第5話 偽性の百合
冬休みを利用して私は再び東京に向かった。ある条件を完遂するためには『彼女』と技術的にもコミュニケーションにおいても緊密な連携が必要であると思われたためだ。
事務所の1つ上のフロアにはIRISが大規模なコラボや3Dモデルによる撮影用のスタジオがあり、私たちはその控室でいったん待ち合わせることにしていた。
すでに『彼女』は到着して椅子に座していた。少し俯いていて丸眼鏡が照明に反射して光っている。ノックはしていたのだが扉を開ける音に少し飛び上がっているように見えたのは気のせいだろうか。私が先に自己紹介すると、彼女は左右に目線をそらした。かなりの人見知りだろうか?人前に顔を晒すことはないとはいえ、あのオーディションを突破してライバーになろうという人間としては意外な印象を受ける。
私は自分が彼女の真正面に座っていることに気が付き、医療面接の授業を思い出して1つ隣の席に座り直した。話慣れない人と会話するときは、真正面を避けて45度くらいの角度で話すといいらしい。すると、ようやく『彼女』は口を開いた。
「ろ、ローリエ・ヴァーグをやらせていただく
「ローリエって博多弁で喋るんですか?」
「あっ……すいません。これは直していかないといけませんね。」
方言が出てしまうのはさておき、第一印象からすれば驚くほど明瞭で親しみやすい声であった。明らかに話しなれている。ますます頭にクエスチョンマークが浮かぶ。年齢は容子より上、20代後半くらいだろうか。
事務所のルールではライバー同士の情報としてキャラクターのについては一通り明かされるが、演者の個人情報は本名しか知らされず、あとはプライベートの範囲として扱われた。だから私は彼女の経歴を知らない。態度と話し方のギャップを説明できる前歴を私は想像するに至らなかった。
会話が進まず、きまずい沈黙が流れる。私の方が年下かもしれないが、会話をリードしないといけないと思い、私は早速事務所が出したある条件を確認する。
「百合営業……大変かもしれませんが、頑張りましょう」
私が演じる『楠本カイネ』と宮入さんが演じる『ローリエ・ヴァーグ』でユニットを組み、『百合営業をする』、それが事務所が提示したデビューの条件だった。
別段珍しい話ではない。特にアイドル声優においては男性との関係をファンに匂わせることの無いよう、女性同士で仲睦まじい関係を演出するというのは合理的なうえ、その関係性にファンがつくこともある。
私が話を切り出したはいいものの、やはり宮入さん……あらためローリエはおずおずと目線をそらしたりペットボトルのお茶を飲んだりとしていて話が進まなかった。また私から話を進めないといけないのか……少し気分が重くなってきた。
「あの、まずスタジオで実際にアバターを動かしてみません?とにかく実際やってみないとわからないですし」
「そ、それなんだけど……スタジオじゃなくてウチの家でやりません?」
「えっ?家ですか?」
「う、うん。機材はちゃんとあるし、そのあたりも教えてあげられるから」
いきなりの提案だったが、初めて彼女の言葉に芯が通ったような気がした。初対面で相手の家まで行くというのもどうかと思うが、どうもそうしないと話が進まないような気がする。気後れしつつも私は頷くしかなかった。
彼女の家は鉄道を乗り継いで1時間ほど、川を越えた先の住宅街にあった。こんな展開は想定外だ。家族や同居人がいたらどう挨拶すべきなんだろう、そもそも事情を知っているのだろうか。
「お、お邪魔します」
「大丈夫、一人暮らしだから遠慮せんでええとよ」
1人で住むには明らかに大きな家だ。私は家に意識が向いており、彼女の博多弁を訂正するのも忘れていた。
2階の彼女の部屋に案内してもらい、まず驚いたのはその配信機材だ。PC、マイクからいすや机に至るまでカタログで記憶に残っている中でも最高クラスのものが揃っている。総額で数十万円か、あるいは100万円するかもしれない。私はスマホで調べながらローリエに話しかけた。
