第6話 焚き染められた部屋

「さて、これで私とローリエが1台のPCでやり取りする方法は分かったけど、実際にはオンラインでやり取りすることが多いよね?その練習はどうしようか」


 今回のように同じ家で複数のライバーが直接顔を合わせて配信する形式をオフコラボと言うが、これは全体から見れば少ない方だという。

 単に同じゲームで遊ぶだけの場合はゲームをオンライン接続し、それぞれの自宅で配信することになる。だが私はまだ配信機材が揃っていない。そちらの練習はまだ不可能そうだが……


「それも、今からやってみるたい」

「えっ?どうやって?」

「今から見せるけん、1階にいっしょに行こ?」


 そういってローリエは部屋を出て、階段を下りていく。玄関からほど近いところに個室があり、他の部屋と違って引き戸になっていた。


 引き戸を開けるとまずホワイトムスクのようなにおいが鼻についた。果たして芳香剤がラックの上に置かれている。しっかりと焚き染められたそのにおいに混じって、どこかで嗅いだようなにおいがするが、ちょっと思い出せない。

 しかしその部屋にあるものを見たとたん、においのことなど頭から飛んで行ってしまった。そこにはもう1セットの配信機材があったのである。


「……すごい。でもどうして2セット用意してるの?」

「上の方のが不調になった時のための予備ってのがまず1つ。これから企業所属になるってのは、いわばプロになるってことやけん、機材が不調だからって配信出来ないってのは良くないって思って」


 つまりプロ意識の表れと言うことか……学生としては頭が下がる思いだ。


「他の理由は?」

「昔、仲間と配信してた時に便利やったから。まさかこんな形で教えるのに使うとは思わんかったけど」


 仲間……どういう意味だろう。一緒に配信していたのだろうが、友達とは違うんだろうか。その言葉を発する時、ローリエはどこか遠くを見るような目で機材を見つめていた。


 この部屋でも私は先ほどと同様にPCの起動から自分のアバターの表示まで行う。そこでローリエが自分の部屋に戻り、お互いにコミュニケーションアプリ「Discard」を立ち上げる。彼女からのフレンド申請を受け取り、通話をクリックしてようやく彼女の声がスピーカーから聞こえてきた。


「ふう、上手くいったっちゃんね。早速ゲームしてみるたい、配信はしたことなくても、さすがにゲームはやったことあると?」

「うん、家には無いけど、友達の家で少しはってところ」


 もちろん友達とは紗良のことである。彼女と遊ぶ時は、たいてい私が彼女の家に上がってゲームや漫画を読むくらいで、出かけることは少ない。お金が余計にかかるからだ。大学受験が近づくと、それも勉強会に変わった。


「はーっ!まさかゲームまで詳しくないって、デビューしたら何の配信をやってくつもりなん?」

「えーっと、まずやりたいのはシチュエーションボイス、色んな役がやりたいかな。他のライバーとコラボになったら声劇なんかもやりたい。あとIRISって昔のテレビ番組みたいな企画がたくさんあるみたいで、子役の時にそういうのにも出てたから行けると思う。ゲームも嫌いじゃないけど、全然うまくないし、私がやっても需要とかあるかな?」


 私は思うところを述べたが、そこまで言ってようやく気がついた。IRISのメンバーは平均週4日くらいは配信している。演劇系の企画にしてもIRIS公式のバラエティ番組系の企画にしろ、それらだけでは間が持たない。私が呻ったところでローリエが答えを述べた。


「『配信者ってなんでゲームばかりするの?』ってよくネットとかでも言われるけど、企画ものは時間がかかるし歌は練習も必要。結局企画無しで毎日のようにできることってゲームしかないけん、どうしても必要になるよ。それに上手くなくても需要はあるっちゃん」

「どういうこと?」

「ライバーのリアクションを楽しんだりとか、成長していくのを見たりとかやね、……わかった。配信界隈で絶対必須のゲームが2つあるけん、今日はそれを覚えて帰ろ?まずは、『トゥーンダイ』」

「あっ、それはやったことある」

「だよね~、丸福堂のゲームはみんなで集まった時の定番!シューターは配信者の華!それを兼ね備えたこのゲームはウチの必修科目!ウチの仲間にはやりすぎて指の軟骨がすり減って消滅した人もいるけんね」


 「ダイ」とは穏やかではない響きだが、これは「die」ではなく「dye」、つまり「染める」という意味だ。撃ち合いで相手を倒すのが最終目的ではなく、インクで地面を染め合い、その面積で勝敗を決する。


 ローリエに言った通り、これは紗良と遊んだことがあるので特に淀みなくカジュアルマッチに参加して試合開始となる。とはいえ腕前の差は明らかで、ローリエはさすがに慣れた様子でエリアを染め上げている。


