第4話 憑代

 私は凍り付いたように動けなかった。なぜご遺体から亡くなった祖父の声がするのか。言うまでもなく、ご遺体は祖父ではない。私たちは実習に供されるご遺体の名前も生い立ちなどは一切知らされない。


「『お前は頭がいいのだから、それを人のために、人を救うように使わなければならない。医者が最もふさわしい』――お前は私のこの言葉に従ってここに来たのではないか?」


 また聞こえてきた。しかしご遺体の口元を見ても声に合わせて動いている様子はない。まるで私の心に直接語り掛けているようだった。

 私が医学を学ぶ裏でバーチャルライバーのデビュー準備をしているところを咎めに来たのか、あるいはそれに対して私自身がわずかに後ろめたさを感じていて、その感情が祖父の声やご遺体を借りて私に語りかけているのかもしれない。


(確かに当時の私は、目標もなくただ勉強していただけでした。でも私にはもともと役者と言う道があった。バーチャルライバーなら、あるいはその道を取り戻せるかもしれないんです)


 そう心の中で呟くと、嘲るような笑いが響いてきた。


「言っておくが、誰もお前の決断を心から応援する者はいない。お前はまるで自分が籠の鳥だとでも言うような口ぶりだが、そこは多くの者が自ら入りたがる籠だ。入れないことに絶望して自殺する者さえいるほどにな。お前には誰も共感しない。嫉妬や怒りが向けられる。いずれ分かることだ。」


(そんなことは私には関係ない。紗良さえ応援してくれるならそれで十分です。だから、医師の道も捨てる気はありません)


「そうか、ならば止めまい、せめてこのご遺体に失礼の無いよう勉強するがいい」


 私は意を決して、力を込めて胸部にメスを入れた。深い切込みが入り、同じ班の仲間から賞賛の声が上がったが、その後、目の前が暗く、足に力が入らなくなり、座りこんでしまった。冷や汗が頬を伝うのが感じられた。私は結局その日の実習をその時点で終了して休むことになった。初日に気分が悪くなる人が出るのは珍しいことではないらしく、教授や夫人は手慣れた様子で私を実習棟の外に誘導した。


 翌日には私は何事もなかったように実習に復帰した。以降は祖父の声が聞こえるようなこともなく、週4回の実習が日常になり、いつしかご遺体と向き合うのも慣れていった。しかしそれでも、教科書の流れの通りに半年がかりで全身の骨、筋肉、神経、血管、臓器を剖出ぼうしゅつしていく過程は生易しいものではなかった。


 ひたすらに皮下組織を剥離し掻き分ける作業でありながらも、一見して区別のつかない神経や細い血管を誤って切らないように教科書を脳裏に呼び起こし、注意を払わなければならなかった。その日の到達目標に届かなかった日は夜遅くまで居残った。


 私は実習のない日を狙ってIRIS運営と打ち合わせを重ねていたが、実習が始まって2週間ほど経ったところで、一つの決断に至った。私はPC画面を通じてマネージャーの男性に告げた。


「アバターの件ですが、医師の設定は無しで行きたいと思います。私はまだ医療者としては未熟以前の段階ですし、一番やりたいこととも外れます。私はあくまで演技がやりたくてIRISに入ったんです」


 しかしここまで医師の設定を押してきたこともあり、マネージャーもすぐに首を縦に振らなかった。私はこの状況に備えてある反論を準備していた。


「コーテックス所属のライバーである大亜ふらむさんというライバーがいらっしゃいますよね?長らく事実無根の彼氏同棲疑惑による誹謗中傷を受けて裁判で争っていましたけど、先日訴えが認められた方です。これはバーチャルライバーという架空のキャラクターであっても、その背後にいる演者も含めて法の下に置かれたという前例になります。これを当てはめて考えると、まだ医学生に過ぎない私が医師のキャラクターを演じた場合に医師法第18条に引っかかる可能性がないとは言い切れません」


 医師法第18条「医師でなければ,医師又はこれに紛らわしい名称を用いてはならない」

 これは医師の名称独占を規定する法律である。つまり医師でない者が医師のバーチャルライバーを演じることが出来ないかもしれない、というのが私の主張であった。

 生まれて間もないバーチャルライバーという存在について、法的な意味で確実に言えることは少ない。私自身が法律の専門家に相談したわけでもない。しかしリスクを避けたい運営にとってはこの発言が決定打になったようで、最終的に医師の案はボツとなることが確定した。


 デビューに際してを守ることを条件に結果的に私の意見がほぼ通ることになった。キャラ設定は大学生となり、運営としては私に裏設定で医大生と言うことにして、来るべき時が来たらいつでも医師を名乗れるようにするという案で妥協してもらった。かなり現実に即した設定である。

 しかしこの判断が裏目に出ることを、この時の私はまだ知る由もなかった。

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