容器内の塩焼きそばへ突っ込んだ。鶏ガラと潮の香を迎えながら、わたしは本通りを見やる。

合わせ鏡で屋台が並ぶ本通りは、対岸の屋台の文字すら満足に見えない状況になっていた。今もなお、友だちグループやカップル、家族連れがぎゅうぎゅうと煮詰まっている。


わたしだってそうだ。塩焼きそばを買ってこの木の下に来るまでに、如何程の団体とすれ違ったのか。肩や腕がぶつかった回数ならまだ覚えていられたが、脇を通っただけでは自信がない。


もう、あの雑踏からずっと逃げていたい。

それだけはただ一つ、明確だった。



ため息代わりに、木箸でそばを多く掴んでかき込んだ。

瞬間、口から鼻へ磯の香が通る。大ぶりキャベツは芯も含まれていて、しゃきり。噛むと音が耳に届いた。どうやら紅生姜のかかっていた部分があったらしい。一噛み、一噛み。鶏ガラの粗野で素朴な塩味へ、きりりと爽やかな辛味が追ってくる。


ふとすれば。容器の中は何もなかった。




一方通行の道路を歩き、土手の階段前に着く。設置された仮設ゴミ箱へ分別して、段が途切れるまで登った。

相変わらずの人混みだった。尤も屋台のある本通りより幾分か、人間の通る空間があるようで。道端で息を整えるために留まれど、眉を顰める輩はいなかった。


天へ頭を傾ける。都会の空は明るいと話は聞けど、今夜は既に宵が帯びて先は見えなかった。

わたしはポケットからスマートフォンを出して、電源を灯す。画面に浮かんだ時刻は7時43分。8時から打ち上がる花火には、時間的な余裕は十分だ。


きょろりと辺りへ、わたしは視線を配る。

人は少ない。だがあくまでも、本通りと比較してという話である。通勤ラッシュの鉄道駅構内くらいには、現在佇む土手に人はいた。


予定が狂っておひとり様とは言えども。どうせなら快適に打ち上げ花火を見たい、という欲はある。存分にある。だからわたしは所謂、“絶景ポイント”なるものを探していた。



「こっち」



声が聞こえたのはそんな頃合いだった。


綺麗な声だった。

澄んでいて高くて、かわいらしい。きっと同年代の、女性の声だろう。似たような声色を高校の校舎内で聞いたから、そうに違いない。ただし高校で耳にした声なぞ、比較にならない程に品のある声だったが。


「こっち」


声しか分からない。だがしかしその声色は上品だし、何より悪意を感じなかった。

なのでわたしは声の聞こえた方向へ足を進めた。


姿はわからない。見えなかったからだ。

それでも案内されるからには推薦する程には穴場なのだろう。仮に声の主の推薦相手がわたしで無くとも、良い感じに穴場にありつける。どの道わたしにとっては良い取引でしかなかった。


「こっち、こっち」

どんどんと視界が暗くなっていった。


がさがさと葉の擦れる音がする。いつのまにか土手の内側の、斜面下の芒野地帯に降りていたようだ。

この辺りは街灯が無く、提灯の感覚も遠いので少し薄暗い。よって人もほぼおらず、暗さ以外に視界は差し支えない。それでも声は、はっきりと聞こえる。


なのに、声の主は未だに見えない。足音すら聞こえない。わたしは進む度に、青い芒の音を響かせているというのに、声の主はそれすらない。



何より肝が冷えるのは。


止まりたいのに足が止まらないことであった。




「こっち、こっちこっち」

好奇心。それが今わたしに無いと言えば嘘になる。

だが今は好奇心より大きく危機管理意識が心に巣食い、警鐘を鳴らしている。わたし自身も止まりたいと、戻りたいと願っている。


なのに、進む足が止まらない。

ハッキングでもされたのか。そう思うくらいに、わたしの足は止まらなかった。


「こっち、こっちこっち、こっちこっち」


愛らしく、可愛らしい声は続く。わたしの足も動き続ける。

お願いだ、止まってくれ。

そんな願いを難なく砕いて、ずんずんと意図せず歩んでいく。


「こっち、こっちこっち、こっちこっちこっちこっち」

泣き叫べば助けがくるやもしれない。だが顔が引き攣って口すら開かない。

声も突発的に枯れて喉すら震えない。



川のせせらぎが大きくなっている。



「こっち、こっちこっち、こっちこっちこっちこっち、こっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっち」



