8 濃界の衣装を前に
薄界の衣服は身体の線に沿った立体的な裁断と縫製だが、濃界の衣服は直線的な裁断と平面的な縫製で、ボタンではなく帯や宝石のついた飾りピンなどで着こなす仕立てだ。
侍女達に手伝われて湯浴みを終え、濃界風の簡素な衣を纏ったエルシャの前にユイトウとマルナがずらりと侍女に並べさせたのは、色とりどりの濃界の衣装だった。
「初めて見た時から思っていたけれど、本当に豊かで綺麗な金の髪ねぇ……っ!」
「エルシャは特に色白ですし、どんな色でも似合いそうですわね、お義母様」
髪を洗って乾かしてもらい、侍女達に丁寧に
魔素の濃さが影響しているのかどうかはわからないが、一般的に薄界人は色素の薄い髪色の者が多く、濃界人は黒髪が多い。
ジレンはもちろん、ユイトウ達も見事な黒髪ばかりだ。複雑に結い上げた髪型に何本も挿している
ふわりふわりと空中に浮く光る玉はユイトウが魔法で出したそうで、ここは濃界なのだと改めて感じさせられる。
「確かに何色でも似合いそうだけれど、エルシャはまだ十八歳なのだもの。明るい色がよいわよね!」
「となると、少し型の古い衣装になってしまいますけれど……」
「ああっ、エルシャが来るのがもっと早くからわかっていればねぇ……っ! 新しい衣を仕立てておいたのに……っ!」
「あ、あの、お義母様、お義姉様……。これは、いったい……?」
目の前の色の奔流に圧倒されていたエルシャは、ようやく我に返って、おずおずと声を上げる。
途端、ユイトウとマルナが息を合わせたようにエルシャを振り返った。
「そうねっ! まずはエルシャ自身の意見を聞かなくては!」
「エルシャさんっ、あなたはどんな色がお好みでして!?」
「え……っ!?」
勢いよく問われて、言葉に詰まる。
いままでのユイトウ達の言葉と、目の前の衣装の数々から察するに。
「そ、その……。晩餐用の衣装をお貸しいただけるということでしょうか……?」
エルシャの推論に、ユイトウとマルナが大きく頷く。
「ええ! もちろん、あなたが先に送った荷物の中に素敵なドレスがあるのは承知しているのだけれど」
「でも、せっかく濃界の屋敷に来てくれたのですもの。よい機会だから、あなたに濃界の衣装を着てもらいたいと思って……っ!」
「わたくし達のお古な点は申し訳ないのだけれど……」
「とんでもないことです! どれも素敵なお衣装ばかりで……っ!」
ぶんぶんぶんっ! とあわてて千切れんばかりにかぶりを振る。エルシャには濃界の衣装の流行り
表面に虹かかかったかのようなこの独特の光沢は、濃界に暮らす
魔蚕の絹は濃界との交易品の中でもかなりの高級品で、薄界の貴婦人達の憧れの的でもある。
領主の末娘であるエルシャは、絹の服は持っているものの、希少品の魔蚕の服は両親が着ているところしか見たことがない。そんな魔蚕の衣装をエルシャに貸してくれるだなんて。
「あ、あのっ! お義母様とお義姉様のご厚意はたいへんありがたいことですが、こんな高価なお召し物をお借りするなんて、申し訳なさすぎます……っ!」
とんでもない! と遠慮する。
エルシャだって、年頃の娘だ。綺麗な衣装や装身具には思わず見惚れてしまう。
だが、幼い頃から魔道具に夢中で、将来は魔道具師になることを目指していたエルシャは、己の容貌を磨くことには無頓着だった。
そんなエルシャが魔蚕の衣装を着ても、似合わぬに違いない。
「あら、何を言うの? 遠慮なんていらないわ」
「お義母様のおっしゃるとおりですわ。遠慮なんてなさらないで」
エルシャの言葉に、ユイトウとマルナが口々に告げる。
「むしろ、わたくし達が息子の可愛いお嫁さんを着飾らせたいのだもの」
「そうよ。エルシャさんさえよければ、おつきあいくださったら嬉しいのだけれど……。だめかしら?」
「いえ、その……っ」
美女二人に哀しそうに見られては、何と返せばよいか、戸惑ってしまう。「それに……」と、ユイトウが思わせぶりにエルシャを見やって吐息した。
「ジレンだって、きっと内心では、濃界の衣装を纏ったあなたを見たいでしょうし……」
「ジ、ジレン様が……?」
愛するだんな様の名前が出た途端、思わず反応してしまう。ユイトウとマルナの目が、きらりと光った気がした。
「ええ、もちろんよ! 自分の花嫁が綺麗に着飾って喜ばないだんな様がいるはずがないでしょう!?」
「そうですわ! ジレン様にいつもと違う姿を見せて、もっと
ユイトウとマルナがずずいっ、とエルシャに身を乗り出す。エルシャはぷるぷるとかぶりを振った。
「い、いえ、わたくしなんか綺麗な衣装を纏っても、ジレン様はきっと何とも……っ」
なんせジレンは誰もが見惚れるような美貌の主なのだ。ユイトウやマルナのような美女が着飾るのならともかく、エルシャが着飾っても効果は薄いだろう。
優しいジレンのことだから、きっとエルシャを傷つけないよう、「可愛いですよ」とお世辞を言ってくれるのは間違いないだろうが。
でも、ほんのわずかでもジレンに褒められる可能性があるかもしれないと思うと、それだけで胸がどきどきと高鳴ってしまう。
熱を持ってしまった頬を両手ではさみ、騒ぐ鼓動を鎮めようとしていると、ユイトウとマルナが視線を合わせて意気投合したように頷いた。
「これは腕が鳴りますわねっ!」
「ええっ! なんとしてもいま以上に可憐に仕上げなくては!」
「あ、あの……っ!?」
獲物を狙う
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