「カイネちゃんはあと、なんか強烈なキャラがあればよかと。配信者って少しくらい変な性癖とか非常識な一面があった方が覚えてもらいやすいけん。普段の配信で前面に押さなくてもいいけど、なんか心当たりない?」

「どうだろう……」


 正直、何も思いつかない。というよりゲームに集中するので手一杯だ。ローリエはよく話しながらキルを取れるものだと感心するしかない。まるで目や耳をそれぞれ別々に働かせるかのようだ。今もスペシャルウェポンで相手を手玉に取りつつ話題を振ってきた。


「このゲームのキャラってたいが人型に進化したって設定ばい、ちかっぱ刺さるとね、カイネちゃんはこういうのは趣味じゃなかと?」


 そう言われても今は目の前の敵とキルするかされるかの攻防中で考える余裕がない。私は口を突いて出てくる言葉に任せることにした。


「鯛より人体の方が好きかな。知ってる?健康な肝臓の表面ってすごくツルツルで触っても平滑なんだ。脾臓とか腎臓なんかも綺麗でやっぱり人体すごいなって、あと神経もヤバいよ。腕神経叢とか脊髄のC5からL1で形成されるんだけど枝分かれした神経がそのままなんじゃなくて合流したりまた枝分かれしたりして、こんなものが自然に発生するとは思えないってまず思った。おかげで覚えるのが大変なんだけどね。あと覚えにくいと言えば手根骨、でもあれも石垣みたいに複数の骨がぴったり合わさって掌底あたりを形成してて手の動きに全部かかわってるとかすごくない?」



 ――しまった。

 解剖実習で抱いた感想をそのまま話してしまった。こんなことを話したら医学生だってバレてしまうかもしれない。人体解剖は法律で可能な人間や施設などの条件が決まっていて、それ以外の解剖はすべて犯罪なのだ。(死体損壊罪など)

 司法解剖や病理解剖は医師しかできず、私が今やっている教育目的の解剖は医学科と歯学部しかやらない。同じ医学部でも看護学科の解剖実習は私たちの解剖を見学するにとどまる。


 私はキルを取られ、復帰を待つ間におそるおそる彼女の反応も待った。視聴者にバレるならまだしも、ローリエにならバレてもいいんじゃないかと頭をよぎったが、「楠本カイネ」は医師でも医学生でもないのだから、そこは貫き通したいというのが現時点での考えである。


「――よかやん、人体フェチ」

「えっ?」

「さっき言ったと、変な性癖の1つや2つあった方がいいって。もしかしてイラスト描いたりとかするん?そういう人は人体解剖図で研究するうちにハマるって聞いたことあるたい」

「……そうそう!スケッチとかわりとするんだよね。上手くは無いけど――」


 何とかこの場は収まった。そればかりか今後の方針に重要なヒントもつかめた気がする。私とローリエは3試合ほどカジュアルマッチをした後、次のゲームに移った。



 「サンドクラフト」。通称サンクラと言い、立方体で形成されたオブジェクトで構成された世界で、敵と戦ったり素材を集めて建物を建てたりするなど自由に遊べるゲームだという。


 私はローリエ個人のサーバーに案内される。彼女が操作するキャラに導かれて案内され、何棟もの建物が立ち並ぶ空間に出た。


「これ、全部ローリエが作ったの?」

「うん、根気はいるっちゃけど、仲間やリスナーと話しながら作業してれば全然苦じゃないよ。ウチもよくグループのサーバーでいろいろ作って遊んでた」


 私はしばらく建物の外観や中を見て回った。それらはコピペなどではなくレンガ造り、茅葺屋根、宮殿風など、一軒一軒異なる意匠のデザインとなっており細部までこだわりが感じられる。


 一通り見て回ったところでローリエの操作するキャラがある建物に入ったのを見たので、私も後についていく。建物の中に入ったところで気がついた。外観も間取りも、今私たちがいるローリエの自宅を模している。彼女は2階の自室にあたる部屋に入っていった。


 私も数秒後にその部屋に入ったが、彼女の姿は見当たらない。代わりに書見台があり、1冊の本が置かれている。近づいてコマンドを押すと、文章が表示された。このゲームはそういうことも出来るのかと感心し、それを讀んだ。


   1/1ページ


今日はありがとう。

普通は初対面の人とうまく話せないんだけど、

あなたとは上手く話せた。

だから上手くやっていけそうな気がする。

これからもよろしくね。


 簡潔な文だったが、熱いものがこみあげてくる。お礼を言わなければいけないのはこちらの方だ。今日はほぼ一方的に教えてもらっただけだ。私はスピーカーに語り掛ける。


「こちらこそありがとう。今後もよろしく」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る