5 愛しさがこらえきれなくなるだろう?
「そ、その……。わがままだとわかっているのです。でも、こんな機会でもなければ、わたくしが濃界に来られる機会なんてありませんでしょう? だから、その……」
かぁっ、と頬が熱くなる。恥ずかしさにエルシャは思わず視線を伏せた。
「ジレン様がどんなところで成長されたのか、この目で見られたら嬉しいな、と思――、っ!?」
みなまで言わぬうちに、ぎゅっと息が詰まるほど強く抱きしめられる。
「ジ、ジレン様っ!?」
「……そんなに愛らしいことを言われたら、駄目だと言えないだろう?」
困ったような声音は、ひどく甘い。
「きみがわたしのことをもっと知りたいと思ってくれているなんて……。嬉しくて、たまらない」
「当然ですっ! だって、ジレン様は大切なだんな様で……っ!」
とっさに見上げて告げた言葉は、ジレンのとろけるような笑みを見た途端、もごもごと喉の奥へ消えてしまう。
「きみが望むなら、好きなだけハイリーン領を案内しよう。……いまから、加護の魔法を重ねがけしてもいいかい?」
「え……っ!?」
突然の申し出に、ぼっ、と顔が熱くなる。
「こ、ここ、外ですよ!?」
「けれど、見ている者など誰もいないよ」
エルシャの抗弁をジレンがひとことで封じる。
確かに、ゆっくりと上昇していく昇降機が上に着くにはまだまだ距離がある。ジレンが言うとおり、ここにはエルシャとジレンの二人しかいない。
「それに……」
吐息がふれそうなほど身を寄せたジレンの大きな手のひらが、そっとエルシャの頬を包む。
「あんなに可愛いことを言われたら、愛しさがこらえきれなくなるだろう?」
熱を
まぶたを閉じると、ふ、とジレンが微笑む気配がした。
「エルシャ」
と、耳に心地よい声が愛おしげに名を紡いだかと思うと、唇が柔らかなものにふさがれる。
同時に、ふわりとあたたかな不可視のヴェールが己の全身を包み込むのを感じる。ジレンの加護の魔法だ。
エルシャを思いやってくれるジレンの優しさに、喜びで胸の奥がじんと熱くなる。
座席に手をついたジレンの手のひらに無意識に指を伸ばすと、ふれた途端に絡めとられた。
くちづけが深くなり、んぅ、と鼻にかかった声が洩れてしまう。恥ずかしくて逃げ出したいほどなのに、ジレンに与えられる熱に、融けてしまったように身体に力が入らない。
背もたれに身を預けた拍子に、ジレンの唇がようやく離れる。
ほっ、と無意識に詰めていた息を吐き出したエルシャの耳に。
「……困った……」
この上なく苦いジレンの声が届いて驚く。
「ど、どうしました!? わたくし、何か……っ!?」
あわてて見上げたエルシャの視界に飛び込んだのは、困り果てたようなジレンの顔だ。
「ジレン様、どうなさったのですか……?」
不安のあまり、ジレンに絡めとられたままの指先にきゅっと力を込めると、ジレンが形良い眉を寄せたまま、口を開いた。
「きみがあまりに愛らしくて……。加護の魔法を抜きに、ずっとくちづけたくなってしまう」
「……っ!?」
告げられた内容を理解した途端、一瞬で頭が沸騰する。
「ジ、ジレン様っ!? あのっ、その……っ!?」
頭がくらくらする。水揚げされた魚みたいにぱくぱく口を開閉させていると、くすりとジレンが笑みをこぼした。
「……冗談だよ」
「じょ……っ!? もうっ、ジレン様ったら、心臓に悪すぎますっ!」
生真面目なジレンは、ふだんこんな冗談など言わないので、本当にびっくりした。
子どもっぽいと思いつつも、つい頬をふくらませて抗議すると、「すまない」とあやすように頭を撫でられる。
「……もしかして、久しぶりの里帰りに浮かれてらっしゃるんですか?」
半月前の結婚式には、ハイリーン領から領主を務めているジレンの兄夫婦や母親がラグシャスト領へ祝いに来てくれたが、ジレン自身はここ数か月の間、ハイリーン領へ帰れていない。
ジレンほど立派な魔角を持っていれば、魔法さえ使わなければ数年間は薄界で暮らすことができる。
もちろん、エルシャはジレンの好きな時に里帰りしてくれてかまわないと何度も伝えていたのだが、「わたしは濃界と薄界の橋渡し役としてラグシャスト領にいるのだから」と、滅多なことでは帰ろうとしなかったのだ。
今回の魔道具の修理がなければ、きっとまだしばらく里帰りをしなかったに違いない。
おずおずと尋ねたエルシャに、ジレンが虚をつかれたように目を瞬く。と、「そうかもしれないな」とくすりと笑みをこぼした。
「こんなに愛らしい花嫁を連れて里帰りできるんだから……。自分で思っている以上に、浮かれているのかもしれない」
甘やかに微笑まれて、ふたたびぼんっと顔が熱くなる。
「も、もうっ、ジレン様ったらご冗談ばかり……っ!」
今日のジレンは本当にらしくない。が、それだけ気持ちがはずんでいるのだと思うと、エルシャも嬉しくなってくる。
「……ですが、ジレン様が喜んでくださっていると、わたくしも嬉しいです……っ!」
端整な面輪を見上げて微笑むと、「ゔっ」とジレンが喉の奥で呻くような声を洩らした。
「ジレン様?」
「いや……」
ゆるりとかぶりを振ったジレンが、ひとつ吐息して座席に座り直す。姿勢を正してこちらを振り向いた面輪には、いつもの穏やかな笑みが浮かんでいた。
「濃界に着くまではまだしばらくかかる。いまのうちに聞いておきたい話などはあるかい? 急に決まった濃界行きだから、気になっていることもあるだろう?」
「ありがとうございますっ! ではあの……っ」
ふだんと変わらぬジレンの様子にほっとする。それに、確認しておきたいことならたくさんある。
ジレンの気遣いに感謝しながら、エルシャはいそいそと口を開いた。
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