第8話 友達は大事に

「あの、すみません。部屋、替えてもいいですか?」


 ギネス記録の少女漫画を読んでいる最中、そんな提案をしてきた彩乃。

 だけどその声は、どこか羞恥に満ちているような気がした。


「……その、今度は、大きな声を存分に出せるというか」


 いや、声だけじゃない。

 紅潮した頬、潤んだ瞳、ムズムズと落ち着かないもも

 どこを切り取っても、恥ずかしさが嫌と言うほど伝わっていて、


「……そのっ、を出すかもしれないんですけど。……いい、ですか?」


 上目遣いの彼女を前に、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。


「……あっ、でもっ、持ってきてたかなぁ」


 ……まさか。その『まさか』なのか?



 ○



『さぁ打席に立ちました。4番ファースト大川おおかわ。今日もまたチームを勝利に導くホームランを見せてくれるのでしょうか?』


「かっとばせー!! ゆ・う・やぁー!!」

「……えっ、そっち??」


 リビングみたいな部屋と、一台のテレビ。

 そこで斜め上を行く行動を取る彩乃に、俺は呆気に取られた。

 肩まで伸びた髪は、今やで束ねられたポニーテールだ。


「あれ? どうしたんですか?」

「……いや、えっと、と思ってたから」

「あぁ、すみません紛らわしくて」


 ホント、紛らわしすぎる。


「しかしネットカフェにこんな部屋があるとは」

「はい。わたしのお気に入りですっ♪」

「……それなら最初からここで良かったのでは?」


 この部屋は、一人で暮らす俺の家と同じくらいの広さだった。

 おまけに真ん中には、大きなローテーブルも置いてある。

 ここなら二人とも足を広げられるから、めちゃくちゃ快適だろうに。……密室だけど。


「いえ。漫画を読む時はフルフラット。野球観戦はリビングルームと決めているのでっ!」


 なるほど、分からん。


岡山おかやまが出てるってことは、相手は読売よみうりか」


 テレビに映った熱気漂う甲子園を見て、俺は言った。

 バッターボックスで悠然と構える主砲と、特徴的なサイドスローの投手の姿があった。


「読売じゃないです。我ら猛虎軍の憎き悪敵あくてきですよ」

「……なるほど」


 さっきまでの楽しげな雰囲気はどこへやら。

 大人しくて愛らしい彩乃の目には、禍々しい殺気がこもっていた。


「そっか。じゃあ彩乃とは仲良くなれそうにないな」

「なっ! まさか先輩も悪敵の──」

「というより、読売の4番バッターを応援してるだけだよ」

「なーんだ、単推しでしたか〜」


 そう言うと、一瞬睨んできた彩乃に楽しげな雰囲気が戻ってきた。

 てか、プロ野球にも『単推し』『箱推し』の概念があるのか。


「まぁ? 読売の4番は元々猛虎軍への入団希望──つまりは実質、猛虎軍というわけですし? 先輩も実質、猛虎軍というわけで」


 なんか謎理論ぶち込んできたぞ、この後輩。


「そんなこと言って。どうせ岡山おかやまがサヨナラのホームランとか打ったらブチギレるんだろ?」

「そんなことありませんし、その心配もありませんよ!」

「……なるほど。確かにそうだな」


 スコアボードに映る、5回表の7-0。

 さすがの大差というわけで、俺は彩乃の応援する猛虎軍と読売4番の活躍を目で追うことにした。


「野球って、いつから見てるんだ?」


 プロ野球観戦ならではの、何気ない質問を投げかけてみる。

 彩乃が野球はおろか、スポーツと無縁そうに見えたから、単純に興味があったのだ。


「えっ? 物心ついた時から猛虎軍ですけど?」


 なるほど、英才教育が成されていたか。


「先輩は?」

「俺はクラスメイトの影響。そいつに無理やり観戦に連れて行かれたのがきっかけだ」

「友達じゃなくて?」

「クラスメイトだ」


 俺が断固としてそう言い切ると、


「いやいや、ただのクラスメイトが野球観戦なんて一緒に行ってくれないでしょ! じゃあ、友達じゃないですか!」


 彩乃はそのクラスメイトを友達と決めつけた。


「……別に。アイツはただ、お節介なだけだ」


 城田倫太郎しろたりんたろう

 彼は去年、独りの俺に何度か話しかけてきた。


 ──どしたん? 話聞こうか!?


 そんなことを何度も聞いてきて、挙句には自分の趣味に付き合わせて。


 当時はクラス委員長として、独りの俺に気を遣っていると思ったし、今もちょっぴり思っている。

 陰キャを自称する割には、仲のいいクラスメイトがたくさんいて。

 みんなに「キモい」と言われるのが日常だが、良く言えば愛されるいじられキャラみたいな存在で。

 おまけにクラス委員長としての実績か、人望があって。


「……ただ。独りの俺に優しくしてるだけだよ」


 気付けば、俺の声はしおれていた。


「先輩も、一緒じゃないですか」


 しかし彼女の優しい声が、俺の頭をスっと上げた。


「先輩も独りのわたしと友達になるって言ってくれて、こうやって一緒にいてくれている。その人も、同じなんじゃないんですか?」

「……まぁ、そうかもな」

「その人がどんな人か分かりませんし、先輩がその人をクラスメイトだと思うならそこまでですけど」


 彩乃がグイッと近付いた、次の瞬間だった。

 さっきまで見せてこなかった、熱の篭った視線がまっすぐ飛んできたのは。


「──その人、絶対大事にした方がいいですよ?」


 大事に、か。

 彩乃の真剣な言葉を、俺は心中で反芻はんすうした。


「だってその人がいなくなったら、わたしと同じ、独りぼっちになると思うから……」


 彩乃の言う通りかもしれない。

 彼女の悲しげな声を聞いて、俺は強く思った。


「……だから、わたしも、先輩を大事にしたいなっていうか……」

「……そっか」


 自然と零れた笑み。


「彩乃も、優しいんだな」


 それを携えて、俺は静かな声で一言。

 すると彼女は「えへへ……」と、はにかんだような笑顔を見せた。

 公園で見てきたものとは違う、相変わらずの明るい顔。

 だからこそ、それを決して崩すわけにはいかない。曇らせるわけにはいかない。

 それが「友達になりたい」という願いに応えた俺の、友達としての役目なのだろう。


『打った! 4番岡山が放った大きなアーチが! 伸びて伸びて伸びて……、入ったぁ!! 本日三本目のホームランは、逆転サヨナラのグランドスラムだー!!』


「……そんな、我ら猛虎軍が」

「ふっ、残念だったな」

「……うぅっ」


 しかし、それとこれとでは、話は別。

 ナイスプレーだ、岡山。





【あとがき】

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僕は『単推し』ですが、猛虎軍です。

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