「すごいですね……私まだ揃えてないんです、何がいいか分からなくて。参考にさせてもらっていいですか?」
「もちろん、って、あれ?じゃあ芦原さん……いや、カイネちゃんって配信したことないんだ?」
「はい。もともと役者志望で、でもこんな顔ですから、それでも演じることに未練と言うか、こだわりがあって」
私は顔を右に傾けて頬の傷を示した。今までそうしてきて、同情されたり驚かれたりといろいろな反応をされてきたが、ローリエは意外なことに眉1つ動かさず、話を続けた。
「ふーん、ひょっとすると運営はそれでウチらを組ませたのかもしれんね、ウチはアバターは使ったことないっちゃけど、ゲームや歌の配信は随分やってたけん、配信のやり方を教える役目を運営は期待したんかも」
なるほど、納得のいく話だ。そうやって自然と関係を作って、それを百合営業として配信に反映させる。私を面接した永瀬さんがこういったプロデュースも一手に行っているらしいが、かなりのやり手であることがうかがえる。
「そうと決まれば、早速やってみるばい」
私はローリエから教えてもらいながら配信ソフトの起動、音量の調整やゲーム画面のキャプチャーなどについて習得していった。最後にアバターを画面に表示させる。つい先日これが完成したことで、今回の打ち合わせの日程が決まったようなものだ。
私は改めてこれから自分の分身となるその姿に目をやった。172㎝という長身とそれを際立たせるパンツスタイル、緑髪のショートカット。これに私の地声に比較的近い低音の声質もあり、いわゆる王子様系のイケメン女子を演じるのがコンセプトである。
顔はもちろん現実とは異なり一点の疵も無い。私は戦国武将、伊達政宗の肖像画を思い出した。彼は天然痘により片目を失っているが、それを親不孝と恥じ、像や肖像画にはそれを反映させなかったという。
一方でその体型は私と近い。私は将来3Dモデルを作成してもらうことを意識していた。体が現実に近いほうが動きに齟齬が出にくいのである。
ローリエはエルフという設定である。小柄で羽や髪飾りなどかわいらしい衣装、髪や服などは全体的に寒色を基調としたカラーリングであった。
私はそれを見て、ようやくあることを思い出した。
「あっ、やっぱりエルフ姿で博多弁はちょっと……今からでも標準語でやってみます?」
「そ、それなんだけど、やっぱりこの喋り方で行ってよかと?今までのIRISの先輩方を見るとキャラ設定なんてあってないようなものやけん、こっちの方が喋りやすいし、人見知りもちょっとマシになるから……」
私はここでようやく彼女との考え方の差に気がついた。私は「楠本 カイネ」という作ったキャラを演じようとしているのに対し、彼女にとってローリエはあくまで自分を表現するアバターに過ぎないのだ。
バーチャルライバーにどちらが正しいというのは無い。視聴者がそれを受け入れ楽しめればそれでいいのだ。
逆に言えば、私も演技をしていくことに遠慮する必要はない。私は一呼吸整え、椅子の向きを変えて彼女と正面から向かい合った。
「ローリエ」
「えっ」
いきなり呼び捨てで呼ばれてちょっと面食らったのか、彼女は事務所であった時のようなそわそわした態度に戻った。
「私はありのままの君を受け入れるよ。だからこれからもよろしく」
「う、うん、ありがと。なんかすごかと、目つきといい喋り方といい、さっきまでと別人みたい。演技ってすごいね」
「ふふっ、こちらこそありがとう……あっ」
唐突にスイッチが入ってイケメン女子を演じてしまった。遠慮は無いとはいっても、一応確認しないといけないことはある。
「ローリエって年は?」
「28だけど」
「私、まだ20歳だけど、同期なんでこれから敬語なしでいいかな?」
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