7 義実家での大歓迎


 領主の屋敷の玄関先でジレンとともに馬車を下りたエルシャを待ち受けていたのは、怒涛どとうの大歓迎だった。


「エルシャ嬢、来てくれて嬉しいわ! それとジレンはお帰りなさい」


 挨拶をした途端、ジレンの母のユイトウにぎゅっと抱きしめられる。エルシャが名前を知らない香の薫りがふわりと押し寄せた。


「お、お義母様っ!?」


「まさか、あなたが濃界に来てくれる日が来るなんて……っ! よくジレンが許したわねぇ!」


「えっ!? それは……っ。あ、あの……っ!?」


 ユイトウとはいままで何度も会ったことがあるし、そのたびに愛情深い方だとは思っていたが、ここまで愛情表現の激しい方だっただろうか。


 目を白黒させていると、ジレンが救いの手を差し伸べてくれた。


「母上……。エルシャが固まってます。放してあげてください。兄上も苦笑いしてますよ?」


「あらごめんなさい。嬉しくて、つい」


 するりと腕をほどいたユイトウが美しい面輪に笑みを浮かべてエルシャを覗き込む。


「ごめんなさいね、驚かせてしまったかしら? いつもはお客様の立場だから遠慮しているのだけれど……」


「い、いえっ! お義母様にこんなに歓迎していただけるなんて、嬉しいです……っ!」


 ユイトウの落ち着いた美貌からは想像できなかったのでびっくりしたが、嫌だなんて、まったく全然思わない。


 ぷるぷるとかぶりを振ると、


「まぁっ! なんて可愛いことを言ってくれるのかしら!?」


 とふたたびぎゅっと抱きしめられた。ユイトウの頭から生えている魔角に髪が絡まりそうで少し焦る。


 ユイトウの魔角はジレンとは異なり、細めで枝分かれしながら天へと伸びる鹿の角に似た形をしている。色だけはジレンと同じ闇色だ。


「エルシャ嬢。母上がすまないね。きみがラグシャスト領からハイリーン領へわざわざ来てくれたのが、嬉しくて仕方がないようでね」


 笑んだ声で割って入ったのは、ジレンの兄であるハイレンだ。


 ハイレンの隣では、ハイレンの妻であるマルナがまだよちよち歩きくらいの我が子を腕に抱いて、微笑ましそうにエルシャ達を見つめていた。


「いえ、とんでもないことでございます。急な訪問にも関わらず受け入れていただき、感謝の念にたえません」


 ユイトウから身を離し、マントの裾をつまんで一礼しようとすると、つん、と髪が引っ張られた。ぎゅうぎゅうと抱きしめられているうちに、ユイトウの魔角に引っかかってしまったらしい。


「エルシャ、動かないで。母上も。だから放してあげてくださいと……」


 さっと一歩踏み出したジレンが、文句を言いながらも絡まった髪をほどこうとエルシャの頭へ手を伸ばす。美貌の母子に挟まれて、なんだかどぎまぎしてしまう。


「す、すみません、ジレン様。ユイトウ様も……。わたくしの髪が乱れていたせいで……」


 しっかり結っていたつもりだが、『大穴』を落下しているうちに緩んでしまったのだろう。


「いや、これはエルシャのせいではないよ。母上が悪いのです。ああもう、こんなに絡まって……っ!」


 いつも穏やかなジレンが、珍しく苛立った声を上げる。


「大丈夫ですよ、ジレン様。髪をほどけばすぐに……っ!」


 あわてて告げると、ジレンが白皙の美貌を思いきりしかめた。これほど不快感をあらわにしたジレンは初めてだ。不可抗力とはいえ、髪が乱れたみっともない姿を義理の母親達に見せるなんて、と呆れているのかもしれない。


「も、申し訳ありません……」


「エルシャ、謝らないで。悪いのは母上なのですから」


 身を縮めて謝ると、即座にジレンの声が返ってきた。次いで、大きな吐息が降ってくる。


「かなり絡まってしまっているな……。すまない。やはり髪をほどいても?」


「は、はいっ。もちろんです!」


 ため息混じりの声に頷くと、ジレンの長い指先がしゅるりと髪を結っていたリボンをほどく。腰近くまである金の髪がさらりと流れ、ようやくユイトウの魔角が自由を取り戻した。と、


「わぷっ!?」


 不意にマントのフードを目深まぶかに下ろされ、びっくりする。


「ジ、ジレン様っ!?」


 あわててフードを持ち上げようとすると、硬い声で「そのままで」と制された。長身を屈めたジレンの低い声が、フード越しにすぐそばで聞こえる。


「フードを外さないで。魔角族では、女性はほどいた髪を決して異性に見せないんだ」


「え……?」


 ちらりとフードの陰から見やると、いつの間にやらハイレンがエルシャに背を向けていた。ハイレンだけではない。出迎えに出ていた召使い達も、男性はみんな背を向けている。


 ご丁寧にマルナから幼い次期領主を抱きとった乳母までもが後ろを見ていた。


「ごめんなさい、エルシャ。これでは挨拶どころではないわね。もともと晩餐の前に身支度を整えてもらう予定だったけれど、先に済ませてしまいましょう」


 恐縮するエルシャの戸惑いを打ち払うようににこやかに告げたユイトウが、エルシャを守るように立つ息子を見上げる。


「ジレン、大切な花嫁さんをしばらく預からせてもらうわよ?」


 確認というより、通告と評したほうがよさそうな声音に、ジレンが頭痛がすると言わんばかりに額を押さえる。


「……母上。もしかして、最初から企んでいたのではないでしょうね?」


「あら嫌だ、企むだなんて。不幸な事故よ。さぁ、行きましょう、エルシャ。マルナも」


「はい、お義母様」


 まるで打てば響くように、マルナがうきうきと笑顔で応じる。たおやかな美女なのに、マルナの笑顔に不可視の圧を感じて、エルシャは思わず声を洩らした。


「お、お義姉ねえ様……?」


「うふふ。来てくださって嬉しいわ、エルシャさん。わたくし、兄ばかりなものだから、あなたのような可愛いらしい義妹いもうとができて嬉しいの」


 マルナが同性のエルシャも見惚れそうな笑顔で告げる。


「さぁ、エルシャ。こちらよ」


 にっこりとユイトウがマルナと同じ笑みでエルシャの手を取る。


「母上! 義姉上あねうえも……っ! お願いですからエルシャに無理はさせないでください! 彼女は濃界に来たばかりなんですから……っ!」


「ジレン。母上は無茶なことなどなさるまい。……おとなしくわたしと待とう」


 ハイレンがジレンをなだめる声を背後に聞きながら、エルシャは問答無用でユイトウ達に屋敷の奥へと連れて行かれた……。


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