炎夜の熱が和らいだ。足元が冷たいからだ。



川の水が足元まで伝っているからだ。



「こっち、こっちこっち、こっちこっちこっちこっち、こっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっち、こっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっち」



ざぶり、水音がする。



段々と耳まで大きく届く。



「こっち、こっちこっち、こっちこっちこっちこっち、こっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっち、こっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっち、こっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっちこっち」



実感する。


齢17歳、高校2年生。わたしの人生は華麗に詰んだ。






「──には、来ちゃだめ」




ぐ、と左手首を引かれた。


綱引きで勢いよく引かれたときと同じくらいだろうか。それくらい強い力でわたしは掴まれ、尻餅をつく。


ぱしゃん。

水音が響いて、頭上まで飛沫が上がった。水位は腰上まで昇り、シャツを容赦なく濡らす。スマートフォンは右手に持ったままで、後ろ手をついたのは掴まれた左手だけだったので、無事だった。

そして、漸く足も止まった。



体育座りをするように両足を曲げて、わたしは川底に座り込んでいた。

はぁはぁと、肩で息をする。それでも、心は酷く安らいでいた。


何故止まらなかったのかはわからない。それでも奇妙な意に介さない歩行は終わった。それだけでわたしは嬉しかった。

わたしは脱力する。水に浸かっているのを忘れて足の屈伸が緩くなった。


ちゃぷり。

左の足元で音が下のと同時に、ふくらはぎへ何かがぶつかるのを感じる。


わたしは首を傾げた。サッカーボールよりも大きなものなのはなんとなくわかる。

しかしながら、この川にいるのは鮒か鯉かの二択のはず。外来種のブラックバスでもサッカーボールより大きな個体は耳にしたことがない。そもそも魚なら、今も同じ場所に浮かび続けないはず。ならサッカーボールか、岸にあげておいてあげよう。


そう思ってから、わたしは右手のスマートフォンを付ける。画面で蛍光灯のショートカットアプリを探していた。そのときだ。



ひゅるるる、どぉん



ひゅううぅ、どどん



頭上がにわかに騒がしく、明るくなった。

湖面にも色とりどりに花が咲く。8時を超えたのだ。確かに岸も騒がしくなった気がする。楽しそうな声が次々と聞こえる。

でも、わたしの視線は、頭上にうつらなかった。


わたしの双眼は固定されていた。



左足の近くに浮かんでいる、一人分の水死体へ。





どれくらい時間がたったかは覚えていない。

わたしの身体が物理的に冷え切っていたのと、頭上の轟音が無くなっていたことから察するに、花火が終わるまでは呆けていたのだと思う。


わたしは警察へ連絡した。

花火に負けないくらいの強い赤い光と音量で車が来て、第一発見者になったわたしは、座席を川の水で濡らしながら警察署の個室へ連れられた。


後で判明したことだが死体は数時間に渡る程にふやけ切っていたので、特段わたしは疑われることなく家路につけた。

死体は成人男性のもので、怨恨によるものだと報道で見た。今もなお犯人は見つかっていない。




数日後に、わたしはニュースにもなっている某河川を調べてみた。すると200年以上も昔に、女性が水死して化けて出た話があったという記事を見かけた。元々あの日に行った夏祭りも、その女性の鎮魂のために始めた催しなのだと書かれていた。夏祭りの広報にも当日の空気にも、そんな雰囲気は一切無かったが。



真夏の昼下がり。


からりと青い空を横目に、わたしは左手首を見る。





女性に掴まれたような手の跡は、未だに消えていない。

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