第15話 世話焼き彩乃の恩返し③
「ここが、先輩のおうちなんですね」
何の変哲もない白いアパートを見て、彩乃が無味無臭なトーンと何気ない顔で返した。
まぁどこにでもある地味な見た目だから、とりわけ面白い感想は浮かばないだろう。
「あっ、そういえば」
俺の首あたりを見て、彩乃が言った。
「先輩ネックレスしてる〜。陽キャですねっ?」
「あぁ、これ?」
シャツの中に収まった銀のチェーンを引き上げ、俺は大事なものを彩乃の目の前で披露した。
命の次に大事で、友達と同じくらい大事なものだ。
「……って、鍵じゃないですか」
「なんだよ」
何故かがっかりした彩乃。
一体、何を期待したと言うのだ?
「ていうか鍵を首にかけるなんて発想なかったですっ。わたしなんて、ほら? 鍵はポケットの中ですよ?」
コイツ、いつか鍵無くしそうだな……。
呆れたと言いたげな表情を残し、俺は取り出したその鍵でガチャりと扉を開けた。
「げっ……」
家の扉を開けた瞬間、俺はあることを思い出した。
部屋が、絶望的に散らかっていることを。
「すまん彩乃、ちょっとだけ待っててくれ」
そう言って、逃げるように部屋に入った。
玄関にはローファーやスニーカー、クロックスが。
廊下にはゴミ袋やよく分からない
みんな、行き場知らずで
「えっと、これはここで。これはここで……」
彩乃を待たせるわけにはいかない。
俺は辺りに放置されたものをテキトーな場所に素早く収納した。
「おまたせ」
そして、玄関から顔を出した。
彩乃は、呆れたと言いたげに目を細めている。
「部屋の片付け、にしては早すぎませんか?」
「部屋の片付け? 俺、そんなことするって言ったっけ?」
「言ってませんけど、分かりますよ。だって先輩、わたしが『ゲームしたいから家に行きたい』って言ったら、家が散らかってるからって一度断りましたし」
ちっ、覚えてたか。
「まぁいいや。お邪魔しまー──」
語尾に『♪』がつきそうな声が鳴ったのも束の間。
扉が開いた瞬間、ドドドッと何かが落ちる音がした。
「……先輩、お片付けしましょう」
「……はい」
横の棚から大量に崩れ落ちた靴の数々。
それを見た彩乃の目は、若干キレているように見えた。
○
「いいですかっ! これはここ! これはあそこ! 以後、気を付けてくださいねっ!」
こうして始まった、世話焼き彩乃のお片付け講座。
片付け下手な俺では詳細に説明できないけれど、彼女の見せた収納術は、お金を取られても文句が言えないものだった。
「あとまな板はここ、フライパンはここ。食器はここに置きましょうっ!」
「すまんな、そこまでやってくれて……」
なんだか、申し訳なさよりも不甲斐なさが先行した。
一人で何もできない俺が、親元を離れて一人暮らし。
そりゃあ、こんな生活を見れば誰も放置できないだろう。
特に彩乃みたいな世話焼きならば余計に。
ちなみに姉さんも世話焼きな一面はあるが、俺と似て一人暮らし不適合者なので、俺の家に来ても何もしない。
「……本当に、彩乃がいて良かった」
「何か言いました?」
「……いや、何も」
ぽろりと零れた、らしくない本音。それを隠すように、ぷいとそっぽを向いた。
「それじゃあ早速、ご飯作っちゃいますね♪」
「良かったら、俺も何か手伝おうか?」
「いえいえ、ここはわたしに任せて、先輩は遠慮なくゆっくりしてくださいっ!」
彩乃はそう言うが、さすがに一人だけ頑張っている中で俺だけゴロゴロしているわけにもいかない。
俺はコインランドリーから持ち帰ったきりの洗濯物を足元に置き、テレビを見ながらそれらを畳むことにした。
『さぁホームから離れて横浜にやって来ましたタイガース。昨日はジャイアンツからの手痛いサヨナラのグランドスラムを受けましたが、それでも現在は
キッチンから聞こえてきた彩乃の鼻歌。
