6 陽射しより、もっとまぶしいものを知っていたから


「エルシャ、手をどうぞ。ゴンドラとの間に隙間があるから気をつけて。迎えの馬車がすでに来ているようだ」


「はいっ、ありがとうございます!」


 ジレンの声に、呆けたように周りを見回していたエルシャは、あわてて差し出された手に手のひらを重ねた。


 ジレンに導かれるまま、ゴンドラから濃界側の『大穴』の縁に降り立つ。


「いまはまだ……。お昼過ぎくらいなんですよね?」


 先ほど、こちらに着く前にゴンドラの中でお昼ごはん用の軽食を食べたばかりだ。

 エルシャの呟きの奥に隠れた疑問を、ジレンは的確に察したらしい。


「エルシャの目には暗く感じるかな? でも、濃界ではこれがふつうの明るさなんだ。今日が特に天気が悪いわけではないんだよ」


「え……?」


 ジレンの言葉に、驚いてもう一度周りを見回す。


 『大穴』を取り囲むように、交易のための商館や倉庫が立ち並んでいるのは、薄界側と同じだ。立ち働いているのが全員魔角族なのは、濃界なので当然だろう。


 だが、薄界では秋の爽やかな陽射しが降りそそいでいたのに、まるで薄曇りのように陽射しが弱い。夕暮れだと言われても信じてしまいそうだ。


「魔素が濃いせいかもしれないが……。濃界では、これがふつうの明るさだよ。濃界人が薄界に行って最初に驚くのは、薄界の明るさなんだ」


 ジレンの言葉に、そういえば、十年ほど昔、まだジレンがラグシャスト領主の館で暮らし始めた頃、エルシャが誘ってもなかなか庭へ出てきてくれかったのを思い出す。


 きっと、ジレンの目には陽射しの強さがつらかったのだ。ジレンが庭へ来てくれたのは、いつも薄曇りの日だった。


 しばらく薄界で過ごすうちに慣れたのか、晴れた日にも外へ出てきてくれるようになったので、そんな事情があったなんて、まったく気づかないままでいた。


「ジレン様っ、申し訳ありません……っ! わたくし、小さい頃のジレン様に無理強いを……っ!」


 十年前の過ちをいまになって知らされ、一気に肝が冷える。


 身を縮め、震えながら頭を下げると、ジレンのあわてふためいた声が降ってきた。


「エルシャ!? 急にどうしたんだい!?」


 両肩を掴まれ、ぐいと身を起こされる。顔を覗き込むジレンの黒曜石の瞳には、戸惑いと不安が揺れていた。


「だ、だってわたくし、薄界に来られたばかりのジレン様に無理強いをしてしまっていたのでしょう……っ!?」


 震える声で告げると、ジレンが驚いたように目を瞠った。かと思うと、柔らかな笑みが浮かぶ。


「何を言うかと思えば……。大丈夫、無理強いなどしていないよ。エルシャがわたしを誘いに来てくれるたび、嬉しくて仕方がなかったんだから」


「で、ですけれど……」


 ジレンの言葉をそのまま素直には受け止められない。


 ハイリーン領とラグシャスト領の、ひいては濃界と薄界の末永い友好関係のために、次期ハイリーン領主の弟であるジレンは、たった七歳の頃から、ラグシャスト領主の館の一画にアトリエを構える叔父のローニンに預けられる形で、年の半分近くを薄界で暮らしていた。


 だが、優れた魔道具師であるローニンは、よく言えば職人気質――悪く言えば魔道具のことしか頭にない人物で、幼い甥の保護者としては、あまりにいろいろ足りていなかった。


 結果、エルシャの両親が見かねて領主の館にジレンを引き取り、我が子と同じように育てたのだが……。


 兄や姉とは年が離れていたエルシャにとって、三つ年上だったジレンは、誰よりも近しい同年代の友達だった。


「本当だよ」


 エルシャを馬車へとエスコートしながら、ジレンが自信たっぷりに頷く。


「外の陽射しより、もっとまぶしいものを知っていたから。だから、薄界の太陽にもすぐに慣れることができたんだ」


「まぶしいもの……? あっ、お師匠様が一時期、照明の魔道具にってましたもんね! 濃界人は夜目が利くから照明に重きはおいてないので、薄界の照明器具が興味深いって……っ!」


