第28話 デザートはバイトの前で

「あの俺、今日これからバイトなんだけど……」

「それでも、暇なので来ちゃいましたっ」


 退屈な学校生活が終わり、今日は珍しくまっすぐ帰宅した俺。

 だけど玄関前には、当たり前かのように彩乃が立っていた。


「良ければ、その、バイトまでお話しませんかっ?」

「いいけど……。ところでそれ、何持ってるんだ?」


 そんな彩乃の手には、白い手提げの箱が。

 それを持ち上げて、彩乃は言った。


「ケーキですっ! 良かったらバイト前に、食べて行きませんか?」



 ○



「おぉ……」


 箱を開けた瞬間に見えた、二つのケーキ。

 その時の俺からは、驚きと嬉しさの混じった声が漏れていた。


「イチゴの……、タルト……」

「先輩、好きかなと思って──」

「ありがとう! 彩乃!!」

「ふぇっ!? あっ、いえ、先輩が喜んでくれて何よりですっ!!」


 思わず食い気味でお礼をした俺だが、今はイチゴのタルトに目が釘付けだった。


「先輩、この前ネットカフェに初めて行った時、意外と可愛いものが好きだったなーと思いましてっ。イチゴのタルトとか、意外と好きかなと」


 あぁ、そういえばそんなことあったな。

 確か俺がソフトクリームを作って、その時に彩乃が「可愛い物食べるんですね」なんて言ってたっけ。


「ちょっと待ってろ。今コーヒー作るから」


 そう言って、俺は早速コーヒーメーカーに豆や水を入れた。

 俺はブラックで、おそらく彩乃は甘々で。


「あっ、わたしはブラックでっ!!」


 ……いや、無理だろ多分。

 それでも俺は彩乃の言葉に従い、コーヒーをコップに注いで差し出した。


「うっ……、にがっ……」


 ほら、言わんこっちゃない。


「なんでブラックにしたんだよ……」

「だってブラックで飲んでるしぇんぱい、かっこいいから……」

「意味が分からん。ほら、砂糖とミルク使え」

「ありがとう、ございます……」


 コーヒーを運んだり、砂糖やミルクを持っていく最中で、ふと俺は気づいた。

 ここ最近、何かにつまずくことが少なくなった気がする。


 きっと彩乃が俺の家に来るようになってからだろう。

 世話好き彩乃の恩返しが、始まった頃からだろう。


 ──やっぱり部屋が綺麗なのは、いいかもな。


 何も散らかっていない綺麗な部屋で、彩乃と二人きり。

 目の前には好物があって、なんだかバイトに行くのが億劫なくらい幸せで快い気分だった。


「それじゃあ、いただきます」

「いただきますっ!」


 手を合わせてすぐ、俺たちはフォークでタルトに切り込みを入れた。

 スポンジケーキと違って硬い生地。

 だけどそれはあっさりと分断され、崩れることなくフォークに刺さった。


「……うん、美味い」


 スポンジケーキと違って硬い生地。

 だからこそサクリとした食感と、それなのにホロホロと口の中で崩れる感触がクセになる。

 好物のイチゴの甘みは口の中に広がり、一日の疲れを癒してくれた。


「良かったぁ。実はこれ、クラスメイトの子にオススメされたケーキ屋さんで買ってきたんですっ」

「へぇ、クラスメイトの子がねぇ」


 彩乃のクラスメイトか。

 自分は友達が少ないと自称していた彩乃だったが、オススメの店を紹介してくれるその存在はきっと、彼女にとっては友達なのだろう。


「ところで、どんな子なんだ?」

「あっ、えっと、……名前は分からないんですけど、最近やたらとわたしへのスキンシップが激しいギャルの子ですっ」


 ……いや、違うのかもしれない。名前が分からないって言ってるし。


「あっ、そういえばその子もわたしと同じで演劇チームで準備を担当するんですよっ! しかもお裁縫が得意らしいんで、衣装作りとか頑張りたいって言ってましたっ!!」

「へぇ、それは心強いな」

「はいっ!!」


 でもまぁ彩乃がこうやって笑顔で語ってくれているんだ。

 きっといい子なのだろう。


「そうだ彩乃、その子のこと紹介してくれよ」

「えっ、まさか先輩、狙って──」

「んなわけねぇだろ。単純に彩乃のがどんな子か気になるだけだ」


 ごほんと咳き込みするふりをして、俺は言い直す。


「近々、演劇チームで顔合わせがあるだろ? その時にどんな子か紹介してくれって話だ」

「あっ、はい。それはもちろん!」


 彩乃がそう言ったところで、置時計が17時を告げた。


「それじゃあ、そろそろ行くわ」


 18時からおおよそ4時間。これから俺はバイトへ向かう。

 だが、その前に。


「彩乃、ケーキありがとう」

「あっ、いえ! 喜んでくれて何よりですっ!!」

「あと、お金。いくらしたんだ?」

「あー、お金は大丈夫ですっ!! これは先輩への感謝の気持ちなんでっ!!」


 感謝の気持ちって……。それを言ったら俺はどうなるんだよ。


「感謝なら俺の方がたくさんしてる。どうせ今日も晩飯作るつもりなんだろ?」

「はいっ! バイトが終わったら連絡くださいっ! この道明寺彩乃がすぐに駆けつけますんで!!」

「ほら、言わんこっちゃない」


 彩乃がこういうことをするから、俺はこう思っちゃうんじゃないか。

 その文句をオブラートに包み、俺は言った。


「じゃあ今度、俺からも恩返しさせてくれ」


 面食らった彼女の返事は『Yes』だった──。

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