テレビから聞こえてきた推しチームの『一位』が嬉しいのか、耳には野菜を炒める音とともに、有名な応援歌が入ってきた。
一人暮らしの男の家で、異性と二人きり。
一方はキッチンで料理をしていて、もう一方はテレビを見つめている。
これじゃあ、まるで──。
「わたしたち、友達じゃなくて夫婦みたいですね」
突然飛び込んできた言葉に、心臓がドキリと跳ねた。
「なっ、おまっ、何言って──」
「じょっ、冗談ですよっ、冗談!! あーもう、わたし、何言ってんの……」
両頬を押さえて本気で照れる彩乃。
本当に何言ってるんだ、この女友達は……。
『道明寺選手、ファインプレー! これには監督もニッコリです!』
8回表が終わって5-0。
今度こそはタイガースが勝つだろうと確信した瞬間、テーブルの上にコトンと皿が置かれた。
「どうぞっ!」
「これは、オムライスか?」
それも、オシャレなレストランで見かけるような、ふっくらな卵がチキンライスの中心に乗ったものだ。
「まさかこんな形のオムライスを作れる高校生が実在するとは……」
「えへへっ、ありがとうございますっ」
「……食べても、いいか?」
目の前に現れたご馳走を前に、俺はごくりと唾を飲み込んだ。
「はい、どうぞっ!」
「それじゃあ、いただきます」
銀色のスプーンを手に取り、俺は大きな卵にメスを入れた。
「おぉ……。すげぇ!」
切り目の入った部分から、溢れるように出てきたトロトロな卵。
そこからは湯気が立ち上り、流れ出た黄色いベールは、ゆっくりとチキンライスを包み隠した。
薄い卵を被せたものでは無い、ふわとろなオムライス。
初めて目にした料理を前に、俺はゆっくりとスプーンを動かした。
「どう、ですか?」
味の感想を求められ、俺は
「……うめぇ。すげぇ美味いよ、これ!」
口の中に広がる甘えと柔らかな食感。
これには、声を張らざるを得なかった。
「ホントですか!? それじゃあ、わたしもっ!!」
続いて彩乃も、オムライスをスプーンで
「……っ。んん〜っ、んまぁ〜♡」
卵のように頬を蕩けさせながら食べる彩乃。その愛らしい姿は目に入れても痛くない、一生見ていられる眼福ものだった。
──食事は、単なる『作業』だ。
一人暮らしを始めてから、いつの間にか俺はそんなことを思うようになっていた。
食事とは、ただ腹を満たすだけの行動。ただ栄養を満たすだけの習慣。
だからそれを短縮することを『効率が良い』と勝手に決めつけていた。
「……うん。美味い」
それが今ではどうだ?
オムライスを掬う手は止まらないが、その早さはいつにも増して遅い。
一刻も早くこの美味を口に含まずにはいられないと思う反面、このオムライスをじっくり堪能したいと思っている自分がいる。
それはまさに、普段のカップ麺やサラダチキンでは絶対に味わえない感覚だった。
「……ふふっ、先輩って、本当に美味しそうに食べるんですねっ」
そして目の前で笑みを浮かべる彩乃。
これもまた、いつもなら絶対に味わえない感覚だった。
「だって、これ、本当に美味しいからさ……って、彩乃?」
スプーンを持つ手が止まった。
驚くべきことに、目の前の少女が瞳を潤ませていたのだ。
「……嬉しい。わたし、こんなこと言われたの、初めてだったから」
その後、「すみません」と涙声になりながらも雫を拭う彩乃。
だけどその表情は初めて会った時と違って、甘い笑顔を浮かべていた。
「なぁ、彩乃──」
そんな彩乃に、俺は卵よりも優しい声で問いかける。
「またご飯、お願いしてもいいか?」
「はいっ、喜んで♪」
その返事に「ありがとう」とつぶやき、俺はテーブルの下で密かに拳を握った。
【あとがき】
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次回は、あの二人に変化が?
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