 ローニンが発明した七色に光が変わっていく照明は、薄界の貴族達の間で大流行した。まだ幼かったエルシャが魔道具の魅力に取りかれたきっかけでもある。


「そうではなくて」


 エルシャに続いて馬車に乗り込んだジレンがくすりと笑みをこぼす。


 御者が箱型の馬車の扉を閉めて、馬車を出発させるのと、ジレンがエルシャに身を乗り出したのが同時だった。


 指先でエルシャの頬にふれたジレンが、甘やかに笑う。


「わたしにとっては、きみの無邪気な笑顔が太陽よりもまぶしかったんだ。きみの笑顔を見ていたら、陽射しに慣れるのもあっという間だったよ」


「っ!?」


 さらりととんでもない台詞を告げられ、息が止まりそうになる。


「そ、そそそそんなはずありませんでしょう!? わたくしの顔は発光器じゃありませんっ!」


 一瞬で真っ赤になった顔をごまかすように叫ぶと、ジレンが目を見開いた。かと思うと、ぶはっ、と吹き出す。


「エ、エルシャが発光器……っ!」


 変なツボに入ったのか、ジレンがこらえきれないとばかりに、長身を二つに折って笑い転げる。


「……まあ、わたしにとっては同じようなものかもしれないけれどね」


 低い声で謎の言葉を呟いたジレンに、エルシャは話題を変えようと問いかける。このままだと、魔道具のところに辿り着く前に、エルシャの心臓が壊れてしまいそうだ。


「修理が必要な魔道具はどこにあるのですか? それとも、先にお師匠様のアトリエへ?」


 ローニンは薄界を拠点にしていたが、濃界にもアトリエを構えていたと聞いている。


 特に、今回修理が必要な魔道具は濃界のアトリエで作成したらしく、薄界のローニンのアトリエを探してもそれらしい図面を見つけることはできなかった。


 魔道具の実物も確認したいが、図面も見つけなければならない。作成者であるローニンがいないいま、図面を見なければ魔道具の制作意図を掴むことは難しいだろう。


「エルシャの熱意は嬉しいのだけれどね」


 はやる気持ちを押しとどめるように、笑いをおさめたジレンが穏やかな声で告げる。


「まずは滞在先である兄上の館へ行こう。きみが来ると知って、母上や兄上が歓迎の準備をしているんだ」


「まあっ、お義母様達が……っ!」


 半月前、ラグシャスト領で行われた結婚式に参列してくれたジレンの家族の姿を思い描く。


「それは、しっかりとご挨拶をしなければいけませんね! あ、でも……っ」


 いまのエルシャはズボン姿にフード付きのマントだ。仕立てはよいものだが、決して領主一家のお目通りにふさわしいものではない。


「その格好のままでも大丈夫だよ。母上達も『大穴』の事情はよくご存知だから。きみの荷物は先に屋敷へ届けてあるから、気になるなら挨拶のあと、晩餐ばんさんまでの間に着替えるといい」


 エルシャの心配を読んだかのように、ジレンが穏やかな声で諭す。


「晩餐まで……っ!? わたくしは修理に来ただけですから、そこまでお気遣いいただかなくて結構ですのに……っ!」


 濃界行きは急に決まったことなのできっとあわただしい思いをさせたことだろう。

 申し訳ない気持ちになっていると、ジレンが穏やかにかぶりを振った。


「エルシャが気にすることはない。その、むしろ、わたしのほうが先に謝っておいたほうがいいかもしれないというか……」


 珍しく歯切れの悪い様子のジレンに、首をかしげる。ジレンが端整な面輪に苦笑を浮かべた。


「きみがハイリーン領に来る機会なんて初めてだから、どうやら母上達がかなり意気込んでいるらしくてね。きみを困らせる事態になったらすまない」


 頭を下げて詫びられ、びっくりする。


「そ、そんな……っ! 歓迎していただけるなんてありがたいことですのに、どうして謝られるんですか!?」


「いやその……。ハイリーン領のことについてはもちろん領主である兄上の判断が第一なのだけれど、屋敷内のことに関しては母上が取り仕切っているから……」


「ラグシャスト家でも、家庭内のことは母上が取り仕切ってらっしゃいますよ? ジレン様もご存知でしょう? そういうところは、薄界も濃界も同じなんですね。興味深いです!」


 エルシャは半月前に会ったばかりのジレンの母、ユイトウの姿を思い描く。


 ジレンの母だけあって、成人した息子が二人もいるとは思えない華やかな美貌のユイトウは、薄界人の嫁であるエルシャのことを、優しく受け入れて結婚を祝福してくれた。


 それは、ジレンの兄であり、ハイリーン領の若き領主であるハイレンも同じだ。


 領主の末娘であるエルシャは、薄界人の己と濃界人のジレンの結婚の裏に政治的な思惑があることを承知している。


 それでも、ジレンの家族が薄界人の自分を受け入れてくれていることが、涙があふれそうなほど嬉しい。


「お義母様にお会いしたら、たくさんお礼を申し上げないといけませんね!」


 そう、ジレンに笑顔で告げたのだが……。


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