第24話 ……くそっ

『こんばんは! スポーツライトのお時間です!! まずはこちらから──』


 日付が変わった瞬間、俺はテレビの電源を入れた。

 今日の岡山おかやまの活躍を見たくなったから?

 それとも彩乃の代わりに、今日見逃したタイガースの試合結果を見たかったから?

 全て、違う。


 しゃあしゃあ。ざばば。


 シャワーの水が流れる音。シャワーがドアにぶつかる音。

 これらを耳に入れないためだ。


 しゃあしゃあ。ざばば。


 その音が聞こえる度に、俺はテレビの音量を上げた。


 だって今、俺にとっての非常事態が起こってるんだぞ?

 音の鳴る方に、一糸まとわぬ姿の女の子がいるんだぞ?


 いくら状況を俯瞰ふかんして見ようと思っても、大したことないと自分に言い聞かせてみても。

 やはりこの事実は、俺みたいな青臭い男にとって刺激が強すぎるのだ。


 ──ごろろろろ。ごろろろ。ごろろろ。


 まだ雨、止んでないのか……。

 遠くでとどろく雷鳴が、それをしつこくアピールしてくる。

 おまけに雨音もざぁざぁと響いてる。


「……うるせぇ」


 カオス極まれりな、騒音だらけの一室。

 これに耐えかねた俺は、テレビの音量を少し落とした。


 ……それがあだとなってしまうことは露知らず。


「──いやぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」


 何かが爆発したような、ずばばんという衝撃音。

 今まで以上に大きな雷鳴に彩乃は叫び、俺も少しひるんでしまった。


「うぅっ……、せんぱい、たすけてぇぇ」

「あっ、彩乃!?」


 何故だろう? いや、当然だろうか?

 友達の泣き声に脊髄反射せきずいはんしゃしたように、俺はいつの間にかバスルームの扉を開けていた。


「大丈夫、か……?」


 扉の向こうに、どんな姿の彩乃がいるのか分かっていたのに。

 シャワー音の主が、いわゆる真っ裸であることにずっと悶々もんもんとしていたのに。


「……あっ、えっと、そっ、そそっ、その」

「……わっ、悪い!!」


 頬を真っ赤に染める彩乃を他所に、俺はすぐさま扉を閉じた。

 ちらりと明かされてしまった、衣服の向こうの神秘。

 しかしこれは脳裏に刻んではいけない。

 刻んだら最後、理性を保てるか心配だ。

 犬が水を払うように、俺は首をぶんぶんと振り回した。


「あぁ、くそっ……。なにやってんだよ……」


 彩乃の願いを聞かなきゃ良かった、なんてことは一ミリも思っていない。

 この悪態はまさに、自分の失態へのものだった。


 さぁ、一度頭を冷やすか。


 そう思いキッチンのシンクへ向かおうと足を踏み出した瞬間だった。


「……彩乃のやつ」


 あったのだ。丁寧に畳まれた彩乃の制服の上に。

 そして見てしまったのだ、致し方なく。

 衣服の向こうの神秘を思い出させる、白い布を……。


「……くそっ」


 俺の頭の中は、キレイな白肌とピンクの水玉でいっぱいだった。



 ○



「あっ、あの……、さっきはお目汚しなものを見せてしまいすみませんでし──」

「ぶごごごごご……」

「──って、先輩!?」


 有言実行。滝水に打たれるように、俺はシンクに頭を突っ込んでいた。


「何やってるですか!? 頭を洗いたいんですよね? シャワー空きましたよ!?」

「──っぷは!!」


 よしっ、これで頭がスッキリした気がする。

 俺は彩乃の裸なんか見ていない。下着も見ていない。

 そんなの、記憶にない。


「さて、そろそろ帰ろうか」


 毅然きぜんとした表情で、俺は彩乃の目を見て言った。

 いつの間にか、雨音も雷鳴も聞こえなくなっている。

 彩乃を帰すなら、今が好機だろう。


「あっ、はい。本当にすみません。たくさんご迷惑を……」

「別にいいよ。……こっちこそ、ごめん」


 ちゃんと目を見て謝ろうと思ったが、その目を逸らしたくなってしまった。

 風呂上がりの、濡れ羽のごとき長髪。

 少し火照った顔と洗いたてのつやが輝く身体。

 普段では見られない彼女の無垢むくな姿に、俺は不覚にもときめいてしまったのだ。


 相手は友達。今は仲がいいだけの、ただ一緒に遊んだりするだけの関係。

 だけど経験の浅い男の俺は、目の前の異性に心をめちゃくちゃに乱されている。


 くそっ、思春期ってめんどくせぇ。


「──って彩乃、まず髪乾かせよ」

「えっ? あぁ、そうでしたっ」

「気付くの遅せぇよ。風邪ひくぞ」

「いえっ、バカは風邪ひかないのでっ!」

「そんなの迷信だ……」

「あっ、先輩、髪乾かすの手伝って欲しいですっ」

「……分かった」


 流れに身を任せて、洗面所へ。

 俺は彩乃の長髪をドライヤーで乾かしていた。


「先輩、上手ですねっ」

「ん? あぁ、まぁな」


 異性の髪をくのは、姉さんで慣れている。

 それに彩乃の髪も姉さんに似ているからか、いつも通りの手つきに彩乃は心地良さそうな顔をしていた。


 ──それにしても、キレイだ。


 枝毛ひとつ無いサラサラの髪は、面白いくらいにくしがするりと通る。

 その髪のキューティクルは、天使の輪っかみたいに輝いている。

 ……口では恥ずかしくて言えないけれど。

 やっぱりこの友達は、俺にとって誇らしい美少女だ。


「…………」


 俺はそんな彼女の髪を梳くのに夢中になっていた。

 雑念も、思春期男子の青臭い呪いも。

 その髪にさらさらと流れて浄化されたような気がした。


「よし、終わったぞ」

「おぉ……。ありがとうございますっ!」


 さらさらな髪を触りながら、彩乃は嬉しそうにお礼を言ってくれた。


「じゃあこれからも頼もうかな──」

「ダメだ」

「……ですよねぇ」


 そりゃそうだ。

 いちいち彩乃がシャワーを浴びる度に悶々として、その気持ちを髪に流すなんて無限ループ、やってられるか。


「よしっ、帰るか」


 そう思い、洗面所を出た俺。

 だけど耳元に、少しだけ雨音が聞こえた。


「げっ……、また雨かよ……」


 こりゃあしばらく帰れそうにないか……。


「……いや、大丈夫そうか?」


 だけどスマホの雨雲レーダーで調べてみると、すぐに止むことが分かった。


「……彩乃?」


 しかし後ろを振り向くと、彩乃が慌てた様子で髪を振り回してた。


「あれ? ……ないっ。無いっ!?」

「無いって、何が?」


 スカートのポケット。制服の胸ポケット。そしてカバンの中。

 それらをあさり終わってすぐ、彩乃はうつろな目を見せた。


「家の鍵、なくしましたっ……」




【あとがき】

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 よしっ、大丈夫じゃないな(理性が)。

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