第30話 準備は入念にっ①

「明日の土曜日、ですかっ?」

「そうだ。空いてないか?」


 当たり前かのように、食卓に並んだ晩飯とエプロン姿の制服少女が共存する一人暮らしの家で。

 俺はバイトから帰ってすぐ、意を決して彩乃にそう聞いた。


「空いてますけど、それが何か?」

「バイトに行く前に言ってた、俺の恩返しをしたいと思ってるんだ」


 恩返しという言葉に首を傾げる彩乃は、続けてこう聞いてきた。


「先輩の恩返しって、何ですか?」

「そっ、それは……」


 実質デートだろ、という真由美さんの言葉が脳裏にチラつく。

 だけど込み上げる桃色を偽りだと言い聞かせ、俺はタジタジになりながらも口を動かした。


「……ふっ、普段から俺のために頑張る彩乃に喜んでもらいたくて。そのっ、彩乃と二人でお出かけに行きたいなと思って……」


 そうだ、これはデートじゃない。

 それに、ひどい失恋をした彩乃にそんな言葉を意識させたくない。


 ……けれど俺には、デートの定義は分からない。


 だがやはり、異性と二人きりで出かけるのは、真由美さんの言う通りデートかもしれない。

 ただ、友達と二人でどこかへ遊びに行くだけ。それなら今までもやってきたはずなのに。

 デートという言葉が、それをトクベツな気持ちに変える触媒となって働いてしまうのだ。


「……って、そそっ、それって! デート、ってことですよね!?」


 そしてその気持ちは、やはり彩乃にも伝わってしまった。


「ちっ、違う! 恩返しだ、恩返し!! だから別に他意は無いというか。もしそれがデートだって言うなら、今までネットカフェとか筋トレに行ったのもデートってことになるというか……」


 ……って、何言ってるんだ俺。

 そう思いながらも、俺は懸命に「デートじゃない」と言い張った。


「あっ、いえ、あれはただ友達として、友達のやりたいことにお互い付き合ったからデートじゃないというか……」


 しかし彩乃は相変わらずの謎理論をもってして「違う」と反論した。


「まぁ何はともあれ、そう言うことだ。……だから明日、空いてないかって聞いたんだ」


 その言葉に、彩乃はさっき『Yes』と回答した。

 つまり明日、真由美さんの言うデートへ行くことになる。

 そう思うと、期待とは違う胸の高鳴りが俺の耳にうるさいほど響いてきた。


「あっ、ちょっ、ちょっと待ってくださいっ!!」


 ところが一変。

 彩乃があたふたした様子で食卓から離れ、カバンからスマホをいじり始めた。

 そして──。


「あっ、あのっ、すみません!! やっぱり明日、用事があるの忘れてました……」

「……そっか」


 突如変わった彩乃の返事。

 それを聞いた俺の声は、しおれた花のように落ちていた。

 ただ、友達と予定が合わなかっただけ。

 別に、日を改めればいいだけ。


 それなのに『デート』といった恋愛にまつわる言葉に拒否反応を示されたのでは無いかと思うと、不安で不安で仕方がなかった。


「あぁ、いえっ! 別に先輩のお誘いを断るとか、そういうのじゃなくて!!」


 そんなことは一言も言ってないけれど。

 慌てた様子で彩乃は言った。


「日曜日! 日曜日は空いてますか!?」



 ○



「あやのーん!!」

「ぐぇっ」


 先輩とのいつもの待ち合わせ場所にて。

 そこに現れてすぐわたしに抱きついたさやっちさんの勢いに、変な声が出てしまった。


「あやのんあやのんあやのーん♪ 今日も可愛いあやのーん♪♪」

「あっ、あぅぁ、あのっ……」


 周りが見てる! あと良い匂いすぎて頭がおかしくなりそうっ!

 色々な困惑のせいで、呂律ろれつが全く回らなかった。


「とっ、とりあえじゅ! 行きまひょう!!」


 けれどその呂律のまま、わたしは彼女を引き剥がした。


「いやぁ嬉しいなぁ〜、あやのんとショッピング〜♪」


 またも変な歌を唄うさやっちさんを見つめながら、わたしはエスカレーターで駅の改札まで向かっていた。

 本来は先輩とお出かけするはずだった土曜日。

 だけどわたしはをついて、さやっちさんをお買い物に誘ってしまったのだ。


 これからわたしは、クラスメイトの女の子と服を買いに行くっ!!


 生まれて初めての快挙に、あるいは戦場に向かう兵士のように、わたしはグッと拳を握った。


 ……ちなみにさやっちさんの連絡先は、奇跡的に誘われていたクラスチャット(特に稼働なし)から、勇気ある『友だち追加』で手に入れましたっ。

 頑張ったぞ、自分!! 偉い!!


「てかあやのん、服装ダサすぎワロタ」

「うぐっ……」


 ちなみに目的は、先輩とのお出かけに備えるためである……。


「……やっぱり、そうだよね」


 子どもっぽいTシャツと、小学校の頃から履いてる七分丈ジーパン。

 こんなわたしが先輩の横を並んで歩くだなんて、死んだ方がマシだ。


 ……とはいえ。


「……さやっちさん、ド直球で言うんですね」

「あぁ、ごめんごめん! 泣かないで〜!!」


 前から思ったが、さやっちさんは表裏のない女の子みたい。

 良いことも悪いことも、なんでも口にする。

 そうじゃないと、わたしの悪口を言ってたあの子たちにあんなこと言えない。

 花蓮ちゃんや他の子にズカズカ容赦なく文句なんか言えない。

 だけどそんな彼女の性格に、この前のわたしは救われた。

 そう思うと感謝できるが……。

 やっぱり服をダサいって思いっきり言われた傷が深すぎる……!!


「てかさやっちさんって何? ウケるぅ〜」

「……すみません。クラスでそう呼ばれてるし、ラインの名前も『さやっち』だったので」


 わたしの言葉に「なるほどね〜」とすぐさま納得するさやっちさん。

 するとニカッと笑い、陰の者を浄化させる明るい声で言った。


「じゃあさ! 沙耶香さやかって呼んでよ!!」


 さっ、沙耶香!?

 わっ、わたしみたいな陰キャがギャルを呼び捨てなんて……!!


「じゃっ、じゃあ……、沙耶香さん……」

「だーめっ。沙耶香って呼んでっ♡」


 ……ですよね〜。


「じゃっ、じゃあ……、さっ、沙耶香ちゃんっ!!」


 クラスメイトの女の子を、初めて呼び捨てした。

 解除された実績に込み上げた嬉しさと、わたしなんかが……と畏れる気持ちがせめぎ合う。


「へへっ、ありがとっ! あやのん!!」


 だけど彼女の笑顔が畏れを跳ね除けてくれたのか。

 わたしもまた、えへへと笑顔を返した。



【あとがき】

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